心の変革こそが不可能を可能にする

2009年08月27日:今日の「名字の言」

この夏、映画にもなった新田次郎氏の小説『劔岳 <点の記>』。明治40年(1907年)、舞台は、絶対に登れないと言われた北アルプス立山連峰の「劔岳」。この“未踏”の山頂に臨んだ挑戦者たちのドラマだ。

不可能とされた登頂を可能とした一本の道――それは、だれもが“あの道からは絶対に登れない”と、最初から避けていた道だった。もともと道はあった。道を阻んでいた壁は、無理だと諦めていた心の中にあった。心の変革こそが、不可能を可能にしたのだ。

東京・北総区の女子部では、毎朝、「きょう、自分が挑戦すること」を具体的にノートに書き出し、“諸天を揺り動かす祈り”と共に一日を出発する。強き一念は、明確な目的から生まれる。そして、悔いなく語り抜き、夜には、きょう一日の前進に感謝の唱題を。

祈り動く中で、これまで語れなかった人を味方にした友、4時間の執念の対話で理解を広げた友など、歓喜のエピソードが続々と。池田名誉会長は綴る。「最も手強い壁は、実は心の中にある。ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、『自己拡大の戦い』『人間革命の戦い』を起こすことだ!」。きょう一日のなすべきことを明確に、深い祈りと勇気ある行動で、断じて自身の最高峰へ!(進)

【聖教新聞】 「名字の言」より ※記事内の太字は当方の判断で修飾されたものであり原文にはありません。



【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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知勇兼備と勇猛精進

2009年08月26日:今日の「名字の言」

横浜・旭区の鶴ケ峰で、大きな石碑を目にした。この地で戦い没した武将・畠山重忠を顕彰するものだ。同区内には重忠ゆかりの史跡が点在。長く人々から敬愛されてきたことを物語る。

源頼朝に仕え、幾多の戦いで活躍。鎌倉幕府の成立にも貢献した。日蓮大聖人も「畠山重忠は日本第一の大力の大将なり」(御書1247ページ)と。当時から傑出した剛勇で名を馳せた。

英知にも秀でていた。奥州の合戦で、2万余の軍勢による強固な守りに直面。巧みな戦術で活路を開き、「思慮すでに神に通ずるか」と讃えられたという(『畠山重忠』吉川弘文館)。

知勇兼備。その原動力は何だったのか。後世の浄瑠璃には“身は離れていても、いつも重忠の心は頼朝のそばにあったからだ”(「出世景清」)とうたわれた。主君に勝利を誓い、そのために全魂を注ぐ。この心意気が、重忠の卓抜した知恵と勇気の源泉だったと言えよう。

広宣流布の戦いも同じだ。勝利を心に固く誓った時、「難局を必ずや転換してみせる!」と勇気がみなぎる。智慧がわく。法華経の「勇猛精進」の深義について、池田名誉会長は「勇とは勇んで行動する勇気。猛とは智慧の限りを尽くす執念」と。勇む心を全身に猛らせ、未聞の歴史を勝ち開きたい。(定) 【聖教新聞】 「名字の言」より 

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人間の根源にある愛とエゴという矛盾


2009年08月25日:今日の「名字の言」

8月28日は大文豪トルストイの誕生日。生誕180周年の昨年には文豪の玄孫ウラジーミル氏が来日し、池田名誉会長に「トルストイの時代」賞が贈られている。

新著『トルストイ』を出版した藤沼貴氏(創価大学客員教授)は語る。「(トルストイは)人間の根源にある愛について探求することで、その背後にあるエゴという矛盾に突き当たり、『人間の生に意味と力を与えるものは科学でも哲学でもない。宗教だ』との確信を深めていきます」(「第三文明」9月号)。

人間自身の内なるエゴの激流が、多くの問題を噴出させる現代。そこに正義の対話で励ましを送り、生きる「意味と力」を広げてきたのが学会だ。

「こんな私にも、すごい使命がある! 先輩の激励で、心からそう思えた」とは、苦悩の闇から立ち上がった友。学会には、こうした生命変革のドラマが無数に光る。日本を真に変えゆくものは制度や体制ではない。信仰を持った庶民の力なのだと実感する。

