【本因妙】:生身の人間が現実を生きてなんぼの宗教


「思い」を語ったところで己が生きた証にはならない。

現実をいきてなんぼ。

生きているだけで丸儲け。

今、その力が試されている。

必要な時、その瞬間に力を発揮することが出来ない哲学などただの妄想。

ゴミだ!

嘘の宗教だ!

嘘の信仰だ!

嘘の信心だ!

語る暇があったら今という現実を生きよ。

生身の人間として、社会の中で生きよ。

己の思いが今という現実を生きる中で、人間の姿を通して振る舞いとなって現れる。

人間の中で学ぶ。

どこまでも謙虚に。

己の信じた道。

その確かな道を己の生命に哲学として刻むために行動する。

「生きる」という行動。

「生きるという行動」は、学習となって更に己の哲学を高める。

人間として幸福に生きることの人生の選択することが可能となる確かに生きることの出来る知恵となる。

生きるための活きた知恵。

生きることの一歩を確かにする知恵。

己の足跡をはっきりと残すための知恵。

信じる事。

行動すること。

そこから学ぶこと。


生きることとは、ありがたい。

どこまでも感謝出来る心であり続けたい。

大切なものを与えてくれた、大切な人に対する恩。

大切な根本。

今を確かに生きることの出来る哲学。

その哲学は、一人の生身の人間が、現実を己の力で乗り越えて生きられることの出来る哲学。

一人ひとりがもつ生命の中に秘めた力を最高に引き出すことの出来る哲学。

「当たり前」の火事場の馬鹿力。

本因妙。

桜梅桃李に今を生きる。

妙法。



本因妙 | [2014-01-14(Tue)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【本因妙】: 今を生きる道


道は、狭くなれば、広くなる。


見えてくる本当の姿が。


今を生きてることが。

未来を生きる姿が。

見えてくる。

確かに生きる道。


今を生きる道。


本因妙




本因妙 | [2013-12-11(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

革命を起こせる【無】で生きる姿

新しい年が始まった。


桜梅桃李。


今というこの瞬間を生きているわたし。


今日という一日をいきるわたし。


明日という一日。


一年を生きる。



未来。



変革。


わたしを私らしく生きるための哲学。




一年を生きるスタート。



わたしの両肩には、【無】という負荷をかける。



現実には何もない。



目の前のあるものに囚われない。



無我夢中で生きる。



あるように見える世界は、現実には何もない。



ないものをつくりだして苦しみもがく愚かな人間。



【無】




人間の弱さの根本。



愚かな人間の性。



見える物だけに囚われ続ける無明な姿。




無。


無。


無。



革命を起こすための勇気。



無から始まるわたしの生き方。



桜梅桃李。



さあ、今年一年、 苦しいことも辛いことも全部が楽しみな一年。



「生きるよ!」






本因妙 | [2013-01-06(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【本因妙】:「過去」も「未来」も生きる全ては「今」この瞬間

わたしが生きてきた足跡。


軌跡。


過去。


わたしがこれからを生きる未来。


明日。


現在。


「今」を生きる。


今を生きている。


わたしが、私として生きる。


わたしが生きているのは、「今」というこの瞬間。


過去も未来も全部、「今」というこの瞬間にある。



現当二世。 



本因妙。 



桜梅桃李








本因妙 | [2012-09-15(Sat)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

今、わたしという人間のこの瞬間を試されているんだ!

過去にこだわり生きてきた。



もう、わたしの過去は、私の中で清算されたのだろうか?



でも、わたしの中で大切なことは、今を生きるということ。



今というこの瞬間のわたしを生きるこということ。



今を生きているこの瞬間こそが最も大切。



過去も未来も、全ては現実を生きるという、今、この瞬間の為にある。



大切なのは今。




生きてきた過去を最高の宝に変える。



過去の後悔を未来の希望へ変化させる。



勇気を試されている。



今。



今、わたしという人間のこの瞬間を試されているんだ!



わたしの中の不可能への挑戦。



諦めない!






本因妙 | [2012-04-26(Thu)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

今を生きる

自分の為に生きればいい。


人の為に生きることに疲れたよ。


わたしは、そんな人間じゃあない。


自分の為に生きるだけで精いっぱいだ。



自分をこれ以上、殺し続けることの毎日にいったい何の意味がある?



いや、自分を殺しているわけじゃあない。



わたしの中の苦悩。


わたしの中の葛藤。



楽しい闘い。



負けていい。


負けたっていい。



だって人間なんだもの・・・。



人間として今を生きることは、現実を生身で生きるわたしと私の折り合いをつけることの毎日でもある。



負けたっていい。



負けて勝つ。



負けも勝ちも無い。



人間として生きているわたしって一体、何なのだろう?



今を生きる意味。


今を生きる価値。





本因妙 | [2012-04-23(Mon)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【本因妙】:「四面楚歌」っていう生きることに必死な局面

「四面楚歌」っていう言葉の意味をあんまり詳しく知るわけではない。


今の自分のことを「四面楚歌」って言うんじゃあないかしら。


「四面楚歌」か・・・。


でも、実際には広辞苑に書かれてある「周囲がみな敵で孤立無縁なようす」 でもないんだけど。



私の心がそんな状態を醸し出しているように感じる。


「四面楚歌」を楽しむ。


今、大切な局面。


現実を生きるって言うことに必死。


わたしからしてみれば、過去の自分というのは現実から逃げることに必死に生きてきた。


もう、生きるのは嫌だ。


人間関係の世の中で生きることが辛い。


辛いこと苦しいことからなんとか逃れたい。


結局、行き着く場所は、みんな「死」なんだよね。


生きながらの死を生きる。


言い換えれば生き地獄みたいなもんさ。


今、現実を生きている。


生きようとして苦しんで、もがいて、悩むことの意味。


それが楽しい。


生きることは、現実を全部受け入れること。


その道理と哲学をより人間らしく生きるためのより正しさを求める己の中の信仰心に基づき実践し、実証を示す。


毎日が現実を生きる事との闘いだ。


わたしと私の闘いだ。


本因妙。






本因妙 | [2012-04-22(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間失格:今を生きる私の道理と哲学

報恩・感謝に基づいて今を生きるわたしの道理と哲学。



人間、今まで、自分だけの力で生きてきたと思ったら大間違い



人間、今を、自分だけの力で生きていると思ったら大間違い。


人間、未来を、自分の力だけで生きていけると思ったら大間違い。


大間違いだよ!


