人生の病根は傲の一字:感謝を失った人間の傲慢さ


報恩・感謝に基づいて今を生きるわたしの道理と哲学。

人間、今まで、自分だけの力で生きてきたと思ったら大間違い

人間、今を、自分だけの力で生きていると思ったら大間違い。

人間、未来を、自分の力だけで生きていけると思ったら大間違い。

大間違いだよ!

報恩と感謝を忘れ、失った人間の傲慢さこそ、人生を生きる病の根源。

人生の病根は傲の一字

人生における病の根源とは、人間の中の傲慢さにある。

原因と結果。

自らがまいた種。

わたしに今、必要なもの。

謙虚さ。

報恩と感謝に基づく謙虚さを忘れてる。

失ったら、人間終わり。

わたしが今を生きている価値は無い。

人間生きているだけで丸儲け。

己の中の愚かな傲慢の芽を摘まねば・・・



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人生の病根は傲の一字


人間の持つ感情。

心によってコロコロと移り変わる。

感情から冷静へ!

冷静から理性へ!

人間がより人間らしく生きる。

確かな哲学に基づいて生きる。

わたしにとって今を生きることは、この世での2度目の人生を生きる事。

そう誓ったはず。

傲慢に生きてきた過去の己の愚かな人生。

わたしにとって今を生きることに求められているもの。

感謝と謙虚さ。

そうして生きる事のみに、わたしの第二の人生を生きる価値を創造することが出来る。

感情に流される愚かな毎日。

人生の病根は傲の一字

自身の運命を変えることが出来るのは、私自身でしかない。

ありがたい。

ほんとうにありがたい。

今、こうして自分の病の根源と闘うことからあきらめない。

わたしが、今、最高に自らの可能性を開く時。

勇気を出して、一歩前へ!

恐れるものは何もない!

失うものは何もない!

失うものなど何もないのに、なんで、こんなに憶病になってんだ?

人間の中の弱さとは、一体、どこからやってくるのだろう。

私自身を苦しめるもの。

私自身に付け込んでくるもの。

今、変革のときなんだ。

感情から理性へ!

人間を変える。

私という人間を変えることに対する挑戦。

今こそ、境涯革命の瞬間!

心の奥底に消えかかっている炎。

輝かせ!

