人間の価値を創造する心の師:「生命」でありのままに生きる

albert-einstein-219675_640.jpg

人間は人間である。

「人間」は「人間」以外の何者(物)でもない。

人間は人間。

人間が人間として生きる。

人間が人間であることの意味。

その価値。

人間が人間として生きる意味。

その価値。

人間が、より人間らしく生きる為の思想。

価値を創造する。

今を生きる為の哲学。

限りなく高く見える山も、必ず乗り越えられる。

「心」とはそいうものだ。

全ては心。

心は自由自在。

心は「無」となることもできる

心を無にして「生命」で人間を生かす。

宿命を使命に変えることのできる法。

私はその心の「師」となる。

心は私ではない。

心の「師」こそが本来の私という「生命」なのだ。

自分に与えられた道。

自分の人生。

自分らしく生きる為の人生だ。

自らの人生を悠々と生きる。

世の中の自然を支配し、理解するための法則を物理と科学に求めたアインシュタイン。

そのアインシュタインは晩年、物理学や科学だけでは宇宙や人生の究極のものを得る事が出来ないと悟り、その根本の解決法として東洋の宗教に期待をかけていたといいます。

人間とは?

桜梅桃李。

今を生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間なんて所詮、「井の中の蛙」


人間なんて・・・

あえて、人間なんて、井の中の蛙大海を知らず 。

所詮、「井の中の蛙」。

「井の中の蛙大海を知らず」 (故事成語)

これには、後付とされるが、「されど、空の深さを知る」、という続きがあるらしい。

また、「空の青さを知る」

「井戸の深さを知る」などとも。

だから、結局、人間なんて、みんな「井の中の蛙」なんだ。

人は、人それぞれ。

一人ひとりの価値とその権利、人間としての尊厳は同じだ。

しかし、井戸から見た空さを知ることが出来るだろうか?

そして、井戸の深さを知ることが出来るだろうか?

あえて人間なんて・・・。

結局、人に、どうでもいい御託を並べるよりも、

「人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん」(明石家さんま)ということだ。

自分が人間として、「今を生きた」事が全て。

そのために、「人」から学ぶことが大事。

人間は、死への道を生きる。

人は、生(生命)きる道(未知)を知る。

ちなみに、この世に、「神」や「仏」が存在するとするなら、「神」は、明石家さんまさんで、「仏」は私。

さんまさんの言葉に生かされ、己の心を師とするのは、私という仏の生命。

人間を生きるのが大切だ。

人間を生きるには、「思う」ことよりも「動く」ことが大切。

人間を動かすことに、余計な「思い」は必要ない。

祈って、動く。

人間が生きるということ。

ただ、それだけだ。

境涯革命。 

一生成仏。

妙法。

桜梅桃李に生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「人」の常識は「人間」の非常識


人の心は、お化けだ。

何も無いものを、有るものとして膨らます。

何も無いのだ。

あるのは、人間が生きるという事だけだ。

何も無いのだ。

「人」の常識は、「人間」の非常識。

常識が常識だと思うこと。

それは、非常識だ。


心と体は切り離すことが出来ない。

「色心不二」



人の常識は人間の非常識

切り離してごらん。

「人間」が見えてくる。

その人間自身の命、生命が輝きだす。

ニュートラルな世界だ。

無。

生きる。

生きる事。

それは、「人間が生きる」ということだ。

あるがままに生きる。

それは、己の心に支配されない生き方だ。

「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」



命(生命)のままに生きる。

心に支配されない生き方。

それは、心を無色透明にすることだ。

不可能を可能にすることが当たり前になる。

非常識が常識に変わる。

過去も未来も、「人間が今を生きる」ことが全て。

本因妙。



ニュートラルな世界を生きる。

その「妙」。

その「法」。

桜梅桃李に生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

不自由な心で自由な「人間」を生きる馬鹿な「人」


心を不自由にして、人間の自由を生きるバカな人達。

バカな人の常識は、人間の非常識。

バカの壁、心の常識を打ち破る。

「身の財より心の財第一なり」



ではない。

「命」(生命)こそが一番大事なんだ。

「心の師となるとも心を師とせざれ 」



心の師とは何だ?