「日本のインテリ層には、『“無神論者”のほうが、信仰者より進歩した人間だ』と考える特有の風潮がありますが、(中略)それがいかに浅い考えであるか」(藤沼氏)。創価の深き民衆仏法運動を、文豪が見たなら大喝采を送るに違いない。(薄)





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己を磨くためのぶれない絶対的な生命と哲学「名字の言」

現実を努力しながら人より一生懸命に生きているという己の自負。

しかし、その自負が己の幸福な生き方に反映されないということは、やはり、現実の生き方が生ぬるいということなのだ。

人より努力していると言い訳してみても、生命から己を変革できないのは、現実に、いかされるべき哲学が確かに備わっていないということ。

人より一生懸命に生きているということの自己満足は、この妙法哲学においては何一つ己を変革させるための答えにはつながらないのだ。

己の中の絶対的な変革は、常に、己の生きている課題を己の宿命として、目に映る現実を生きる力に変える知恵によって見つけ出すことの闘いの結果に生まれ可能とできることなのだ。

2009年8月20日:今日の「名字の言」

豊臣秀吉が淀川の治水のために建設した「文禄堤」。後に大阪と京都(伏見)を結ぶ最短コースの道「京街道」として整備された。今も石垣のようになった堤の跡が、大阪の守口市駅(京阪本線)の周辺に残っている。

この街道、江戸時代には道中奉行が管轄する幕府の主要路の一つに。守口市本町付近には、当時の街道の宿場の面影がある。文禄堤の完成後、守口は交通の要衝として栄えた。

広宣流布の前進においても、守口は関西の「要」である。平成元年(1989年)2月、関西を訪れた池田名誉会長は、守口こそ「常勝の守り口」、関西を牽引する要と讃えた。

その原点は、昭和54年(79年)4月24日。守口市内で行われた大阪本部長会。この日、突然の「会長辞任」。だが、皆の心は一つだった。「関西の私たちにとって、師匠は池田先生しかいない!」。守口の地で刻まれた正義の誓いから、学会の反転攻勢が始まったのである。

以来30年。「師弟共戦」こそ信心の要――この一点が決してぶれないのが「常勝関西」だ。広宣流布の激闘の中にあって、その魂は、世代から世代へと受け継がれてきた。ここに関西の強さがある。わが胸中に「師弟の誓願」が燃えている限り、「常勝の城」は永遠に不滅である。(芯)

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窮地の時に発揮できる勇気と知恵

名字の言

人間の中の無限の知恵と能力は、窮地に陥ったときに底力が発揮されるもの。惰性と臆病の毎日を送る怠け者の人間には、決して発揮されることのない能力。

2009年8月10日:今日の「名字の言」

立秋(7日)が過ぎた。暦の上では秋だが、まだまだ暑く、豪雨、台風が多くなる季節である。ただでさえ不順な天候が続く本年、災害への注意、備えは欠かせない。

50年前の1959年(昭和34年)9月、伊勢湾台風は東海地方を中心に甚大な被害を与えた。池田名誉会長(当時・総務)は、東京の学会本部から名古屋へ駆け付け、最前線で救援活動の指揮を執った。この後、三重・四日市に向かおうとした。しかし、氾濫する河川が交通網を遮断。「これでは無理だ」。濁流を前に、皆が呆然とした。

名誉会長は違った。「大切な、わが同志がたくさん待っている!」と、愛知から岐阜を経由して一度、関西へ入り、そこから三重へと迂回。被災した友のもとへ急いだ。中部の同志は、どんな事態にも、必ず打開の道があることを教わった。

御書に「臆病にては叶うべからず」(1193ページ)と仰せである。日蓮大聖人は、苦難に立ち向かう四条金吾に対して、強盛な祈りで勇気と智慧をわき起こせば、いかなる状況も打破できると激励された。

難局を勝ち越えるには、“もう駄目だ”との諦めを打ち破り、“絶対に突破口は開ける!”と前に踏み出すことだ。その勇気の一歩は、必ず「勝利の峰」へと続いている。(弘)