自らの使命を決してあきらめない。

希望と夢をどこまでも決してあきらめない。

今こそ、勇気。

その勇気を生命の底から湧きいだすための賢者の石。

己の生命のダイヤモンド。

確かな哲学を体得する。

桜梅桃李。

今を生きる。



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人生の病根は傲(ごう)の一字


『人生の病根は傲(ごう)の一字』

母が、教えてくれた。

母が、与えてくれた。

でも、その言葉を忘れそうになる時がある。

でも、その言葉を忘れている時がある。

そして、気が付いたら、もうその言葉すら忘れていた。

人間は弱い。

決して一人では生きてはいけない。

「一人で生きていける」なんて言うのは、傲り以外のなにものでもない。

生きることに感謝を忘れた人生。

わたしが生きているこに対する全てへの感謝。

大切な人への報恩。

今生きているのは、大切な人のお蔭で生かされている。

私の中の生きるという勇気は、私の中から湧いてくるものであるけど、私の勇気ではない。

人間らしく生きることに対して、より人間らしく生きようとする勇気。

「より」人間らしく生きるとは、わたしを、より、わたしらしく生かすということだ。

生かしたい。

わたしの人生だから。

感じたい。

わたしが、今を生きている実感。

確かな哲学の中には、必然的に「謙虚」さが生まれる。

報恩と感謝、そして謙虚さ。

人間は弱い。

結局は、強さが人間を滅ぼす。

その弱さ。

人間が、今というこの瞬間を生きる連続。

現在。

そして、過去。

未来。

過去は大切な宝。

今を積み重ねた己の宝。

未来を創り、変えることのできる大切な宝。

人生の病根は傲(ごう)の一字。

大切な言葉をありがとう。

変わりたいと誓う私の中にとって、母が与えてくれたこの言葉は、大切な宝。

宝なんだ。

生きているだけで丸儲け。

人間は、すべてに対する謙虚さの中から、生きることの大切な本質を気が付くことが出来る。

だから人間なんだ。

人間。

神も仏も人間の中にある。

でも、人間は神でも仏でもない。

神や仏になんてなりたくない。

神や仏と勘違いして、人間として生きることを止めるのは嫌だね。

人生の病根は傲(ごう)の一字。

下界の人間達を眺めて、現実の外から説教を垂れる人生なんて意味がない。

生身の人間でなけりゃあ、人間として生きられやしない。

まだ、まだ、これから。

生きることにゴールなんてありゃあしない。

スタートとゴールの連続。

人間やめたら死ぬのと同じ。

生きる屍とはよく言ったものだ。



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人生の最後の瞬間まで求め続ける変化とその哲学

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環境がどんどん変わる。

その変化の中で、どこまでも【謙虚さ】を貫き通したい。

己の過去の人生の失敗を、二度と繰り返すまい。

どこまでも無知なる傲慢の故による過去の人生の躓き。

人生の病根は傲(ごう)の一字

弱い人間の中の、大バカ者が持つ傲慢。

強い人間の、最後の結末を、己の身から滅ぼす愚かな傲慢。

現実の変化の中で、その二つの人生を破壊する傲慢を、今、己自身の身と精神によって試されている。

今、己の心を試されている。

今、己の生命を映しだせる瞬間。

変化の中の現実は、どん底の流れの、逆流の中、渦の中、ドブの中、激流の中。

その流れの中で、常に、己が試されている。

人生の流れを、己自身でコントロールできる生命へ。

その中で湧いてくる、生きた知恵。

創りだせるのは、今この瞬間。

確かな哲学を己の中で完成へ向けて、どこまでも貫きたい。

そして、変化の中で、その変化に絶対に動じない。

どんな変化も、全てに後悔の無い、完全燃焼を目指す。

その変化は、誰から与えられたものではない。

その変化は己自身が選択した変化。

その変化の現実と場所が、私の今を生きる舞台だ。

常に、その舞台の中央に立つのは、私。

どんな変化にも動じない。

己を信じる力。

その確かな哲学。

どん底の中で、つまらぬ自己満足の達成感に浸っている場合か。

そんな時間があるならば、更に、現実の変化を求めよ。

更に、前へ進め。

不安を恐れるな。

己にとっての「今」とは何だ?

目指す先は、途方も無く遠くて大きい。

「今」より、一歩「先」を生きる。

「今」より、一歩「未来」を生きたい。

現実の全ての変化を後悔の無い、前向きな未来を創る。

「今」という変化の中で生きるために、その心の目線の先に映る己の生命を常に感じ取れることが永遠の課題。

変化を常に求める心が必要とするもの。

謙虚さ。

謙虚とは、どこまでも、己に嘘を付かないということ。

己に対して正直であること。

生きる知恵とは、謙虚さの中から生まれる。

生きる知恵とは、幸せに生きる為の本質。

その本質を生命に刻む事。

私の中でもう、過去は終わった。

己の中の確かな哲学に基づいた後悔の無い過去。

過去の自慢など何一つする必要など無いし、過ぎ去った過去を今、振り返っている余裕はない。

私にとっての生きることとは今。

この今しかない。

もう、過去は語るまい。

今にとって、私の過去は、ノーコメント。

私の全ては、今に全部詰まっている。

その今は、全ては己の未来のためにある。

己の最後の決戦の時。

その最後を迎えるときのためにある。

生きることの終末。

人生の【死】。

その「最後の審判」を、己自身が下す瞬間。

桜梅桃李。

今を生きる。



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喧嘩上等・怠惰と怠慢と傲慢


立ちはだかる無知なる傲慢の壁。

そして、謙虚さを維持するハードルの高さ。

「喧嘩上等!」

売られた喧嘩を買うなんて当たり前!

てめぇ、逃げんなよ!

いいねぇ。

ヤンキー用語(?)の中の心意気と言うものは、清々(すがすが)しい。

逃げが無い。

実際は、そこには、生身の人間が血を流し、ぶつかりあうという感情のまま突っ走る。

まあ、馬鹿な人間がやることだけどね。

でも、「本物の馬鹿」は最高。

自分の人生を生き切ることが出来ると思えるから。

感情を、理性という精神でコントロールできない弱い心。

しかし、喧嘩上等!

ヤンキーの粋というかポリシーというか哲学というか・・・。

なんか単純だけどね。

でも、いいよね。

徹底的に戦いあう。

どちらが強いのかを、その己の肉体で決着する。

白黒をはっきりつける。

「タイマン」を貼る。

一対一。

喧嘩に強くなるには、「喧嘩上等!」

喧嘩は、売るけど、買わない「卑怯」。

それは、「タイマン」では無く「怠慢」。

怠慢と怠惰と傲慢。

あの時、あの瞬間。

死と隣り合わせで生きている時の緊張感と絶望感。

そんな、あの時の心をいつまでも忘れないために、常に、己に対して、崖っぷちの状態の選択枝を用意する。

お前、逃げんなよ!

