母へ、一番苦労した人が一番幸せになる

new-zealand-2656619_640.jpg

母の姿。

それは、無だ。

何ものにも動じない。

己の生きる姿全部をありのままに受け止める。

私が生きてきた道。

振り返ってみる。

これが道なのだろうか?

道を歩いてきた。

兎に角、私の生きてきた道がある。

そして、これからを生きていく道。

人間を生きる道に必要なもの。

「真心」や「愛」「情」という言葉は、死語になってしまうのだろうか?

心は、私という人間を動かすためのだけの道具ではない。

真心、愛、情。

人を生きようとすればするほど、深くなる。

人生を純粋に生きようとすれば、そこには愛が必要になる。

人をどこまでも信じる心。

人間の未熟さ、不完全さ。

現実をより正しく人間として生きているかどうかを自己に問い続ける人としての人生を生きる。

人間として正しく生きるための人としての生き方に道理を求める。

人は、仏にも神にもなれる。

わたしは、幸せ。

家族。

幸せに出来る家族がいる。

苦労に苦労を重ねてきた母。

一番苦労した人が一番幸せになる。

いや、ならなければならない。

絶対、もっともっと幸せにね。

人(他人)の不幸の上に、自らの幸福を築いてはならない。」

正しく生きていれば、正しい答えがでる。

人としての道理だ。

「人間」の生き方を「人」として、推敲に推敲を重ねる毎日。

人間が人として、この世で当たり前に生きれることを生命に説く法なのだ。

桜梅桃李を生きる。




家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

父へ:「たくさん泣いたよ」


父へ。


たくさんの悲しみをありがとう。


たくさん泣いたね。


泣いた。


悲しみよ。


いつか、また、悲しみは必ずやってくる。


あなたが亡くなってから、もうすぐ2年。


3回忌だ。


5月23日。


二年。


やっと2年。

もう、2年。


いつもあなたに対する感謝の思いを忘れない。


忘れないよ。


泣いた分だけ強くなった。


悲しみを経験した分だけ、幸せの形を知ることが出来た。



あなたのおかげ。


おとうちゃん。


元気?





家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

母へ:囚われの身から自由な貴方自身へ


組織の人間として、組織の言われるままに生きてきた母。

何かがおかしいよ。

何かが間違っているよ。

母よ。

あなたの信仰とはいったい何なの?

もう、組織の為に生きないで!

組織を利用しないで!

組織に利用されないで!

ただ、一人大切な人の為に生きてほしい。

幸せ。

本当の幸せ。

あなたの本当の役目は何?

母として、人間として。

今を生きる価値。

これまでを生きてきた価値。

これからを生きる価値創造。

貴女の安住の場所に居続けるために創価という組織にすべてを捧げてきた人。

母へ。

母よ。

組織に対して身を粉にして活動してきた。

貴女の信仰とは一体、何なのだろう?

父は死んだ。

そして、残された家族。

私達が生きてきた道。

信仰があるゆえに苦しく辛い人生。

信仰があるがゆえに、苦しく辛い人生を真正面から受け止めて生きてきた。

宗教という組織は、一人の人間が、一人の人間として、世の中、社会を生きてく方法を導くためにある。

人間を信仰によって宗教の奴隷にするために組織があるのではない。

もう、いいよ。

もう、いいんだよ。

母よ。

桜梅桃李。

「今」を生きる。



家族 | Trackback:(0) | Comments:(2) |-

【父の一周忌】:私らしさの最上級を生きる「桜梅桃李」


お陰様で、父の祥月命日である一周忌を無事に終えることができた。

今日も一日、わたしのなかには、父の存在がある。

その日、お墓参り行ったときに、父が出迎えてくれた。

父の墓石にいた小さなアマガエル。

こんなところにアマガエル?