報恩と感謝を忘れ、失った人間の傲慢さこそ、人生を生きる病の根源。


人生の病根は傲の一字



人生における病の根源とは、人間の中の傲慢さにある。




原因と結果。



自らがまいた種。



自業自得。



わたしに今、必要なもの。


謙虚さ。




報恩と感謝に基づく謙虚さを忘れてる。



失ったら、人間終わり。


人間失格。




わたしが今を生きている価値は無い。




人間生きているだけで丸儲け。



己の中の愚かな傲慢の芽を摘まねば・・・



・・・続く






本因妙 | [2012-04-06(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【本因妙】:原因と結果を真正面から受け止める

物事のとらえ方というのは、とらえ方一つでその結果が大きく変わる。


でもそのとらえ方というのは、微妙に似ている場合がある。


でも、結果としては全然違うし、真逆な場合もある。


物事の本質に辿りつくというのは、なかなか難しい。


とらえ方や見方によって見え方が違ってくる。


物事の見方やとらえ方の道理によって、答えも違ってくる。


原因と結果。


現在の結果は、過去の原因に基づくもの。


未来を変えるのは、現在の結果を未来の因としてとらえることが出来るかどうか。


不幸になったことが過去に基づく結果ではなくて、そうなることは未来の幸せを築くための因なんだ。


原因と結果を追求する。


より人間らしく生きることを目指すことの過程において、物事の原因と結果を見つめ微妙なとらえ方に拘るのは、現実をより力強く勇気をもって歩いていくことの一歩の価値を高めることが出来る。


現在の結果は、自らが招いた過去の「因」。


現在の結果は、未来につながる大切な「因」。


因果具時。


『過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ』


因果応報。


こうなったことが何かの結果ではなくて、こうなったことが何かの因となる。


本因妙。


今を生きる私の哲学。






本因妙 | [2012-03-30(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

わたしという人間の可能性をどこまでも信じて生きるんだ!

わたしという人間。


現実のこの世を人間として生きたい。



更に、より人間らしく、どこまでもわたしらしく。



絶対的な幸福境涯の確立。



己の今という現実を生きることの連続につながる先に辿りつくゴール。


死。



死ぬこと。



「人」として生まれて、「人間」として死んでいきたい。




一人の人間として生き切るための自己確立。




『独立自尊』を生きる。


わたしは、人間として生きる人生の『独立自尊』体得したい。


どこまでもわたしの中の根本の哲学に基づいて。


それは、みずからの生命に明かりを灯すこと。




それは、自らの使命に生きることに突き進むこと。



わたしの使命。



わたしの生命を無限に広げて行くための境涯革命。




わたしの人間の中の不可能を可能にする大切な宝。



わたしが人間として今を生きる価値創造。



わたしの哲学は、わたしという生身の人間が、現実の世界を人間として生きられる。



それは、わたしという人間をどこまでも、どこまでも信じきること。



わたしが私らしく生きる


煩悩即菩提。



衆生所遊楽。



楽しみたい!


誇らしく生きたい!



私は、わたしという人間を楽しむために生まれてきた。



苦楽共に思い合せて・・・。



「おとうちゃん!」


ありがとうね。


これからも一緒に生きて行こうね!




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本因妙 | [2012-03-23(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(4) |-

奇跡の人『ヘレンケラー』:人間の見えない心を言葉で紡ぐ

風邪をひいて熱と激しい頭痛で、何もできずにベットに寝ている間、奇跡の人『ヘレンケラー』の映画を見た。



言葉があれば闇は無い、言葉が光を導く』という台詞が映画の中でとても印象的に残りました。



言葉というものがあるのを、

はじめて悟った日の晩。

ベットの中で、私は嬉しくて嬉しくて、

この時はじめて、「早く明日になればいい」と思いました。

              (ヘレンケラーの言葉より)






人生で3重苦を背負いながら見事に世の中に貢献した奇跡の人「ヘレンケラー」の人生。



物には名前というものがあるということを知る。


言葉があるということを知る。



ヘレンケラーの中に人間として生きる人生のあかりが灯された瞬間。




言葉は、人間の心の中の見えない大切な思いを見える形として伝えることができる最高のツール。


最高の言葉があっても、そこに「真心」の先につながる人間の命、生命を感じ取ることが出来なければ、私達が人間対話を求める究極の哲学を生きることにならない。


美しい文章を浅墓な知恵だけで考えても、そこに踊る美辞麗句なんて嘘っぱちだとすぐにわかる。


私達の仏法を根幹とする生きた哲学は、事実を伝える言葉を磨くだけの方法論などではない。



どんな言葉でさえもそこに「心」が映し出されなければ、最高の言葉と言葉を紡ぐことなんてできやしない。



究極、言葉なんて無くてもいいのかもしれない。



現実には何も無い。



ヘレン・ケラー

ヘレン・アダムス・ケラー (Helen Adams Keller)。

1880年6月27日生まれ。

米国アラバマ州出身。



見えない、聞こえない、話せないという人間が生きることの上においての3重苦という重い障害を背負いながら、世の中の障害と闘う人々のために世界の福祉に貢献した奇跡の人、ヘレン・ケラーとアニー・サリバン先生の半生を描いた「奇跡の人」はあまりにも有名。




ヘレン・ケラーの名言集

・人生は、「勇気をもって挑むか、棒にふるか」のどちらか。


・あなたの顔を日光に向けていなさい。そうすれば陰影を見なくてすむ。いつも真理に目を向けていなさい。そうすればあなたの心から不安、心配は消える。



・ひとつの幸せのドアが閉じるとき、もうひとつのドアが開く。


・もしも、この世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばない。


・世界を動かすのは、英雄の強く大きなひと押しだけではありません。誠実に仕事をするひとりひとりの小さなひと押しが集まることでも、世界は動く。



・人生の目的は何か、などと堅苦しく考える必要はない。楽しく生きて、この世を去るときに、「生まれてきて良かった。幸福な人生だった。」と振り返ることができたら、その人は人生を楽天主義者として過ごせた成功者だといえる。





ヘレンケラーの名言集は、わたしが確かに現実を生きるための哲学と何一つ変わらないことに改めて心から感動させられました。


確かな現実を生きることに、懸命に生きた人。


言葉に、命を与えるための人生を賢明に生きたヘレンケラー。



【送料無料】奇跡の人ヘレン・ケラー自伝


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本因妙 | [2012-03-18(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

感情から冷静へ!冷静から理性へ!『人生の病根は傲の一字』

人間の持つ感情。


心によってコロコロと移り変わる。


感情から冷静へ!


