人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていく:桜梅桃李を生きる


「大事なことは、自分の境涯の革命だ」

「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」


 「13の半分は?」。教師が生徒に尋ねた。「6と2分の1」「6・5」との答え。「そうだ。ほかには?」。誰も答えられない。教師は、「もう答えはない」と思うかもしれないが、「もっと考えよう」と促す。

すると、数字の文字を分けて「1」と「3」。一人が答えると、突破口が開いた。英語の綴り、ローマ数字、2進法で考えたり、黒板に書いた「13」を上下半分にしたり。きりがない。そして、「答えはない」と思っていたのが、思い違いだったことに気付いた(J・フォスター『アイデアのヒント』)。

常識的に考えれば「もう答えはない」と思うだろう。だが、「必ず別の答えがある」と、視点を変えたら、新発見が次々と出てきたわけである。地表から見れば高く見える壁も、空からは、低く見える。一本の線にしか見えないこともあろう。同じように、物事は、とらえ方、見方によって、千差万別だ。プラスにも、マイナスにもなるものだ。

池田名誉会長は「大事なことは、自分の境涯の革命だ」「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」と。必ず道は開ける、開いてみせる――そう心を定め、きょうも朗らかに勝ち進みたい。(申)
(聖教新聞 - 名字の言より)






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どうして現場に血が流れるんだあ~っ!・・・ぁ-?・・・

こんばんは。

名字の言をご紹介します。

 組織では、いい情報は上に上がりやすいが、悪い情報は上がりにくいもの。悪い情報が早く上がる組織は課題に即座に手を打ち、伸びていく。

行財政改革まったなしの今、行革審会長として改革を断行した財界人、土光敏夫氏に再び注目が集まる。氏は生涯、現場主義を貫いた。工場のモーターや機械の音に耳を澄まし、その調子を言い当てることもあった。〝日本一の工場長〟のあだ名がついたほどだ。

上に上がってくる情報は「単色になりがち」という。本来の情報は天然色なのだが、途中であく抜きされてしまう。だから土光氏は言う。「自らの足で現場を歩き、自らの目で現場を見ることだ。現場の空気を味わい、働く人々の感覚にじかにふれる」。それでこそ情報に「色」がついてくる。的確な判断ができる(『経営の行動指針』産業能率大学出版部)。

「学会の強さは、最前線の地区から盛り上がる民衆の力だ」と、かつて戸田第2代会長は語った。

最前線の地区やブロックの同志を最大限にたたえる。家庭の悩み、病魔との闘い、経済問題など、千差万別の苦労に耳を傾け、同苦し励ます。この現場主義、会員第一主義を、飽くなき執念で貫いたからこそ、学会は伸びてきた。青年に継承すべき誉れの伝統である。(敬)

2011年 10月22日(土):【名字の言】より転載いたしました。




今日の名字の言いかがでした?


『醜いアヒルの子は♪

裸の王様キラ~イ♪』




裸の王様ってかわいそうだね。


ブレーンが愚か者だから。


世の中、誰も叱ってくれなくなると、もう、そこから人間的な成長を期待することなんて無理なもんかね。

年をとっても、あ~は、なりたくない。


ぼけ老人になって、見境なくやりたがる老人。


嫌だね。

仕方がないね。


なんでこうなっちゃうんだろう?


もう、そんなところで生きている人に、何を言っても無駄。


この人を変えようなんて思うことは無理。


だって、病気なんだもの。


現場主義か・・・。


『どうして現場に血がなれるんだあ~~~っ!』


「あぁ~?・・・?」


現場で流すものとは、汗と涙の跡。


血脈という。



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『信仰とは、慰めの道具ではない』、よっ!その通り!

今日は、【名字の言】をご紹介します。

体調を崩しやすい季節の変わり目。体が熱っぽかったり、だるさを感じたりしたら、早めに具体的な処置を施し、万全を期したい。

誰もが無縁であることを願う「痛み」「発熱」「疲労」にも意味がある。これらは体が異常を感知して警告を発し、防御を指令するメカニズムだ。この「3大生体アラーム」が働くおかげで、大事に至らず健康を管理することができる。

仕事をはじめ、生活上の小さなトラブルやミスも、一種の「アラーム」と捉えることができよう。それは大きなトラブルの前兆である場合がある。「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)と。あいまいなまま放置せず、原因を突き止め、再発防止策を取ることで、未来に待ち構える“落とし穴”を埋めることができる。

完璧な人間などいない。身体の変調も、仕事や日常生活での失敗も、万人につきもの。肝心なのは、それを自身への戒めとし、向上への糧とする“心のアンテナ”を張っているかどうか。

「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(同1466ページ)。信仰とは、慰めの道具ではない。現実生活で勝つためにある。「信心即生活」に日蓮仏法の真髄がある。 (明)

2011年 10月13日(木)、今日の【名字の言】より転載いたしました。




今日の『名字の言』いかがでしたか?


『信仰とは、慰めの道具ではない。現実生活で勝つためにある。

「信心即生活」に日蓮仏法の真髄がある』



まさに、その通りなんだ!

わたしの信仰の哲学とは、ここんところあるんだよ。


宗教は、わたしの信仰の道具であってよい。


しかし、宗教は、信仰者の信心を道具にしてはいかん!



「女心と秋の空」

「秋に三日の晴れ間無し」

なんてことを言う。


「秋ナスは嫁に食わすな」

・・・関係ナスか…


ここ数日、日中の気温が高くなった。

でも、朝晩の気温は、すっかりと低くなった。

こんな気温の差がある時には、体調も崩しやすい。

風邪などひかぬ様にせねば・・・。





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他人の不幸の上に自らの幸福を築いてはならない【名字の言】

涅槃経の成立は釈尊滅後700年ころといわれる。そこには「一闡提」と呼ばれる人々が登場する。皆が成仏しても、最後まで成仏は不可能であるとされた

一闡提とは梵語「イッチャンティカ」の音写である。名聞・利養を貪る者との意。名声におぼれ、私腹を肥やす。まさに「師子身中の虫」である。涅槃経は当時の教団が直面していた危機を物語っている、との見方もある

エゴイズムは誰にもある。しかも、才能があればあるほど、その手口は巧妙となり、我欲が及ぼす被害も大きくなる。極悪人が怖い顔をしているとは限らない。だから見分けがたく、だまされやすい。一闡提の悪とは、カントが指摘した人間存在の基底に巣くう「根源悪」にも通じよう

「100年に1度」といわれる世界不況。これも、自分さえ儲かればいいとの“強欲資本主義”の暴走が大きな原因だ。今や時代そのものが、一闡提と化していないか

「他人の不幸の上に、自らの幸福を築いてはならない」――池田名誉会長が常々、青年に語ってやまない指針である。生きている以上、エゴイズムの“根絶”は不可能だろう。しかし“克服”は可能である。それには、日々の自己鍛錬が欠かせない。人間革命は、永久革命である。(裕)【聖教新聞】 「名字の言」より

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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心を軽く自由にする

現実を生きることに、過酷なことなど無い。

己が、過酷と思えるこの現実に、
己の心の弱さをはっきりとそこに映し出すことなのだ。

所詮、生きることなんて、本当は楽なものなのだ。

己の心をどれでけ軽く、自由に出来るのか。

生命の哲学と方程式を備えれば、衆生所遊楽へと
心を、現実を、世界を変革することが出来る。

弱い心を、生命によって確かに、強固に積み上げていく作業。

2009年09月14日:今日の「名字の言」

作家・吉川英治は、小説『宮本武蔵』の中で綴った。「波騒は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを」。

