「人間」を生きる「人の道」:人生


人は何の為に生きるのか?

人間という姿で、私という人を生きる道。

人生。

このことを間違えてはいけない。

今というこの瞬間。

「人」が「道理」に基づいて「人間」を生かせば、問題は起こらない。

己の人としての心に道を敷く。

心の師となるもの。

社会や組織においては、歯車としての物の役目を果たすための性能を究め、そこに人間味を付け加える。 

職場においては、常に問題意識を持つこと。

桜梅桃李に生きる人の個性を人間として発揮する。

その道理。

そこに人の問題があるからだ。

その人の問題に真正面から取り組む。

それの闘い。

人間を革命する戦い。

生命。

それは、一人ひとりの今を生きる姿にあらわれる。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。


人と会うのが苦手な人の大半は、相手と打ち解けるのに時間がかかるものだが、それは出会いの一瞬に相手に対する親愛の情を示さないからだ。

斎藤茂太(さいとう・しげた):1916~2006精神科医・著述家





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本当の人に巡り合う旅:桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳


本当の人と何人に巡り合うことができるか。

人生とは、本当の人と出会う為の旅。

人は旅人。

人間は現実を生きる旅人。

本当の人に巡り合う為にいつも本当の自分でありたい。

仏の心で巡り合う旅。

妙法で生きる。

桜梅桃李の人生。



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人生は、夢は己の手で開く「明けない夜は無い」


必ず夜は明ける。

明けない夜は無い。

真っ暗な夜道も、時間が経てば必ず、明るくなってまた、道を進むことができる。

季節は春から夏へ、夏から秋へ、そして、秋から冬へ、冬から春へ。

「冬は必ず春となる」

宇宙の法則と自然の摂理。

しかし、その言葉が、そのまま通用する程、人生は都合良くできていない。

自ら行動しない人間には、人生において夜明けなんて絶対にやってはこない。

また、「心」に冬が春となることもない。

冬のまま、真っ暗なままに生きていかなければならないということなのです。

気休めに、現実から逃れるために、そんな言葉使っても、何も変わらないし、余計に惨めになるだけなんだよ。

人生の夜明けと、春は、己の変わろうとする前向きに生きる、現実に命をかけるほどの戦いの後にやってくるもの。

戦わないものに、人生の黎明はやっては来ない。

人生は、夢は己の手で開く。

桜梅桃李。

今を生きる。



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「ほっとけ、おれの人生だ!」:桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳


ほっとけ、おれの人生だ!

ほんとに、そうだ。

誰が何と言おうと、わたしは誰かの人生を生きているのではない。

わたしは、私の人生を生きているのだ。

「ほっとけ!俺の人生だ!」

何度も叫びたい!

あなたの人生じゃない!

わたしの人生なんだ!

桜梅桃李。

今を生きる。





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人の悪口を言って生きるのも一生:人生


反面教師だ。

動じない。

決めたんだ!

私の生き方。

一人でもいい。

一人になってもいい。

一人から始まる。

一人で終わる。

その間の私の生きた時間。

もう、自分の生き方は変わらない。

誰が生きる人生でもない。

私が生きるための人生なんだ。

桜梅桃李。

今を生きる。



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桜梅桃李の誓い:余計な笑顔はもう要らない


もう、余計な笑顔に頼らない。

媚びる事だけがあなたの人生。

なんていう弱い生き方。

わたしを信じる。

信じる心。

妙法。

最高に今を生きる法。

桜梅桃李。

あなたが自分らしく生きたいのなら、恐れなくていい。

あなたの無意味な笑顔には、何の価値もない。

ただ、気持ちが悪いだけ。

今を懸命に生きているあなたは、自分の心に素直に生きればいい。

そのままのお前でいいんだよ。

もう、ピエロはやめて!