まあ、いてもおかしくなない。

しばらくして、そのアマガエルは、父の墓石に刻まれた文字のへこみのある場所に動き始めた。

そこには、家名の文字の下に、「桜梅桃李」と刻まれている。

その小さなカエルは、桜梅桃李の「李」の文字の凹みの中に入り、顔をこちらに向けてしばらくじっとしていた。

お墓に家族みんなが手を合わせている間、そのカエルは、あたし達をじっと見ていた。

しばらくするとそのカエルは、墓石から姿を消した。

父だ。

父が、姿を変えて挨拶をしに来たんだ。

桜、梅、桃、

そして、父は、「李」の文字に。

桜梅桃李、この4つも文字の意味にあるように、あなたらしく一生懸命生きた父。

お父ちゃんが亡くなって一年だね。

ありがとう。

あたしは、これからもいつもお父ちゃんに元気な姿を報告できるように頑張るから、いつも見ててね。

わたしらしさの最上級を生きる「桜梅桃李」

生きるよ!

きっと、約束するよ。

いつも応援してくれてありがとう!

桜梅桃李。

今を生きる。



家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

父との約束「桜梅桃李」を生きる


お彼岸に、父のお墓詣り行った。

もう、すぐ父の一周忌。

会合の席上、信仰体験をお願いされた。

かと言って特別な信仰体験というものはない。

でも、父が亡くなって、そろそろ一周忌を迎えるにあたり、これまでを振り返るとても良い機会だと思い、快く承諾させて頂きました。

その内容をメモとしてのこしておきたいと思います。

【父との約束「桜梅桃李」を生きる】

梅、桃の花が咲き、桜も開花し始めた。

満開の桜もすぐ。

「桜梅桃李」

桜(さくら)、梅(うめ)、桃(もも)、李(すもも)の4つの文字を合わせた言葉。

それぞれの花を咲かせる絶対的な個性を意味する言葉。

それは、どんな人にもその人でなければ、発揮できない素晴らしい個性と役割、使命があるということを例えたもの。

この言葉は、今は亡き、父の遺言であり、父と私の約束。

先日の聖教新聞、「随筆 我らの勝利の大道(だいどう)」に掲載されていた「前進!希望の春へ」

から内容の一部を抜粋。


一切の勝利は祈りから。

南無妙法蓮華経と唱うるものは、「我が身宝塔にして我が身又、多宝塔如来(たほうにょうらい)なり」

人間は誰しも、「自分」から逃げるわけにはいかない。

どこまで行っても、自分は自分である。

この自らの生命をそのまま磨いて、最も荘厳な宝塔と輝かせ、最も尊極なる仏の力を湧現していけるのが、妙法の題目の音声(おんじょう)である。

人生の険しい道を勝ち進んでいく為には、いかなる困難にも負けない自身へ、強く成長し、境涯を広々と開いていく以外にない。

そして勇気を、知恵を湧き出だして誠実に行動することだ。

人間革命とは、自分のいる「その場所」から始まる。



と書かれていた。

御書に曰く、

「此の御本尊、全く余所に求むる事なかれ」

「南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」とある。

人間の最高の生命を引き出せる究極の哲学である妙法。

父との約束である「桜梅桃李」を「私自身のままで」最高に生き切ることの出来る信仰。

「願兼於業」

自ら望んで生まれてきた。

「衆生所有楽」

私は楽しむためにこの世に生まれてきた。

この姿と生命を望んで生まれてきたのだ。

妙法を根底にした人間革命の思想。

仏法を根幹とする妙法哲学によって得た信心。

現在の私が「今を生きる」ための根本にあるものは、この妙法哲学であり、南無妙法蓮華経の題目。

過去の数年間、生きることの全てにおいて、とても苦しく人生のどん底にあった。

しかし、どん底で、自らの信仰に目覚めることが出来た。

そして、今、生きることの全てが苦しかった肉体と精神の「死の淵」、そのどん底から這い上がり、2度目の人生を与えられたという思いで生きている。

