あなたが支えてくれるから自分以上の自分になれる:You Raise Me Up


感謝の涙によって、私の心の曇りは洗い流される。

あなたの気持ち。

分かる。

理解できる。

あなたの今を生きる姿。

あなたが支えてくれるから自分以上の自分になれる」



人は誰でも暖かな心を持っている。

暖かな心。

誰かに力を与えるその「力」。

暖かな心。

「優しさ」という「勇気」。

You Raise Me Up  [日本語訳付き] MARTIN HURKENS


Celtic Woman - You Raise Me Up



自由に生きたい。

自由に言葉を紡ぎたい。

言葉を紡ぐことは自分の人生を紡ぐこと。

「自分」を表現する場所。

言葉に生命を吹き込む作業。

自由をもっと広げたい。

願い。

自分を生きたい。

生きている実感と充実感。

桜梅桃李。

今を生きる。




桜梅桃李に生きる | [2017-04-04(Tue)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

勇気:嫌われてもいいんだよ


生まれて初めて・・・、秘密。

隠し通して墓場まで持っていく話。

人間生きていれば、嘘(建て前)をつきとおすことも必要だ。

人間が生きる社会で、本音だけでは生きてはいけない。

何かと人間関係に支障をきたす。

「人それぞれ」の人間の生き方。

本音と本音のぶつかり合い。

それでいい。

「寛容」とはなんだ?

「理解」とは何だ?

それが人それぞれなのだ。

ぶつかり合うことが当たり前なのだ。

人は誰でも本音で生きたいよ。

人が本音をさらけ出す場所が欲しいよ。

御幣があるかもしれないけれど、「誤解」を恐れず、何を書いてもいいよ。

勇気。

嫌われてもいいんだよ。

そでいんだよ、そんな自分を好きになっても。

それでいんだよ、そんな自分を信じても。

現実が厳しければ厳しい程、楽観主義。

今日あった嫌な事なんて、それ以上の感動を見つければ・・・。

もう、ほら、消えてしまう。

「心」なんてそんなもん。

曇り空も、ほら、アッという間に、暖かくて心地よい日差しがが心に降り注ぐ。

心ってそんなもん。

心が曇ったら、心に太陽を連れて来い。

だから、今が楽しい。

だから、生きている。

幸福な人生を送る為に必要なことを生命(いのち)で体得していく作業。

祈りによって、悟る。

人間とは?

桜梅桃李の人生。

「今」を生きる。



桜梅桃李に生きる | [2017-02-26(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳】:更新情報


桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳

ご訪問誠にありがとうございます。

上記における当サイトの記事・情報の内容を更新、一部変更いたしました。

今後ともどうぞ よろしくお願い致します。







更新情報 | [2017-02-23(Thu)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「人」は「人間」を生きるのだ:桜梅桃李


人は何の為に生きるのか?

人間を生きるのだ。

今というこの瞬間。

このことを間違えてはいけない。

「人」が「道理」に基づいて「人間」を生かせば、問題は起こらない。


その「道理」。

そこに人の問題があるからだ。

その人の問題に真正面から取り組む。

それは、闘いだ。

人間を革命する人の戦い。

それは、一人ひとりの今を生きる姿にあらわれる。


妙法。

桜梅桃李に生きる。



人と会うのが苦手な人の大半は、相手と打ち解けるのに時間がかかるものだが、それは出会いの一瞬に相手に対する親愛の情を示さないからだ。

斎藤茂太(さいとう・しげた):1916~2006精神科医・著述家





桜梅桃李に生きる | [2017-02-12(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間なんて所詮、「井の中の蛙」:人間が生きるということは、「祈って、動く」ということだ


人間なんて・・・

あえて、人間なんて、井の中の蛙大海を知らず

所詮、「井の中の蛙」。

「井の中の蛙大海を知らず」 (故事成語)

これには、後付とされるが、「されど、空の深さを知る」、という続きがあるらしい。

また、「空の青さを知る」

「井戸の深さを知る」などとも。

だから、結局、人間なんて、みんな「井の中の蛙」なんだ。

人は、人それぞれ。

一人ひとりの価値とその権利、人間としての尊厳は同じだ。

しかし、井戸から見た空さを知ることが出来るだろうか?