【聖教新聞】 「名字の言」より


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確かな哲学によって不動の生命を創る


人間が生きることにおいて、危機に直面した時に、「君子もむろん窮することはある。しかし小人は窮すると乱れるものだ。君子は乱れない」という。

不動の生命で、精神と心を律することの出来る哲学。

心の迷いを迷いのない生命で律する妙法。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。


2009年8月7日:今日の「名字の言」

孔子の亡命の旅は、14年の長きにわたる。陳と蔡の国境付近で、一行は餓死の危難に見舞われた。弟子の一人、子路は、なかば憤りつつ、師に尋ねた。「君子も窮することがありますか」。

師は毅然として答えた。「君子固より窮す、小人窮すれば斯に濫る」(=君子もむろん窮することはある。しかし小人は窮すると乱れるものだ。君子は乱れない)。

そのときの情景を、井上靖の作品『孔子』は、こう描く。――大きな感動が弟子を包んだ。もうこれでいい、かくも毅然たる師の言葉を聞いた以上は、飢えてもかまわない。そもそも栄誉栄達が何であろう。師と共に耐え抜いた日々を持てたこと、それこそが最高の喜びなのだ

後年、孔子は語っている。「我に陳・蔡に従える者は、皆門に及ばざるなり」(=私に従って陳・蔡の危難にあった弟子は皆、出世の機会を逃してしまったね)と。弟子を思う師の心が、熱く伝わってくる。
このころ(前6~4世紀)、世界にはソクラテスやブッダも生まれ出た。哲学者・ヤスパースが「枢軸時代」と呼んだゆえんである。まさに、人類史に「師弟」という、新しい人間関係が誕生した世紀であった。

師と共に、歩み、戦う――。そこに人間としての証しと、真実の凱歌がある。(裕)
【聖教新聞】 「名字の言」より





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戦争:人間の愚かさの象徴


人間の愚かさの象徴とは、畜生のごとき生命で対立する人間と人間が殺しあう戦争のことであろう。

その、愚の骨頂ともいうべき発明が、核兵器という存在であろう。人を殺す道具としての核の存在。

人類の未来と地球の存続の平和為に核が利用されるためにの核兵器は必要悪の存在。

その武器を使用する悪魔の領域と神の領域を行き来する人間の魂とは。

人間の中に棲む悪魔を知っている者、核兵器の恐ろしさを身をもって体験した者は、その核兵器の開発、使用する者達に向かって断固宣言しなければならないのだ。

世界の平和を願う全ての団体の一人、ひとりが声を出して、立ち上がらねばらない。


参考:[PDF]原水爆禁止宣言について

2009年8月6日:今日の「名字の言」

原爆投下から64年。核廃絶を願う広島、長崎の心は国際情勢の中で、希望と落胆の間を揺れ動いてきた。

しかし、原爆使用の道義的責任を認め、「核兵器なき世界」を目指すオバマ米大統領の登場で、光が見えてきた。核廃絶こそ現実的選択とする主張は、核保有国でも徐々に広がっている。それでも、広島、長崎に起きた「現実」を直視することには、いまだに根強い抵抗があるようだ。

SGIは今年、被爆者の証言を5カ国語でまとめたDVDを制作し、インターネットで全世界に公開した。証言を聞き、取材経験からも感じることだが、被爆者の方々の思いは、原爆の責任追及より、二度と悲劇を繰り返してはならないという点に向けられてきた。日本人である前に「人間」として、核兵器を拒絶している。

「ノーモア核兵器」の声に浴びせられる、侵略した報いとの“因果応報論”。戦争を終わらせるためだったとの“必要悪論”。それらの壁を乗り越えるには、核兵器を生命の次元から断罪する思想が不可欠だ。まさに戸田第2代会長の原水爆禁止宣言の着眼点である。

現在、全国の被爆者の平均年齢は約76歳。あの惨禍を体験した人々が存命のうちに、廃絶への道を確かにしたい。好機を逃してはならない。(飛)