池田名誉会長はかつて、宮本武蔵について「そのめざす精進の果ては、世にもてはやされることではなく、世間に生き、しかも、世間の波騒を超えて永遠を友とする境涯であった」と評した。

長い人生の途上では、不本意な結果に遭うこともある。だからと言って、“すべてを失った”と思うことは、一たび戦いに勝てばすべてが手に入ると考えることと同様に早計だろう。「百尺下の水の心」を不断に感じとりながらの戦いの中で得たもの。それは「世間の波騒」などが到底及ばない自身の宝として、光り輝いているはずだ。

歴史学者・トインビー博士は、新聞の見出しの材料となる出来事は「人生の流れの表面に浮游している」ものと断じ、究極において歴史をつくるものは「水底のゆるやかな動き」であると訴えた(『試練に立つ文明』)。

水底は目に見えないが、どんな“時流”にも揺らぐことのない潮流が広がっている。自他共の幸福を願う創価の対話運動は、間違いなく人の心を結び、新たな時代を開く“水底の動き”である。(弘)

【聖教新聞】 「名字の言」より 



『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく


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「 かきくけこ」のアンチエイジング

2009年09月05日:今日の「名字の言」

いつまでも「若い」と言われる秘訣がある。それは「かきくけこ」を意識することだ。20歳以上も若く見える理由を問われて、70歳代後半の女性が答えたという(読売新聞)。

「か」は感動する。「き」は興味を持つ。「く」は工夫する。「け」は健康である。「こ」は「こうなりたい」というあこがれに対して前向きに努力すること。

高齢社会を迎え、「アンチエイジング」という言葉が聞かれる。「老化防止」「抗加齢」という意味だ。美容や健康の面で使われることが多い。老化を防ぐために、化粧品や薬品に頼ることもあろう。しかし、冒頭の女性の答えは、内面の充実が、いかに大切かを教えてくれる。

私たちの日常は、どうだろうか。毎日、本紙をはじめ活字を読む。悩みがあっても、くよくよせずに信仰によって打開し、前へ前へと進む。その体験を語り、友のために奔走。さらに友の蘇生に感動し、人生の醍醐味を思う存分、味わっていく――かつて池田名誉会長が語った、わが同志の姿である。

人生の師匠と共に、朗らかな友と共に、広宣流布の大願に向かって歩む学会活動。その懸命なる日々が、そのまま最高の健康法であり、「年は・わか(若)うなり」の実践でもあると、あらためて気付く。

【聖教新聞】 「名字の言」より

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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限界を決めるもの

2009年09月03日:今日の「名字の言」

本紙の文化欄でも登場いただいた物理学者の米沢富美子さん。研究と3人の子育て、乳がんとの闘い、母の介護……困難に負けず女性初の日本物理学会会長になるなど、女性科学者のパイオニアだ。

彼女は「めげない」「優先順位をつける」など、人生のモットーを五つに要約。その第1に掲げたのが「自分の能力に限界を引かない」。自分には無理と「可能性を限ってしまうのは、自分自身に対する侮辱」「人間のほんとうの底力なんて、じつは本人にも把握できていない」(『まず歩きだそう』岩波書店)。

限界を決めるのは、他の誰でもない。“後ろ向き”の自分自身だ。弱気を打ち払い、挑戦を貫くことで、成長もある。新たな扉を開くこともできる。

骨肉腫が再発し、高校時代に、左足を切断した女性に話を聞いたことがある。創価大学に進学し、義足と松葉づえで雨や雪の日も通い抜いた。海外への一人旅も。自分で限界の線を引きたくなかった。卒業後は大手都市銀行に就職。

信頼も厚く、なくてはならない人に。両足があったら今より人生は良かったか。彼女は首を横に振る。「苦難と戦うからこそ充実感が生まれる」と。困難に出あうたびに、また戦える喜びがわいてくる。それが創価の心意気だ。(葉)

【聖教新聞】 「名字の言」より 

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ

2009年08月30日:今日の「名字の言」

大変だと思ったことが、後から振り返ればたいしたことでない場合がある。反対に過去を振り返った時、その時は気付かなかった重大な変化を発見することがある――。この「時間の遠近法」を用いて研究を進めたのが、歴史学者のトインビー博士だ。

博士は“未来の歴史家が現代をどう位置づけるか”という観点に立って考察した(『試練に立つ文明』社会思想社)。今日という日が、どれほど大切な日であるか。それは“未来の視点”から眺めるとより鮮明になるものだ。

仏典には「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)と。未来を開く「今」の重要性を強調している。

かつて池田名誉会長は、「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」(同1451ページ)の御聖訓を拝して語った。「『今この時』に、死力を尽くして悔いなく戦い切ることだ。その名が、後世に『広宣流布の闘士の鑑』として輝いていくのである」と。

▼今日を悔いなく戦い切る。今できることはすべて成し遂げる。「私はやり切った!」と、すがすがしく大満足の万歳を叫べる人こそが人生の勝利者だ。私たちは歴史の傍観者であるよりも、時々刻々、自らの手で時代を創造していく「開拓者」でありたい。(糀)

【聖教新聞】 「名字の言」より

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心の変革こそが不可能を可能にする

2009年08月27日:今日の「名字の言」

この夏、映画にもなった新田次郎氏の小説『劔岳 <点の記>』。明治40年(1907年)、舞台は、絶対に登れないと言われた北アルプス立山連峰の「劔岳」。この“未踏”の山頂に臨んだ挑戦者たちのドラマだ。

不可能とされた登頂を可能とした一本の道――それは、だれもが“あの道からは絶対に登れない”と、最初から避けていた道だった。もともと道はあった。道を阻んでいた壁は、無理だと諦めていた心の中にあった。心の変革こそが、不可能を可能にしたのだ。

東京・北総区の女子部では、毎朝、「きょう、自分が挑戦すること」を具体的にノートに書き出し、“諸天を揺り動かす祈り”と共に一日を出発する。強き一念は、明確な目的から生まれる。そして、悔いなく語り抜き、夜には、きょう一日の前進に感謝の唱題を。

祈り動く中で、これまで語れなかった人を味方にした友、4時間の執念の対話で理解を広げた友など、歓喜のエピソードが続々と。池田名誉会長は綴る。「最も手強い壁は、実は心の中にある。ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、『自己拡大の戦い』『人間革命の戦い』を起こすことだ!」。きょう一日のなすべきことを明確に、深い祈りと勇気ある行動で、断じて自身の最高峰へ!(進)

【聖教新聞】 「名字の言」より ※記事内の太字は当方の判断で修飾されたものであり原文にはありません。



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知勇兼備と勇猛精進

2009年08月26日:今日の「名字の言」

横浜・旭区の鶴ケ峰で、大きな石碑を目にした。この地で戦い没した武将・畠山重忠を顕彰するものだ。同区内には重忠ゆかりの史跡が点在。長く人々から敬愛されてきたことを物語る。

源頼朝に仕え、幾多の戦いで活躍。鎌倉幕府の成立にも貢献した。日蓮大聖人も「畠山重忠は日本第一の大力の大将なり」(御書1247ページ)と。当時から傑出した剛勇で名を馳せた。

