【知恵】:「三人寄れば文殊の知恵」・人間社会を生きる


ああでもない、こうでもない。

人間と言うものは、「考える頭」があるということによって、どれほど幸せに生きる為の無駄な時間を送っていることだろう。

不幸の「壁」を、考える頭によって、自ら作り上げてる。

「なんだ、そりゃあ?」

頭が良すぎて、手も足もでない、考えすぎる「バカな頭」。

「うそ~!」

「それ、矛盾してる~!」

「あ~だ、こ~だ」と理屈なのか屁理屈なのか知らんけど・・・。

手前勝手な、都合の良い理由を永遠と並べてみても、現実を生きない人間にとって、所詮、すべて、「絵に書いた餅」。

何も実現できなければ、無駄の無意味。

無意味どころか現実を生きることから遠ざかり、叶いっこない夢を生きながらあの世を生きているようなもの。

せっかく、体と心の痛みを感じる、また、切ったら血を流し、傷跡を残す体と心。

生身で生きられる人間として、生まれたのに・・・。

「喜怒哀楽」の感情。

人間の五感と研ぎ澄まされた第六感(?)。

何のためにあるのかな?

人間にあるものは、全部必要なものなんじゃあないの?

切り捨てたり整理したり合理化するなんて、人間が人間を知るためには、あまりにも不合理すぎない?

人間にとって要らないものなど何一つない。

人間社会を、力強く生き抜くための全部が武器。

「その武器を鍛えなさい!」

「使って、使って、使いまくりなさい!」

「泣いて!泣いて!泣き喚け!」

「怒って、怒って、頭をぶつけた押せ!」

「悩んで、悩んで、悩みぬけ!」

人間に備わった全てを使い倒せ!

「突き抜けろ!」

そんなことなどできないだろう。

使い方を知る為の説明書を貰わなかったのか?

お前自身で作らんのか?

拾うことも出来ない「運」の無い人間!

所詮、臆病で、運を開けない人間は、どこまで言っても、頭があるのにいらん頭を使うばかり。

人間についている頭を使う本質をどこまで行っても知ることが出来ないんだよ。

だから愚か者だという。

本当に使える脳みそを使い倒せない馬鹿ばかり。

それは、お前のこと (・・・私のことです・・・)

じゃあ、どうすればいいのか?

う~ん。

「やっぱり、また、あしたかんがえよ」

あたまのなかは、ひらがなばかりの世界が、もやもやとうかぶだけ。

何一つ知恵が浮かばない。

その知恵。

生きる知恵。

神様でも、仏様でもない限り、生きる知恵なんて、頭で考えただけでは、出てこない。

ひねりだせるはずが無い。

ただ、観念、観念、観念。

「もう、ええ加減に、観念せい!」

生きる時間を無駄にする。

無意味な時間。

そこには、知恵をひねり出せる、確かな哲学がないから。

その確かな哲学とは、現実を立って歩くための行動を必然的な伴う哲学。

生きる為の、活きた知恵とは、頭の脳みそから出るのではない、現実の中で、人間として生きる結果によって引き出される、一人ひとりのオンリーワンなのだ。

現実をオンリーワンの幸せで生きられる確かな哲学に基づくものが、生きる現実に、壁を作らない最高の知恵。

こんなところでくだらない能書きをたれているような今の私には、絶対に捻り出せない生きた知恵なのだ。

現実を生きることの辛さは、なんとも楽しい。

今を生きている実感。

そんな風に思えそうな・・・。

辛さの中の笑顔。

それが、今の私の現実的な目標。

このどん底で、現実は変わらないけれど、本当に、己の中の開けてくる生命を心で、確かに感じ取ることが出来る。

怖い、怖いと思っていた現実も、蓋を開けてみれば、己の弱い心が作り出していた幻影にすぎないのだ。

『三人寄れば文殊の知恵』

人間が人間社会を生きる知恵。

対話により生まれる人間社会の英知。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



知恵 | [2014-01-29(Wed)] | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

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