妙法。

桜梅桃李に生きれるから。

『ほっとけ、俺(オレ)の人生だ!』『何か文句ある?』

正解だよ。

その通りだよ。

それでいいんだよ。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。





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【人生】:あきらめの人生、勘違いの生き方


歳を重ねるだけの人間にはなりたくない。


人に説教じみたことを言う人間にはなりたくない。


年を積み重ねただけの「タダの説教」というのは、訳わかんない。


今を生きている意味が、常に明日の価値を高める。


そんな風に生きている人間にとって、何の変化も無い生き方を宗教のような説教を聞くのは、堪えられない。


それは、あきらめの人生を悟ったただのお話。


そんなのは哲学でもないんでもないね。


勘違いの人生。


人間が物として生きる人生は、どこまでも利用される運命にある。


自己不在の人生。


もう、今という時間をただ浪費するだけの人生。


そんなことを延々と説教してる。


全くわからないよ。


そんな人生を無限の可能性を秘めた人間が生きることに、全く意味をなさないことを繰り返すことが理解できない。


価値。


何の価値があるのだろう?


タダの合理主義ならコンピューターに任せておけよ。


人間の存在価値を失わせるような説教に何の価値があるん?


人間は人間。


物に人間を当てはめようとして、簡単に生きようなんて虫が良すぎない?


1+1=2でよかったね。


人間を否定する生き方が正しい生き方?


人間を否定して、人間らしい生き方が出来るはずがない。


それじゃあ、人間として生きている価値は無いというわけね。


あほらし。


わけのわからないことをわかったように言葉を並べれば、わからない人間は、わかったようにすり寄ってシンパしてますよ。


何にもわかっちゃあいない。


人間なんて、なんにもわかっていなくくせに、さも、わかった口をきく。


バカだよね。


ホント、どこまでも人間は馬鹿。


どんな人間も解することなんてできない。


人間に出来て、人間にできないこと。


信。


人間が人間であり続ける事。


信。


バカには、一生見えないよ。


今日も意味の無いことを書いてしまったよ。


やっぱり、わたしは、馬鹿だからね。


まあ、わたしのメモだから、気をモメないでね。


人間の世界は、馬鹿騒ぎの世界。


馬鹿だね。


バカだから。


まあ、馬鹿ほど、可愛いし。


馬鹿は偉いし、馬鹿は天才だし。


ん?


要するに、馬鹿は愛すべき人間。


もっとも優れた人間の称号は、馬鹿。


だから、バカボンは、愛される。


馬鹿だけどね。


でも、馬鹿になりたいよ。


世の中には、馬鹿になれない「ろくでなし」とい人種もいる。


そんな人のために馬鹿は頑張っている。


みんな、馬鹿になろう。


どうせなるなら、大馬鹿者って言われたい。





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地獄と天国・天使と悪魔


己の自己確立ための変化には、必然的に、常に新しいものと対峙する事になる。

それは、己にとっての壁。

その壁を傲慢によって、己の愚かさを映しだす壁とするか?

それとも、その壁を謙虚さによって、変化を実現させるためのクリアしなければならない、己に課せられたハードルとするのか?

その瞬間にも、その無意識な選択が、己の中の哲学の現在の完成へ向うその進捗率を知るために、試されている。

この哲学の油断ならないところは、まさに、一瞬にして、己を天国から地獄へ突き落とす事が可能。

見えない己の生命のその両方を兼ね備えた天国と地獄へ振り分けする事の出来るぽっかりと開いている、その左右の矢印を示す分岐点。

見える?

見えない?

そこにさえも、分岐点がある。

哲学に基づいて、今を生きるということは、常に、変化と堕落へ、向う一瞬の生命がその選択に映し出される。

その間にある、停滞とは、堕落と何一つ変わりはしない。

確かに生きる変化を求める哲学に、中間と言うものは、無い。

中途半端な結果を望むものは、変化など求めたりはしない。

変化を求める確かな哲学には、中途半端な答えなど、ありゃあしない。 

己の持つ「天使」と「悪魔」が、そこににょっきりと顔だす。

天国と地獄。

天使と悪魔。

それらは、どこかにあるものでもなんでもない。

全部、「おまえそのもの」のなかにある。

己の変化には、不安と迷いが、襲い掛かる。

それは、天使の仕業か?