「喧嘩上等!」の哲学。

常に、立ちはだかる己の中の「無知なる傲慢の壁」と、「謙虚さを維持するハードル」の高さ。

哲学における己の中の変革を成し遂げ続けるためには、己の中で、その哲学に対する誇りを、己自身の中の生命の宝として、確立させ続けるための戦いと言える。

今が幸せ。

でも、今の幸せよりも、もっと、大きな幸せ。

もっともっと、大きな幸せを勝ち取るために、現実を生きて、最高で最強の冷静なる感情と理性を、生命に刻む心の「喧嘩上等!」の哲学。

闘えることの幸せ。

「喧嘩上等!」

確かな哲学における「タイマン」とは、無私によって、相手をどこまでも理解しようとする「一対一の対話」。

常に、相手の人間の中の本質を見つめようとするための目を養う。

目を養うとは、心の懐は深く、大きく、そして、生命の境涯を高めること。

確かな哲学に、そこに必要な【もの】とは、たった【1つ】しかない。

必要な時に、たった一つの大切なものを、使えない、働かす事のできない、「策」や「方法」に溺れる、考えるだけのお利口な(?)お頭(つむ)の愚か者にだけはなりたくはない。

わたしの中の確かな哲学に、そんなことは書いてはいない。

それでは、一体、何のための哲学なのかわからなくなる。

それでは、その哲学は、己の中で単なるお題目にしか過ぎないと言う事だ。

自己確立されない人間。

お経を読むしか脳がないのなら、猿にでも出来る。

(・・・それは、ちょっと無理か・・・。)

人間を見つめることによって、己と言う人間を映しだす。

相手の姿を見て、如何に己の心の中に、現在の生命を映しだすことが出来るのか?

そこには、謙虚さが無ければ、己の生命を映しだす鏡は、現われない。

確かな哲学の「タイマン」には、人間対人間の対話と同時に、己の中の「心」と、心の奥深くの「生命」との一対一の「タイマン」が、問われている。

それが無いのは、単なる「怠慢」。

『進まざるは退転』。

将にその通り。

自らを変革できないのは「傲慢」。

自らの変革にさえ気がつけないのは、信仰者としての己の中に信仰心を確立し、更に、高め続けるための努力を忘れて置き去りにし、現状の居場所の居心地の良さに自己満足しているだけの「惰性」と「怠慢」。

どんなに人間にも、いつも巣食う『己心の魔』と宿業。

桜梅桃李。

今を生きる。






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【傲慢】:猿にでも出来る世の中の批判をする傲慢社会


所詮、批判なんて無責任そのもので、批判されるターゲットの本当の胸の内などコンマ以下も理解しているはずなど無いのである。

批判とは、「いじめの原理」とさも似たり。

批判されたものの胸中を推し量ることなど、その当人が自殺をしたところで、その批判したもの達は知らん顔して何も無かったかのように、批判をしたことの事実は死者とともに葬り去られる。

いじめは、いじめたものが絶対に悪いと確かに「右へなれ」はできても、ネットでの批判は批判されるものが悪いとやりたい放題の袋叩きか?

ネットではついさっきまで、袋叩きにされていたものでさえ、立場が変われば、その仕返しとばかりに、言いたい放題か?

あきれる。

人間は、アホの集団とアホの集団がいれかわっているだけじゃあないか?

アホとアホがいる社会は、アホ全体社会。

この世の社会は、や(殺)るか、や(殺)られるかの社会か?


思いやりとは何だ?

思いやりが必要な哲学とは、どこにある?

己の意見が、その他大勢の意見を集約しているなんて事を少しでも代弁しているなんて事を思うなら、どれほど迷惑なことであろう。

迷惑な発信を続けることの愚かな行為の無責任の結末は、その当事者は夜逃げして、罪の無いものが責任をかぶせられる。

「猿にでも出来る世の中の批判」。

言いたい放題の垂れ流しの世界。

それは、ネットそのものだ。

「猿にでも出来る世の中の批判」。

そんなことを書けば、人間より偉い猿から批判がくるかもしれない。

「猿さん、ごめんね」。

アホな人間社会の愚かさを冷静に見つめて、その批判の反省なんて猿にでも出来る

「やっぱり、ごめんね」。

己の無責任さを反省。 m(__)m

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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建設は死闘、破壊は一瞬:人生の病根は「傲」の一字



間違った世の中を批判することに意味があるの?

世の中と社会を批判することなんて、一番簡単なことで、一番卑怯なことではないの?

己の肝心なことは棚にあげて、世の中を非難や中傷、偉そうに批評家気取り。

「傲慢」と謙虚。

世の中を批判する「傲慢」さこそ、私の中の「愚人の象徴」ではないのか? 