英知にも秀でていた。奥州の合戦で、2万余の軍勢による強固な守りに直面。巧みな戦術で活路を開き、「思慮すでに神に通ずるか」と讃えられたという(『畠山重忠』吉川弘文館)。

知勇兼備。その原動力は何だったのか。後世の浄瑠璃には“身は離れていても、いつも重忠の心は頼朝のそばにあったからだ”(「出世景清」)とうたわれた。主君に勝利を誓い、そのために全魂を注ぐ。この心意気が、重忠の卓抜した知恵と勇気の源泉だったと言えよう。

広宣流布の戦いも同じだ。勝利を心に固く誓った時、「難局を必ずや転換してみせる!」と勇気がみなぎる。智慧がわく。法華経の「勇猛精進」の深義について、池田名誉会長は「勇とは勇んで行動する勇気。猛とは智慧の限りを尽くす執念」と。勇む心を全身に猛らせ、未聞の歴史を勝ち開きたい。(定) 【聖教新聞】 「名字の言」より 

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人間の根源にある愛とエゴという矛盾

2009年08月25日:今日の「名字の言」

8月28日は大文豪トルストイの誕生日。生誕180周年の昨年には文豪の玄孫ウラジーミル氏が来日し、池田名誉会長に「トルストイの時代」賞が贈られている。

新著『トルストイ』を出版した藤沼貴氏(創価大学客員教授)は語る。「(トルストイは)人間の根源にある愛について探求することで、その背後にあるエゴという矛盾に突き当たり、『人間の生に意味と力を与えるものは科学でも哲学でもない。宗教だ』との確信を深めていきます」(「第三文明」9月号)。

人間自身の内なるエゴの激流が、多くの問題を噴出させる現代。そこに正義の対話で励ましを送り、生きる「意味と力」を広げてきたのが学会だ。

「こんな私にも、すごい使命がある! 先輩の激励で、心からそう思えた」とは、苦悩の闇から立ち上がった友。学会には、こうした生命変革のドラマが無数に光る。日本を真に変えゆくものは制度や体制ではない。信仰を持った庶民の力なのだと実感する。

「日本のインテリ層には、『“無神論者”のほうが、信仰者より進歩した人間だ』と考える特有の風潮がありますが、(中略)それがいかに浅い考えであるか」(藤沼氏)。創価の深き民衆仏法運動を、文豪が見たなら大喝采を送るに違いない。(薄)

【聖教新聞】 「名字の言」より ※記事内の太字は当方の判断で修飾されたものであり原文にはありません。


関連ページ
究極的な矛盾の融合>「エゴ」と慈悲なる「愛」

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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形式にこだわらない信仰に己の生命を開く真髄がある~「名字の言」

形式にこだわるよりも、身近な実践の中にこそ、信仰の真髄がある

「人のために尽くそう」という心

今日の「名字の言」のひとしずく



「常勝」とは何か?

常に勝つ。

与えられたことに常に勝つことが義務付けられてる戦いなのか?

「勝つ」こととは何か?
一体、何に「勝つ」ことだというのか?

組織の中だけに、勝利する場所があるわけではない。

勝利する場所は、どこにでもある。
己が生きているこの現実に映る目のまえの全てが闘いの場所。

一人ひとり、己の信仰心を開くための闘い。己の生命を高めるための闘い。
勝ち負けは、己の「生命」に、勝負の結果を残せたものだけが勝利したといえる。

信仰者にとっての勝利は、己の外にあるのではない。己の弱さを、現実の世の中の現象に映し出して、その己の弱さに勝つこと。

戦いに勝つことは、何も結果を残すことだけを求められているわけではない。
勝負に臨むことの過程において、己の心が、生命が逃げなかったかどうか。

「エゴ」の塊である人間が、「人のために尽くそう」という純粋な慈悲の精神を発揮するためには、どれほどの己との闘いに挑まなければならないだろう。

「常勝」とは、確かな哲学を求め、己のきたなく、汚れた生命と、その汚い生命の根本と闘い続ける、己との戦いの毎日に、勝つことをいう。

今日の【名字の言】をどうぞ。

2009年8月21日:今日の「名字の言」

仕事を子に託し巡礼に向かう二人の老人。一人は自分しか信じない。周囲には目もくれず、巡礼地に辿り着く。もう一人は善良で快活。貧乏と病気に悩む人を救うために手持ちのお金を使い果たし、巡礼を諦める(トルストイ著『二老人』)

どちらが賞讃されるべきか。物語の最後の場面では、巡礼という形式にこだわるよりも、身近な実践の中にこそ、信仰の真髄があると前者の老人が悟る。自分ではなく他者のために行動する。そこに人生の真実の価値があると文豪は語っているようだ。

横浜市保土ケ谷区にある「滝ノ川あじさいロード」。整備等を行うグループ「花咲かせ隊」の中には、“第三の人生”を朗らかに歩む「多宝会」の友もいる。参加メンバーの一人。「学会の発展は、即地域の興隆であり、社会の繁栄であらねばならない」と励ます師に応えたい。そう思っていた10年前、友人に誘われ、一緒に植樹を始めた。今や初夏には800本のあじさいが咲く。行政の区長からの表彰も受け、地域の名所に。

年輪を重ねるごとに輝きを増す。そういう人生でありたい。その輝きの光源こそ、「人のために尽くそう」という心ではないか。広布と人生の大先輩――多宝会の同志こそ素晴らしい模範である。(可)

【聖教新聞】 「名字の言」より ※記事内の太字は当方の判断で修飾されたものであり原文にはありません。



『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく

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己を磨くためのぶれない絶対的な生命と哲学「名字の言」

現実を努力しながら人より一生懸命に生きているという己の自負。

しかし、その自負が己の幸福な生き方に反映されないということは、やはり、現実の生き方が生ぬるいということなのだ。

人より努力していると言い訳してみても、生命から己を変革できないのは、現実に、いかされるべき哲学が確かに備わっていないということ。

人より一生懸命に生きているということの自己満足は、この妙法哲学においては何一つ己を変革させるための答えにはつながらないのだ。

己の中の絶対的な変革は、常に、己の生きている課題を己の宿命として、目に映る現実を生きる力に変える知恵によって見つけ出すことの闘いの結果に生まれ可能とできることなのだ。

2009年8月20日:今日の「名字の言」

豊臣秀吉が淀川の治水のために建設した「文禄堤」。後に大阪と京都(伏見)を結ぶ最短コースの道「京街道」として整備された。今も石垣のようになった堤の跡が、大阪の守口市駅(京阪本線)の周辺に残っている。

この街道、江戸時代には道中奉行が管轄する幕府の主要路の一つに。守口市本町付近には、当時の街道の宿場の面影がある。文禄堤の完成後、守口は交通の要衝として栄えた。

広宣流布の前進においても、守口は関西の「要」である。平成元年(1989年)2月、関西を訪れた池田名誉会長は、守口こそ「常勝の守り口」、関西を牽引する要と讃えた。

その原点は、昭和54年(79年)4月24日。守口市内で行われた大阪本部長会。この日、突然の「会長辞任」。だが、皆の心は一つだった。「関西の私たちにとって、師匠は池田先生しかいない!」。守口の地で刻まれた正義の誓いから、学会の反転攻勢が始まったのである。