悪魔の仕業か?

それとも、地獄への入り口か、天国へむかう誘導線か?

しかし、その不安と迷いは、確かに訪れる変化の兆しと証。

変化は、不安を求める。

変化は、迷いを求める。

変化は、悩みを求める。

確かな答えにたどり着くための、確かな哲学。

その確かな哲学をどこまでも信じる。

信じる事が強ければ強いほど、天使が微笑む。

己の生命の天使の領域。

確かな知恵。

導かれた結果の知恵によって、確かな結果を「己の中」に残す。

そして、己の人間として現実を生きる自信に変え、己の信じる哲学よって、己の中で形作られる自己確立為の材料とする。

信じる哲学を己の哲学へと集大させる。

己の今の生命に基づき、その心によって、実践と検証と実証によって積み上げられた己だけの哲学。

私の生きる「道」を作り上げる。

私だけの道。

生きた証。

そこには、与えてくれたものに対する全ての報恩感謝がある。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。





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【ゆるい人生】と【ガバガバ人生】と【オマケ】的人生


家庭があるのに家庭の無い暮らし。

宗教はあるのに、そこには、愚か者たちの互いをののしりあう声。

宗教活動は、何のため?

その矛盾を感じ取る子ども。

両親達の醜い姿に、信仰の形の欠片も感じられない思いを、子が見るに見かねて意見をするのを、親は、親の都合で聞き入れてはくれない。

この人たちに、宗教は、一体、何の意味があるのだろう?

理解できない両親の姿に見える矛盾。

その宗教の本当の姿を、見ようとしていたのに、見えなくさせてしまったのは、一体、誰?

そのような家庭に生まれ、その宗教を与えられたことの不幸。

幸福になるはずの宗教が、己の人生の不幸を選択するための宗教に変わる。

この宗教を必要な時に、自らの意志で求めたかった。

正しい信仰を己の意志で授かり、その信仰で生命を開き、真っ直ぐな人生を歩みたかった。

両親の姿に映るその「本物の宗教」は、その両親の宿業によって私の心にどれほど歪んで映って見えていたことであろう。

生命の絆を結ぶための家庭の和楽を、その人間の最も大切なものと気がつくことの出来ないその生命に、映し出される宗教は、何一つ力の無いものとしてしか私には、映らなかった。

本物の宗教を、その両親の姿によって、歪んだ宗教変えて映しださせるのは、一体、何の罪なのだ?

誰の罪なのだ?

お前が、「意味のある無駄」な人生を送らなければならなかったその原因と理由は?

宗教とは、親から受け継ぐことが最高であることに違いない。

しかし、その両親に信仰心というものが生命に開かれていない宗教を、子が受け継ぐことの不幸。

宗教を選択するのは親の判断。

その信仰を与えるのは、親の責任。

その責任を己らのその信仰者としての姿に映し出せない己らの深い宿業による無責任。

その親の無責任で与えられた子の不幸。

それは、回り道を覚悟しなれければならない人生を送ることを自動的に決定付けることになるのかも知れない。

しかし、

その回り道の人生を決定付けている本当の答えは、「お前自身の宿業」なのだ。

しかし、

己の宿業なるが故の全ての現実の苦しみを、与えた親の責任に擦り付ける生き方をする者がいる。

お前。

幸せになる宗教によって、親を恨み、その宗教を批判する。

そのどこまでも深い、深い因縁と、更なる業の深さ。

泣き叫べ!泣き喚け! 怒れ! おこれ!

誰を責めたとて、その間、お前は人生を後ろ向きに歩かなければならない。

暗い、明かりを灯すことの出来ない無明なる人生。

その深い因縁による不幸を、おまえの人生のどん底でそのことを気がつければ、幸せ。

気がつけないものは、この世に本当の明かりが灯ることの無い人生を終えることになる。

その宿業の深さを、更に知らねばならぬことを、知らずに終わることになる。

正しいものによって不幸になることの惨いまでの、凄過ぎる意味の深さ。

どこまでも、どこまでも哀れ。 

哀れ。

お前の哀れを、幸せと勘違いする人生は、もう言葉も無い。

愚かを知ることの出来ない哀れな人生。

勘違いの人生でも、まあ、いいか?

