嘘と偽と虚飾の廃人を生きる道:死への満点大笑い



己の過去の人生を振り返れば、「嘘と偽と虚飾の廃人を生きる道」だったように思えます。

何一つ、確かな生きる指標の無い、見栄っ張りな人生。

本当に確かなものを見つけよう、求めようという、そんな、少しの利口さがあれば、もっと前向きな人生を選択する余地があったのかもしれません。

そのツケは、必ず、己自身で払わなければならない。

己の命をもってして。

精神世界における修行というものが、

現実を生きることより、楽なものであるならば、

修行の修行たる意味があるだろうか?

何の為の修行なのか?

精神(生命)修行において、苦しみの絶頂を味わうことによって、現実に生きる醍醐味を味わうことができる。

『苦をば苦と開き、楽をば楽と開き、苦楽共に思い合わせて』、この現実を己の生命で乗り越えてゆける。

現実より、負荷のかからない修行を好むならば、生命哲学を学ぶことの資格取得試験には、合格できないかもしれません。

桜梅桃李。

今を生きる。


評:言っておきますが、生命哲学を学ぶ為の資格試験はありません。



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人間の善の命を呼び覚ませ!師弟の闘魂と正義の道を!

世界に一冊のメモ帳

己の目に映る、現実と、世間の評判に、己の生き方を左右され、
そして、翻弄され、迷い、苦しみ、正しいものから遠ざかろうとする者達。

この娑婆世界で、正義と真実の剣を持って邪悪と闘い、
元本の無明、無常に迷い、確かに生きる道を見失っている人達に
この確かな、生きた哲学を、己の生命で語れる、私でありたい。

もう、これからは、悔し涙は、流さない!
正義が勝つことが、当たり前の世の中に!



学会歌 『紅の歌』
紅の歌」に、師弟の闘魂と正義が込められている。
  
「邪悪の徒には栄えなし!」
「毀誉褒貶の人下し」
 


・本部幹部会における、SGI会長のスピーチの中で。 

学会歌は、人の心の揺さぶり、生命の中から正義の明りを灯すことの出来る
力強い歌です。 ぜひ、聞いてみてください。

■紅の歌 ・作詞:山本伸一 ・作曲:菅沼知彦

ああ紅の 朝明けて
魁光りぬ 丈夫は
ああ暁鐘を 打て 鳴らせ
驕(おご)れる波浪よ なにかせむ
邪悪の徒には 栄えなし
地涌の正義に 民衆(たみ)の旗

毀誉褒貶(きよほうへん)の 人降し
輝く王道 この坂を
父(ふ)の滸(もと)集いし 吾らあり
子(きみ)よ大樹と 仰ぎ見む
ああ青春の 金の汗
誓いの青藍 虹かかれ