「人生の病根は傲の一字」という言葉。

傲とは、「傲慢」。

大切な人への「報恩と感謝」を忘れ、謙虚さを失った人間の「傲慢さ」こそ人生を破壊に導く病の根源。

苦しかった私の過去の「生と死」のどん底で、知った自身の中の病根。

それが傲慢である。

自身の宿業の深さを痛感する日々に、現実を生きている自分は、今どこにあるのかということをを問い続けてきた。

そして、生きることのどん底で見つけた確かな灯り。

創価によって授かったこの信仰を、人生のどん底で、やっと自らの信心として、そのあかりを生命に灯すことが出来た。

まだ、まだ、毎日の現実は、厳しく乗り越えなけれならないハードルだらけの生活である。

しかし、自身の境涯革命の為に、妙法という確かな哲学に基づき、現実を生きることの毎日でもある。

父は、昨年5月、享年80歳で亡くなった。

間もなく父の一周忌を迎えようとしている。

父は、まじめで、口数が少なく、おとなしい人でしたが、人前ではいつもにこやかで笑顔を絶やさない人でだった。

父の好きな言葉であった「桜梅桃李」は、私が「今を生きる」父との約束であり、誓いでもある。

晩年、亡くなるまでの父の信仰者として姿は、とても立派だった。

父に信仰の上で私が、意見をした時に、父は、絶対に「学会」から離れてはこの信心はないんだよということを常々語っていた。

聖教新聞の毎日読了を始め、御書の3度の全編読破、組織においてはブロック長をつとめ、学会活動に熱心に取り組み、地域活動へも積極的に参加していました。

父が二度目の脳溢血で倒れたのは、去年の新年が明けて間もない1月14日だった。

一度目の脳溢血では、後遺症も無く完治することが出来た。

しかし、1年半年後、再び、脳溢血で倒れた。

今度は、脳幹部からの出血によるものでとても重篤なものだった。

自力での呼吸もままならない意識不明の状態。

どうして?

どうして?

なぜ?

その時、頭の中で湧いてくるのはその言葉ばかり。

その日を境に父の2度目の闘病生活が始まった。

脳溢血で倒れた父の131日間の闘病生活は、最後の最後まであきらめずに、懸命に自分の命を懸けて戦い抜いた131日間。

父にとってどんなに辛くて苦しい戦いであったろう。

そして、父と私たち家族にとってのひとりひとりの信仰をかけた信心の闘い。

父が懸命に病と闘っている姿から、精一杯「今の私にできる」ことを祈る。

毎日、病室に通い、父の奇跡を信じた。

懸命に命を懸けて戦っているその生命力を信じた。

父の姿から今を懸命に生きる事に対する勇気をもらい続けた。

父は、最後の最後まで戦い抜いた。

脳幹出血という無意識の中で、父の自らの命をかけた131日間の戦いに、信仰者のして生き様、証を見ることがでた。

臨終の日、父の危篤の知らせを受けたその時。

病院に先に駆けつけた姉から、なんども私の携帯に連絡が入った。

わたしが、仕事場から父の病室にかけつけるまでの間、、2度、呼吸が止まったと後で母から聞いた。

しかし、不思議にそのあとまた、呼吸が戻ったという。

わたしは、ただ必死で病院へ向かいました。

危篤の知らせを受けて、私が病室に駆けつけるまで父は最後の命の炎を燃やし続けてくれた。

そして、病院へ駆けつけたその直後 父は息を引き取った。

「父は私が来るのを待って入れくれたのだ」とそう感じた。

静かに息を引き取った父の顔は、とても安らかだった。

131日間を命を燃やし続け懸命の戦い抜いた父。

にこやかな笑顔を見せる父の遺影は、とても誇らしげに映り、残された私たち家族に、毎日「頑張れよ」のエールと勇気を与えてくれる。

今、信仰者として強く生き切った、父を誇らしく感じる。

亡き父への「報恩と感謝」を忘れず、残され家族が力を合わせて生きていくことを誓う。


祈り

それは、あきらめない勇気だ。

自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ!

現状は変えられる!

必ず!

