必ず道は開ける:大事なことは、自身の境涯の革命だ


「大事なことは、自分の境涯の革命だ」

「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」


 「13の半分は?」。教師が生徒に尋ねた。「6と2分の1」「6・5」との答え。「そうだ。ほかには?」。誰も答えられない。教師は、「もう答えはない」と思うかもしれないが、「もっと考えよう」と促す。

すると、数字の文字を分けて「1」と「3」。一人が答えると、突破口が開いた。英語の綴り、ローマ数字、2進法で考えたり、黒板に書いた「13」を上下半分にしたり。きりがない。そして、「答えはない」と思っていたのが、思い違いだったことに気付いた(J・フォスター『アイデアのヒント』)。

常識的に考えれば「もう答えはない」と思うだろう。だが、「必ず別の答えがある」と、視点を変えたら、新発見が次々と出てきたわけである。地表から見れば高く見える壁も、空からは、低く見える。一本の線にしか見えないこともあろう。同じように、物事は、とらえ方、見方によって、千差万別だ。プラスにも、マイナスにもなるものだ。

池田名誉会長は「大事なことは、自分の境涯の革命だ」「(境涯が変われば)逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる」と。必ず道は開ける、開いてみせる――そう心を定め、きょうも朗らかに勝ち進みたい。(申)
(聖教新聞 - 名字の言より)






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信仰とは、慰めの道具ではない


今日の【名字の言】:2011年 10月13日(木)

体調を崩しやすい季節の変わり目。体が熱っぽかったり、だるさを感じたりしたら、早めに具体的な処置を施し、万全を期したい。

誰もが無縁であることを願う「痛み」「発熱」「疲労」にも意味がある。これらは体が異常を感知して警告を発し、防御を指令するメカニズムだ。この「3大生体アラーム」が働くおかげで、大事に至らず健康を管理することができる。

仕事をはじめ、生活上の小さなトラブルやミスも、一種の「アラーム」と捉えることができよう。それは大きなトラブルの前兆である場合がある。「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)と。あいまいなまま放置せず、原因を突き止め、再発防止策を取ることで、未来に待ち構える“落とし穴”を埋めることができる。

完璧な人間などいない。身体の変調も、仕事や日常生活での失敗も、万人につきもの。肝心なのは、それを自身への戒めとし、向上への糧とする“心のアンテナ”を張っているかどうか。

「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(同1466ページ)。信仰とは、慰めの道具ではない。現実生活で勝つためにある。「信心即生活」に日蓮仏法の真髄がある。 (明)




『信仰とは、慰めの道具ではない。現実生活で勝つためにある。

「信心即生活」に日蓮仏法の真髄がある』



宗教は、わたしの信仰の道具であってよい。

しかし、宗教は、信仰者の信心、信仰心を道具にしてはいけない。

「女心と秋の空」

「秋に三日の晴れ間無し」

なんてことを言う。

「秋ナスは嫁に食わすな」

そんなことは関係ナスか…

ここ数日、日中の気温が高くなった。

でも、朝晩の気温は、すっかりと低くなった。

こんな気温の差がある時には、体調も崩しやすい。

風邪などひかぬ様にせねば・・・。

桜梅桃李。

今を生きる。


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限界を決めるもの:「困難に出あうたびに、戦える勇気と喜びがわいてくる」


2009年09月03日:今日の「名字の言」

本紙の文化欄でも登場いただいた物理学者の米沢富美子さん。

研究と3人の子育て、乳がんとの闘い、母の介護……困難に負けず女性初の日本物理学会会長になるなど、女性科学者のパイオニアだ。

彼女は「めげない」「優先順位をつける」など、人生のモットーを五つに要約。その第1に掲げたのが「自分の能力に限界を引かない」。
自分には無理と「可能性を限ってしまうのは、自分自身に対する侮辱」「人間のほんとうの底力なんて、じつは本人にも把握できていない」(『まず歩きだそう』岩波書店)。

限界を決めるのは、他の誰でもない。

“後ろ向き”の自分自身だ。

弱気を打ち払い、挑戦を貫くことで、成長もある。

新たな扉を開くこともできる。

骨肉腫が再発し、高校時代に、左足を切断した女性に話を聞いたことがある。

創価大学に進学し、義足と松葉づえで雨や雪の日も通い抜いた。

海外への一人旅も。

自分で限界の線を引きたくなかった。

卒業後は大手都市銀行に就職。

信頼も厚く、なくてはならない人に。両足があったら今より人生は良かったか。

彼女は首を横に振る。

「苦難と戦うからこそ充実感が生まれる」と。

困難に出あうたびに、また戦える喜びがわいてくる。

それが創価の心意気だ。(葉)