老いたる父母の 築きたる
広布の城をいざ 護り抜け
眩き地平に 澎湃(ほうはい)と
若き翼よ 爽やかに
万葉の詩 ともどもに
舞いに舞い征け 世紀まで

・学会歌 紅の歌(歌詞集)より転用致しました。


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過去の消せない記憶【心の棘】 

『私を、殺す気かーっ!』

小学校の4年の時に、担任の男性教諭から、言われた言葉。

とは言っても、まさか、本当に殺すようなことをしたわけではありせん。

でも、その時、その当時、その言われた、言葉に対して、その後どんな、反応、態度を示したのかよく記憶にありません。

また、その時に、どんな気持ちだったのか、いわれた言葉の、その瞬間のあの荒々しい、語気の強さは、今でも、鮮明に覚えています。

『私を殺す気かー!』 

子供が感じ取るものは、大人より本能的に、その空気と本質を感じ取れる能力を備えているのかもしれません。

あのときの、言葉は、「ただ」の怒りでした。

あの時、私は、休み時間に、私を含めた数人の友達とその担任の先生のいる机の周りで遊んでいました。

何人かと、じゃれて、遊んでいる間に私の体が、机のそばで立っていた先生の体の後ろの、お尻の辺りから、ぶつかって、しまったのです。

その拍子に、先生がバランスを崩して、少し、よろけて机にお腹をぶつけたその瞬間に、私のほうを振り返って、『私を殺す気か!』と、怒鳴られたのです。

その瞬間の光景だけが今でも、記憶に鮮明にとどめられているのです。 

担任の教師に対する思い出は、ありません。

今、思うと、その時に私は、子供心に相当、その言葉にショックを受けたのだろうと思います。

だから、自分で自分を保つために忘れようとしたのかもしれません。

子供がそんなことを出来るかどうかわかりませんが・・・。

その言葉が出た瞬間の記憶だけは、消えないのです。

はっきり言って、私には、ひどい言葉の暴力に感じられる程だったのでしょう。

体についた傷には、消せる傷と消せない傷がある。

それと同じように、心の傷にも消せない傷がある。

年をいくら重ねても、大人になっても消えない子供のときの記憶。

消せない心の傷は、その痛みの大きさを物語っているのでしょう。

でも、その傷は、今では、過去の事実を私の中で確認できる写真のようなものになっています。

心の棘。  

大げさかも知れませんが、時々、その光景が、何かの拍子に過去の記憶の中から這い上がってくるのは、私の人生に、この言葉、『私を殺す気か!』 は影響を与得ているということにもなるのかもしれません。

生きるということの上に、常に迫られている選択肢。

でも、その言葉、消えない傷、過去の記憶を、幸せの「因」にするのか不幸へとつながる見せたくないただの暗い嫌な記憶として心の底に埋めてしまうのかは、チクチクと痛む瞬間のその時に、その意味がある事としてとらえられるかどうかにかかっているのかもしれません。

戻される過去の記憶には、何かしら今に必要なメッセージがあるのかもしれませんね。

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「お母さん、ごめんなさい!」:遠い過去の記憶



ちいさな子供の声:「お母さん!ごめんなさい!」

ちいさな子供の声:「あけて~!」

その母親の声:「うるさい!」

日曜の朝早くから家から閉め出された、子供の泣き叫ぶ声。

泣き叫び、あやまり、「だって、だって」と叫ぶその小さな子供から振り絞られる大きな叫び声。

静かな住宅街の中の近所のお宅から聞こえる耳を塞ぎたくなるような情景です。

躾なのか、いわゆる親の虐待に近いものなのか、その親の気持ちは、付き合いが無いので私には分かりません。

でも、子供の一時間近くも、声を枯らして泣き叫ぶ声は、辛さと、悲しさと、それでも母を求めようとする一生懸命さでとても可哀想で、その声が突き刺さって来るような叫びです。

その泣き叫ぶ声を聞いていると、私の遠い過去と重なり、己の同じように受けた辛い過去がノスタルジックに目に浮かびます。

道路の向こうに消えていく母の姿を、道路のこちら側から、その姿を追い続ける私。

「お母ちゃん!行ったらあかん!行ったらあかん!」

いつまでも、いつまでも、そこに座り込んで泣き続けた幼い頃の私の姿。

子供にとって、欲しいのは親の愛情、母の愛情が欲しくて、欲しくてたまらない。

いま、もしもっともっと親の愛情が、私の中に確かなものとして残っていれば、私の生き方ももっと今とちがっていたような気がします。

過去に対して、「もし」という言葉は、私にとっては、禁句なはずなのに、得ることの出来なかった、母親の愛情に未練と心残りが、何かの縁に触れるたびに心を寂しくし、そして、ざわざわと揺さぶるのです。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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苦しみ 悩み>一期一会