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この世では問い続けても問わなくても無の世界

人間が、問い続けるということは生きることの本能。
死ぬまでのゴールへ己の足を運ばせてくれる人間に与えられた本能。

人間が、人間らしさのゴールへ進めないのは、この必要な本能を、見誤らせ、混乱させ、退化させる社会に同化してしまう弱さと愚かさ。

人間というものは己に問い続けぬ限り「無」。

また、問い続けなくても「無」。

結局、この世では、「無」なのだ。

死の流転。生の流転。

人間が、人間らしく最上級に生き、人に近づける方法は、答えの無い現実の世界に答えを求め、「信じること」に足る哲学を己の生命に宿し、更に、問い続けることの先に、死というゴールに辿り着くことに集約される。

2009年8月4日の今日の「名字の言」

宇宙飛行士の若田光一さんが、日本人初となる宇宙での長期滞在を無事終えた。トラブルを乗り越え、実験棟「きぼう」を完成させるなど、日本の宇宙開発に新たな歴史を刻む活躍に心から拍手を送りたい。

若田さんが4カ月半を過ごした国際宇宙ステーションは“ミニ地球”と呼ばれる。太陽エネルギーから電力をつくり、尿や空気中の水蒸気を飲料水に再生。その水を分解して酸素を発生させる一方、吸着剤などを使って二酸化炭素を除いている。

宇宙では、このうちのどれ一つが欠けても、安全に生活できない。宇宙に“ミニ地球”をつくることは、「不可能への挑戦」の連続だったにちがいない。人類初の女性宇宙飛行士、テレシコワさんは「人間は、ひとたび何かを心の底からやりとげようと思い、この夢に向かって全身全霊でぶつかっていけば、必ず実現できる」と述べている。地球の恵みを実現できたのも、同じ夢を追う多くの人々の、あくなき挑戦への情熱があったればこそであろう。

かつて池田名誉会長は、日蓮大聖人の仏法を信ずる人を「生命の宇宙飛行士」と呼んだ。人間の“内なる宇宙”を開拓し、胸中に確かな「きぼう」を築きゆく。このロマンあふれる挑戦こそが、広宣流布の大偉業だ。(孜)

【聖教新聞】 「名字の言」より



■名字の言~人生を確かに生きるひとしずくの言葉


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賢者はよろこび愚者は退く>今日の「名字の言」

2009年7月28日の今日の「名字の言」

徳川家康にとって「過ぎたるもの(分不相応)」と、敵将・武田信玄の側近から羨望されたものが二つあった。「唐の頭(=唐牛の毛で飾った兜)と本多平八(=本多平八郎忠勝)」である。

本多忠勝は、家康軍団で「最強」と謳われた武将。重装備で防備に気を使うより、機敏に動き、攻めて勝利を開こうと、軽い鎧を好んだ。戦場に臨むこと五十余度。常に先陣を切りながら、傷一つ負わなかったという(「歴史街道」)。

自軍が全滅の危機に瀕した時のこと。乾坤一擲の敵中突破を図り、家康の本隊を無事に帰還させた。 「死中にあっても活路を開く!」 「あくまで攻める」――戦地に身を置き続けた無双の勇士の精神であった。

広宣流布の闘争も同じだ。日蓮大聖人は「権門をかっぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と。強敵に対するにも「賢者はよろこび愚者は退く」 (同1091ページ)と、前へ進む姿勢を貫かれた。

「攻撃することが勝利の要件」「いかなる戦いにおいても『守り』『受け身』に回ってしまえば弱い」とは池田名誉会長。どこまでも折伏精神、攻撃精神で進むことだ。死身弘法の師に続き、堂々と戦い抜きたい。そして、勝利の道を切り開く勇者でありたい。(薬)

【聖教新聞】 「名字の言」より

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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馬鹿になって悟りを開く

暗い心は現実に負けている己の弱い心が作り出しているもの。

現実が苦しくなればなるほど、生命のか輝きが増すのならば、
心に笑顔がどうして作れない。

現実の戦いの苦しさ故に、己の心の弱さを暗さで露呈するならば、
己を力づけてくれる人に対して、これほど辛さを与えることは無い。

人の幸せを願える生命を己自身で勝ち取りたいのら、
己の現実に深く沈んでいる心に負けるな!