冷静から理性へ!


人間がより人間らしく生きる。


確かな哲学に基づいて生きる。


今を生きる。


わたしにとって今を生きることは、この世での2度目の人生を生きる事。


そう誓ったはず。



傲慢に生きてきた過去の己の愚かな人生。



わたしにとって今を生きることに求められているもの。



感謝と謙虚さ。


そうして生きる事のみに、わたしの第二の人生を生きる価値を創造することが出来る。



感情に流される愚かな毎日。



人生の病根は傲の一字



自身の運命を変えることが出来るのは、私自身でしかない。



ありがたい。


ほんとうにありがたい。


今、こうして自分の病の根源と闘うことからあきらめない。


わたしが、今、最高に自らの可能性を開く時。


勇気を出して、一歩前へ!


恐れるものは何もない!


失うものは何もない!


失うものなど何もないのに、なんで、こんなに憶病になってんだ?


人間の中の弱さとは、一体、どこからやってくるのだろう。


私自身を苦しめるもの。


私自身に付け込んでくるもの。


今、変革のときなんだ。


感情から理性へ!


人間を変える。


私という人間を変えることに対する挑戦。


今こそ、境涯革命の瞬間!


心の奥底に消えかかっている炎。


輝かせ!


自らの使命を決してあきらめない。


希望と夢をどこまでも決してあきらめない。


今こそ、勇気。


その勇気を生命の底から湧きいだすための賢者の石。


己の生命のダイヤモンド。


確かな哲学を体得する。


今!



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本因妙 | [2012-03-18(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【本因妙】:全ての過去を『今』を生きる宝に変えることの出来る信仰

一体、己の過去とどこで折り合い、けじめを付ければよいのだろう。


負わされた過去。


自ら背負った過去。


負わされなければならなかった過去。


自ら負わなければならなった過去。


宿命というもの。


宿業といわれるもの。


親が死んでから?


親が生きている間?


子の苦しみ。


親の苦しみ。


親が与え続けた子への苦しみ。


そして、子が親へ続ける与える苦しみ。


もう、終わった。


生きている間にすべては終わった。


親の確かな愛情を探し続けた過去の記憶。


今、確かに愛されているという実感。


本因妙。


過去は、すべて清算された。


確かな過去の足跡。


私自身が生きてきた人生だ。


全てが、私自身の宝。


始まり。


今!











本因妙 | [2012-02-25(Sat)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「働かせていただいている」「食べさせて貰っている」:感謝

『働かざる者食うべからず』なんていう、


今の世の中では、通用しない、到底、意味のない死語がある。



「働かざる者食うべからず?」



「働きたくても働くことが出来ない人間もいるんだよ!」


「働かなくても、好きなものをたべていくことだってできるんだよ!」


働こうが、働いてなかろうが、人間は食べないと生きては行けない。


これが、物として生きる人である道理。


「働かざるもの食うべからず」っていうのは、


おれは働いているから、食べる事が出来るんだ。 


おめえは、働いていないから、食う資格さえない。


おめえは、人間とし社会に存在する価値も無し。



「働かざるもの食うべからず」



なんて、アホなことを言う人間の今というこの世をすべての人間が生きるということについて、思いを巡らすことのない、全くセンスなしの人間の言葉だね。


まるで、奴隷社会を貴ぶ世の中を賛美するかのような時代錯誤も甚だしい。



「働かざるもの食うべからず」


こんな言葉は、他人に対して使うような言葉じゃあない。


勝手にてめえがやってりゃあいいことだ。



しかしながら、生きるためには、経済的な収入が無ければ生きてはいけない。


世の中の社会経済のシステムの中では、当たり前の原理。



労働に対する対価。


その対価にもいろんなものがある。




人間が、「働くということ」に、間違ってはいけない。


私たちは、「働かせていただいてる」のだ。


サラリーマンであろうが、自営であろうが、主婦であろうが、学生であろうが、自らが働ける環境があるというそのお蔭。


生きている人間の今、それぞれの役目を果たすことを働くという。


社会、地域、世間というその場所、環境があるから働ける。


働かせてもらっている。


世の中のシステム。


家族というシステム。



『働かざる者食うべからず』なんて言う間違った諺(ことわざ)は、早く取っ払ってもらいたいね。


働かせていただいて、


そして、


食べさせていただいてる。


おれは、働いているから、家族の中で大きな顔をして、


「おめえらが、美味しいもを食べていけるのは、いったい誰のお蔭だと思ってやがるんでえ!」


なんて、夫婦げんかの時に、旦那が使う常套文句、鬼の首でも取ったかのような、決め台詞を吐く最低な馬鹿男。


じゃあ、一体、だれが、あんたの食事をつくったり、パンツを洗っているんだとういうんだい?!


いつの間にか、人間というのは、感謝という思いを、今を生きている内に、己の人生の過去に置き去りにしていく。


一回、あんたの過去を振り返ってみな。



もう、手遅れかもね♪




本因妙 | [2012-01-20(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間っていうのは育つものじゃあない、育てられるもの

人間って言うのは、いつの間にか大人になると、自分で育ったみたいな顔して偉そうに生きている。


自分の力で生きてきたみたいな顔をして、人を見下して偉そうに説教を垂れる。


馬鹿な大人。


大人になると人間は、大切なものを失う。


失い続けるものに気が付くことが、なかなかできない。


本当の大人になれない人間。


お子ちゃまな人間。


人間として、未熟な人生を生きる。


アンバランスで、偏った人生。


死ぬまで人間は、育てられるもの。


育つものではない。


育てられなくなった人間に待ちうけるもの。



後は死ぬだけ。



人間としての死。


生きる屍。



今を生きる目的の無いものは、生きている価値もない。



大切なものを失い続けた大人たち。



そして、そのあとに続く者達。

子供に物乞い強要 “日銭”稼いだ33歳父親の身勝手な言い訳

「うるさい」の一言に男がキレた理由とは… 堺隣人殺人

「見つからんやろ」と線路に入ったBMW

サド的性癖の女の心に残る闇 患者のもだえ苦しむ顔みてストレス解消…入院患者の爪剥がし事件

大王製紙:特別背任容疑、前会長を再逮捕 7子会社損害、55億円立件

全裸、排泄物…えげつなさすぎる滋賀「いじめ」

※該当する記事は削除されている場合があります。




世の中には、阿呆どもが多すぎる。




本因妙 | [2012-01-07(Sat)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

永遠に夜の明けない人生、永遠に春がやってこない人生

夜は、必ず明ける。


明けない夜は無い?