そして、井戸の深さを知ることが出来るだろうか?


あえて人間なんて・・・。

結局、人に、どうでもいい御託を並べるよりも、

「人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん」(明石家さんま)ということだ。

自分が人間として、「今を生きた」事が全て。

そのために、「人」から学ぶことが大事。

人間は、死への道を生きる。

人は、生(生命)きる道(未知)を知る。


ちなみに、この世に、「神」や「仏」が存在するとするなら、「神」は、明石家さんまさんで、「仏」は私。

さんまさんの言葉に生かされ、己の心を師とするのは、私という仏の生命。

人間を生きるのが大切だ。

人間を生きるには、「思う」ことよりも「動く」ことが大切。

人間を動かすことに、余計な「思い」は必要ない。


祈って、動く。

人間が生きるということ。

ただ、それだけだ。

境涯革命。 

一生成仏。

妙法。

桜梅桃李に生きる。



桜梅桃李に生きる | [2017-02-06(Mon)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「大切なもの」:桜梅桃李を生きる


不安なことを一つずつ無くしていけば最後には、自信しか残りません。



「自信」と「勇気」と「責任」。

己という人間が生きることの義務(役割)を課し、人としての責任を果たす。

生きることに対する前向きな力。

勇気。

今を生きることの確信。

自信。

自分を信じる力。

大切な物。

守るべき大切なもの。

感謝と報恩の誠を尽くす。

「約束」を忘れてはならない。

「謙虚」を忘れてはならない。

心の師とはなるとも心を師とせざれ。

「人」を磨き「人間」として強く生きよ。

妙法。

桜梅桃李を生きる。








桜梅桃李に生きる | [2017-02-06(Mon)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

本因妙:桜梅桃李に生きる


何かを探し求めても結局、何も見つからない。

いつの間にか、自分の外に求めていた。

いつの間にか、自分を見失っていた。

自分を生きること。

生きる。

生きる。

生きなければならない。

守り通さなければならない。

妙法。

桜梅桃李に生きる。


青年の青年たる証とは、一体、何だろうか?

もとより年齢では決まらない。 信心の眼から見れば、今この時に、「発心」の生命を燃え上がらせていく人は、皆、妙法の青年なのだと、私は思う。

去年まで、昨日までが、どうだったかではない。

今年から、今日から、どう挑戦し、前進し、勝利していくか。

これが本因妙の仏法の心だからである。
    
     2017/1大白蓮華 巻頭言「青年とは発心の異名なり」




本因妙の仏法

戸田先生は語られました。

「結果を感じて結果に生きる━過去の因を考えて今の果のみが生活の全体であるならば、人類の生々発展はありません。瞬間に起こった生活の事実を、たえず未来の原因とする、あるいは原因でなければならぬと決定するのが本因妙の仏法であります」

「南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって、途中の因果みな消え去って、久遠の凡夫が出現するのであります」と。

過去がどうあれ、これまでがどうあれ、
最も強い本因を新たに植えて潮流を巻き返すことができる。
そして「前へ!前へ!」と未来を勝ち開いていけるのが、我らの信心です。

アメリカ・ルネッサンスの旗手エマソンも言っている。

「成功をおさめた人々のすべてに共通に認められる点が一つある━それは彼らが因果律を信じていたということだ」
「私たちの役目は瞬間瞬間にかかわっているのだから、瞬間を大事につかうことにしよう」

聖教新聞



桜梅桃李に生きる | [2017-01-13(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていく:桜梅桃李を生きる


「大事なことは、自分の境涯の革命だ」

「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」


 「13の半分は?」。教師が生徒に尋ねた。「6と2分の1」「6・5」との答え。「そうだ。ほかには?」。誰も答えられない。教師は、「もう答えはない」と思うかもしれないが、「もっと考えよう」と促す。