以来30年。「師弟共戦」こそ信心の要――この一点が決してぶれないのが「常勝関西」だ。広宣流布の激闘の中にあって、その魂は、世代から世代へと受け継がれてきた。ここに関西の強さがある。わが胸中に「師弟の誓願」が燃えている限り、「常勝の城」は永遠に不滅である。(芯)

【聖教新聞】 「名字の言」より



『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく



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窮地の時に発揮できる勇気と知恵

名字の言

人間の中の無限の知恵と能力は、窮地に陥ったときに底力が発揮されるもの。惰性と臆病の毎日を送る怠け者の人間には、決して発揮されることのない能力。

2009年8月10日:今日の「名字の言」

立秋(7日)が過ぎた。暦の上では秋だが、まだまだ暑く、豪雨、台風が多くなる季節である。ただでさえ不順な天候が続く本年、災害への注意、備えは欠かせない。

50年前の1959年(昭和34年)9月、伊勢湾台風は東海地方を中心に甚大な被害を与えた。池田名誉会長(当時・総務)は、東京の学会本部から名古屋へ駆け付け、最前線で救援活動の指揮を執った。この後、三重・四日市に向かおうとした。しかし、氾濫する河川が交通網を遮断。「これでは無理だ」。濁流を前に、皆が呆然とした。

名誉会長は違った。「大切な、わが同志がたくさん待っている!」と、愛知から岐阜を経由して一度、関西へ入り、そこから三重へと迂回。被災した友のもとへ急いだ。中部の同志は、どんな事態にも、必ず打開の道があることを教わった。

御書に「臆病にては叶うべからず」(1193ページ)と仰せである。日蓮大聖人は、苦難に立ち向かう四条金吾に対して、強盛な祈りで勇気と智慧をわき起こせば、いかなる状況も打破できると激励された。

難局を勝ち越えるには、“もう駄目だ”との諦めを打ち破り、“絶対に突破口は開ける!”と前に踏み出すことだ。その勇気の一歩は、必ず「勝利の峰」へと続いている。(弘)

【聖教新聞】 「名字の言」より


【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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一生涯学習「人間」を学び「人」として生きるために~「名字の言」

人生を確かに生きる幸せのひとしずく

己の生命を磨き、高めることを目的とする信仰者にとって、生きている限り、この世は学びの世界。無限に生きる為の知恵を湧き出だすための世界。

一生。

2009年8月8日:今日の「名字の言」

創価大学通信教育部の夏期スクーリングが、9日からスタートする。今年も多くの学生が集うことだろう。

高齢社会の現代日本。学び続ける中に生き甲斐を見いだす人も増えている。だが、社会人学生の割合は、欧米に比べると1割程度だという。そうした中にあって現在、世界36カ国・地域の2万人が学ぶ創大通教は、「生涯学習」の時代をリードする存在となっている。

その開設(1976年)について、創立者の池田名誉会長は「(創大の)第2の開学」「両先生(=牧口・戸田)への報恩の慶事」と述べている(「学光」400号)。

1907年、創価教育の父・牧口初代会長は、埼玉・川越での演説で女子教育の重要性を力説。“より広範な人々に教育の機会を”と、女性向けの通信教育事業に専心した。戸田第2代会長も、雑誌「小学生日本」の通信添削や英語・数学の通信教授など、通信教育に力を入れた。戦中戦後の暗い世相の中で、子どもたちに“学ぶ喜びの光”を送り続けた。

万人に開かれた教育を!――二人の恩師の悲願を、名誉会長は通信教育部という形で結実させたのである。三代の師弟の志の結晶である創大通教。夏のキャンパスで、向学の情熱を燃やす友に、心からエールを送りたい。(修)

【聖教新聞】 「名字の言」より



■名字の言~人生を確かに生きるひとしずくの言葉


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確かな哲学によって不動の生命を創る


人間が生きることにおいて、危機に直面した時に、「君子もむろん窮することはある。しかし小人は窮すると乱れるものだ。君子は乱れない」という。

不動の生命で、精神と心を律することの出来る哲学。

心の迷いを迷いのない生命で律する妙法。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。


2009年8月7日:今日の「名字の言」

孔子の亡命の旅は、14年の長きにわたる。陳と蔡の国境付近で、一行は餓死の危難に見舞われた。弟子の一人、子路は、なかば憤りつつ、師に尋ねた。「君子も窮することがありますか」。

師は毅然として答えた。「君子固より窮す、小人窮すれば斯に濫る」(=君子もむろん窮することはある。しかし小人は窮すると乱れるものだ。君子は乱れない)。

そのときの情景を、井上靖の作品『孔子』は、こう描く。――大きな感動が弟子を包んだ。もうこれでいい、かくも毅然たる師の言葉を聞いた以上は、飢えてもかまわない。そもそも栄誉栄達が何であろう。師と共に耐え抜いた日々を持てたこと、それこそが最高の喜びなのだ

後年、孔子は語っている。「我に陳・蔡に従える者は、皆門に及ばざるなり」(=私に従って陳・蔡の危難にあった弟子は皆、出世の機会を逃してしまったね)と。弟子を思う師の心が、熱く伝わってくる。
このころ(前6~4世紀)、世界にはソクラテスやブッダも生まれ出た。哲学者・ヤスパースが「枢軸時代」と呼んだゆえんである。まさに、人類史に「師弟」という、新しい人間関係が誕生した世紀であった。

師と共に、歩み、戦う――。そこに人間としての証しと、真実の凱歌がある。(裕)
【聖教新聞】 「名字の言」より





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戦争とは人間の愚かさの骨頂~今日の「名字の言」

人生を確かに生きる幸せのひとしずく

人間の愚かさの象徴とは、畜生のごとき生命で対立する人と人が殺しあう戦争のことであろう。その、愚の骨頂ともいうべき発明が、核兵器という存在であろう。人を殺す道具としての核の存在。

人類の未来と地球の存続の平和為に核が利用されるためにの核兵器は必要悪の存在。その武器を使用する悪魔の領域と神の領域を行き来する人間の魂とは。人間の中に棲む悪魔を知っている者、核兵器の恐ろしさを身をもって体験した者は、その核兵器の開発、使用する者達に向かって断固宣言しなければならないのだ。

世界の平和を願う全ての団体の一人、ひとりが声を出して、立ち上がらねばらない。
(※今日の「名字の言」を読んで)

参考:[PDF]原水爆禁止宣言について

2009年8月6日:今日の「名字の言」

原爆投下から64年。核廃絶を願う広島、長崎の心は国際情勢の中で、希望と落胆の間を揺れ動いてきた。

しかし、原爆使用の道義的責任を認め、「核兵器なき世界」を目指すオバマ米大統領の登場で、光が見えてきた。核廃絶こそ現実的選択とする主張は、核保有国でも徐々に広がっている。それでも、広島、長崎に起きた「現実」を直視することには、いまだに根強い抵抗があるようだ。

SGIは今年、被爆者の証言を5カ国語でまとめたDVDを制作し、インターネットで全世界に公開した。証言を聞き、取材経験からも感じることだが、被爆者の方々の思いは、原爆の責任追及より、二度と悲劇を繰り返してはならないという点に向けられてきた。日本人である前に「人間」として、核兵器を拒絶している。