たとえ、世の中、総愚人化の世の中であったとして、己が愚人になりたくなければ、愚人社会を批判することなど、まだ、100年早い!

この世をもう一度、出直してきてから語ることが望ましいのだろう。

謙虚さを失えば、築きあげたものが、ぼろぼろとこぼれ落ちる。

己の心の強さを磨く生命の、『建設は死闘、破壊は一瞬』。

こんな記事を書くことの出来る己の未熟さというものは、本当は、救いがたい人間を映し出しているのかもしれない。

未熟であるものが謙虚さを失えば、何が残るというのだろう?

何を「建設」するというのだろう?

己の哲学は何のために存在するというのだろう?

破壊は一瞬』。

まさにその通りだ。

積み上げてきたものなど、心の一瞬の隙を狙っている「魔」によって、確かな生命を築き上げてきた「階段」を全て破壊してしまうことなど簡単なことだ。

己の現実を生きる人生に、平坦な道があると思うことは、もう、既に、破壊につながる坂道を転げ落ちているということと同じなのだ。

己の人生を生きることに、油断も隙もない。

「油断」と「隙」だらけの人生だったじゃあないか?

自らその「原因と結果」の人生を送ってきたことのその「本質的な原因」とは?

その油断と隙を作らないために、己自身を批判せよ。

己自身を批判する哲学を持て。

自問自答。

三歩進んで二歩下がる。

そんな傲慢は許さん。

三歩進んで三歩下がる人生だと思え!

油断と隙を作らないためには、これでいいのだ。

何の取り柄もない、傲慢が取り柄だけのお前にはそれで十分だ。

人生の病根は傲の一字

桜梅桃李。

今を生きる。

愚人が愚人を誉める社会後述記



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人生の病根は傲(ごう)の一字:桜梅桃李


今を生きる為の勇気に変える哲学

1つの哲学によって、己の中の強さを感じ取れば取れるほど、

そして、更に、己自身に対して、強くなりたければなりたいと思う程、

その過程で、己を自制するということの難しさ。

実るほど頭を垂れる稲穂かな。

また、

「人生の病根は傲(ごう)の一字」

確かな強さの芽生えを感じることができれば、できるほど、

それと同時に、生命の奥に、常に潜み蠢(うごめき)だそうと、ウズウズしている「傲慢」という己自身を葬り去ろうとする虫。

己の過去の人生の失敗に潜んでいたそのものも、弱さの中に潜む傲慢。

それは、卑怯以外の何者でもない己の過去の人生。

弱い人間のなかにも傲慢。

その傲慢によって悉く、大切な人を失ってきたという事実。

しかし、強さを得ると言うことの途中においても、その傲慢と言う虫は、己を食いつぶそうと、その隙と、瞬間を狙っている。

この確かな哲学を命に刻み続けたい。

そのために、どこまでも、どこまでも、己を、己自身を戒めていかなければならない。

感謝。

「人生の病根は「傲」の一字」

その言葉は、大切な人が私に与えてくれた。

この言葉をどこまでもどこまでも私の人生を生きていく上で忘れない。

同じ志を持つ人たち、自らの幸せを求め、懸命に生きる人たち。

この世の目線を、上下にして見ようとする私の生命。

その生命を、左右に、目線を広げることに意識を集中する。

意識することを意識し続けることによって、やがては、習慣となり、私の命に刻まれる。

みんな人はそれぞれ平等なんだ。

生命の次元においては、誰もが等しく同じものを持つ。

己の未熟さには、その距離が遠く見えるのかもしれない。

また、永遠に平行線に見えるのかもしれない。

しかし、その行き着く先は、限りなく、一点につながっているのだ。

つながろうとしているのだ。

1つの哲学の集大へ向っているのだ。

大切な哲学をもってして、更に深く知るために、学び、現実を生きる。

そして、更に、現実を生きる勇気に変えていかなければならないと感じます。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。

2010/2/12



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人生の病根は「傲」の一字


人に法を説くな。

おまえ自身に法を説け!

法を説いて墓穴を掘るよりも。

歌を歌う。
絵を描く。
自身を表現する。

お笑い(芸)を磨く。

音楽に国境は無い。

芸術に国境は無い。

哲学に国境は無い。

宗教にも国境は無い。 

宗教が求める本来の姿に壁はない。

生命の壁。

無いはず。

ないのに見える壁。

人間の強さに潜む、己の弱さを隠す業病。


間違っているもの?

猫より、犬が偉い?

真理?

馬鹿な事を言っちゃあいけません。

お前に何が判る!