すると、数字の文字を分けて「1」と「3」。一人が答えると、突破口が開いた。英語の綴り、ローマ数字、2進法で考えたり、黒板に書いた「13」を上下半分にしたり。きりがない。そして、「答えはない」と思っていたのが、思い違いだったことに気付いた(J・フォスター『アイデアのヒント』)。

常識的に考えれば「もう答えはない」と思うだろう。だが、「必ず別の答えがある」と、視点を変えたら、新発見が次々と出てきたわけである。地表から見れば高く見える壁も、空からは、低く見える。一本の線にしか見えないこともあろう。同じように、物事は、とらえ方、見方によって、千差万別だ。プラスにも、マイナスにもなるものだ。

池田名誉会長は「大事なことは、自分の境涯の革命だ」「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」と。必ず道は開ける、開いてみせる――そう心を定め、きょうも朗らかに勝ち進みたい。(申)
(聖教新聞 - 名字の言より)






今日の「名字の言」 | [2016-12-08(Thu)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

妙とは蘇生の義なり:桜梅桃李に生きる


何度倒れようとも、立ち上がる。断じて立ち上がって見せる。

この究極の力こそ、不屈の信仰なのだ。

経済苦や仕事の悩み、家族の課題、人間関係、病気の再発、更には、自然災害など、人生には、これでもかと塗炭の苦しみのうち続く難局がある。

しかし、その時が、まことの信心が試される時だ。

「いよいよ強盛の信力をいたし給へ」

題目と唱え抜き、負けじ魂で立ち向かっていくのだ。

「蘇生の義」の妙法である。「絶対勝利の信心」である。打開の道をみいだせないわけがない。

大白蓮華 2016/12 巻頭言「我らは不屈の朗らか長者なり」より



信じることの大切さ。

信じることの強さ。

今を生きることの意味。

自分に勝つための信仰。

己を信じることの出来る正しい法。

「妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すはよみがえる義なり」

桜梅桃李に生きる。



妙法 | [2016-12-07(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

信心とは?:自己を信じ切る「心の師」を確立すること


私の今のありのままの姿。

私が全ての宿業を背負っているというのなら、生命で宿業を宿命に、宿命を使命へと転換して見せる。

毎日、毎日、現実の苦しみから逃れることはできない。

なにも恥ずかしくない、自分が恥だと思う、その恥を晒せない心。

信じることは大切だ。

でも、信じることを止めてみる。

信じるだけでは、現実を変えるには足りないのだ。

信心とは、生命にたどり着く祈りが大切なのだ。


宗教によって「人間」を救うことは出来ない。

救えるのは「人」。

宗教によって救われるのは、その人の心。

しかし、その人の心が救われても、現実を生きる人間の姿が変わるわけではない。

人間を救うのは、その救われた心によって、更に強く心を揺さぶり続けることによって覚醒される生命。

人の心が無となり、その人の人間を動かす力となる。

それこそが生命力。

その生命の力の根源こそ。

妙法。

我が自身の生命。

宇宙の当体。

南無妙法蓮華経。


人間革命とは、意識革命である。

意識を無意識に変える。

生命に革命を起す。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。





信仰・信心 | [2016-11-18(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「妙」とは蘇生の義なり:桜梅桃李に生きる


妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがえる義なり

人生の羅針盤。

生命。

一生成仏。

行学は、信心よりをこるべく候

行学絶えなば仏法あるべからず

病の起こりを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべしこちら(高原の憂鬱)

無限の希望。

妙法。

桜梅桃李に生きる。



桜梅桃李に生きる | [2016-09-27(Tue)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

呪いの終着駅。:桜梅桃李に生きる


電話の先の母の声。

その声は泣いている。

なぜ、私は、こんな人生をあゆまねば、ならなかったのだろう?