確信の命の底に刻む作業だ。


祈り

それは恐怖の破壊なのだ。

悲哀の追放なのだ。

運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。

自らを信じよ!

卑下するなかれ!

卑下は仏法への違背だ。

胸中の仏界への冒涜だからだ。

祈り。

それは、我が生命のギアを大宇宙の回転に噛み合わせる挑戦だ。

宇宙に包み込まれていた自分が、宇宙を包み返し、全宇宙を味方にして、幸福へ幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ。




真剣な祈りとは、一念であり執念。

現実をあきらめない勇気だと感じる。

私の中の不可能を可能にすることが出来る仏の生命がある。

今を生きることの全てがこの妙法にある。

全ては、題目にあるのだというのが、私が私らしく、父との約束である「桜梅桃李」を生きるための根本。

父のお墓は、交野にある関西創価学園の麓にある。

父が眠るその墓石には、「桜梅桃李」の4文字が刻まれている。

自分らしさの最上級を生きるための私と父との約束。

「桜梅桃李」

所願満足の人生の為に、感謝と報恩を忘れずに「今を生きる」ことを実践していきたいと思う。



家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

一年前の今日、1月14日に父は脳幹出血で倒れた


一年前の今日、父が2度目の病に倒れた日。

1月14日。

去年のその日は、土曜日だった。

真冬の寒いの午後、父は自宅から近くのカラオケ喫茶に行った。

父は、カラオケが大好き。

歌を歌うことが大好きだった。

しかし、その日が父が歌を歌う最後の日になった。

もう、一年が経つんだね。

あの時以来、父と話すことはできなくなった。

脳幹出血で意識不明の状態。

意識は戻ることなく、父は、100日を超える闘病の末、帰らぬ人となった。

もう、一年。

一年。

お父ちゃん。

新年が明けたよ。

お墓もできた。

今を生きているよ。

色々あるよ。

一つの悩みや苦しみを越えたと思ったら、また、次の悩みがやってくる。

しんどいなんて言ってたら、すぐに置いてけぼり。

・・・・。

何が置いてけぼりなのかはわからないけどね。

なんでだろう。

大切な物が置いてけぼりにされる。

始まるよ。

また、始まる。

毎日が始まりなんだ。

昨日よりも今日、今日よりも明日。

毎日、約束するよ。

毎日、誓うよ。

毎日、勇気が必要なんだ。

勇気が無ければ約束を果たせない。

勇気が無ければ誓いを実行できない。

忘れるな!

決して忘れるな!