人間の中の真っ暗闇な夜。


自ら開かなければ、決して明ける事は、無い。


明けない夜もある。


人間の中にあるひとりひとりの世界。


みんな誰にも同じものがある。


平等。


そんなものは、嘘っぱちの方便だ。


建前だ。


現実の世の中に、平等なんてものは、実際、存在しない。


明けない夜は無い。


夜が明けることなく、そのまま死んでいく者達。


今年も生きている。



今年も、更なる、わたしの中の内なる変化を求め、謙虚に生きることが課題だ。


生きているだけで丸儲けなんだ。


そこに、わたしが今を生きる意味と価値を高めることが可能となる。


いつか、明けない夜がやってくる。


朝を迎えることない死が、やってくる。


必然。


明けない夜はある。


「冬は必ず、春となる。」なんてことも嘘っぱちの方便だ。


人間が生きることは、自然と闘うことなんだ。



人間が自然の法則に従って生きるっていうことは、不自然なことなんだ。


自然に勝負を挑む。


実行の時。


報恩に基づく感謝の真心で。



一歩。




本因妙 | [2012-01-05(Thu)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

誰かの為に戦う人間は強い

2011年の今年の漢字、一字は、

「絆」


だった。


当然、東日本大震災で、失われた多くの命、そして、被災された多くの人達。



「頑張ろう日本!」を合言葉に、復興の為に多くの人達の真心が、結集された。


人と人との確かなつながり。


真心の結集。


それは、人間と人間が、感じあうことが出来る見えない糸。


絆。


誰かの為に戦う人間は強い。



今年の目標は、笑顔だった。


本当の笑顔を取り戻せそうな一年だった。


とても充実していた。



でも、今、そして、これから後にも、先にも、決して忘れてはいけないこと。


謙虚さ。


報恩感謝。


今、生きている。


わたしにとって、今、こうして、生きているだけで丸儲け。



なのに、本当の笑顔の裏には、傲慢という悪魔が、きらりとわたしの汚い人間の本性を剥き出そうと、にやりと薄笑いを同時に浮かべてる。


幸せも不幸も紙一重。


一瞬。


己という人間の中に、確かに存在する傲慢さと、愚かさ。


己という人間を、生かすのも、殺すのもわたし自身。


人の言葉に左右される弱いわたし。


過酷な環境であればあるほど、わたしの強さの中に潜む傲慢が牙をむく。


わたしを地獄へと引きずり落とそうとする力が働く。



謙虚に生きる。


報恩感謝の真心が、わたしの中にも確かに存在する。


どんなときにも、誰かの為に戦える人間になりたい。


わたしにとって、私よりも大切な人の為に。



己の中にある汚いエゴ。


自分の為にしか、生きることが出来ない弱い人間達。


誰かの為に戦える人間は、素晴らしい。


『常に高潔な人間とは、富や名誉や肩書きなどに基づくものではない。


感謝に基づく報恩の大切さを知るものが、心から決意し、行動を起こしていくことが出来る人間である。


報恩の誠を尽くすことこそが、人間として真の生き方である。』




そこにあるのは、確かな絆。



誰かの為に戦う人間は強い。


そして、尊い。



今年も一年、ありがとうございました。


来年は、今年よりもさらにきっといい年になる。



昨日よりも、今日。 今日よりも明日。


「月々日々につよりたまえ」



強くて、尊い、確かな哲学。


明年も、きっと、よいお年を、お迎えくださいませ。




本因妙 | [2011-12-30(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

ミッションインポッシブル:人間が今を生きるということは不可能な任務

確かな哲学に従って生きる。


家政婦の三田さん風に言わせれば、


「それはあなたが決める事です。」


人間が人間として、より人間らしく生きる。


生きたい。


二度目の人生だもの。


当たり前に生きる事さえ出来ぬ人間が、当たり前に生きる。


わたしが、人間として与えられた時間を生きる。



確かな哲学を求める人間して生きることの不可能な任務。


ミッションインポッシブル。


その不可能な任務を可能にする・・・。


あんたは、誰やねん?


現実を生きることで確かな哲学を、己という人間そのものに刻み込む。


人間の中の可能性を開く。


誰もが主役になれる。


ひとりひとりの中にある不可能を可能に導くことのできる領域。


一番、簡単で、一番、難しくて、一番、最強。


人間が、より、人間になれる一番の近道の法則。





本因妙 | [2011-12-25(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

長く人生を生きた「年寄り(人間)」の最後に待ち受けるものとは?

人間の寿命はあまりにも長すぎる。


長く生きながらえていても、家族や社会、世の中に迷惑かけるばかりだ。


働くこともできず、ただ、毎日をロボットのように生き続けることのために、一生、病院へ通う。


死ぬまで薬を飲み続ける。


死ぬまで、週三回、半日を費やして人工透析のためにクリニックへ通う。


生きる事は、なんなんだろう。


人間生きて50年。


その時代に比べれば、平均寿命は、80歳。


あまりにも長すぎる。


あまりにも長く人生を生きた老人、年寄り、高齢者達。


長寿社会。


未曾有の超高齢社会は、幸せな世の中か?