こんな人生・・・。

全ての不幸を背負ために。

呪いの行き着先、その場所。

それが、わたし。

ここで、終わる。

呪いの終着点。



桜梅桃李に生きる | [2016-09-19(Mon)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

桜梅桃李に生きる:原点


現実を生きることに対する苦しみ、悩み、迷い。

その果てにやってくるもの。

絶望。

そして、希望。

人間とは何だろう。

生きることは、何だろう。

自分とは、何だろう。

肉体と精神。

その存在を支えるもjの。

生命。

桜梅桃李に生きる。

その原点。

南無、妙法。




桜梅桃李に生きる | [2016-09-10(Sat)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

一球入魂・「至誠天に通ず」:桜梅桃李に生きる


「一球入魂」「至誠天に通ず」

「至誠天に通ず」とは、まごころをもって事に当たれば好結果がもたらされるということ。

一球入魂。

「生命」で、己という人間を生かす。

人間を革命する。

命の変革。

一球。

桜梅桃李に生きる。








桜梅桃李に生きる | [2016-06-15(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

より「人間」らしく生きる「人」としての仏道修行:桜梅桃李

仏法者というのは、自己挑戦の人、自己対決の人です。

我即宇宙ですから、自身を制する人は一切に勝つことが出来ます。

ともかく題目を唱えて行けば、自分が変わります。 自分が変われば、環境も変わる。

その根本がいい加減になれば、すべてが空転してしまい、価値を創造していくことは出来ないからです。


新、人間革命(5783)より




自身の生き方の根本。

謙虚さと報恩感謝。

人間として正しく生きる。

それは人としての道を究める道。

人は生きている間、成長する。

生涯発達。

仏の道は、人間を正しく生かす道理を人として知る道。

妙法。

桜梅桃李。





桜梅桃李に生きる | [2016-04-24(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

理解できないものを理解するということ


好きとか嫌いとか理由の無い生理的な拒否反応は、仕方が無いというように片付ける。

そんなマイナスの最低な答えなんて、答えじゃあない。

理解しようとする時に、沸き起こる感情。

その感情を乗り越えるということは、理解しなければならないものに対する前向きな心によるもの。

その感情の元となるのは、己の?

現在の己の生き方の全て?

感情と感情。

理解できないものを理解するということ

それは、己の中の葛藤。

人間を理解することの難しさ。

思いやり以前の心の器の問題?

心の器より、過敏に反応する心の出来、不出来の問題?

単なる鈍感な人間の愚かさの軽薄な理解より、感情に打ち勝つ生命の塔を打ちたて、その鎖でつながれた心から、発する思いやり。

人間が、理解できないものに対する思いやりを発揮するために、そんなに、己の中で、戦わせなければならないものなのか?

単なる独り相撲。

独り相撲の哲学?

哲学は、孤独な中で生まれるもの。

思いやりって、それは同情。

理解しなければならないものに対する、心の葛藤の末に投げかける重い槍。



悩み・迷い・苦しみ | [2016-03-18(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間の我慢の限界:宗教の袈裟を着て「法」を語る


人間の我慢の限界。

一人の裸の人間の言葉」で「法」を語る。

「宗教の袈裟を着てそのユニホーム」で、「法」を語る。

この二つは、全くその語る意味が違う。

その時、その持つ人間の本性が出る瞬間。

一人の人間の本性を通し、その「法」を知ることによって、人間が必要なものを知る。

その宗教を賛嘆し、その組織を宣揚するために、「法」の教えを語る時、人間の我慢の限界を越えて、むき出しにされた本性を知ることは、その宗教の価値を下げる。

その宗教の宝を石ころにする。

その宗教の未来をぶち壊す。

その宗教の本質とその価値を語れないのに語ろうとするもののその心とは?