命(生命)だ。

生命とは、なんだ。

「仏」だ。

だから、決して、宗教の奴隷になってはいけない

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」



人の「言葉」に、人間の価値を見ることは出来ません。

現実を生きる「人間」の姿に、真実の「言葉」の価値が顕れる。

「言葉」に騙されるネットのバカな宗教活動に群がる「人」達。

「自由な心」を不自由にして生き、「不自由な人間」を、自由に生きるバカな人達。

桜梅桃李。

今を生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間:井の中の蛙大海を知らず


あえて、人間なんて・・・

所詮、みんな「井の中の蛙」。

「井の中の蛙大海を知らず」 (故事成語)



これには、後付とされるが、

「されど、空の深さを知る」、という続きがあるらしい。

また、「空の青さを知る」
    「井戸の深さを知る」などとも。

だから、結局、人間なんて、みんな「井の中の蛙」なんだ。

人は、人それぞれ。

一人ひとりの価値とその権利、人間としての尊厳。

あえて人間なんて・・・。

結局、人に、どうでもいい御託を並べるよりも、

「人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん」(明石家さんま)



自分が人間として、「今を生きた」事が全て。

そのために、「人」から学ぶことが大事。


人間は、死への道を生きる。

人は、生(生命)きる道(未知)を知る。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。




人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

悟りを開く究極の喜び:悟り


人間として生まれて、人として死んで行く。

究極の苦しみ。

死。

病の恐怖、その苦しみ。

老いの恐怖、その苦しみ。

死への恐怖、その苦しみ。

生老病死。

生まれることに苦しみ宿る。

人間。

それは、人間が生きていく過程において人として目覚め、私そのものである自分という生命の存在を知る。

いつしか人間は、人として生きていく。

それが人生。

やがて人生の終焉、最終章で訪れる死。

究極の苦しみ。

それは、究極の喜び。

自分という人間が人としての生命にピリオドを打つ瞬間。

「今をいきる」事が終わるその時。

人間で終わるのか。

人として旅立てるのか。

おのずと悟りを開ける。

人間として生まれ、人として死んで行く、自然の道理だ。

悟りを開くことの出来る究極の苦しみである、己の死の瞬間。

ぞれぞれの死。

悟りとは、究極の苦しみの果てに辿り着く。

歓喜。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。




人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

信心即生活・信心即社会の仏法:桜梅桃李


職業を選ぶ基準。これには3つある。

すなわち、美・利・善の価値だ。

しかし、この三つの価値はなかなか揃わない。

だから、自分の今の職場で全力を挙げて頑張ることだ。

「なくてはならない人」になることだ。

嫌な仕事から逃げないで、ご本尊に祈りながら努力していく内に、必ず、最後には自分にとって「好きであり、得であり、しかも社会に大きな善をもたらす」仕事に到着するはずだろう。