苦しみに、合うことも、悩みに、まみれることも、「一期一会」。

「明けない夜は無い。」
「冬は必ず春となる。」

「苦しみ」や「迷いも」また、同様。

己の現実と真正面から対峙することによって、その質が
どんどん意味あるものに変わり、

その時、その瞬間の出来事が、己の未来を輝かす宝に変わるのだ。

人との出会いが、「一期一会」であるならば、
人生の出会いで、その縁に触れて、苦しみ、迷うことも、
己にとっては、非常に、大切で貴重な体験なのかも知れません。

苦しみ、迷う、己の生命に、感謝の命が湧いてくるなら、
少しくらいは、わたし自身を褒めてやってもいいのかもしれません。

これまで受けた、見えなかった多くの恩。

大切なものになれば、なるほど、目には見えなくなる矛盾。
大切なものは、己の心を磨かなければ、開かなければ、
本当の姿を見えることは出来ないのかもしれません。

己の心の中の「鏡」で、映し出されるものなのでしょう。

たとえ、視力が2.0であったとしても、
心の視力が、心のメガネが汚れ、曇っていれば、
真実の姿は、映し出すことは出来ないではないか?

相手の心から、目には見えないものから、
私の心というフィルターを通して映し出される風景。

『心こそ大切なれ!』

「心を鍛えることこそ大切」
「心を磨くことこそ大切」

恩を感じられる「心」

苦しい現実の中で、確かに生きる哲学によって、
宿命転換を誓えることが出来る、今、この時、この瞬間。

生きていることに感謝します。


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思い出・記憶の断片:母に報いる為の人生

世界に一冊のメモ帳

わたしは、母に対して、
どれ程辛い目にあわせてきたのだろうか?


いや、確かにわたしは、母に対して、
酷いことを言ってきたはずだ。


もし、いくら家族であったとしても、
決して許せないような辛い言葉を
母にたいして投げつけてきたはずだ。


耐えて生きてきた母に私は、
どれ程の辛さと苦しみを感じていただろうか?

いま、己の愚かさに気付かされ、

更に、大切な家族に与えた取り返しの付かない
冷たい言葉と、悲しさと、辛さと、苦しさを、
与えてきたことに気付かされる。

素直に詫びて、過去の全てがリセットされるなら、
どんなによいだろう。

これからの人生で、
母に報いていかなければならない。

全てを私のこれからの人生の前向きな力に変えて。

『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく
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◇【過去・現在】 (16) 気がつけなかった恩

世界に一冊のメモ帳

今まで、気が付くことの出来なかったたくさんの「恩」。

あまりの自身の境涯の低さ故に、気がつくことの出来なかったたくさんの「心」。

その心に答えることさえ気が付くことさえ出来なかった幼い「境涯」。

今、私の心は、その申し訳なさで一杯です。

わたしは、今までの人生を本当に申し訳ない気持ちで一杯に感じます。

「ごめんなさい。」

どれ程、多くの人の「心」を無にして生きてきたのだろう。

なんという情けない人間だったんだろう。

「今、誓う!」


受けた「恩」を、自らの命で自覚できる今。

そのことを感じられる己に「感謝」します!

そして、更に誓います。

その恩に少しでも、なんとか報いることの人生が送れる様に!

世界に一冊のメモ帳・ひとしずく
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己の現在の姿は、過去の結果の全てである


己の現在の姿は、過去の結果の全てである。

己の現在の不幸を嘆き、
過去を変えたいなどと不可能を思うことより、
未来を見よ!

過去は変えられないけど、未来は変えられる!

未来の姿を知ろうとするならば、現在の因を知ること。

未来の必然的な結果を創るための現在の因。

もう、過去に蓋をせず、過去から目を背けず。

己の過去の不幸、現在の姿を嘆く無かれ!

全ては、この一瞬の命で変る、今!この瞬間!

未来を変えるのは、明日でも、今日でも無い!

今、この一瞬なのだ!

常日頃から、このように自分に刻み込むように
生きて行きたいと願っています。

しかしながら、耐えられない苦悩と焦りと不安。
時として、そのような心臓の鼓動と呼吸が苦しくなる程の
己の弱い心が、折れそうになるときがあるのです。

そんな時、今では、わたしは少なからずその苦しみの
真っ只中で感謝の命が湧いてくるのを感じることが出来ます。

そんな、苦しみの渦中にありながら、
ほんの少し、己の哀れな姿を俯瞰して眺められる
わたしがいることを。

そして、己の中の弱さと恐怖に、打ちのめされようとしている私に、
闘いを挑もうとしているもう1人の己がいるのです。

わたしは、やはり感謝します。

そのような勇気の湧く哲学を生命に刻むことが出来たことを!