「ノーモア核兵器」の声に浴びせられる、侵略した報いとの“因果応報論”。戦争を終わらせるためだったとの“必要悪論”。それらの壁を乗り越えるには、核兵器を生命の次元から断罪する思想が不可欠だ。まさに戸田第2代会長の原水爆禁止宣言の着眼点である。

現在、全国の被爆者の平均年齢は約76歳。あの惨禍を体験した人々が存命のうちに、廃絶への道を確かにしたい。好機を逃してはならない。(飛)

【聖教新聞】 「名字の言」より

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■名字の言~人生を確かに生きるひとしずくの言葉


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この世では問い続けても問わなくても無の世界

人間が、問い続けるということは生きることの本能。
死ぬまでのゴールへ己の足を運ばせてくれる人間に与えられた本能。

人間が、人間らしさのゴールへ進めないのは、この必要な本能を、見誤らせ、混乱させ、退化させる社会に同化してしまう弱さと愚かさ。

人間というものは己に問い続けぬ限り「無」。

また、問い続けなくても「無」。

結局、この世では、「無」なのだ。

死の流転。生の流転。

人間が、人間らしく最上級に生き、人に近づける方法は、答えの無い現実の世界に答えを求め、「信じること」に足る哲学を己の生命に宿し、更に、問い続けることの先に、死というゴールに辿り着くことに集約される。

2009年8月4日の今日の「名字の言」

宇宙飛行士の若田光一さんが、日本人初となる宇宙での長期滞在を無事終えた。トラブルを乗り越え、実験棟「きぼう」を完成させるなど、日本の宇宙開発に新たな歴史を刻む活躍に心から拍手を送りたい。

若田さんが4カ月半を過ごした国際宇宙ステーションは“ミニ地球”と呼ばれる。太陽エネルギーから電力をつくり、尿や空気中の水蒸気を飲料水に再生。その水を分解して酸素を発生させる一方、吸着剤などを使って二酸化炭素を除いている。

宇宙では、このうちのどれ一つが欠けても、安全に生活できない。宇宙に“ミニ地球”をつくることは、「不可能への挑戦」の連続だったにちがいない。人類初の女性宇宙飛行士、テレシコワさんは「人間は、ひとたび何かを心の底からやりとげようと思い、この夢に向かって全身全霊でぶつかっていけば、必ず実現できる」と述べている。地球の恵みを実現できたのも、同じ夢を追う多くの人々の、あくなき挑戦への情熱があったればこそであろう。

かつて池田名誉会長は、日蓮大聖人の仏法を信ずる人を「生命の宇宙飛行士」と呼んだ。人間の“内なる宇宙”を開拓し、胸中に確かな「きぼう」を築きゆく。このロマンあふれる挑戦こそが、広宣流布の大偉業だ。(孜)

【聖教新聞】 「名字の言」より



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創意と工夫、集中力~今日の「名字の言」

2009年8月2日の今日の「名字の言」

学会創立80周年を勝利して迎えよう! 全国の同志が奮起している。偉大な歴史を築き、広布の偉業を果たすのだと戦っている。日蓮大聖人の御遺命である立正安国の実現に人生を懸けることほどの偉業はない。

人類史に名を残す偉人、ニュートン。科学の巨人の逸話は、つとに知られるが、その中に「驚異の年」の話がある。それは1665年から66年の1年余のことを言う。この間、彼は研究に没頭。ノートには1ページに2千余の細かい数字が並ぶ個所も。

万有引力の法則をはじめ、数学、力学、光学の偉大な発見のほとんどが、この短期間に結実。驚異と呼ばれる理由だ。さらに研究の場所は大学ではなく家。当時、英国にペストが流行。ケンブリッジのカレッジも閉鎖され、家に戻るしかなかった。小さな書斎と本棚を作り、「あれほど数学と哲学に頭を絞ったことは、あのとき以来ない」と言うほど集中した(『ニュートンの海』NHK出版)。

短期間でも偉業は果たせる。どんな環境でも創意と工夫、集中力で仕事は成就する。それを可能にする力が人間にあることを示唆している。“あれほど知恵を絞って、懸命に戦ったことはない”。そう言える正義の大攻勢に挑み、わが人生に偉大な闘争史を刻もう。(弓)

【聖教新聞】 「名字の言」より

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「この世」は一回きり、死ぬも生きるも命は一つ


己の目的に向かって不惜身命、死ぬ気で生きる。

そんな強い気持ちが必要なのだ。

法律を犯すことを恐れる臆病さ。世間を気にして恐れて何も出来ないことの器の小ささ。

あんな人間になってはいけない。

こんな人間のまねはしてはいけない。

やってはいけない、してはいけないで、人間が生きていけるか!

私は人ではない、人間だ!

誰でも自分に言い分けして生きている。

赤信号みんなで渡れば怖くない。

みんなで渡ることと、一人で渡ることと、何が違うのだ。

数の多さを言い訳にして、正しいと納得して生きているだけなのだ。

そんな窮屈な生き方の何が楽しいというのだろう。

究極的に確立された己の宗教に従い生きる。

それこそが人間が人間らしく生きることの究極ではないのか?

それこそが人に近づける道理ではないのか?

人間が生きることは、己の信仰心に従い、生きたいように生きることなのだ。

人になれる哲学。

「この世」は一回きり。

死んだら終わり。

死ぬまでが勝負。

2009年8月1日の今日の「名字の言」

トルストイの青春は、悪戦苦闘の連続であった。名門貴族の家に生まれ、大学に進むも、成績は振るわず中退。若くして領地経営に取り組み、農奴の解放を志すも、あえなく挫折。モスクワの都会生活にはまり、揚げ句、借金返済にも苦しんだ。

生活を立て直そうと克明に「規則」を作成。が、守れず、自己嫌悪に。迷走の末にたどり着いたのが「文学的創作」であった。それまで周囲も本人も、そのたぐいまれな才能に気付かなかったという。

それに磨きをかけたのは、チェチェン紛争を間近に見聞したことだった。彼は、ロシア兵の勇気に目を見張り、さらにチェチェン人とも親しく付き合う。そこで得たのは「民衆の再発見」であった。――若き文豪の魂の歩みを、藤沼貴氏の新著『トルストイ』(第三文明社)は丹念に描き出す。

7月の本部幹部会で、池田SGI会長は、ブラジルの文豪アマード氏の「この世において永遠なものは民衆」との言葉を紹介した。氏はかつて、SGI会長の活躍にふれ、「民衆とともに戦うことのみがヒューマニズムを勝利に導く唯一の方法」と語っている。

どんな嵐もはね返し、民衆の永遠の真価を発揮しよう。21世紀は、人間主義の朗らかな、にぎやかな凱歌を待っている。(雄)

【聖教新聞】 「名字の言」より




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賢者はよろこび愚者は退く>今日の「名字の言」

2009年7月28日の今日の「名字の言」

徳川家康にとって「過ぎたるもの(分不相応)」と、敵将・武田信玄の側近から羨望されたものが二つあった。「唐の頭(=唐牛の毛で飾った兜)と本多平八(=本多平八郎忠勝)」である。

本多忠勝は、家康軍団で「最強」と謳われた武将。重装備で防備に気を使うより、機敏に動き、攻めて勝利を開こうと、軽い鎧を好んだ。戦場に臨むこと五十余度。常に先陣を切りながら、傷一つ負わなかったという(「歴史街道」)。