大事なこと。

大切なもの。


家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【父へ】:大切な宝、そして私の誇り

父が亡くなるまでの数年間、父の姿は変わって行った。


父の中の変化。


わたしにこれからの人生を生きるという大切なことを教えてくれた。


我が身をもって。


桜梅桃李の人生。


父らしい人生。


父が生きようとする炎は、最後の最後まで燃え続けた。


父が与えられた宗教と信仰によって、自らの心と我が身の生命に刻み続けた信心。


己を生きる力。


己を信じる力。


己を生き切切る勇気。


父の姿が変わったように見えたのは、私の姿自身が変わったのかもしれない。


父自身の「今」を最高に生きたその姿を映し出す私の心。


その心のスクリーンに映し出す映像は、相手の心を映し出すとともに、私の心の変化に基づいて映し出されてもいる。


互いが互いを高めあう信仰。


一人ひとりの確かな哲学に基づく信心。


己を信じる力。


私の中に、大切なものを大切な物として観ることの出来る心。


人間の中の大切なものに、心の目を向けることの出来る精神。


わたしが、これからを生きていく未来にとってかけがえのない宝。


そして誇り。


わたしが自慢できること。


私の誇り。


お父ちゃん、大切な宝をありがとう。


最高の宝物だよ。


これからを生きてく。


父が生きた証。


私のこれからの生き様。


見ててね。



家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【優しは力なり】:やさしくなれる自信


父は、いつもわたしの中にいる。

笑顔の父。

父は、いつも私の心の中にいる。

父の笑顔。

でも、会いたい。

父ともう一度、話をしたい。

そう思うと、悲しくなって涙が出てくる。

父は、やっぱり死んだのだ。

生きて話ができることは、もうない。

父は、死んだ。

でも、父は生きている。

わたしが生きている限り、ずっと生きている。

わたしの中で父は生きている。

さみしいよ。

人のために灯をともせば、我がまへあきらかなるがごとし

父のお蔭で優しくなれるような気がする。

本当の勇気を教えてくれた。

大切にして生きていくよ。

ありがとう。


家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「敬老の日」と「父の誕生日」


今日、9月の第3月曜、17日は「敬老の日」。

そして、9月19日は父の誕生日。

もう、この世にはいない父の誕生日。

でも、今は、父が生きていた時よりも「敬老の日」に何かしてあげたい、父の誕生日を祝ってあげたいと感じる。

父のことが愛おしい。

この気持ちは後悔のだろうか。

生きていれば、父に対してもっとしてあげればよかったと思うことはある。

でも、後悔だとは思いたくない。

父と一緒に毎日を生きた。

寂しいけど、一区切りついたときに感じた充実感。

お父ちゃん、頑張ったね。

お父ちゃん。

父に対する思いは、父が生きていたころよりも強くなった。

今日は、「敬老の日」。

9月19日は、父の誕生日。

81歳の誕生日を迎える。

妙法。

桜梅桃李人生。

今を生きる。



家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「勇気を貰う感謝の人生」から「勇気を与えることのできる報恩の人生」


