自分とは「生命」である:自らの「生命」に従って生きる

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自らの「生命」に従って生きよ

我思う、故に我あり (デカルト)



相手の中の自分。

自分の中の相手。

神は死んだ (ニーチェ)



神は死んだのだ・・・。

我思う。

故に我あり。


「自分」とは何か?

自らの「生命」に従って生きよ。

自分とは生命である。

自らの生命に生き、自らの生命によって、私という「人間」を生かす。

自分が生命になれば、私の肉体や精神を持つ人間という存在は、その関係性において動じることがない。

絶対的な自己を確立する。

自分とは生命である。

生命そのものなのである。

生命とは永遠であり、その自分の肉体や精神もつ人間は、自己が所有するものなのである。

言い換えれば、この世で姿形として生きる為の乗り物なのである。

自分とはもともと生命そのものなんだけれど、人間としていきていることによって、自らの生命を試されている。

その自らの生命に戻れるための場所。

原点。

人間という姿で、自分という生命を映し出すことができる。

見える世界で見えぬものを見ることができる場所。

見えない世界を見ることのできる場所。

見えない世界から見える世界を見ることのできる生命。

私。

「自分」とは何か?

私という「人」の中の心を「無」にすると、見えてくる。

「自分」とは何か?

その答えが見えてくる。

「自分」とは、「人間」を生かす「命(生命)」である。

心を「無」にする。

その哲理。

自らの生命に生き、自らの生命よって私という「人間」を生かす。

自らの「生命」に従って生きよ。

その境涯の体得。

悟り。

不可能が可能になった。

自らの「生命」で生きる。

仏。

桜梅桃李。

今を生きる。



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「自分とは何か?」人間として現実を生きればそれでよい


自分とは何か?

「自分とは、なんだろう?」なんて、

自分の正体というか、本当の自分というものがわからない。

そんな人間。

自分とは何か?

そんな思い。

そんな思いをもって、「自分とは何か?」と考えている自分が、そのままの自分。

それなのに、自分って一体どこにいるのだろう?

といつまで経っても、答えの出ない迷路に嵌る。

人間にとって解決する悩みと解決できない悩みがある。

それは、現実を生きながら、3歩進んで、2歩下がるみたいなこと繰り返す。

解決すべき答えに近づく為に、毎日の暮らしと生活の中で、人間の思いに折り合いをつけていく。

そして、悩みを解決するための選択肢を見つけて、正しいと信じた判断の方法に基づいて決断していく。

その解決できない悩みに、現実を生きるための折り合いをつけるために苦しむ心。

人間が現実を生きるほどに感じる人間に対する矛盾。

その矛盾に対する折り合い。

人間が神様なら、人間が仏様なら。

矛盾を矛盾としない生き方。

生きることに対する己の信じた正しい哲学。

しかし、その哲学に対して、現実は嘘ばっかり。

本音を隠した建前ばかりの嘘だらけの人間社会で、一体、正しいものってなんなのか?

そんなカオスな世界で生きる人間。

自分とは何か?

それは、現実逃避な質問。

こんな矛盾だらけの現実の人間社会でも、どっこい生きている人間達。

自分とは何か?

そんなことを問う奴は、生きることから逆行して行く人間の迷宮ルートへのスタート地点。

自分とは何か?

そんな暇があったら、額に汗して、死ぬほどの気持ちで働いてみろ!

君。

桜梅桃李。

今を生きる。


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