私のような未熟者では、「ココ」が、どこなのか、わけもわからず、どこのどいつが見ているかも知れないこんな場所で語るのには、どんな批判が来るか、その宗教の宝と大切な【もの】を壊しはせぬかと、名前さえ出す事が恐ろしい。

それは、こんな場所だから。

良識を弁えた人間ならば、

「よくあんな場所で、そんなことが出来るわねえ。」

なんて中身を知らぬものが、勝手な事を噂する。

「一体、常識さえ弁える事の出来ない、非常識な人たちなんだから」、なんてね。

「そりゃあ、しかたが無いかもね。」

「正義、正義」と、正義ならなんでもあり。

なんて風に思っているの人たちなんだから。

慎みや謙虚や思いやりが、そのやり方のえげつなさに、かき消されてしまうほどの正義の履き違え。

宗教を信仰しながら、世間の常識からずれていく、この非常識。

でも、それをその宗教の正義と勘違いするドアホ。

本当に、極普通に生きていらっしゃる人には、迷惑極まりなくて申し訳ありませんと代弁しても収まりません。


一部で見られるそんな、今のその宗教の実情。

憂慮しなければならない心配事を、上からの号令だけで、猪突「盲信」。

突き進もうとする。

元気がいいのはいいけれど、礼節を弁えられんのかね。

その宗教の看板が泣くよ。

それは、私には、愚かに見える。

「物言わぬ」本当に、その宗教の価値を知る良識を弁えた高き生命の人たちは、見えているはず、感じているはず、心配しているはず。

でも、私は、「一人の裸の人間の言葉」で、「法」を語る。

だから、あえて、その宗教のダメだしをする。

それは、その宗教を大切にしているから、絶対に壊せない宝があるから。

きっと心配しているはず。

号令だけで動く、イエスマン達。

一番大切なもんを忘れてはいませんか?

大切な人が、一番恐れているものはなんですか?

その宗教の本質とは、利他と慈悲。

未曾有の理想。広大無辺な理想。

その宗教の素晴らしさを、にわか仕立ての袈裟を着て、人に教えを説く坊さんにでもなったつもりで、出家並みの修行や過酷な現実を生きたわけでも無いのに、わたしゃ、頭が良いといわんばかりに、理路整然と、「偉そうに」法を説く。

何様のつもりじゃ!

そんな暇があったら、一人の大切な人を救える人間になるために、現実を生きんかい!

法は、お前が偉そうに、こくもんじゃねえ。

おまえ自身に現実のために説く法だろ?

誰も法を説いてくれなんてそんなことを誰が頼んだのかねえ。

俄仕立てのお尻の赤いお坊さん。

ネットはホントに厄介だねえ。

一著前に、お釈迦さんにでもなったつもりで偉そうに法をといても、やっぱり、人間は人間。

その馬脚を現す時がやって来る。

その本性を現すときがやって来る。

中身の無いものに、紙を貼り付けても、当然、雨が降れば破れて、おんぼろろ。

攻撃される事を承知でも、結局、そいつの我慢の限界。

我慢の限界とはなんだ?

己の負け。

しかし、その負けを認める事の出来ないその生命が、本性をさらけ出す。

見ているだけで哀れ。

その哀れさの結末は、誰がそいつの尻をふくというのだろう。

その尻を拭かされて汚されるのが、その宗教じゃあないのか?

情け無い。

逆切れして、そのネットで、攻撃したものをこれでもかと晒す。

何のためのその宗教の宣揚なのだろう。

それは、その宗教は、人を選ぶと言う権威主義に映らんか?