何のために、病苦にまみれながら、長い人生を生き続けるのだろう。


人間は、死ぬまで生きなければならない。


死という瞬間が訪れるまで、自らの命で生きなければならない。


いっそのこと、死ねたらどんなに楽だろう。


もういいよ。


世の中、社会、家族の厄介者になって、他人に自分の尻を拭いてもらうようなお荷物になって、それでもなお、生きなければならないのなら、安楽死させてよ。


殺してくれていいよ。


お年寄り、老人がこれからさらに増える。


あまりにも長く人生を生きた老人達の超高齢化社会。


これからを生きなければならない世代が抱えるお荷物。


わたしが、介護という世界でミタ、人生を長く生きた大先輩である老人という言葉で一括りにされる人間達。



「人間、長く生きても、結局、こんなもん?」


長く生きてきた人間の最後に待ち受けるものとは、



「今を生きる」ということの結末。



今が、「地獄」か「天国」か?


地獄や天国は、あの世にあるものではない。


今を生きるこの現実にある。


生きることから遠ざかる、人生をあまりにも長く生きた老人たちの地獄と天国。


現実。


わたしもそこに向かって今を生きている。


「今を生きる」



そこに確かな哲学を求め続ける。




人間の寿命はあまりに長すぎる。



しかし、今を生きるために与えられた人間の寿命には、意味がある。


確かな価値がある。



どこまでも人間の価値を創造する。


どんな人間にも価値を求める。


わたしは、その「確かな哲学」が、【創価】の中にあると信じたい。




本因妙 | [2011-12-25(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

今を生きている人間の「涙」と「笑顔」の価値と意味

「死ぬまで二度と笑うなって言われたことを、もう、忘れて!」


「これからは、楽しい時や嬉しい時は私達と一緒に笑ってくれないかな?」


「それは、無理です。」


「どしてもとおっしゃるなら、お暇を頂きます。」


「お母さんになって!」




「承知しました。」



・・・・・





「家政婦のミタ(日テレ系)」の第十話(息子よ、夫よ、お願い...私も天国に連れて行って!) からのドラマのセリフの一部。

来週の12月21日(水曜日)が最終回。


松島菜々子演じる家政婦の三田 灯(みた あかり)。


心を映し出す感情を表すことのないまるで能面のような表情。


瞬きをしない見開いたままの彼女の瞳には、目の前の現実は映っていない。


彼女が十字架として背負深く、重たい荷物。


「自分の意志で動くと、周りが不幸になる」と自分で自分を呪い続ける。


「決して、死ぬまで笑わないで!」


わたしの笑顔は、愛する人を不幸にする。



優しくなりたい。

自分だけじゃ寂しい。

強くなりたい!

優しくなりたい!

「家政婦のミタ」の主題歌「やさしくなりたい」より








わたしが、子供の頃に、覚えたお世辞。


わたしが、子供の頃に、覚えた作り笑い。


不幸な家庭の中で、本当の笑顔なんて生まれるはずは無い。


そんなわたしの過去。



「わたしの家族には、障害者がいるから、自分は人より幸せになることはできない。」


小学生の子供の頃に、口から出た言葉は、大人になった今でも、記憶の中から離れずに、現実生活の意識の中で現れては、わたしの心を苦しめる。


家族の不幸が原因なんだ。


家族が不幸だったから、わたしが不幸だった。


結局は、その言葉は、わたし自身への呪いの言葉であった。


わたしの人生には、本当の幸せというものを与えられることは無かった。


目に見える物だけの世界の幸せに見せるための道具は、たくさん揃えることが出来た。


お金だって必要十分。


わたしには、お金が十分であり、お金を求めることが、心の満足を得られることだと、当たり前に、そのことのみに執着した。

信じられる本当に大切なものを信じることが出来なくなった人間にとって、信じられるものは、この世の目に見える物しか、心には映らなくなる。


心に映るんじゃあない。


己の生命につながる「心」という回路を切り離し、「脳味噌」という思考回路の中の損得勘定で生きる。



要するに、パソコンに毛の生えたような程度の人間に成り下がる。


わたしの幸せは、無かった。


両親が互いの愛情の無い家庭。


家族に障害者のいる家庭。



両親の顔色ばかりを窺い続けて、世間体というものばかりを気にする。



そんな不幸な人間には、心の中で引きつらせながら、笑顔の作り笑いが上手。



大人になっても、本当の笑顔になれない大人の気持ち。


過去を断ち切ることは、不可能。


所詮、人間なんて気の持ちよう、気持ちの切り替え方次第なんて、アホなことを延々と語る馬鹿がいる。


気持ちを切り替える事だけで、過去を断ち切ることなんて出来るのなら、人間がこの世を生きる意味を知ることなんて、一分もあれば今の時代は事足りる。


過去と現在と未来。


人間が生きることの現実は、一人の人間の過去と現在と未来の人生


生まれては死んで、生まれては死んでを繰り返してきた、地球上の人間の歴史。



人間に生まれて、生きることの意味。



わたしは、そのことの意味を、生きてきた過去の多くの失敗から学んだ。



今を生きている人間のその瞬間(とき)の「涙」と「笑顔」の意味。





「あなたは、今、わかろうとしているの」

「人間らしさを取り戻そうとしている」

「いま、現実にみえる家族のお蔭で」


・・・・




ドラマのなかの家政婦の「ミタ」に対する台詞が印象的だった。



最終回、ミタさんは、本当の笑顔を取り戻せることが出来のかしら?




本因妙 | [2011-12-18(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

病膏肓に入る:「変人」の領域を越えた「神」を「ゴミ」(塵)と呼ぶ

自分だけの偏った見方や狭い考えを「我見」という。


人間は、「神」になれるという。


人間は完全な創造物なんだという。


私利私欲を捨て、「我欲」に囚われず、執着せず、「無我の境地」を開きなさいと説教を垂れながら、自分自身に洗脳された思想の「我見」に執着する。


完全な創造物であるというはずの人間の、不完全な矛盾。


世間という中で、人間が生きる。


その中で、他者という存在を尊重できず、謙虚に学ばず、理解をしようとせず、自説のみが正しいと意固地になる。

人間の社会の中で、自説と他説の意見の調整や折り合いを付ける事さえできなくなる。


他者を否定する。


かたくなな様子。


人間がより人間らしく生きることから遠ざかる。


これを「我見」とは言うなり。



まあ、こうなると当然、人間社会の中から鼻つまみ者として、多くの人間が相手にしなくなる。



「病膏肓に入る」は、「やまいこうこうにいる」と読む。


なんだか難しいね。


簡単に言うと「救いがたい馬鹿」ということになるね。


人間は、神にも悪魔にもなれる。


確かにそう思う。


でも、神と悪魔とは、全く別な存在なのだろうか?