この苦悩に打ちひしがれている瞬間に、
闘いを挑もうとさせてくれる己の生命。

一番大切なときに、一番必要な時に力を発揮できる哲学こそ
正しい哲学なのだと確信できる瞬間です。



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思い出・記憶の断片(5)あなたに罪は無いの?


あなたを責めて、当たり散らかしてやりたい!

アンタのしたことが、

いえ、
アンタの私たち子供にしなかったことが、

何も親として与えてくれなかったことが、

今の私をどれだけ苦しめているか!

信仰心から遠ざかろうとする凡夫の、醜いもう1人の私のなかにある言葉が、心の奥底から這い上がってきてそう叫んでいる。

いま、私がこんなに苦しい目にあうのは、そして、目の前の現実を乗り越えられないのは、こんな弱い私を惨めに意識しなければならないのは、私だけの罪なのか?!

「・・・あなたに罪は無いの!?」

己の現実からも、家族からも生きることからも目を逸らし続けてきた者、

親である、

「あなたに罪は無いの?」

でも、もう私は、あなたを責めて生きることから逃れたい。

それは、私の生きる哲学に反するから。

そんな私では、現実を乗り越えることが出来ないと命で感じているから。

過去の弱い私にサヨナラすのるに、あともう一息だ。

悔しさをこらえて、堪えて、私に与えられた過去のどうすることも出来ない事実。

その悔しさを乗り越えて、新たな心を創り出すために、

「あなたに罪は無いの?」

そう!

「私に対しての、あなたの罪は無い」

そういえる私に。

「全ては私の罪、原因と結果」と。

そう信じることが、未来を前向きに生きることにつながるのだと信じて。


父を理解したい。

でも、もう父を理解することなど必要ないのかもしれない。

人の過去をほじくり返したところで、そして、なじったところで、どうなるというのだろう?

結局、人から学ぶことはあっても、その人を理解することなど不可能なことなのかもしれない。

24時間、生まれてこの方、自我が発生して、これまで人生を生きて来た己自身でさえ理解できず厄介を背負っているというのに。

ころころ変る人の心の中なんて

所詮、解ろうとする方が無理なのかも。



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「妙法」哲学による「価値創造」の人生

世界に一冊のメモ帳

もう、己を殺して生きることはない。

現実を生きることから目を背けて、
諦めて己を殺し続けて生きてきた人生。

記憶、記憶。

過去の記憶。
私を苦しめていた過去。

でも、今は違う。

私を苦しめていた過去。
苦しかった私の過去。

その全ての過去が、

今は、
この現実を、
今一瞬を強く生きる力に変えてくれる。
変えることが出来る。

今、私の目の前に立ち塞がる困難を乗り越える為の
私をグイグイ後押しするエネルギーに変えられる。

「過去」は、現在を乗り越える宝になり、
未来を幸せに生きる因になる。

将にこの通りだ!

間違いの無い、確かな哲学。
空理、空論でない確かな哲学。
現実を確かに生きる為の哲学。

「妙法」哲学による「価値創造」。
未来を幸せに創る哲学。

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思い出・記憶の断片

いま、乗り越えるべき瞬間の過去の私を苦しめる思い出

最近、過去の嫌な思い出ばかりが、
私の心の中に浮かんでくる。

まるで拷問にかけられるように、
記憶と共に、高ぶる感情の中から押さえることが出来ずに、
モクモクと深い底から押し上げてくる、
込み上げてくる怒りや憎しみの感情が・・・。

してくれなったこと。
出来なかったこと。

貧乏な頃に、どれだけ自身が傷つけられたことか!
どれ程のコンプレックスを感じてきたことか!