自軍が全滅の危機に瀕した時のこと。乾坤一擲の敵中突破を図り、家康の本隊を無事に帰還させた。 「死中にあっても活路を開く!」 「あくまで攻める」――戦地に身を置き続けた無双の勇士の精神であった。

広宣流布の闘争も同じだ。日蓮大聖人は「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と。強敵に対するにも「賢者はよろこび愚者は退く」 (同1091ページ)と、前へ進む姿勢を貫かれた。

「攻撃することが勝利の要件」「いかなる戦いにおいても『守り』『受け身』に回ってしまえば弱い」とは池田名誉会長。どこまでも折伏精神、攻撃精神で進むことだ。死身弘法の師に続き、堂々と戦い抜きたい。そして、勝利の道を切り開く勇者でありたい。(薬)

【聖教新聞】 「名字の言」より

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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己の宿命転換の因は眼前にある

 目の前で溺れているわが子を見て、学会活動でこの子を救うのだ。この子を絶対に助けてみせる。そんな親がいるだろうか? いや、そんな風に学会活動をしていれば、溺れているわが子を助けることが出来ると、信じている人もいるようだ。

どんな理由で学会にそんな力があるという道理にたどり着くのだろうか。 溺れているわが子を見て、この瞬間に手を差し伸べて、命を助ける知恵を出すのが、この信仰であるはず。一体、誰が、そんな他力本願的な信仰を植えつけるのだろう。

己の宿業の原因が目の前にあるのに、そこから目を背け、楽な信仰活動を選択する者。組織の中では、そんな、信仰活動を、己の信仰心と履き違える者もいるようだ。

本来の戦うべき己の宿命の現実が見えなくなる信仰。正しい信仰にも関わらず大切なものに気がつくことの出来ない愚かさ。その愚かさを気づくべきはずの信仰組織の活動において、そのことを気がつくことの出来ない信仰活動に本来の宗教の意味は無い。

互いを高めることの出来ない信仰組織の中の活動に一体、なんの意味があるのだろう。空転する組織が悪いのか、己の中に無明を開く知恵に導くための信仰心を求める一念の無さ、生命の低さなのか。

組織の中の駒としてのみ働く人間。それも、宿命。気がつけるものは幸せ、気がつくことさえ出来ずに、操り人形の歯車として、この世の人間活動を終わるのか。

そんな人間達と縁するのも己の宿命。人間とは?

正しい、信仰にも目覚めることも出来ず、己の信仰心の確立さえも出来ず、己の人生を生き切ることさえ出来ない生命。 

歯がゆい心。


2009年7月26日の今日の「名字の言」

水を求めて移動するゾウの群れ。温暖化ですみかを失うホッキョクグマ。山すそを鮮やかに染めるサクラ――大自然の営みを圧倒的な美しさで伝える映画「アース」。昨年、ドキュメンタリーとして、異例のヒットを記録した。

極地、高地、砂漠――過酷な条件での撮影に、なぜ、耐えられたのか。共同監督の一人、マーク・リンフィールド氏は、本紙のインタビューに答えた。“それぞれの環境でのエキスパートである仲間を信じていたからできたのです”(昨年1月5日付)。

自分が仲間を信じる。仲間も意気に感じて全力を尽くす。この強い絆があったからこそ、難事業をやり遂げることができた。強固な信頼の絆があれば、人は大きな力を発揮するものだと痛感する。中国の古典『水滸伝』の中で、豪傑たちをまとめた宋江。彼が中心者になったのは「人物をとことんまで見抜く特別の力を持っていた」からだと、戸田第2代会長は語った。

自分の長所も短所も知り抜く指導者がいたからこそ、一人一人が思う存分に活躍できたのだ。私たちの周りにも、自分を信頼してくれている人が必ずいるものだ。その期待に対して「応えてみせる!」と心に決めた時、想像以上の力が発揮でき、勝利の歴史も開かれる。(行)

【聖教新聞】 「名字の言」より



■名字の言について~人生を前向きに生きる哲学の実践


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馬鹿になって悟りを開く

暗い心は現実に負けている己の弱い心が作り出しているもの。

現実が苦しくなればなるほど、生命のか輝きが増すのならば、
心に笑顔がどうして作れない。

現実の戦いの苦しさ故に、己の心の弱さを暗さで露呈するならば、
己を力づけてくれる人に対して、これほど辛さを与えることは無い。

人の幸せを願える生命を己自身で勝ち取りたいのら、
己の現実に深く沈んでいる心に負けるな!

苦しいからといって、己の心に、晴れない分厚い雲を敷き詰めて
悩み満ちたその心を撒き散らすそんなつまらない人間になるな!

信じて馬鹿になる。
己を信じて馬鹿になる。

苦しくても、泣いて生きるより、笑って生きるほうが
前向きな生き方ということは、誰にでもわかる。

わかるはずのことが出来ないのが、己の宿命。
生命によって強い心を更に強く出来ない生命の壁。
その壁を見抜いているのなら、馬鹿になって信じる。

間違いの無いものを確信しているのならば
もう馬鹿になることだけだ。

人間は馬鹿になって初めて、人の道を悟り、
更に、人としての階段を登れるのかもしれません。


2009年7月22日の今日の「名字の言」


若き豊臣秀吉の“三日普請”の故事は有名で、数々の小説やドラマなどで紹介されてきた。中でも、吉川英治氏の『新書太閤記』に描かれた内容は、示唆に富んでいる。

織田信長の清洲城の壁が、暴風雨で100間以上も崩れた時のこと。修復工事がノロノロと進まない。それを憂いた藤吉郎(秀吉)が、「三日もあれば」と普請奉行を請い請けた。しかし、前任奉行が邪魔立てし、老獪な棟梁らも怠けてばかり。藤吉郎は訴えた。「国の興亡は、実はお城にあるわけじゃない(中略)お前らの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀だ、濠だ」。ただ国を思い、民を思う叫びが、棟梁たちを目覚めさせた。自身も一職人となって泥仕事。総力戦の突貫工事で、約束通り、わずか三日で修復した。

確かに、どんな世界でも“全責任を担う!”という必死の一人が立てば、劇的に道は開かれる。逆に、心の片隅のどこかに、他人を当てにする心があれば、物事は停滞してしまう。小さな一念の差が、大きな勝敗を決するのだ。御書に「一の師子王吼れば百子力を得て」(1316ページ)と。環境ではない。人でもない。自分が師子となって祈り、走り、断じて勝ってみせる! 本物の覚悟が決まった瞬間、勝利への大回転は始まる。(誠)

【聖教新聞】 「名字の言」より



■名字の言について~人生を前向きに生きる哲学の実践



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感謝の無い信仰は本当の信仰ではない~今日の【名字の言】

「報恩感謝は私自身に対するもの」~世界に一冊のメモ帳

信仰者として、世の中を通して、目に見えるものとして、また、心に生命に映るものとして感じ取ることは、全て、私の中を通してみた世界。現実とは、人それぞれの生命の傾向性によって全く違うものなのである。

たとえ、同じ信仰をしていたとしてもそれぞれ違う。信仰をしていても「感謝」を感じられない人もいる。感じる、感じないは、生命の問題。頭でわかっているだけではそれを理解しているとはいはない。

報恩感謝の精神は己の中の確かな信仰を確かめるための一つのバロメーター。私は、この妙法によって、現実から受け取るさまざまな情報を映し出し、その知恵によって、現実の生活の価値を高める事を、今を生きることから学ぼうとしています。