意固地な「変人」の領域を越えた「神」。


それこそ、「悪魔」と呼ぶにふさわしい。


「おれは神だ」という人間こそ、「悪魔の本性を現した人間の姿」だろう。


そんな「悪魔」と呼ばれる人間のことを、「煮ても焼いても食えないろくでなし」という。


病膏肓に入る「変人」の領域を越えた「神」は、「(カミ)」とは読まない。


「ゴミ:ごみ(塵)」と呼ぶ 。




本因妙 | [2011-12-16(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

今年のわたしの漢字【涙】:涙くんさよなら!涙くんこんにちは!

2011年、今年の漢字が発表されました。


「絆」


毎年、12月の12日に京都の清水寺で、その年の世相を映す漢字一文字が選ばれる。


12月の12日は、「いい字一字」と読み、毎年「いい字」を少なくとも「一字」は覚えてほしいという願いを込めているそうです。


去年は、夏の猛暑を反映して、「暑」が選ばれた。

2009年は、新。

2008年は、変。

2007年は、・・・もう、いいっか。


森清範貫主が特大の和紙に筆で書き上げた「絆」と言う文字。


そこに何を映し出すのだろう?


絆が断たれたの?

絆は必要なの?

絆はあるの?

絆で救われたの?

絆を確かめ合うことが出来たの?



人間失格」という歌が、日本有線大賞で、「有線問い合せ賞」を受賞した。


何だこの詩?


○○してますか?

○○してますか?

○○してますか?



この歌詞をみれば、この詩を聞けば、


今、生きている人間は、みんな「人間失格」の資格を持っているよね。


「明日は、明日の風が吹く」


この詩を創った「Metis(メティス)]は、自分自身が「人間失格」なんだろうね。


この詩からは、何の哲学も感じない。


兎に角、この詩がすべて、人間失格なんだ。


○○してますか?

○○してますか?

○○してますか?


と問い続ける。


しかし、最後には、あきらめじゃあないか?


「明日は明日の風が吹く。」


なんだこの詩は、・・・。


間違いない、すべてが人間失格。



明日は明日の風が吹くのなら、人間やめろ!


ラララ・・・。


この詩は、失格だ。



人間が人間らしく生きる事から遠ざかる。


明日は明日の風が吹く。


人間失格。


負け犬人生確定。





今年の私の漢字は、涙。


人間が流す涙。

そこには意味がある。

人間の持つ心の動きを表現する感情。


その感情は、目には見えない。

でも、涙としてみることが出来る。


怒りの涙。

苦しみの涙。


あきらめの涙。


喜びの涙。


感謝の涙。


涙に対して涙する涙。


【涙】という文字。


今年のわたしの漢字【涙】なんです。


「涙くんさよなら!涙くんこんにちは!」


生きている間、涙と付き合いたい。


涙を流せる人生でありたい。


わたしの今を生きてることの涙の意味。


去年の涙。


そして、今年の涙。


今年の涙には、笑顔がある。


今年の涙には、感謝がある。


辛さの涙から、幸せの涙に変わる。


「辛」いと「幸」せ、たった一本の横棒を足すことに、わたしの過去の苦しみがあった。


苦しみの意味を、今を、一日一日、生きる人生の中で体得することが出来た。


「生きているだけで丸儲け」の人生。


「ありがとう」を心から感じ取ることができるわたしに涙。


心からの笑顔を取り戻せそうな気がするわたしに涙。


生きていてよかったと確信ができる私に涙。



「明日は、明日の風は絶対に吹かない!」


「お前は風見鶏か!」


『明日は、明日の風が吹く』なんてことを言ってる奴は、アホな人間失格!




明日の風は、自分で起こすもんだ!


確かな哲学の無い人生は、あきらめの風しか吹かない。


明日の風も吹かない人生だ。









本因妙 | [2011-12-15(Thu)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

現実に見える世界に真実はない。見えぬ世界に真実が実在する。

現実に見える世界に惑わされて、愚か者として生きる。


堕落した生き方とは、現実に見える世界が全てなんて言って生きている奴。


そんな奴は、もはや未来のために今を生きる「人間」とは言わぬ。


真実を見ようとせず、嘘と方便に塗り固められた、目に見える現実世界だけを真実として生きる愚かな者。


愚か者。


者じゃあないね。


物だね。


物が目に見える物に支配されて生きる者達。

そんな者達が、偉そうに人間を語りだしゃあ、人間の未来は、猿の惑星さ。


こんな奴が世界に蔓延れば、もはや人間を人間と呼ぶ必要はない。


猿だ。


家畜だ。


未来に猿が蔓延する世界は、誰が支配している?


