願兼於業・衆生所遊楽・常楽我浄:生命(いのち)の喜び

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生命(いのち)の喜び。

人間は、なぜ「苦労」を求めるのか。

願兼於業

そこに喜び、命(生命)の歓喜があるから。

乗り越えた苦労に、人間がより人間らしく生きた、人としての命(生命)の喜びを体得(知る)することが出来る。

人間の喜び。

歓喜。

「歓喜の中の大歓喜なり」



苦は楽の種。

人の苦労を知ることは出来ない。

しかし、命(生命)の苦労は、人間の姿に現れる。

苦労は、苦労ではない。

苦労を厭うのは、人の心。

苦労を使命と、苦労を人間革命の種と変えて行けるのは、命(生命)。

人間をより人間らしく生きる為の絶対的幸福な境涯。

それは、人を生きる事ではない。

人間として、命(生命)を全うすることである。

今を嘆いてみたところで、何一つ現実が変わることはないのだ。

後悔しない。

生きているんだ。

どうしたって生きるしかないのだ。

人間が生きること、それは、人として生まれた故の与えられた使命だ。

そして、私という存在が厳然として存在している。

過去、現在、そして未来。

後悔は、絶対にしない。

ありのままを受け入れる。

受け入れなければ、前には進めないのだ。

全部、そうなっているんだ。

信じることの正しさ。

そして、信じたことの正しさ。

それを証明するものは、今を生きるわたしという一人の人間。

だから、それでも生きる。

だから生きなければならない。

願兼於業。

衆生所遊楽

常楽我浄。

人生。

桜梅桃李。



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願兼於業:悪は正義の肥やしに、不安は勇気の泉となる


わたしは、この世に楽しむために生まれてきた。

願兼於業。

衆生所有楽。

決して苦しむためだけに生まれてきたのではない。

わたしは、貧乏くじをひいたの?

はずれくじばかりの人生。

やることなすこと中途半端。

そんなことだらけだった。

でも、今は違う。

わたしには、私という大切な存在がある。

わたしが今を生きる。

全部が生きること。

わたしは、生きているということ。

桜梅桃李に生きる。

生きられる。

悪を食べて、正義の肥やしとする。

不安は勇気の源泉と変わる。

怒りは笑いの種となる。

何にも怖いものがなくなる。

でも、本当は怖い。

瀬戸際だ。

生きることの瀬戸際にいるのが良くわかる。

どっちに転ぶのか?

どっちに転んでも表さ。

そんなもんだ。

わたしが、私らしく今を桜梅桃李に生きられる生命の宝そのものだ。

死ぬまで私を生かしてくれる。

生きている間。

毎日を生きる。

今を生きる事。

今というこの瞬間を生きる。

今日という一日。

どうせ生きるなら、楽しく生きる。

どんな状況も楽しめる。

一瞬先の未来。

どんなことが起きるか楽しみだ。

「衆生所有楽」

「苦」「楽」、共に思い合せて。

願兼於業。

必死で今というこの瞬間を楽しむこと。

どんな場所にいようと。

「浄土といい穢土(えど)というも土に二つの隔てなし

            ただ我等が心の善悪によると見えたり」

桜梅桃李。

わたしを生きる。



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願兼於業(がんけんおごう):人間革命


醜いアヒルの子は、裸の王様嫌い。

鉛の兵隊は、雪の女王の家来。



生きることでしか、この世で得ることのできない人生。

自らの命でこの世を生きる。

己の宿業にとらわれ続ける生命。

己の人生を惨めにする心。

そんな生命が、心に、「今」をこうして映しだす現実。

コロコロと二転三転。


『願兼於業(がんけんおごう)』

惨めなんかじゃあない。

その惨めさこそ、今、現実を生きる意味がある。

その惨めさを現実を生きる力に変える。

何倍ものエネルギーに。

『願兼於業』

過去と現在と未来。

即ち、永遠を意味する。

人生のシナリオを演出するためのストーリーの一部。

自らが望み、与えられた主役を演じきれ!

「胸中の久遠の太陽」を昇らせよ!

輝かせよ!