その宗教を褒めちぎり、宣揚する事を己の役目として振舞いながら。

人の幸せを祈ることの出来るその宗教。

利他と慈悲の、その宗教を宣揚しながら。

そんなときには、都合よく自己保身のために、その「法」を都合よく使える。

逃げるために仏法を解釈する。

そんな意味では、法というのは、頭のいいだけの尻の赤い猿でも使える者には万能。

使われるその宗教にとっては不幸。



悩み・迷い・苦しみ | [2016-03-18(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

妙法の当体「極道」の世界を知る:桜梅桃李を生きる

人の心を無にすることによって、人間は、「神」にも「仏」にも成れる。

「神」によって人間は生かされ、「仏」によって、人間を生かすことが出来る。

「神」も「仏」も、全ては私自身の生命(命)そのものである。

私自身こそが、その「当体」なのである。

「言葉」の意味を体得するのが信心である。

命(生命)によって、心の洗濯をする。

一人ひとりの、心のよりどころとなる正しい「信仰」によって確立される「信心」。

信じることの大切さ。

「運命」と「宿命」。

「運命」は変えられる。

過去を変えることは出来ないが、未来を変えることは出来る。

今を生きることによって、過去の意味を変えることが出来る。

今を生きる「宝」、未来を創る「財産」。

この世に与えられた命(生命)。

自らの宿命によって、自らの運命を開く。

その鍵。

それは、「命(生命)」という触媒による心の錬金術の扉を開く。

生かされる命。

人間として生かす命。

人として生かされる命(生命)。

人間をより人間らしく、生かす命(生命)。

それは、私らしさの最上級。

「極道」の世界。

妙法。

桜梅桃李に生きる道。






桜梅桃李に生きる | [2016-03-17(Thu)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「人」の常識は「人間」の非常識:桜梅桃李を生きる

人の心は、お化けだ。

何も無いものを、有るものとして膨らます。

何も無いのだ。

あるのは、人間が生きるという事だけだ。

何も無いのだ。

「人」の常識は、「人間」の非常識。

常識が常識だと思うこと。

それは、非常識だ。


心と体は切り離すことが出来ない。

「色心不二」



人の常識は人間の非常識

切り離してごらん。

「人間」が見えてくる。

その人間自身の命、生命が輝きだす。

ニュートラルな世界だ。

無。

生きる。

生きる事。

それは、「人間が生きる」ということだ。

あるがままに生きる。

それは、己の心に支配されない生き方だ。

「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」



命(生命)のままに生きる。

心に支配されない生き方。

それは、心を無色透明にすることだ。

不可能を可能にすることが当たり前になる。

非常識が常識に変わる。

過去も未来も、「人間が今を生きる」ことが全て。

本因妙。



ニュートラルな世界を生きる。

その「妙」。

その「法」。

桜梅桃李に生きる。






桜梅桃李に生きる | [2016-03-13(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「自分」とは「人間」を生かす命(生命)である:桜梅桃李を生きる

「自分」とは何か?

私という「人」の中の心を「無」にすると、見えてくる。

「自分」とは何か?

その答えが見えてくる。

「自分」とは、「人間」を生かす「命(生命)」である。

心を「無」にする。

その哲理。

妙法。

桜梅桃李を生きる。







桜梅桃李に生きる | [2016-03-12(Sat)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「どん底」をばねに底力に、「絶望」を希望に:桜梅桃李を生きる


祈り。

「希望」

更に祈る。

「勇気」

そして、祈る。

今を生きるどん底をばねに、そして、絶望から希望への底力に。

命(生命)の変革。

革命。

人間をより人間らしく生きる道理に必然的に導かれる。

妙法。

桜梅桃李を生きる。



祈り

それは、あきらめない勇気だ。

自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ!

現状は変えられる!

必ず!

確信の命の底に刻む作業だ。

祈り

それは恐怖の破壊なのだ。

悲哀の追放なのだ。

運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。

自らを信じよ!

卑下するなかれ!

卑下は仏法への違背だ。

胸中の仏界への冒涜だからだ。

祈り

それは、我が生命のギアを大宇宙の回転に噛み合わせる挑戦だ。

宇宙に包み込まれていた自分が、宇宙を包み返し、全宇宙を味方にして、幸福へ幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ。

地球紀行「人間は人間」より 







桜梅桃李に生きる | [2016-03-09(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

我思う、故に我あり「神は死んだのだ!」:桜梅桃李を生きる

我思う、故に我あり (デカルト)




相手の中の自分。

から、

自分の中の相手。


神は死んだ (ニーチェ)