きっと、妄想と空想の延長線上にある摩訶不思議なファンタジーな世界が現実となっているのだろう。


人間として生きる資格を失う物として存在する猿の世界。


見える世界に人間が生きるための道理など求めたところで、そこに真実を発見することはできない。


見えぬ世界に人間の生きる道理がある。


愚かで馬鹿な人間が求める短絡的な合理的主義の真実とは、人間が、より人間として生きることが不可能な非合理的主義なんだ。


「諦め」と「観念」のみので生きる者は、人間の中の未知の可能性を、不可能に導く。


愚か者。





本因妙 | [2011-12-09(Fri)] | Trackback:(0) | Comments:(2) |-

見えないものを心に映し出せる能力を与えられた創造主:人間

この世に今、生きている人間。


人間こそ、全知全能の創造主。

その与えられた能力。



「ああ、わたしは、なんて謙虚なんだ」



人間自らが不可能を可能にして獲得し、進化し続けてきた能力。


人間らしく、更に、より人間らしく。


人間の得意技とは、見えないものを己の心のスクリーンに映し出せる能力を持つ。


この世の法則。


宇宙の法則。


人間が生きる道理。


哲学。


人間が生きてきた歴史。

より人間らしく生きることを求め、多くの人間達が遺した生きた事実、その足跡、多くの言葉。


一人ひとりの人間の未来。


明日のために、今を生きる。


大切なのは今。


過去も未来も全部、今というこの瞬間を最高に人間らしく生きるためにある。

その大切な過去。


折角、多くの人が残してくれた「今という瞬間をより人間らしく生きようとした事実の集まり」。


過去の遺産。


それらを大切にしなければならない。


私の大切な過去。


過去の多くの失敗は、明日を生きる自分の姿を創りかえるために、今を生きることの大切さと、確かな意味を与えてくれる。


生き甲斐。




世の中には、全く、「お気の毒」な人が多い。


「お気の毒」


毒にもなる「気」。


でも、「気」は、毒にもなるけど薬にもなる。



あんたは、「気」が利かんから、あたしゃあ「気」に入らん。



「気」は「心」。


気なんて心によってコロコロ変わる。


心。



全くお気の毒な人の心は、人間の見えない大切な部分と真正面から向かい合わなかった人達。



そんな奴らが、自分を人間と呼ぶなんて、おこがましい。


見えぬ人間の心の奥底に厳然として存在する全知全能の創造主。


生命。




「気が変われば、生き方も変わる。気の持ちようさ。」


そんなアホなことは、軽薄短小で刹那な嘘っぱちな生き方しかしらないお子ちゃまの戯言。



膨らんだ薄っぺらい風船を針で突つけば、すぐにパンクして吹っ飛ぶような、上っ面の小細工だけの説教で、人間の生き様が変わるようなら、それこそ、人間の価値なんてゴミや埃と同様、吹けば飛んでしまうような虫けらと一緒さ。


気を変えるためには、心が必要。


その心を変えるためには、意志が必要。


強い、強い、意志。


意志とは、決意。


毎日を生きる事。


「意」を生き様に変えれば、「気」に届く。


人間こそ、全知全能の創造主。


そこに必要なもの・・・。


見えざる心の錬金術。


その触媒とは?


錬金術を可能にする触媒。


賢者の(石)意志。


あるよ・・・確かな哲学。




本因妙 | [2011-12-08(Thu)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

心に毎日、水遣りを欠かさない。

人間は、物に従って生きる動物ではない。


人間は、物を創り出す動物であり、不可能な物を産みだす動物である。


その不可能を可能にすることが出来る人間。


人間が生きることは、進化をさらに進めることが出来る。


不可能を可能にする。


人間は物に従って、支配されて、生きる動物ではない。


物と同じように犠牲になっている動物ではない。

人間が持つ不可能を可能にする能力。

生きることによって与えられる。


人間として生きることによってのみ与えられる。


人間。


人間が成長するために必要な心。



精神とは別物の世界にある。


精神をコントロールすることが出来る心。


物としての肉体をコントロールすることの出来る心。


強靭なる心。

鋼のような心。

柔軟な心。



人間が、より、人間らしく生きることに最も大切な心に毎日みずやりを欠かさない。


枯れてない?


あんたのこころ。


コロコロ。


定まってる?


心。


確かな哲学における「心」とは、己の今、そのものを映し出す「生命」の異名なり。




本因妙 | [2011-12-06(Tue)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

生きることに「気づける心」は感謝による報恩の誠から生まれる

小さな神社の鳥居の正面付近にほんのすこし空いたスペースがある。


その正面から少し下がったところに、私は、訳があって車を止めた。


まだ、朝の通勤、通学の時間。

神社の横道に沿って、この先に少し歩けば、私鉄電車の駅がある。


また、駅からこの神社を通って先を行けば、歯科大学などいくつかの大学がある。


駅に急ぐサラリーマンを横目に見ながら、神社の鳥居近くに止めた車の中で、用事を済ませていた。

行き交う人達。

その中で、大学へ通うのだろう、駅から歩いてきた若い男性が、私の車を止めているほぼ、正面近くで立ち止まった。


下向き加減で車の中で用事の最中だったけど、気になったので顔をあげて、私の車の正面に背中を向けて立っているその若い男性の様子を窺った。


その若い男性は、私の車を止めてる真反対にある神社の鳥居に正面から立っていることになる。

すると、鳥居の正面奥には神社がある。


駅から歩いてきて、これから大学へ通うのだろう。


その所作は、ごく自然で、彼の毎日の当たり前の日常の行動の一部であるかのように見えた。


彼は、鳥居の先に向かって、軽く会釈して参拝を済ませ、大学のある方向へ歩いて行った。


その一コマ。


とても大切なものを見た。


大切な信仰心。


拝む対象は違っても、一人ひとりの人間にとって、信仰心はとっても大切。


信仰が生活の一部となる。


感謝の気持ちが生きている人間の心の中に常に当たり前に行動として表すことが出来る。


信心というのは、一人ひとりの中にある。


口を開いてひけらかすようなものでもなんでもない。


日常の何気ない動作、振る舞いに、信仰心が全部現れる。


拝む対象は、違っても、私が見たその若い男性の行動は、自分の心をすっきりとリセットしてくれるような姿に映った。


偉いね。


私の信仰の中にある哲学は、今というこの瞬間を生きることに尽きる。


生きているだけで丸儲け。


生かせていただける感謝の気持ちを常に忘れない。



報恩。


今。




本因妙 | [2011-12-05(Mon)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間の「生きがい」って何?

「生きがい」ってなんだろう?