いま全てが、鮮明になって過去の記憶として蘇ってくるのは・・・。

忘れ去られた記憶。

私自身が深い底に沈めてきた記憶。

もう、ボケて、ぼやけていた記憶が、

過去の記憶が、鮮明に浮かび上がってくるのは・・・。

私が忘れ去ろうと記憶の底に押し込めて来た記憶が、
今、私をこうして再び過去の現実に引き戻し、苦しめるのは、
今を闘うための、過去の記憶を清算すると目に必要なのだ。

今、こうして浮かんでくる
過去の消そうとした記憶は、今の私を苦しめているのではない。

消すことなど出来ない記憶として私に再度、
向き合うことを解けていない宿題として必然的に投げかけているのだ。

自らが無意識に呼び起こしているのだ!
全ては必然。

いま、乗り越えるべきときに来ているから!
過去を自らの命で清算しなければ、生きる未来を創り、
広げていくことなど私には出来ないということなのだ!


どんな苦しみも、必ず喜びに変えられる。

「真正面から受け止める覚悟」

この命とこの覚悟を支えることの出来る妙法によって。



今日、少年部の会合に行きたくないんだけど・・・

「今日、少年部の会合に行きたくないんだけど・・・」

そんなことを言った時、

母から返ってくる言葉は、

「何を言ってるの!」
「そんなことでどうすんの!」

決まって最後には、
「題目をあげなさい(唱えなさい)!」

とりつくしまの無いほどに、びしっと言われたものです。


きっとそんな答えに納得していなかったと思う。

今思うと、親としてその答えは正しかったのかな。

何だろう?

母「何で行きたくないのっ!?」

私「いきたくないから・・・。」

母「そんな弱いことでどうするのっ!?」


子供にとって、その時に必要な答えは何だったのだろう。

もう少しわかって欲しかったかな~。


ただ親として、信仰者として、伝えるものとして、与えるものとして、

私を、あなたの信仰でもっと理解して欲しかったのかな。

ただ、学会の指導をそのまま受け流し強要されてきたような気もする。


子供に、本当に子供に必要なものだったのかな?




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現実を乗り越えるために避けて通れない記憶

己の現実に立ちはだかる壁が
困難であればあるほど、

その困難に負けそうになる時、
私の過去が悩ましくフラッシュバックのように
脳裏に浮かんでは消え現実の苦しみに更に拍車をかける。


そして、現実の困難と暗い過去へ、
記憶が引き戻されることによって、
現実を前向きに生きることから、
絶望へと私の足を引っ張ろうとする。


人は誰でも、
生きていれば困難や課題に直面するものだと思います。

でも、そんな時に、
その人の心の中に過去に大切な思い出があれば、
それを頼りに己の困難を乗り越える力に出来るのだと感じます。

特に、人生を大きく左右する困難や課題が直面しているとき、

家族の絆や暖かな愛情。

その愛されたという記憶が確かのものであればあるほど、
その記憶を生きるための頼りにして、
強く直面している人生の課題を乗り越えていけるのだと思います。


ひとりは弱い。

でも、目には見えない形で、
大きな力を与えてくれる確かなものが心に大きく存在していれば・・・。


私にもそんなものが欲しかった。


それなのに、
そんな確かな絆や愛情を受けなかった者でさえ、
そんな確かな絆や愛情を感じることができなっかた者でさえ、

やはり、現実を乗り越えるための何かを
己の中から探し求めようとするのでしょう。

探しても出てくるものは、
私の心を更に苦しめる過去の記憶。


私の過去は、
そのような確かな物を受け取ることの出来なかったが故の人生。


そのような困難に直面するたびに、
挫折と逃げることを繰り返してきたのです。


でも、今は違います。


現実の困難が己の前に立ちはだかる時に、
必ずといっていいほど私の記憶の脳裏から過去の苦しみ襲うのは、
それは、私の人生に逃げ続ける以上、
避けて通れない記憶なのだと感じます。