苦しいからといって、己の心に、晴れない分厚い雲を敷き詰めて
悩み満ちたその心を撒き散らすそんなつまらない人間になるな!

信じて馬鹿になる。
己を信じて馬鹿になる。

苦しくても、泣いて生きるより、笑って生きるほうが
前向きな生き方ということは、誰にでもわかる。

わかるはずのことが出来ないのが、己の宿命。
生命によって強い心を更に強く出来ない生命の壁。
その壁を見抜いているのなら、馬鹿になって信じる。

間違いの無いものを確信しているのならば
もう馬鹿になることだけだ。

人間は馬鹿になって初めて、人の道を悟り、
更に、人としての階段を登れるのかもしれません。


2009年7月22日の今日の「名字の言」


若き豊臣秀吉の“三日普請”の故事は有名で、数々の小説やドラマなどで紹介されてきた。中でも、吉川英治氏の『新書太閤記』に描かれた内容は、示唆に富んでいる。

織田信長の清洲城の壁が、暴風雨で100間以上も崩れた時のこと。修復工事がノロノロと進まない。それを憂いた藤吉郎(秀吉)が、「三日もあれば」と普請奉行を請い請けた。しかし、前任奉行が邪魔立てし、老獪な棟梁らも怠けてばかり。藤吉郎は訴えた。「国の興亡は、実はお城にあるわけじゃない(中略)お前らの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀だ、濠だ」。ただ国を思い、民を思う叫びが、棟梁たちを目覚めさせた。自身も一職人となって泥仕事。総力戦の突貫工事で、約束通り、わずか三日で修復した。

確かに、どんな世界でも“全責任を担う!”という必死の一人が立てば、劇的に道は開かれる。逆に、心の片隅のどこかに、他人を当てにする心があれば、物事は停滞してしまう。小さな一念の差が、大きな勝敗を決するのだ。御書に「一の師子王吼れば百子力を得て」(1316ページ)と。環境ではない。人でもない。自分が師子となって祈り、走り、断じて勝ってみせる! 本物の覚悟が決まった瞬間、勝利への大回転は始まる。(誠)

【聖教新聞】 「名字の言」より



■名字の言について~人生を前向きに生きる哲学の実践



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感謝の無い信仰は本当の信仰ではない~今日の【名字の言】

「報恩感謝は私自身に対するもの」~世界に一冊のメモ帳

信仰者として、世の中を通して、目に見えるものとして、また、心に生命に映るものとして感じ取ることは、全て、私の中を通してみた世界。現実とは、人それぞれの生命の傾向性によって全く違うものなのである。

たとえ、同じ信仰をしていたとしてもそれぞれ違う。信仰をしていても「感謝」を感じられない人もいる。感じる、感じないは、生命の問題。頭でわかっているだけではそれを理解しているとはいはない。

報恩感謝の精神は己の中の確かな信仰を確かめるための一つのバロメーター。私は、この妙法によって、現実から受け取るさまざまな情報を映し出し、その知恵によって、現実の生活の価値を高める事を、今を生きることから学ぼうとしています。

己を成長させてくれるものが「何」であるのか?それは、私が生きているこの「現実」に他なら無いわけです。ですから、究極、全てのありとあらゆる、「生きとしいけるもの」に感謝なのでしょう。

人に対して感じる感謝とは少し違う。己の生命を己の妙法という信仰によって高めることで気がつく、そして、更に、己を高めることが出来るというその感激に感謝できるという、根本的な感謝と報恩こそが、信仰者の中に築かれていって、初めて、他者への「報恩」、全てのものへ「感謝」が必然的生まれる。

「報恩感謝」とは、言ってみれば、妙法という哲学を通した、私自身への報恩感謝でもあるのだ。

2009年7月8日の今日の「名字の言」


 6月4日、池田華陽会として颯爽と進む女子部に、喜びと感動が広がった。「名誉会長夫妻が創価女子会館を訪問!」――朗報は全国はもとより、世界各国に即座に伝わった。

「飛び上がらんばかりに女子部と喜び合っています」と語るのは、太平洋に浮かぶミクロネシア連邦のロペス支部婦人部長。3日後の7日には記念の集いを開き、池田華陽会の歌「華陽の誓い」を合唱。「池田先生・奥様と共に歓喜の力強い前進をしていきます」と意気は高い。