己を成長させてくれるものが「何」であるのか?それは、私が生きているこの「現実」に他なら無いわけです。ですから、究極、全てのありとあらゆる、「生きとしいけるもの」に感謝なのでしょう。

人に対して感じる感謝とは少し違う。己の生命を己の妙法という信仰によって高めることで気がつく、そして、更に、己を高めることが出来るというその感激に感謝できるという、根本的な感謝と報恩こそが、信仰者の中に築かれていって、初めて、他者への「報恩」、全てのものへ「感謝」が必然的生まれる。

「報恩感謝」とは、言ってみれば、妙法という哲学を通した、私自身への報恩感謝でもあるのだ。

2009年7月8日の今日の「名字の言」


 6月4日、池田華陽会として颯爽と進む女子部に、喜びと感動が広がった。「名誉会長夫妻が創価女子会館を訪問!」――朗報は全国はもとより、世界各国に即座に伝わった。

「飛び上がらんばかりに女子部と喜び合っています」と語るのは、太平洋に浮かぶミクロネシア連邦のロペス支部婦人部長。3日後の7日には記念の集いを開き、池田華陽会の歌「華陽の誓い」を合唱。「池田先生・奥様と共に歓喜の力強い前進をしていきます」と意気は高い。

「イケダカヨウカイ」は昨年に結成されたばかりだが、「ザダンカイ」「コウセンルフ」等と共に世界共通語となった感がある。イタリア、韓国の友も口々に述べていたが、師弟勝利の青春譜を綴ることを最高の誇りとしている。そして、彼女たちに共通するのは「感謝の心」だ。

東京・町田出身の青年詩人、八木重吉の言葉を思い出した。「感謝の無い信仰は本当の信仰ではない」「すべてはそこから出づる。感謝と報恩と」「自分のまわりを、感謝の海とせよ。感謝は強い。感謝は美しい」(全集第3巻、筑摩書房)。わが生命を感謝の心で染め抜きたい。

「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)。人間の真の生き方が、ここにある。(川)



【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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一は万が母~今日の【名字の言】

2009年7月6日の今日の「名字の言」

視力障害のある関西の婦人部員が先日、東京を訪れた。一人の友人に仏法の哲学を語るために。広宣流布へ労苦を惜しまぬ尊き姿に最敬礼。

婦人は生後、数カ月で失明した。しかし、競泳の選手やボランティアなども務める無類の頑張り屋。そんな彼女の転機となったのは、高校時代の同級生が命に及ぶ難病に襲われた時。何もしてあげられない無力さに苦しんだ。その時、ある親友から聞いていた題目を唱えた。すると時が符合するかのように、同級生は一命を取り留めた。

何ができなくとも、一人のために祈ることができる。それがどれほど素晴らしいことか。それを知った彼女は本格的に信仰の道を歩み始めた。一人のために祈り、一人のために語る。そこにこそ真実の仏道修行がある。「一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説く人は、仏の使いである」と法華経には仰せだ。

あの1万1111世帯の弘教を成し遂げた昭和31年の「大阪の戦い」。指揮を執った池田室長が最初に関西の幹部に語ったのは、「会員の一人一人を大切にしてください」であった。「一は万が母」(御書498ページ)である。眼前の一人に全力を。一人の心を揺り動かす対話を。その執念の連続闘争から歴史が開かれる。(進)
【聖教新聞】 「名字の言」より

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初志貫徹によって不屈の力を得る~今日の【名字の言】

初志貫徹によって不屈の精神を築く~【世界に一冊のメモ帳】

理想と、決めた目標に対して、己が進む前に立ちはだかる壁やハードルを越えようとする瞬間、もがき苦しんでいる時に、湧き起こってくる己の弱さと、生命に映る宿命、その限りのない深さ。

その弱さと宿命の深さに耐え切れずに、生命の傾向性から現実から逃げようとする瞬間、心の中に、過去の消えない恨みつらみと憎しみが充満してくる。

その瞬間こそ、いまだに消すことの出来ないその恨みつらみと憎しみを己の生命の中で、この妙法哲学によって戦いを挑むことによって、己の中の精神の確立、不撓不屈の精神へ近づける。

2009年7月5日の今日の「名字の言」

 中日友好協会の黄世明副会長に、話を聞いたことがある。「どんな困難な時も、初志を貫くことができたのは、“人民のため”との思いがあったからです」。

周恩来総理やトウ<登におおざと>小平氏ら歴代指導者の通訳を務めた黄副会長。がんも2度患った。最初の時は、周総理が自ら病院に手配を。二十数年後の再発時には、池田名誉会長から励ましの和歌を頂いた――と感激を露わに。

「私は、50年近く、中日友好に取り組んできた。何の悔いもない……今度は、若い皆さんに託したい。友好交流を深めてほしい」。亡くなる前年のことだった。

初志を貫徹することは難しい。壁にぶつかると、できない理由を並べたくなる。だが、それでは、自身の負けだ。目標を成し遂げるには、“何のため”との一点を心に赤々と燃やすことである。

たった一人の挑戦でも、劇的な変化をもたらすことがある。アメリカの大実業家アーマンド・ハマー氏の座右の銘は、「初志を貫き通すならば、一人の人間が状況を変えることができる」だった。

黄副会長は、こうも語っていた。「私は、力をつけるため、若い時から、たくさんの本を読みました。皆さんは幸せですね。池田先生の著作やスピーチから、不屈の力を得ることができるのですから」と。(葉)
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執念で困難に挑み勝つ~今日の【名字の言】

世界に一冊のメモ帳

自ら進んで崖っぷちに立てるのか?!

全ての戦いは、己の中の無明の明かりを照らす為。己の中の信仰心を更に高め開く為。己がこの宗教を選んだのには、意味がある。それは、己の中に自由を確立するため。

人間は、崖っぷちに立たされることで、己の生命の中に何かが光始める。確かな哲学と信仰の石が、私の生命の中で、輝き始める。そして、生きるという執念に、到着した時に初めて、その扉は開かれる。


2009年7月4日の今日の「名字の言」

「学会っ子は、北風に向かって戦おう!」35年前の12月、池田名誉会長は東京・新目黒会館を訪問。居合わせ学生部の友を激励し、「冬の目黒グループ」と命名した。

その一人が、述懐している。「池田先生の指導は、『困難に挑み勝ち行け!』との万感のメッセージだと思いました。だからこそ、どんな激戦も勇んで戦い、勝利してきました。」同グループの友は現在、学術会、実業界など、各界で活躍している。

公宣流布の歩みは、数々の艱難を勝ち越えてきた歴史でもある。戸田第二代会長は、常に、公布の主戦場へ、最も大変なところへ、愛弟子の名誉会長を派遣した。事業の苦境も、権力の闘争も、公布の拡大も、師と弟子の「不二の闘争」で突破口を開いてきた。

名誉会長は綴っている。「本物の師匠に、私は本物の弟子としてお使えしぬいた。公宣流布の御構想を実現する為、執念、また、執念で全魂を尽くしました」(「御書と弟子」)。弟子の激闘合ってこそ師の勝利だった。

「激戦あるところに、必ず私たちは身を置く」(ユゴー)公布の戦線で勝利をもぎ取る。師匠の期待に応えて断じて勝つ。どんな難局も必ず打開する。この誓い通りに結果を出す人こそ「本物の弟子である」。(薬)
【聖教新聞】 「名字の言」より

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勝負は峻厳!一瞬で決まる~今日の【名字の言】

「攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く」己の弱い心を攻めて、押し切って、戦って、己の生命の中に勝利の旭光が輝く!