これが信心の功徳だ。

それだけではない。

その時に振り返ると、これまでやってきた苦労が、一つの無駄もなく、貴重な財産として生きてくるのです。

全部意味があったとわかるのだ。

そう断言できる。

信心即生活。

信心即社会。

これが仏法の力なんだよ。

「幸福と平和を創る知恵」より




人間を正しく生きる。

人として、正しく人間を生きることは、更に難しい。

生きることに中途半端では、決して正しく、死ぬことは出来ない。

職場は、社会は、生活は、自らを成長させる人間修行の場所なんだ。

人間を正しく生きる。

人として、人間らしく生きるためには、まず、人間を正しく生かす術を人として獲得するべきこと。

その知恵。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。





人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間は死ぬように出来ている


「人間」は、己という「人」を映し出す鏡である。

生まれたら死ぬ。

人間は必ず死ぬ。

生まれたらいつか必ず死ぬのだ。

誰一人としてそこから逃れることは出来ない。

みんな同じ。

そうなるように出来ているのが人間。

逆らえないんだよ。

喩え寿命が延びたとしても。

人間、命は一つ。

人間、そうなるようになっている。

ただ、生きられればそれで良い。

人間が前向きに死んで行くのか、後ろ向きに死んで行くのか。

人間が今を生きる現実全てをありのままにとらえらえて、ありのままに受け入れていく。

ただ、それだけなのだ。

桜梅桃李

今を生きる。




人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【知恵】:「三人寄れば文殊の知恵」・人間社会を生きる


ああでもない、こうでもない。

人間と言うものは、「考える頭」があるということによって、どれほど幸せに生きる為の無駄な時間を送っていることだろう。

不幸の「壁」を、考える頭によって、自ら作り上げてる。

「なんだ、そりゃあ?」

頭が良すぎて、手も足もでない、考えすぎる「バカな頭」。

「うそ~!」

「それ、矛盾してる~!」

「あ~だ、こ~だ」と理屈なのか屁理屈なのか知らんけど・・・。

手前勝手な、都合の良い理由を永遠と並べてみても、現実を生きない人間にとって、所詮、すべて、「絵に書いた餅」。

何も実現できなければ、無駄の無意味。

無意味どころか現実を生きることから遠ざかり、叶いっこない夢を生きながらあの世を生きているようなもの。

せっかく、体と心の痛みを感じる、また、切ったら血を流し、傷跡を残す体と心。

生身で生きられる人間として、生まれたのに・・・。

「喜怒哀楽」の感情。

人間の五感と研ぎ澄まされた第六感(?)。

何のためにあるのかな?

人間にあるものは、全部必要なものなんじゃあないの?

切り捨てたり整理したり合理化するなんて、人間が人間を知るためには、あまりにも不合理すぎない?

人間にとって要らないものなど何一つない。

人間社会を、力強く生き抜くための全部が武器。

「その武器を鍛えなさい!」

「使って、使って、使いまくりなさい!」

「泣いて!泣いて!泣き喚け!」

「怒って、怒って、頭をぶつけた押せ!」

「悩んで、悩んで、悩みぬけ!」

人間に備わった全てを使い倒せ!

「突き抜けろ!」

そんなことなどできないだろう。

使い方を知る為の説明書を貰わなかったのか?

お前自身で作らんのか?

拾うことも出来ない「運」の無い人間!

所詮、臆病で、運を開けない人間は、どこまで言っても、頭があるのにいらん頭を使うばかり。

人間についている頭を使う本質をどこまで行っても知ることが出来ないんだよ。

だから愚か者だという。

本当に使える脳みそを使い倒せない馬鹿ばかり。

それは、お前のこと (・・・私のことです・・・)

じゃあ、どうすればいいのか?

う~ん。

「やっぱり、また、あしたかんがえよ」

あたまのなかは、ひらがなばかりの世界が、もやもやとうかぶだけ。

何一つ知恵が浮かばない。

その知恵。

生きる知恵。

神様でも、仏様でもない限り、生きる知恵なんて、頭で考えただけでは、出てこない。

ひねりだせるはずが無い。

ただ、観念、観念、観念。

「もう、ええ加減に、観念せい!」

生きる時間を無駄にする。

無意味な時間。

そこには、知恵をひねり出せる、確かな哲学がないから。

その確かな哲学とは、現実を立って歩くための行動を必然的な伴う哲学。

生きる為の、活きた知恵とは、頭の脳みそから出るのではない、現実の中で、人間として生きる結果によって引き出される、一人ひとりのオンリーワンなのだ。

現実をオンリーワンの幸せで生きられる確かな哲学に基づくものが、生きる現実に、壁を作らない最高の知恵。

こんなところでくだらない能書きをたれているような今の私には、絶対に捻り出せない生きた知恵なのだ。

現実を生きることの辛さは、なんとも楽しい。

今を生きている実感。

そんな風に思えそうな・・・。

辛さの中の笑顔。

それが、今の私の現実的な目標。

このどん底で、現実は変わらないけれど、本当に、己の中の開けてくる生命を心で、確かに感じ取ることが出来る。

怖い、怖いと思っていた現実も、蓋を開けてみれば、己の弱い心が作り出していた幻影にすぎないのだ。

『三人寄れば文殊の知恵』

人間が人間社会を生きる知恵。

対話により生まれる人間社会の英知。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間の中身とは、現実を生きる過程で練り上げられていく


人間の中身とは、現実を生きる過程で練り上げられていく

中身とはどのようにして作られるのだろうか?