「イケダカヨウカイ」は昨年に結成されたばかりだが、「ザダンカイ」「コウセンルフ」等と共に世界共通語となった感がある。イタリア、韓国の友も口々に述べていたが、師弟勝利の青春譜を綴ることを最高の誇りとしている。そして、彼女たちに共通するのは「感謝の心」だ。

東京・町田出身の青年詩人、八木重吉の言葉を思い出した。「感謝の無い信仰は本当の信仰ではない」「すべてはそこから出づる。感謝と報恩と」「自分のまわりを、感謝の海とせよ。感謝は強い。感謝は美しい」(全集第3巻、筑摩書房)。わが生命を感謝の心で染め抜きたい。

「仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」(御書293ページ)。人間の真の生き方が、ここにある。(川)



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一は万が母~今日の【名字の言】

2009年7月6日の今日の「名字の言」

視力障害のある関西の婦人部員が先日、東京を訪れた。一人の友人に仏法の哲学を語るために。広宣流布へ労苦を惜しまぬ尊き姿に最敬礼。

婦人は生後、数カ月で失明した。しかし、競泳の選手やボランティアなども務める無類の頑張り屋。そんな彼女の転機となったのは、高校時代の同級生が命に及ぶ難病に襲われた時。何もしてあげられない無力さに苦しんだ。その時、ある親友から聞いていた題目を唱えた。すると時が符合するかのように、同級生は一命を取り留めた。

何ができなくとも、一人のために祈ることができる。それがどれほど素晴らしいことか。それを知った彼女は本格的に信仰の道を歩み始めた。一人のために祈り、一人のために語る。そこにこそ真実の仏道修行がある。「一人のためであっても、たとえ一句であっても、法華経を説く人は、仏の使いである」と法華経には仰せだ。

あの1万1111世帯の弘教を成し遂げた昭和31年の「大阪の戦い」。指揮を執った池田室長が最初に関西の幹部に語ったのは、「会員の一人一人を大切にしてください」であった。「一は万が母」(御書498ページ)である。眼前の一人に全力を。一人の心を揺り動かす対話を。その執念の連続闘争から歴史が開かれる。(進)
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初志貫徹によって不屈の力を得る~今日の【名字の言】

初志貫徹によって不屈の精神を築く~【世界に一冊のメモ帳】

理想と、決めた目標に対して、己が進む前に立ちはだかる壁やハードルを越えようとする瞬間、もがき苦しんでいる時に、湧き起こってくる己の弱さと、生命に映る宿命、その限りのない深さ。

その弱さと宿命の深さに耐え切れずに、生命の傾向性から現実から逃げようとする瞬間、心の中に、過去の消えない恨みつらみと憎しみが充満してくる。

その瞬間こそ、いまだに消すことの出来ないその恨みつらみと憎しみを己の生命の中で、この妙法哲学によって戦いを挑むことによって、己の中の精神の確立、不撓不屈の精神へ近づける。

2009年7月5日の今日の「名字の言」

 中日友好協会の黄世明副会長に、話を聞いたことがある。「どんな困難な時も、初志を貫くことができたのは、“人民のため”との思いがあったからです」。

周恩来総理やトウ<登におおざと>小平氏ら歴代指導者の通訳を務めた黄副会長。がんも2度患った。最初の時は、周総理が自ら病院に手配を。二十数年後の再発時には、池田名誉会長から励ましの和歌を頂いた――と感激を露わに。

「私は、50年近く、中日友好に取り組んできた。何の悔いもない……今度は、若い皆さんに託したい。友好交流を深めてほしい」。亡くなる前年のことだった。

初志を貫徹することは難しい。壁にぶつかると、できない理由を並べたくなる。だが、それでは、自身の負けだ。目標を成し遂げるには、“何のため”との一点を心に赤々と燃やすことである。

たった一人の挑戦でも、劇的な変化をもたらすことがある。アメリカの大実業家アーマンド・ハマー氏の座右の銘は、「初志を貫き通すならば、一人の人間が状況を変えることができる」だった。

黄副会長は、こうも語っていた。「私は、力をつけるため、若い時から、たくさんの本を読みました。皆さんは幸せですね。池田先生の著作やスピーチから、不屈の力を得ることができるのですから」と。(葉)
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執念で困難に挑み勝つ~今日の【名字の言】

世界に一冊のメモ帳

自ら進んで崖っぷちに立てるのか?!