神は死んだのだ・・・。

我思う。

故に我あり。

妙法。

桜梅桃李に生きる。





桜梅桃李に生きる | [2016-03-02(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

妙法「人間が仏に成れる道理」:桜梅桃李


人間として生きる道理を知る(悟る)ことができる。

苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて



人間が人間として、より人間らしく、生きることが出来る道理。

苦をば、苦と悟る。

苦を滅する。

空。

解脱。

生かされている命(生命)。

妙法。

己を生きることが出来る。

桜梅桃李。




桜梅桃李に生きる | [2016-03-01(Tue)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「願兼於業」命(生命)の喜び:桜梅桃李を生きる

なぜ、山に登るのか?  「そこに山があるから」 (ジョージ・マロリー:登山家)



人間は、なぜ、「苦労」を求めるのですか?

願兼於業

そこに喜び、命(生命)の歓喜があるから。

乗り越えた苦労に、人間がより人間らしく生きた、人としての命(生命)の喜びを体得(知る)することが出来る。

人間の喜び。

歓喜。

「歓喜の中の大歓喜なり」



苦は楽の種。

人の苦労を知ることは出来ない。

しかし、命(生命)の苦労は、人間の姿に現れる。

苦労は、苦労ではない。

苦労を厭うのは、人の心。

苦労を使命と、苦労を人間革命の種と変えて行けるのは、命(生命)。


人間をより人間らしく生きる為の絶対的幸福な境涯。

それは、人を生きる事ではない。

人間として、命(生命)を全うすることである。

人生。

桜梅桃李を生きる。

妙法。






桜梅桃李に生きる | [2016-02-25(Thu)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「不自由な心で自由な人間を生きる」馬鹿な人達:桜梅桃李に生きる


心を不自由にして、人間の自由を生きるバカな人達。

バカな人の常識は、人間の非常識。

バカの壁、心の常識を打ち破る。

「身の財より心の財第一なり」



ではない。

「命」(生命)こそが一番大事なんだ。

「心の師となるとも心を師とせざれ 」



心の師とは何だ?

命(生命)だ。

生命とは、なんだ。

「仏」だ。

だから、決して、宗教の奴隷になってはいけない

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」



人の「言葉」に、人間の価値を見ることは出来ません。

現実を生きる「人間」の姿に、真実の「言葉」の価値が顕れる。

「言葉」に騙されるネットのバカな宗教活動に群がる「人」達。

「自由な心」を不自由にして生き、「不自由な人間」を、自由に生きるバカな人達。

妙法。

桜梅桃李を生きる。







桜梅桃李に生きる | [2016-02-24(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人の心は「真実・道理」を知ることは出来ない:桜梅桃李に生きる

「人」の心に、真実を映し出すことは出来ません。

「人」の心に、道理を導くことは出来ません。


「人間の命(生命)」に、「真理」を導くことが出来る。


「真理」とは、何か?


「真実」の「道理」である。


人間革命とは?

人の心では、道理から真実を解き明かす真理に到達することは出来ません。

上っ面の人の心で、己の人間を正しい道理に生きる姿として、決して、真実を現すことなど出来ない。


だから、必要。

その真理に到達することの不可能を、可能するものとは?

薄っぺらで頼りない「人の心」から、人間の命(生命)に届く「信仰」。

一人に一つの「信心」。

人間の命(生命)を変革する。

人間をより人間として生きることが出来る、仏になる、神になる。


人間革命。

その錬金術。

その真髄。

妙法。

桜梅桃李を生きる。






桜梅桃李に生きる | [2016-02-24(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人を生かす物としての「人間道」:桜梅桃李を生きる

人間は、物である。

物として生きる事に、人の心を定める。

人の心は定まらぬ。

その心を定める為の妙案。

人間は物じゃあない。

人間は、人間だ。

だから、人間は、人間という物だ。

物には、今を定まる不自由がある。

諸行無常?