時々、生きることが嫌になる時がある。

時々、何のために生きているのかわからなくなる時がある。

前向きに、毎日を、「昨日よりも今日、今日よりも明日」という思いで生きたい。

今日という日を、未来の自分のために、理想をかかげ、夢と希望に向かって、明確な目標と目的に従って生きていきたい。

人のために灯をともせば、わが前明らかなるが如し

人間として、更に人間らしく、より、人間らしく生きたい。


その願いとその思い。


でも、人間は、やっぱり人間なんだ。


弱い私の中の強いわたしとの葛藤。


人間だもの。


折角生きているんだから。


甲斐がなければ、人間が生きている意味が無い。


自分の為の生きる。

人間の為に生きる。


偽善者。

エゴ。

エゴでいい。

偽善者でもいい。


わたしのため、人間のために生きてあげる。




本因妙 | [2011-11-29(Tue)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

見えぬ人間の器で見える人間社会を生きる私を支える信仰

毎日を生きること。

それは、現実に生きる私という存在との闘い。


見えない私の中にある人間的な器で、どれだけ現実社会で生きる「わたしという人間」を支えることが出来るかどうか。


人間的な器をいかに大きく広げることが出来るか。


それは、もって生まれた私の宿命と宿業を乗り越えることとの戦い。


そこに必要なもの。


目には見えない大きな力。


現実に生きることをさらに高める。


生きようとする己の本能を突き動かす力。


その力の根源こそ私の信仰の中にある。


その哲学。


人間の中にある不可能を可能にする哲学。


不可能から逃げる、あきらめの発想をしか持つことのできぬ、タダの思い付きの負け犬思想を遠吠えのように語る者には、決してたどり着くことが出来ない。


不可能を不可能とあきらめる者には、人間が生きることの本質には、決してたどり着くことなどできない。


人間がより人間らしく生きることを、不可能の中から発見することを決してあきらめない。


その哲学の真骨頂。


私が今を生きていることが全て。




本因妙 | [2011-11-27(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

最近、泣かなくなった私に泣いた

最近、泣かなくなった。

よく泣いた。

生きることは、泣くこと。


そんな毎日。


毎日、泣いてた日々。



過去に対する後悔の日々。


逃れることの出来ない現実。

悩みと苦しみと、生きる事と死ぬことに対する迷い。


一日、一日を乗り越えることの壁。


今、生きているわたしを持て余す毎日。


深い深いどん底。


そのどん底の中でもがく。


あふれ出る涙。


どうすることもできない現実に、行き詰るところは、涙。


わたしが今、どこにいるのかわからない。


どうしてこうなったのかと嘆く日々。


涙に明け暮れる毎日。


己の宿命に流され、涙に暮れる毎日


・・・だった。



今、泣かないわたしに気が付くことによって、泣いている自分がいる。


死ぬことへ突き進む毎日。


どん底の中で、死というものと向き合う。


明日でもうおしまいだ。


「死」と「生」の究極の選択のなかで悶え苦しんだ毎日。


わたしの人生は、大切な人と共に、一度は死んだ。


生き残ったわたしの抜け殻の人生。


二度目の人生を生きる。


それは、どん底の毎日だった。


今、わたしが、生きていることをほんの少し、味わえる。


毎日が苦しい。


そして、毎日が楽しい。


苦しくて泣いた日。


でも、今は違う。


苦しくても頑張れることが楽しい。


頑張れなかったわたしが、苦しいことから逃げずになんとか頑張っている。


それが嬉しい。



涙の意味、涙の価値。


本当の笑いを取り戻せそう。


ありがたい。


生きていることはありがたい。


泣。



本因妙 | [2011-11-16(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「おいっ、創価!」仏法を理解するのに世間の常識はどうでもいい!?

最近の創価学会員の質の低下というのを痛感させられることが多い。

創価学会という看板を支える活動化とよばれる連中。

組織活動に携わることによって、自らの悩みや課題といった困難の克服、独立自尊の人生を歩むための一人の人間の中の確かな哲学の確立すること。

言い換えれば、一人の人間革命のために、絶対的不可欠な人の生命の中に確かな信仰信の確立のための信心活動。


創価の中の学会活動というのは、ただの組織活動ではない。


でも、最近の創価学会員のなかには、ダメ創価2世や、アホ3世などばかり?


こんな低落な奴ばかりが、名前だけの活動家と称して、役職や任務を与える。


「やらされている」という受け身意識バリバリの中途半端な活動化のお蔭で、迷惑するのは、これまで創価を支えて、草創期を戦ってきたお年寄り。


わたしの母もその一人だ。


そんな母が、今の創価という組織を嘆くようなことがあったよ。


創価学会では、毎月、全国規模で執り行われる幹部会と称するものがある。


この幹部会の様子を、地域のそれぞれの創価学会の会館で衛星放送中継される。


同時中継などと呼ばれ、略して、「同中」、「同継」などとも呼ばれる。


その「同中」に参加するために、母は、地域の婦人部の方が運転する車に乗せてもらって、会館に向かった。


会館には、付近に駐車場が用意されている。


創価学会の会館を警備するために任務についている学会員が、車の案内などを行っている。


わたしの母は、高齢者であり、現在、杖をついて歩行しており障害手帳を持っている。


また、私の母以外にも、歴史ある創価学会のこと、老人とよばれる人達も創価学会員の中には多い。


そんな障害を抱え痛い足を引きずりながらも杖をついて、車に乗せてもらって、会合に参加している。


母の信仰信の強さは、どこまでも創価に対しても純水である。


しかし、そんな母が、創価に対して、とても残念な思いをすることになった。



車で創価文化会館に到着した時のこと。


車で連れてきてくれた婦人部の方は、母が杖を付いていることを気遣ってくれて、会館の入口から一番近いところに止めておろしてあげようとして、車を止めたところ、会館の警備にあたっていた創価学会員は、言った。



「そこに車を止めてもらっては困ります。」


「人が通れなくなります。」


「もっと奥のガレージまで動かしてください」



そんなふうに言われたそうだ。


しかし、通行の妨げになるとはいっても、通行できないわけではない。 しかも、ほんのわずかの乗降の間だけだ。

しかも、当たり前の常識のある人間なら、そんなところに止めることには、意味がある。


障害を抱えた人が、歩行することはとても危険が伴う。


だからこそ、最短距離で、一番安全な場所でおろしてあげようとしているのに、会館の警備をしている創価学会員は、障害のある人であることなど関係なしに、邪魔者扱い。


仕方なく、遠く離れた駐車場に車を移動させらた後、母は、杖をついて歩いて会館までなんとかたどり着いた。



「おい!」


「創価の馬鹿学会員!」


「お前、おかしいよ!」


お前らの哲学なんて、一体、何なんだ?



世間の常識でさえ、わかるはずのことを、創価の常識には、ほんの少しの気配りも出来んのかい!


情けないよ!



そんな創価に人間的な魅力なんて、どこにあるんだよ。



非人間的な組織の中で、ひとりひとりの幸せを説く宗教なんて成立しない。


似非宗教人間を育てる創価なんて創価じゃあないよね。


ただ、存続するためにのみ存在する創価なら、もう早くつぶれてお終いなさい。


もう、創価なんて創価じゃあないよ。




本因妙 | [2011-11-13(Sun)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

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