判らない事を判ったように言っちゃあいけません。

この人間の「傲慢」さ。

おまえ自身。

全ては自由な世界。

絶対的な世界。

それぞれの宇宙。

無いはずの世界に、有るものを作り出すのが業。

その存在を作り出すものは、人間。

人間の業。


宗教。

一人に1つづ存在する世界。

おまえ自身に1つ。

己の信仰心の集大成。

限りなく完成に近い作品。


宗教が、1つに辿りつく。

原理。

本来、人という一人に1つ。

真理。


絶対的なものには、存在するものは無い。

無の世界なのだ。

有っても無。

ニュートラルな世界。


法は、おまえ自身に説け。

釈迦に説法。

どんぐりの背比(競)べ。

馬鹿につける薬は無い。

馬鹿につける薬が必要なのは、おまえ自身。

馬鹿につける薬があるのなら、この世の破綻。

薬は無くても、魔法ならある。

良く効く魔法。

魔法という【もの】を知っているもの。

知らぬもの。


「大は小を兼ねる」

いや、小が、大を兼ねる世界。


変わるものしか変わらない。

有るのか、無いのか。

~のような世界。

人生の病根は、「傲」の一字。


お前の傲(業)が、お前の人生を狂わす。

お前の傲(業)が、お前に関わる人間を暗闇に導く。


釈迦に説法。

この世で誰が偉い?

釈迦に説法。愚かな人間のたと(喩)え。

人生の病根は、「傲」の一字。
    己の人生の最後を破壊させる業病・人間に気がつかないうちに忍び寄る魔。(自己解釈)

賢者は語らず(荘子)
知る者は言わず、言う者は知らず。
知って知らずとするは上なり。
知らずして知るとするは病なり。 





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人生の病根は、傲(ごう)の一字


傲慢な人間は、信仰者の仮面をかぶったものの中に、いくらでもいる。

自らの心を生命を蝕みを滅ぼす元凶。

これは、信仰に励む途中、聖者としての途中に芽生える、傲慢、特権意識、差別意識を戒める言葉でもあるかもしれません。

全ての人間が本来、平等であるべき社会。

そして、その中でも、信仰組織に於ける一人の人間の傲慢は、既に、信仰者としての姿は、そこには無く、傲慢な人間は、己を畜生とかし、深い報いを受ける結果になる。

信仰者として、信仰心を高めるための努力に励めば励むほど、信仰に、目覚めたと自覚したものほど、陥りやすい隙(すき)と罠。

「人を救うための信仰なのだ!」とのたまう人間、その中には、傲慢の極みなる人間が潜んでいるのかもしれません。

己を救わずして、人を救うことなどあるもんか。

救うのは自らの生命によって開かれた己の信仰心以外にあるものか。

お前が人を救えるのなら。

信仰者ではない、既に、この世にいることは無い。
何のための信仰修行だというのか。

そこに傲慢があるというのに、傲慢を慈悲と考える。

慈悲に人を救うと言う目的などあるものか!

無色透明なる慈悲。

その領域を、傲慢で汚す。

自惚れる信仰者。

賢者は、真の信仰者と、信仰を己の利益のみに人をたぶらかす傲慢にまみれた人間を、見抜く知恵を自らの中にある哲学によって、学び、見抜かなければならない。

傲慢の輩(やから)が、「信仰」を手段と道具にして、扇動し、利用するものは、いずれは、己の畜生の生命によって、己の宿業を深め、更には、死の最後に決着がやって来る。

己の身を滅ぼす結果。

生命の中から食いちぎられた結果。

一、中国の『伝習録(でんしゅうろく)』に、「人生の大病は、只だ是れ一(いつ)の傲(ごう)の字なり
人間の一生の最大の病根は、「傲」の一字 ―― すなわち「傲(おご)り」に尽きるということである。
 傲慢な人間は、結局、自らの傲慢によって滅びていく。「傲り」は怖い。「傲慢」は、人間精神の深刻な“病”といえるかもしれない。まさしく「人生の大病」である。
 人生全般に通ずる言葉であるが、仏法の世界、信心の世界において、とくに戒めていくべき一点である。
 御書の仰せ通りに広布に進む学会に対して、決して傲慢になってはならない。絶対に学会を、学会員を軽んじてはならない。
 経文に照らし、御書に照らして、その人は必ず厳しき報いを受ける。
 「わるい所業(しょぎょう)は、所詮、栄えませんな」とは、古代ギリシャの大詩人ホメロスの『オデュッセイァー』(呉茂一訳、岩波文庫)の一節だが、古から変わらぬ真理である。 一千万へ正義の陣列第49回本部幹部会より



釈迦に説法・賢者は語らず>人生の病根は「傲」の一字



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