人間の中身とは、シュークリームのカスタード、餡子。

そのあんこの中身は、職人の熟練した長年の技の集大成みたいなものであろう。

何度も何度も失敗して、研究して、縦と横の比較をして、己の舌、感性を磨いて更によいものを作る。

しかし、その良いものを求めるという、高めるというその心、生命力、モチベーションはどこから生まれるのであろうか?

どこから溢れ続けるのだろうか?

己の中のあんこを練り上げ、一つの求める到達点へ向かう、完成という結果へ辿りつく道程。

それは、与える為。

美味しいものを食べてもらう為。

その職人の課せられた使命のほとばしりなのかも知れない。

世の中、与える者と与えられる者。

それは、その人間が生きていく過程によって、移り変わる。

高いものを常に求める人間は、与えられるものから、ただ受け取るものという未熟な存在から、与えることの出来る人間への成長という気づきの連続によって、あんこの中身を練り上げ、作り上げていくことが出来る。

でも、世の中の人間は、どうだろう?

シュークリームの外の側だけばかりに踊らされ、中身の味を確かめもせずに、騙されている人生を生きて終える人間がいかに多いか!

現実に起こる悲しい事件や出来事は、そのような、人としての中身を作ってこなかった人間達の原因と結果を象徴的に映し出していないでしょうか?

作られた、ごまかしだけの人生ではダメ。

受け取る人生から、与えることの出来る人生は、人間には生きていることの出来る賞味期限、消費期限は、有限なのだ。

生きることの意味に気がつける人は、幸せ。

生きることの上で中身とは何かを研究し、考え、知ることは、大切。

人生の後半になって、中身の無いものが、与えなければならない時になって、与えるものの無いことに気がつくことの情けなさと愚かな過去の人生を振り返る時の空しさ。

そんな人に出来ることは、人を誉める、人を誉めること。己の人間としての空っぽさは、人を誉めるべきところをみつけることによって、埋めることが出来るであろう。

己の中身の無さを、嘆くのであれば、人の中身を誉めればよい。

その時に、気がつけることがやって来る。

建設は死闘、破壊は一瞬。

小手先の策や方法に溺れる。

時間をかけて積み上げてきたものが、一瞬にして崩れ去る。

なんて人間は愚かなんだろう。

小異を捨てて大同につく。

過去をしっかりと省みて、しっかりと未来を見つめて、現実を判断する。

建設の為の死闘を決して無駄にしてはならない。

人間と人間。

歴史は繰り返す。

桜梅桃李。

今を生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(1) |-

わたしという人間の可能性をどこまでも信じて生きるんだ!


わたしという人間。

現実のこの世を人間として生きたい。

更に、より人間らしく、どこまでもわたしらしく。

絶対的な幸福境涯の確立。

己の今という現実を生きることの連続につながる先に辿りつくゴール。

死。

死ぬこと。

「人間」として生まれて、「人間」として死んで行く。

人間が生きている間を人として生きる為の哲学。

それは、己の信心によって生命に刻まれる。

一人の人間として後悔のない人生を、死へのゴールまで生き切るための絶対的自己確立。


独立自尊の人生を。

わたしは、人として人間を生きる人生の『独立自尊を体得したい。

どこまでもわたしの中の根本の哲学に基づいて。

それは、みずからの生命に明かりを灯すこと。

それは、自らの使命に生きることに突き進むこと。

わたしの使命。

わたしの生命を無限に広げて行くための境涯革命。

わたしの人間の中の不可能を可能にする大切な宝。

わたしが人間として今を生きる価値創造。

わたしの哲学は、わたしという生身の人間が、現実の世界を人間として生きられる。

それは、わたしという人間をどこまでも、どこまでも信じきること。

わたしが私らしく生きる

煩悩即菩提。

衆生所遊楽。

楽しみたい!