背中をシャンと伸ばして生きてごらん。

とても気持ちがよくなる。

元気になる。

人間ひとりひとり。

人それぞれ。

一日一日を生きてきたそれぞれの人生。

良いことも、悪いことも。

良いことばかりの人生。

悪いことばかりの人生。

全部がそれぞれ。

それぞれの生き様。

生まれたばかりの人間。

今を最高に生きている人間。

人生の最終章を生きている人間。

人間を理解することは難しい。

理解しようとするわたしを理解することさえも難しい。

人間一人、人はみんな、人それぞれ。

人間の中の不可能を可能にするものは、一体どこにあるのだろう。

それは、人それぞれの不可能を感じるものの中にある。

その中にある無限の可能性。

面白いね。

人間って面白い。

物に縛られることの無い人間というが持つ無限の可能性。

無限に己自身の人間という価値を創造できる。

人間。

勇気を貰う人生から、勇気を感じてもらえる人生へ

勇気を与えることの出来る人生へ。

きっとできる。

わたしにだって出来る。

だから今を生きるんだ。

感謝と報恩。

謙虚に。

今を生きる事から逃げない。

そして、あきらめない。

桜梅桃李

お父ちゃんとわたしの毎日をいきる合言葉だね。

わたしが今を生きるための宝物が、また増えたよ。

ありがとう。



家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

父が遺してくれた自分を変えることの出来る「宝」


父が遺しくれた宝物。

境涯革命五項目

一、他人に言えば愚痴になる。 ご本尊に訴えれば祈りになる。

一、世法で苦労すれば苦しみが残る。 信心で苦労すれば喜びと福運が残る。

一、感情をぶつけると怨嫉になる。  題目で包容すれば成長できる。

一、方法ばかり考えると迷いになる。 決意して祈ると知恵が湧く。

一、出来ないと決めると出来なくなる。 やろうと決めて祈ると力が出る。



「祈り」とは、「誓い」。

目には見えない何かに「すがる」「お願い」するのとは、違う。

己自身の中に確かに存在する生命への「誓い」。

今日もまた、一歩一歩、進んでいくよ。



家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

私の変わり方:報恩と感謝「おとうちゃん、ありがとう!」


父の49日の法要もお陰様でなんとか無事済ませることが出来た。

「お父ちゃん、少しは役目を果たすことができたかな?」

毎日、お父ちゃんに励ましと勇気を貰っている。

これまで家族の中で何一つ役目を果たすことが出来なかったわたし。

これもお父ちゃんのお蔭だね。

今日からまた新しい一日が始まる。

変わらないといけないね。

もっと変わりたい。

変わり続けていきたい。

昨日から今日。

そして、今日から明日へ。

この先、幾つになっても、どんなにヨボヨボになっても。

今を生きる。

今を生きているこの瞬間を大切にしたい。

生きていられる間。

未来を変えることが出来るのは、今というこの瞬間しかない。

限られた時間とこの空間。

人間が生きること。

わたしを生きること。

わたし自身を生きること。

わたしが生きている理由。

私は、変わりたい。

2度目の人生。

父と一緒に生きてゆきたい。

わたしの中に大きな宝が出来た。

私の中から力が湧いてくる勇気の源泉。

私って何なんだろう?

昨日のわたし。

今日のわたし。

明日のわたし。


父は死んだ。

でも、父は生きている。

父に対する感謝と報恩。

その思い。

その証。

きっと必ず。

過去を傲慢に生きてきたわたし。

今、私という人間は、生きているというだけで丸儲けなんだ。

謙虚に生きる。

お父ちゃん、ありがとうね。

桜梅桃李。

今を生きる。


家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

七月七日「七夕の日」:七七日(ななのか)の49日法要、父が天の川を渡る日

7月7日、七夕の日、父は天の川を渡った。


49日(忌明け)の法要を無事終えた。


満中陰。


父は、仏様になった・・・・。




母は、仏式という昔ながらの形式にこだわった。


父が亡くなり、初七日から七日七日と、六七日までを家族で供養を行い、7月7日(土)に49日の法要をとり行うことになった。


父は亡くなった瞬間から成仏していると思った。



というか、信じてる。


いや、父の131日の闘病の間、既に成仏していたのかもしれない。



わたしにとっては、初七日の法要や、49日、100日といった法要は、亡くなった父に対する供養という意味においては、あまり重要なことではない。


毎日、毎日、父の亡くなった後も私の心の中で生き続けているし、今を生きるわたしをいつでも、どこでも励ましてくれている。



49日の法要は、月が、3か月にまたがると身内に不幸が続くなどどと言って良くないとされる。


父は、5月23日に亡くなった。


49日の法要は、7月7日とした。



5月、6月、7月と3か月にまたがる。




そんなときには、35日を忌明け法要とすることが多いらしい。



でも、わたしは、そんな語呂合わせにちかい迷信など、気にしない。





亡くなった父を見送る儀式というのは、故人の思いや遺志が最も尊重されるべき。




母は、そんな父の思いをくみ取ってくれているのだろうか。




時々、母の気持ちがわからなくなる時がある。




家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

はじめての喪主:父は月に行った


父が亡くなって、もう、すでに10日が過ぎた。

喪主として、父を見送ることになった。

お父ちゃん、わたしは、出来たかな?

お父ちゃんの力で、家族を代表して、なんとか役目を果たせたような気もする。

ありがとう。

おとうちゃん。

たくさん、書きたいことが山ほどあるけど、今を生きているからね。

みんなお父ちゃんのお蔭だよ。

みんながお父ちゃんのことを心から見送ってくれた。

素晴らしいお葬式だった。

お父ちゃんは、月に行った。

今、どこにいる?

そばにいてる?

ずっと、いつまでもそばにいてね。

力になってね。

話したい。

夢に出てきてよ。

わたしに言葉をかけてよ。

今、ゆっくりと私たちのことを見てくれているんでしょ?

まだ、もう少し、私達家族のそばにいてね。



家族 | Trackback:(0) | Comments:(1) |-

わたしの信仰に「もういいよ」は無い:「昨日から今日、今日から明日へ!」


わたしの生き方の哲学に、「十分頑張ったよ、もういいよ。」は無い。

お父ちゃん、頑張ってるね!

昨日も頑張ってたね!

今日もがんばってるね!

最後の最後まで、頑張るんだね!