人を生かす物としての「人間道」


「その物」を所有する「その人」を確立するための「信心」は、一人の宇宙、その生命に、一人ずつ。


妙法。

桜梅桃李を生きる。





桜梅桃李に生きる | [2016-02-23(Tue)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「はやく宗教を捨てなさい!」おじいちゃんの遺言:桜梅桃李を生きる

あの、おじいちゃんの遺言、それは、だれもが、「人間」を正しく生かし、活用することのできる究極の方法、マニュアルなのだ。

「宗教活動よりも、人間活動だよ!」

「宗教」は、「人間」を救うことは出来ません。

「人間」を救うのは、「人」です。

「人間」を正しく生きなさい!

これが、あのおじいちゃんの遺言だ。

「人」として「人間」を生きることにとって大切なことは何だ。

道理だ。

「人間」は、生き物だ。

宗教活動をするよりも人間活動をしなさい。

「人間」が生きる。


ただそれだけだ。

「人間」が生きるという道理。

生きる「人間」として今に定まる「人」の心。

「人」として「人間」を正しく生きる為の己の信仰に基づくわたしの信心。

そこに宗教は無用だ。

妙法。

桜梅桃李を生きる。




桜梅桃李に生きる | [2016-02-23(Tue)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

臭い物に蓋をする宗教:桜梅桃李を生きる

人は、人それぞれ。

確かに、人は、十人十色。

十派一絡げに、人を判断してはいけない。

臭い物に蓋をする自己確立のための方程式。

そんなのあるだろうか?

物の道理に従って生きることに人間を定める命の創造主として、自己の心を確立させる信心。

十派一絡げの信仰。

その信仰に励む、一人ひとりの信心。

見えないモノすべてを無とする。

人の心は、それぞれで、究極的には理解不能であると結論づける。

その究極の答えに辿り着いた哲学?

理解できない物、それは、人の心。

人の心は物としてみることが出来ない、しかし、理解できないモノであったとしても、見えないモノとして存在しているのに・・・。

それは、その人の中の生命の違いや、その「病いの災い」によっておこる勘違いなのではないだろうか。

人間は、人間。

人間の中の人を理解することを諦め、無いモノと否定する。

そんなところから、決して、人間がより人間らしく生きる、より正しい道理へ導く、絶対的な信心を極めることに達することはない。

人間が生きることの苦しみを厄介な物として切り捨て、臭い物に蓋をする自己満足の宗教には、己の人間を変革するための生命に届くことを可能にする信仰に、そして、宗教へと辿り付くことはない。

人間の問題は、どこまでも人間を見つめることによってのみ、不可能を可能へと、変革され、進化を遂げていく。

妙法。

桜梅桃李を生きる。





桜梅桃李に生きる | [2016-02-22(Mon)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「諸法実相」生命の真実は、姿に現れる:桜梅桃李

永遠の生命の宝を積むときは「今」

死を忘れた人は、生を充実させることも忘れます。

死を直視しつつ、いかに「生」を充実させるかが大切である。

人生には、限りがある。

だからこそ、いつかではなく、今日を悔いなく最高に生き切ることを目指す。

死を見つめる事は、今を生きること。

「今を生きる」事の「一念」と「振る舞い」に、過去も未来も包含すると、仏法は説く。

堂々たる人生の感性へ、心の財を積むことの出来る「今」かどうか。

その問いかけが、日々をか輝かせるのだ。

2014/3/19:【社説】より 




「人間」の人生。

短い人もいれば、長い人もいる。

何の為に生きるのだろう。

「何の為なんだ!」


それは、「人」を知る為にあるのだろう。


「人間」が、より「人間」らしく生きる。

後は、死ぬだけだ。


人の「心」とその「生命」

人として生きる道を歩む人間の生命。

それは、永遠。


その人の生命の真実は、姿に現れる。

「諸法実相」である。

過去も未来も、すべては、この「今」という瞬間を生きることにつながる。


私と言う「人間」を生きる。

妙法。

桜梅桃李。





桜梅桃李に生きる | [2016-02-21(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

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