己の勝負は、今、この瞬間!弱い生命の中に、姿と形を変えて忍び寄ってくる魔との戦いなのだ。魔を魔と打ち破ることの出来る生命を維持することこそ峻厳なる己の宿命の深さを現実にさらされることによって勝ち取ることが出来る。己自身の真実の姿を映し出すことが出来る。

地獄も天国も己の中に一瞬で入れ替わる、人間の生命の怖さ。全ては一瞬、今。


今日の名字の言-7月3日

 実力が拮抗した競り合いを制するには?――「攻めの気持ちを貫いたほうが勝ちます」と柔道の元全日本男子監督・斉藤仁氏は語っている(「第三文明」8月号)。

2006年の全日本柔道選手権。アテネ五輪で「金」の鈴木桂治選手と、当時19歳の石井慧選手との決勝戦。終始、鈴木側優勢で進んだ。だが終了間際、残り時間を気にした鈴木が、ほんの一瞬、ちらりと会場の時計を見た。それを石井は見逃さなかった。「その一瞬に石井の攻める気持ちが、鈴木のそれを上回ったんです」と斉藤氏。結果は石井の逆転勝利だった。

勝負は峻厳だ。一瞬の競り合いを制した者が勝つ。最後の最後まで「攻めの気持ち」を貫くことこそが勝利の要諦だ。御書には「いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(1090ページ)と仰せだ。“いよいよ”“せむべし”の気概で、猛然と戦うことである。

池田名誉会長は語っている。「攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く」と。

きょうも力の限り前進したい。勝利のその瞬間まで、攻めの気持ちを堅持したい。その人の心にこそ凱歌は轟き渡る。(之)
【聖教新聞】 「名字の言」より

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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不撓不屈の開拓者魂~今日の【名字の言】

世界に一冊のメモ帳

私が現実に対して感じたことは、
家族に対する無力感であったのかもしれません。

信仰を与えておきながら、自らの宿命に翻弄され、その信仰の正しさを求めるよりも、現実にのしかかる己の宿命の深さ故に、盲目の如くに信じ、頼る、すがる信仰。宿業のふかい者から与えられたこの信仰。それこそが私の背負うべき宿業の更なる深さの全てを象徴しているのかもしれません。

正しいもの正しいかどうかを疑うことなく信じることが出来るというのは、良く言えば、純真。しかし、皮肉にも盲信ですがるだけの信仰として、拝んできたものの中には、己の言葉で与えたものにその信仰を伝えることが出来ない。

右から左へ確信の無い、意味の無い言葉で、与えたものに大切なものを与えてこなっか罪。その罪を私が背負わされて、この信仰によって、目覚めた時に、悟ることのその意味の答えは宿命。それでも、己の背負っているものは全て己が原因とする宿命か?!とそのあまりにも深い罪の意味を問い続ける人生。

そして、人間として生きる人生の途中で、尚、私の中での戦いは続く。同じ信仰をしていながら、宗教の操り人形として、無明の因を開くことが出来ない人。それさえ気がつかず、己の中に宗教というものが芽生えない人。なぜだろう?私が生命で感じている信仰とあの人が授かっているものは、同じであるのに違うのだ。

それぞれに中にある生命は、個性と宿命を混在させた一人の宇宙の世界。


今日の名字の言-7月2日

 緑のトンネルを抜けると、清冽な水の音が聞こえてくる。降り注ぐ滝の雄姿を眺めながら、青森県の奥入瀬渓流を遡った。その水源は十和田湖だ。

火山がつくったカルデラ湖。かつて魚のすまない湖といわれた。ここでヒメマスの養殖に挑戦した先人がいる。和井内貞行氏。度重なる失敗で私財は底をつき、非難中傷も浴びた。だが、道を貫き、20余年もの苦闘の末に養殖を成功させた。十和田湖には偉大な開拓の歴史が刻まれている。

広宣流布も開拓闘争だ。昭和40年代の青森の下北半島・川内町(現・むつ市)。旧習が深く、女性が働く場所もなかった。一人の婦人部員が署名活動に立ち上がる。約70人の協力を得、合成繊維会社の作業所の設置が実現した。

真剣に地域の発展を願う彼女の姿に、多くの人が学会の認識を一変させた。後年、町の名士は「“わが地域を理想の郷土に!”と情熱を燃やす創価学会は、時代をリードする存在」と賛嘆した。

15年前の夏、十和田湖を訪れた池田名誉会長は語っている。「常に皆の先頭に立ち、率先して道を開く。皆に代わって、襲いかかる嵐を一身に受けて立つ――これが開拓者である」。この不撓不屈の開拓者魂をたぎらせ、われらも進みたい。新たな歴史を開くために。(時)
【聖教新聞】 「名字の言」より

『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく


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一生をかけて「わたし」を知るということに尽きる:今日の【名字の言】


私を知るということ

自分を知ることとは何でしょう。

また、自分を気づかせてくれるものとは何でしょう。

生きるということは成長し続けること。

子どもから大人への成長には、明らかに目に見える成長というものが見られます。

しかし、成長とともに人は「大人」という言葉をうけるとなぜかしら、学習能力を放棄する傾向にあるようです。

学習というものの意味と無限の可能性。生きることの大切さや素晴らしさは、全ては学習することによって得られる。

大人になってもその学習能力を維持し続け、高めることの出来る人が、己を知る、そして、生きるということの真実の獲得に近づけることになる。

その哲学の根本とその世界を己の中に確立し続けることに、終わりはありません。

本当の「大人」とは。

人間とは。

一生をかけて「わたし」を知るということに尽きるのです。


今日の名字の言-7月1日

 インドネシアで“民族独立の母”と敬愛されるカルティニ――。池田名誉会長は、彼女の戦いを通して、「女性の勇気こそ、社会を動かし、歴史を変える力」と語った(本部幹部会スピーチ=6月22日付)。

カルティニが立ち上がるきっかけは、何であったか。オランダ語の「わたし」という言葉を手にしたからであったと言う(土屋健治著『カルティニの風景』めこん刊)。彼女は語学を学ぶなかで、新しい世界を発見し、未来への展望を構想し、新しい「自分」に目覚めたのだ。

「自分」に目覚めて、人は初めて「他者」の尊さにも気付くことができる。相手の悩みに真剣に耳を傾け、相手の笑顔には共に喜ぶ。日々の暮らしの現場に躍動する、この鋭敏にしてふくよかな「同苦」と「共感」の心根こそ、女性の特質と言えるのではないだろうか。

戦後の創価の前進は、女性の“目覚めの歴史”であったと言ってもいい。宿命の涙を勝利の笑顔に変えた、模範と誉れの彼女たち。名誉会長は讃えつつ、心から励ましのエールを贈る。「女性が高らかに声をあげた分だけ、人間社会をよくすることができる」と。

今月12日は「総東京婦人部 幸福・勝利の日」。朗らかに、にぎやかに、凱歌と歓喜の最高峰を目指したい。(順)
【聖教新聞】 「名字の言」より



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