全ての戦いは、己の中の無明の明かりを照らす為。己の中の信仰心を更に高め開く為。己がこの宗教を選んだのには、意味がある。それは、己の中に自由を確立するため。

人間は、崖っぷちに立たされることで、己の生命の中に何かが光始める。確かな哲学と信仰の石が、私の生命の中で、輝き始める。そして、生きるという執念に、到着した時に初めて、その扉は開かれる。


2009年7月4日の今日の「名字の言」

「学会っ子は、北風に向かって戦おう!」35年前の12月、池田名誉会長は東京・新目黒会館を訪問。居合わせ学生部の友を激励し、「冬の目黒グループ」と命名した。

その一人が、述懐している。「池田先生の指導は、『困難に挑み勝ち行け!』との万感のメッセージだと思いました。だからこそ、どんな激戦も勇んで戦い、勝利してきました。」同グループの友は現在、学術会、実業界など、各界で活躍している。

公宣流布の歩みは、数々の艱難を勝ち越えてきた歴史でもある。戸田第二代会長は、常に、公布の主戦場へ、最も大変なところへ、愛弟子の名誉会長を派遣した。事業の苦境も、権力の闘争も、公布の拡大も、師と弟子の「不二の闘争」で突破口を開いてきた。

名誉会長は綴っている。「本物の師匠に、私は本物の弟子としてお使えしぬいた。公宣流布の御構想を実現する為、執念、また、執念で全魂を尽くしました」(「御書と弟子」)。弟子の激闘合ってこそ師の勝利だった。

「激戦あるところに、必ず私たちは身を置く」(ユゴー)公布の戦線で勝利をもぎ取る。師匠の期待に応えて断じて勝つ。どんな難局も必ず打開する。この誓い通りに結果を出す人こそ「本物の弟子である」。(薬)
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勝負は峻厳!一瞬で決まる~今日の【名字の言】

「攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く」己の弱い心を攻めて、押し切って、戦って、己の生命の中に勝利の旭光が輝く!

己の勝負は、今、この瞬間!弱い生命の中に、姿と形を変えて忍び寄ってくる魔との戦いなのだ。魔を魔と打ち破ることの出来る生命を維持することこそ峻厳なる己の宿命の深さを現実にさらされることによって勝ち取ることが出来る。己自身の真実の姿を映し出すことが出来る。

地獄も天国も己の中に一瞬で入れ替わる、人間の生命の怖さ。全ては一瞬、今。


今日の名字の言-7月3日

 実力が拮抗した競り合いを制するには?――「攻めの気持ちを貫いたほうが勝ちます」と柔道の元全日本男子監督・斉藤仁氏は語っている(「第三文明」8月号)。

2006年の全日本柔道選手権。アテネ五輪で「金」の鈴木桂治選手と、当時19歳の石井慧選手との決勝戦。終始、鈴木側優勢で進んだ。だが終了間際、残り時間を気にした鈴木が、ほんの一瞬、ちらりと会場の時計を見た。それを石井は見逃さなかった。「その一瞬に石井の攻める気持ちが、鈴木のそれを上回ったんです」と斉藤氏。結果は石井の逆転勝利だった。

勝負は峻厳だ。一瞬の競り合いを制した者が勝つ。最後の最後まで「攻めの気持ち」を貫くことこそが勝利の要諦だ。御書には「いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(1090ページ)と仰せだ。“いよいよ”“せむべし”の気概で、猛然と戦うことである。

池田名誉会長は語っている。「攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く」と。

きょうも力の限り前進したい。勝利のその瞬間まで、攻めの気持ちを堅持したい。その人の心にこそ凱歌は轟き渡る。(之)
【聖教新聞】 「名字の言」より

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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