誇らしく生きたい!

私は、わたしという人間を楽しむために生まれてきた。


苦楽共に思い合せて・・・。

「おとうちゃん!」

ありがとうね。

これからも一緒に生きて行こうね!

桜梅桃李。

今を生きる。




人間 | Trackback:(0) | Comments:(4) |-

65点の人間が完成された独立自尊の人生を歩める哲学


わたしは、ネットで釣りをする人が大嫌い!

0点なんかじゃ許さない♪

100点とるひと大嫌い♪

知っているのに ワザとまちがえる♪

65点の ひとが好き 好き 好き♪

恋人試験/松本ちえこ



「知っているのに、わざと間違える」っていうのが、とっても懐の深い大人の人間を感じる。

人間に100点満点なんて絶対にいらない。

いてたら気持ち悪いし、そんな人には、誰も近寄ってこないんじゃあないかな?

だから、知っているのに、わざと知らん顔をして

この世の道理を語る。

ええ加減の世の中で満足する。


世の中の不幸な人は、不幸のかずを数える。

世の中の幸せな人は、幸せの数を数える。

人生を生きる人間の幸・不幸なんてそんなもんだ。

幸せも不幸せも、ほんのすぐ隣にある。

今が幸せと思えば、幸せ。

今が不幸と思えば、不幸せ。

メーテルリンクのチルチルとミチルの「青い鳥」。


辛いという文字に、横棒を一本足せば、幸せになる。

簡単なこと。

幸せを数えたら、片手にさえ余る♪

不幸せ数えたら、両手でも足りない♪




昔の人は、不幸だった。

でも、今は、もっと不幸だよ。

そんなことを嘆く大人は、幸せかい?

いつの時代も、何も変わらない。

変わってなんかいないんだよ。

ホントはね♪

でも、そんなことを信じる人間はいないね。

信じるか、信じないか?

信じなくても、信じても同じことさ。

確かな哲学は真理を告げる。





人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

a human being 【人間】が生きる局面


a human being、現在進行形を生きる人間


確かな哲学によって、生きることは、常に、現在進行形。

Being

a human being。  

人間。

もう、この哲学の前では、過去形で語る人間にだけはなりたくない。

己の中の自己満足な過去形の話など、現実と未来を生きる哲学には不要。

さあどうする?

現在進行形の今、何かを成し遂げようとしつつあるその現実。

現実を現在進行形で、構築しようと思えば思うほど、未来を選択するために、現在を生きる事を乗り越えるための局面がやって来る。

現実に対する局面を、言い訳がましくやり過ごす、本当に必要な時に、確かな哲学を使う事の出来ない生命では、あまりにも、愚かすぎる。

局面に気がつく事さえ出来ず、確かな哲学を己の中で殺す惰性と怠慢と傲慢。

現在を生きる為の局面。

その時の選択肢はいくつあるだろう?

選択枝は多ければ多いほどいいのだろうか?

それとも少なければ少ないほど、未来を形作るための、現在を生きる進行形である、今と言うこの一瞬をより正しく、正解へ近づけるための答えを出せるのだろうか?

選択枝が多ければ、多いほど、知恵を得る。

進むための選択枝が、少なければ少ないほど、一念と執念を燃やす勇気が要る。

現在進行形を生きる人間の本当の幸せとは、人生の最後の生と死の瞬間にやって来る。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

思いやりと寛容を兼ね備えた鈍感さ敏感さ:中庸


鈍感な人間に、迷惑する(?)のが、敏感な人間の常。

世の中の、鈍感な人間と敏感な人間。

世の中で、迷惑といわれるのが、鈍感。

鈍感からすれば、敏感ほど面倒くさいもの無い。

敏感な人間の神経質さと心の狭さ。


『鈍感力』渡辺淳一

敏感な人間の刺棘しさ。

鈍感な人間の薄っぺらさ。

その薄っぺらでも生きていける図々しさ。

それも、1つの美点?。

生き方の個性。

溶け合わない鈍感と敏感が、溶け合うために必要なもの。

敏感さの中に鈍感さを求める。

鈍感さの中に敏感さを求める。

敏感さを求める中に、磨きをかける鈍感さは、

人間として、より質の高い大人社会を構成できる要素。

鈍感な社会に、反応しやすい敏感な人間。

敏感に感じるとるこの世の生き方の辛さをオブラートで包むためには、敏感なアンテナの中に、鈍感という寛容を養うこと。

人間の心を理解しようとするための思いやりと寛容。

そのバランスのとれた中庸さを得るために必要な【もの】

この記事の鈍感と敏感の評価、中庸にまとまってるかな?