現実から逃げることを止め、
前向きに生きたとしても、更に、過去が私を襲ってくる。


それは、己の中で、過去を清算するため。
どうしても生きてゆくためには、
折り合いをつけなければならない荷物なのだと感じます。


いえ、確かな哲学と信仰の中で感じ取れる今では、


将に、その過去は、今を乗り越える、そして、
未来を前向きに生きる為の宝に変えるために必要な時なのだと感じることが出来ます。


己の過去に与えられた、負わされた傷は、
誰のせいでもない自らがこの世で、生きる力に変えるために必要なことだったのだ。


誰が悪いのでは無く、
気付くことの出来なかった私の宿命。

全ては、己の過去の原因と結果。

過去の記憶を、すべて私の中で転換していける、
現在を、未来を乗り越える宝に。


今を乗り越えて生きる為に、
そして、未来を生きる為に。

その為に、いま闘う時。

私にとっての最大の敵である、自身の弱さと闘うために。

確かな哲学と己の信仰心の強さを己自身の生命で証明するために。


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過去の囚われからの自己の変革、自己革命

私の心の幼さゆえに、
過去の浅い心のせいで、
人から受けた恩や心を
感じ取ることが出来なかった頃の思い出。

その時に、もっと、もっとその恩を、人の心を感じる心があれば、

今こんなに、過去の苦しい思い出に対して、今尚、現れては、私を苦しめる課題として、私の記憶として現れることは無かったかもしれません。


でも、こうして過去の思い出が苦しみとなって現れるのは、私を苦しめる為のトラウマでは無く、今その記憶を、
苦しい思い出から最高の思い出に、私のこれから生きてゆく為の宝の変えるために何度も試されているテストなのだ。

今では感じることが出来ます。

その記憶がよみがえってきた瞬間(とき)、過去から逃げなてはいけない。
誤魔化してはいけない。

己の中から湧き上がる過去の苦しい思い出を、逃げて、誤魔化して解決することなどあり得ない。

その時に受けた恩。

更に更に、

私の心が幼すぎるが故に、本当の意味を理解出来ずに苦しんでいたこと。

私が、気が付くことができなっかた恩。

今、この一瞬の生命で、

過去の思い出を最高の宝に変えられる瞬間(時)。

私の心に映る過去の風景を、今この一瞬の生命で、最高の風景に変えることが出来る時。

目の前の現実は、自身の心を映し出す鏡。

「私の心が変れば、目の前の現実が全て変る!」

過去の風景を、もう一度、何度も何度もその苦しみと対峙して、その暗かった風景と、闘って、私に勝つ!

そうして、私の心の中には、過去の出来事が、新たな風景となって私の心の中に映し出される。

過去に囚われていた、私の心を過去の呪縛から解き放つために。

そして、その私を苦しめた過去が、今を、未来を、乗り越えていく宝になっていく。

自己の変革。

自己革命。

人間革命( Human Revolution)。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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学会を批判する敵も真の友


学会に、馴染めなかった私ではありますけれど、正しく生きる為の信仰哲学である妙法に、縁させていただいたことに報恩・感謝を忘れず、自身の立ち位置を確かめながら、学会が確かな方向へ進むように、どんな形であれ、役に立てればいいのかなと感じています。

これが、わたしの妙法という絶対的な信仰・哲学によって、己の信仰心を目覚めさせて頂いた恩返しの方法。

ライバル同士でもいいじゃないか!

敵であってもいいじゃないか!

「巨人の星」のように、少し、例えが古いかな?

宿敵となった友が、父が、己を高めてくれる感謝すべき者たちなのだから。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。


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創価の「花」は「、生命」でしか咲かない


真剣に向かい合っているからこそ、心の奥底にしまってあった心の蓋が開かれようとしている。

遠い過去にしまわれた心の中の重い荷物を今、こうして整理するために。

妙法を求める中の私の命によって、その意思によって、その扉が開かれようとしているのに、私はその重さに耐えかね、受け止めようともせず、その扉を閉じようとするのか。

自らの中に湧き起こる心の中の嵐!

逃げなくてよい!

蓋をしなくてもよい!

耐えなくてもよい!

覚悟を決めるのだ!

嵐の中に飛び込む覚悟を!

その中心に向って突き進んで行け!

その中心に到達出来た時に、見えてくる!

開けてくる!

命の球は、ど真ん中の、直球勝負!

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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