「知らぬが仏」なんていってるくらいだから。

「ゆるい人生」もいいのかもね♪

ゆるいのを通り越して、「ガバガバ人生」。

そうなれば、人間の生き方を知ろうとすることから離れていくことは、そこには、もはや救う余地は、もう無いのかもしれません。

ガバガバなのだから、救えるはずが無い・・・。 

人間を救うのは、その人間自身。

でも、そのような人たちは一体、何のために存在するのだろう?

意味がある。

「オマケ」

この世でお負け的な生き方をしたい?

「お負け」

そうかな?
  
2010/1/12

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生涯学習:「人として人間を学ぶ人生」


2009年8月8日:今日の「名字の言」

創価大学通信教育部の夏期スクーリングが、9日からスタートする。今年も多くの学生が集うことだろう。

高齢社会の現代日本。学び続ける中に生き甲斐を見いだす人も増えている。だが、社会人学生の割合は、欧米に比べると1割程度だという。そうした中にあって現在、世界36カ国・地域の2万人が学ぶ創大通教は、「生涯学習」の時代をリードする存在となっている。

その開設(1976年)について、創立者の池田名誉会長は「(創大の)第2の開学」「両先生(=牧口・戸田)への報恩の慶事」と述べている(「学光」400号)。

1907年、創価教育の父・牧口初代会長は、埼玉・川越での演説で女子教育の重要性を力説。“より広範な人々に教育の機会を”と、女性向けの通信教育事業に専心した。戸田第2代会長も、雑誌「小学生日本」の通信添削や英語・数学の通信教授など、通信教育に力を入れた。戦中戦後の暗い世相の中で、子どもたちに“学ぶ喜びの光”を送り続けた。

万人に開かれた教育を!――二人の恩師の悲願を、名誉会長は通信教育部という形で結実させたのである。三代の師弟の志の結晶である創大通教。夏のキャンパスで、向学の情熱を燃やす友に、心からエールを送りたい。(修)

【聖教新聞】 「名字の言」より




生涯学習

人として人間を学ぶために。

己の生命を磨き、高めることを目的とする信仰者にとって、生きている限り、この世は学びの世界。

無限に生きる為の知恵を湧き出だすための世界。

人生。

桜梅桃李。

今を生きる。




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「この世」は一回きり、死ぬも生きるも命は一つ


己の目的に向かって不惜身命、死ぬ気で生きる。

そんな強い気持ちが必要なのだ。

法律を犯すことを恐れる臆病さ。世間を気にして恐れて何も出来ないことの器の小ささ。

あんな人間になってはいけない。

こんな人間のまねはしてはいけない。

やってはいけない、してはいけないで、人間が生きていけるか!

私は人ではない、人間だ!

誰でも自分に言い分けして生きている。

赤信号みんなで渡れば怖くない。

みんなで渡ることと、一人で渡ることと、何が違うのだ。

数の多さを言い訳にして、正しいと納得して生きているだけなのだ。

そんな窮屈な生き方の何が楽しいというのだろう。

究極的に確立された己の宗教に従い生きる。

それこそが人間が人間らしく生きることの究極ではないのか?

それこそが人に近づける道理ではないのか?

人間が生きることは、己の信仰心に従い、生きたいように生きることなのだ。

人になれる哲学。

「この世」は一回きり。

死んだら終わり。

死ぬまでが勝負。



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全ては己が何者かを知る為にある:自分とは?


人からどのように思われようと、

人からどのような仕打ちを受けようと、

人からどんなに嫌われようと、

私は、結局、その相手から、私の存在を気付かせてもらっている。

私の中の大切なものにたどり着く為の宿題を与えられている。

私は、学ばせてもらっている。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。



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