桜梅桃李。

今を生きる。




人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

ゼロ(無)とゼロ(無)の間を生きる人間:知る「者」と知らざる「もの」


人間というものは、生まれると同時に大事なものを失いながら生きている。

人間というものは、何もないところから生まれて、何もないところへ死んで行く。

何もないところから出てきて、何もないことところへ去っていく。

所詮、人間が、人間のために作り出したこの世の方便なのかだから。

残るのは、現実のこの世?

それとも、過去?

それとも、「あの世」?


何もないところって?

人間にとっては、なにもないところ。

今、生きているお前に、何かある?

生きていることの意味。

「ゼロ」から、「ゼロ」へ。

永遠に続くの?

「ゼロ」と「ゼロ」の間を生きている人間。

その人間に一体、何の意味があるというのか?

100パーセントの命の誕生の瞬間から、人間として宿される命と業。

その瞬間から、大切なものを失い続ける人生が始まる。

失い続けながらいき続ける人間。

もう、既に、多くを失い続けている。

失うもの。

「時間」とこの世に与えれれた「命」。

人間にとっての時間と命は、この世に生きるもの全てに適用される。

「無」いものを人間は、「有」るものに変える。

時間は、この世に生きるものに必要。

人間にとって、この世の命は有限。

限られた命。

その限られた命を図る意味。

人間が、時間をはかるのは、人間がこの世で生きることの残り時間を数えること。

残された命の大方を知るために、暦をめくる。

人間は、マイナスに向って生きていくことを宿命付けれる。

人間。

人間として生まれて、この世に生きているのに、永遠にこの世に行き続けることの出来ない人間。

自然の摂理に反する人間が、負い続けなければならない業。

一体、なぜ故に、前向きに生きているのに、その最終的なゴールは、「死」という、この世とおさらばすることに向うことなのだろう?

「寿命」というものが無ければ、人間や動物は、生きては行けない?

「なんじゃあー、そりゃあ?」

そんな矛盾はあるかもしれない。

じゃあ、今の長寿社会は、人間が作り出した、人間に対する罰社会なのか?

みんな幸せに老後を送っているか?

苦しみながら老後を生きることの、この超高齢化社会というものは、本当に幸せな社会か?

長生きすることを幸せとしていることを謳うことの世の中の歪に見える社会と人間の矛盾は、その解決できないところに、本質的な不可能が見え隠れしている。


不老長寿は、人間が生み出した善か? それとも、悪か?

社会とは、この世とは、まさに人間が、合わせ持つ、善と悪そのもの全てを映しだす。

100パーゼントの姿で生まれてきて、100パーセントの姿で、死んで行くのか?

100%与えられた、時間と命を、すり減らすだけのすれっかれしの出涸らしの人生をおくるのか?

生きることと同時に、大切なものと引き換えに、何を得ることが必要なのだろう。

人間が人間として、この世に生きることの存在理由。

お前は、何者?

何もないところから、何もないところへ。

じゃあ、この世の此処に生きることは何?

この世は、何もないところから、何もないところの、一体、どの地点にあるの?

此処もなにもないところ?

無いのに、必死で、意味を作り続ける、無意味な人間の存在に、その意味の真髄がある。

マイナスをプラスに転換するこの世で必要な【もの】。

生きることは、この世の人生を「チャラ」以上に変えることの闘い。

知る「者」と知らざる「もの」。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

Copyright © 桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳 All Rights Reserved. Powered By FC2. 
skin:桜梅桃李:今を確かに生きるヒント