脳溢血で倒れた父。

病床で意識の無いまま眠り続ける父。

お父ちゃん!

絶対に、わたしは、「もういいよ」なんて言わない。

思わない。

父が、今懸命に生きようとしている。

父が、父の奇跡を起こそうとして、必死に今、自分自身と闘っている。

お父ちゃんが生きようとしている姿。

今、世界中の誰よりも一生懸命に生きている。

ありがとう!

今を生きる事からあきらめないのが、わたしの哲学。

そして、

今を生きようとすることから絶対に逃げないのが、あなたの哲学。

今、その現実をあなたの懸命に生きる姿を通して、私自身の生命に刻む。

わたしの精神に刻む。

わたしの心に刻む。

父という人間。

父の生き様。

意識の無いまま語らぬ父と、対話する。

最後の最後のまで明かりを灯し続ける父の哲学。

父の大きな、大きな仕事。

人生の大仕事の最中。

今を生きることの姿を懸命に教えてくれている父の大きな仕事。

毎日、本当に頑張っているお父ちゃん!

こんなに父が頑張っている。

最後の最後まで、決して命を諦めない。

今を懸命に最高に生きている。

これは、あなたが望んだ大きな大きな使命。

何も語らない父の姿から、こんなにも生きることの勇気を感じ取ることが出来る。

父のことを支えてくださる病院の主治医の先生も、一生懸命に看護と介護をしてくださる看護師さん達もみんなお父ちゃんの頑張りを褒めてくださっている。

父は偉い人。

この世の中で今を一生懸命に生きている絶対的に偉い人。

絶対的な父の姿。

その姿から自分は幸せを感じ取ることができる。

父というあなたのお蔭で幸せを感じることが出来る。

お父ちゃん、ありがとうね。

本当にありがとう。

お父ちゃん、今、最高に輝いているよ。

祈り。

祈りとは?

奇跡。

奇跡とは?

父自身の「祈り」と「誓い」を、今こうして命の限り懸命に生き続けている父の姿から感じ取ることが出来る。

ありがたい。

わたしの信仰はありがたい。

わたし自身の中にある信仰と宗教と哲学。

確かな哲学を築き上げるための信仰と宗教は私自身の中にある。

だから、わたしも祈る。

そして、父に誓う。

父に負けない。

父に恥ずかしくない自分であるように。

祈りとは、誓い。

わたしが私であることを生きるための勇気の源泉だ。

父に対して、今出来る事は何?

父に対して出来る事なんて何もない。

ただ、感謝のみ。

今、父は、父自身を生きている。

命の炎を最後の最後まで燃やし続けている。

父の偉大な生命力。

父の信仰と哲学。

今を生きる父の生き様。

父の「仏(最高)」の生命。

父の姿を見つめ続ける。

毎日、毎日、見つめ続ける。

今、きっと誰よりも一生懸命に生きているから。

わたしの中の父に対する過去のわだかまりの全てが消え去ろうとしていることに気が付いた。

わたしの中の父に対する過去の重荷。

父のことを許せなかった。

父の生き方の弱さを責め続けた。

ごめんね。

本当に、ごめんね。

父は、いつも心の底で、詫びていたんだね。

お父ちゃん、もう一度、話がしたいよ。

もう一度、話したい。

お父ちゃんと、話がしたい。

二人で笑ってあの時のこと、あんなこともあった、こんなこともあった。

話したい。

だから、あなたの奇跡を信じてる。

父自身の奇跡をどこまでもあきらめない。

最後の最後まで信じてる。

あなたを信じるということをどこまでも決してあきらめないわたしの信仰と哲学。

わたしの境涯革命。

互いにあきらめない。

お父ちゃんとわたし。

あきらめないのが、おとうちゃんとわたしの生き方の哲学。

今を生きる。

おとうちゃん、カッコイイよ!




家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

Copyright © 桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳 All Rights Reserved. Powered By FC2. 
skin:桜梅桃李:今を確かに生きるヒント