「妙法」の仏法哲学とは、己の生命で理解できるか出来ないか、そこから全てを開くことが出来る。

『新・人間革命』開拓者から、そのまま転載いたします。

■『新・人間革命』開拓者より

 伸一は、微笑を浮かべて言った。
 「大丈夫、信心をしていく限り、必ず幸せになれます。そのための仏法です。それに、あなたが今、不幸な目に遇い、つらい思いをしているのは、あなたにしかない尊い使命を果たすためです。宿業なんかに囚われて、惨めな気持ちになっては、一切が負けです

 婦人は不可解な顔で伸一を見た。彼女は、紹介者の学会員から、夫と死に別れなくてはならないのは、過去世で罪を犯し、悪い宿業を積んだからだと教えられてきたのである。

 確かに仏法では、人に悪をなしたことによって、悪の報いを得、不幸な人生を歩まねばならないと説いている。しかし、それだけでは、人間は過去世の罪などわからないだけに、茫漠とした不安をいだきながら、罪悪感を持って生きねばならないことになる。また、運命はすでに定められたものとなり、人間を無気力にしてしまうことにもなりかねない。

 日蓮大聖人の仏法は、こうした表面的な因果応報の枠を突き抜けて、根本の因果を明かし、久遠元初の本来の清浄な生命に立ち返る方途を示している。その方途が、地涌の菩薩の使命を自覚し、広宣流布に生きるということである。

 伸一は言った。
 「仏法には、願兼於業ということが説かれています。これは、仏道修行の功徳によって、幸福な環境に生まれてくるところを、自ら願って、不幸な人々の真っただ中に生まれ、妙法を弘通するということです。

 例えば、元々女王のような何不自由ない生活をしていた人が、信心して幸せになりましたといっても、誰も驚きません。しかし、病気で、家も貧しく、周囲からも蔑まれていた人が、信心をすることによって幸福になり、社会のリーダーになれば、仏法の偉大さの見事な証明になります。みんなが信心したいと思うようになるでしょう。

 貧乏で苦しみ抜いた人がそれを乗り越えることができれば、生活苦に悩むすべての人に希望を与えることができます。また、病気に悩んできた人が元気になり、健康になれば、病苦の友の胸に勇気の灯を点すことができる。さらに、家庭の不和に泣いた人が和楽の家庭を築きあげれば、家族の問題で悩んでいる人たちの模範となります。

 同じように、ご主人を亡くされ、しかも、言葉も通じない外国の地で、あなたが幸せになり、立派に子供さんを育て上げれば、夫を亡くしたすべての婦人の鑑となります。信心をしていない人も、あなたを慕い、あなたに指導を求めに来るようになるでしょう。

 つまり、苦悩が深く大きいほど、見事に仏法の功力を証明することができる。宿業とは、使命の異名ともいえるんです。

 私も、貧しい海苔屋の息子です。病弱で胸を病みながら、戸田先生と共に事業の倒産の苦しさも味わってきました。人生の辛酸をなめてきたからこそ、民衆のリーダーとして、こうして広宣流布の指揮がとれるんです」

 婦人は、何度も頷きながら、話を聞いていた。参加者の顔に、次第に赤みが差していくのがわかった。皆、苦労に苦労を重ね、日々あえぐように生きてきた人たちである。

 伸一は、テーブルの上に置かれたコップの水を飲むと、一段と力を込めて言った。
 「皆さんは、それぞれの事情から、たまたまこのブラジルにやってきたと思っているかもしれない。しかし、そうではありません。地涌の菩薩として、ブラジルの広宣流布のために、この国の人々を幸せにし、ここに永遠の楽土を築くために生まれてきたんです。いや、日蓮大聖人に召し出された方々なんです。

 この偉大なる地涌の菩薩の使命を自覚し、広宣流布に生きる時、胸中の久遠の太陽が輝き、過去の罪障は露のように消え失せ、大歓喜と幸福の悠々たる人生が開かれていくんです。

 あなたの苦しみも、仏法の深い眼から見れば、本来は富裕な大女優が、悲劇のヒロインを演じているようなものです。家に帰れば、何不自由ない生活が待っているのと同じです。しかも、人生劇場の舞台の上でも、ハッピーエンドになるストーリーなんです。

 心配はいりません。必ず幸せになります。私が断言しておきます。大女優が悲劇のヒロインを楽しんで演じるように、あなたも、堂々と、その悲しみの縁から立ち上がる人間革命の大ドラマを演じてください。

 人は皆、人生という原野をゆく開拓者です。自分の人生は、自分で開き、耕していく以外にありません。信心というクワを振るい、幸福の種を蒔き、粘り強く頑張ることです。広宣流布のために流した汗は、珠玉の福運となり、永遠にあなたを荘厳していきます。どうか、ブラジル一、幸せになってください」

 伸一が話し終わると、婦人から「はい!」という明るい声が返ってきた。
 期せずして、拍手がわいた。それは、共感の拍手でもあり、婦人の発心を祝福する拍手でもあった。

下線太字は、こちらの判断で引かせていただきました。


◇小説「新・人間革命」は、【人間の機関紙・聖教新聞】 に連載されています。

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