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人生の最終章の勝負を決するのは今、この瞬間~「名字の言」


人生の総仕上げ

高い目標を達成するには、自身の境涯を高めるしかない。



「人生の総仕上げ」という時に、その総仕上げをする為の正しい基礎と力となる確かな哲学が備わっていなければ、悲しいかな、己の集大成という満足に生き切ることの出来る報恩感謝の人生を残すことは難しいであろう。

未熟な人間の生きることの苦難を乗り越える過程は、集大成に近づくことが可能になる生命を創ることが出来る。

確実に死に向かう人間の最終章で、後悔、醜態をさらす人生は歩みたくないものだ。

この世は、一回きり。この世を満足に生きた完全燃焼の笑顔で死にたい。

この世の現実の垢を溜め込んで、全てに打ちのめされてクタクタになった壮年達よ。

ただの「おっさん」にならないで!

「壮年部の日」は、人生の最終章のスパートをきれるパワーと、心と生命の中に「青年」を取り戻す日。

2009年08月24日:今日の「名字の言」

仙台市の晩翠草堂を訪ねた。詩人・土井晩翠(どい ばんすい)が晩年を過ごした建物で、現在は資料館になっている。晩翠が生前使用したベッドも現存。枕元の高さに目線を置くと、窓の外に、緑の庭が見えた。

「晩翠」とは、冬枯れの時、なお草木が緑色であるとの意(広辞苑)。晩翠の筆名も「冬になっても木々の緑は変わらず、その成熟はじっくりと訪れる」との意味の漢詩の一節に由来する。冬に耐え、じっくり成熟する――東北の壮年部員の姿を思い起こした。

「人の役に立つ研究者になりたい」と20歳で入会。大学教員になるも研究成果が出ない。それでも諦めることなく、信心根本に精進を重ねた。苦節の末、博士号を取得。国立大学の教授に。近年、開発した新技術を世界が注目するまでに。人生の冬を勝ち越え、見事な勝利の花を開かせた。

振り返ってみると、「苦しいときこそ、学会活動に励んだ」という。高い目標を達成するには、自身の境涯を高めるしかない。これが学術者である彼の信念でもあったからだ。

きょう24日は「壮年部の日」。人生も広宣流布の闘争も、総仕上げが最も大事だ。豊富な経験と熟成した人格。壮年部の友ならではの力闘を期待したい。壮年こそ広宣流布の勝敗を決する最終ランナーだ!(城)

※記事内の太字は当方の判断で修飾されたものであり原文にはありません。





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「形式にこだわらない信仰」にこそ自身の「生命を開く」真髄がある


形式にこだわるよりも、身近な実践の中にこそ、信仰の真髄がある

「人のために尽くそう」という心




「常勝」とは何か?

常に勝つ。

与えられたことに常に勝つことが義務付けられてる戦いなのか?

「勝つ」こととは何か?

一体、何に「勝つ」ことだというのか?

組織の中だけに、勝利する場所があるわけではない。

勝利する場所は、どこにでもある。

己が生きているこの現実に映る目のまえの全てが闘いの場所。

一人ひとり、己の信仰心を開くための闘い。己の生命を高めるための闘い。

勝ち負けは、己の「生命」に、勝負の結果を残せたものだけが勝利したといえる。

信仰者にとっての勝利は、己の外にあるのではない。己の弱さを、現実の世の中の現象に映し出して、その己の弱さに勝つこと。

戦いに勝つことは、何も結果を残すことだけを求められているわけではない。

勝負に臨むことの過程において、己の心が、生命が逃げなかったかどうか。

「エゴ」の塊である人間が、「人のために尽くそう」という純粋な慈悲の精神を発揮するためには、どれほどの己との闘いに挑まなければならないだろう。

「常勝」とは、確かな哲学を求め、己のきたなく、汚れた生命と、その汚い生命の根本と闘い続ける、己との戦いの毎日に勝つことをいう。

「形式にこだわらない信仰」にこそ自身の「生命を開く」真髄がある。

桜梅桃李。

今を生きる。


2009年8月21日:今日の「名字の言」

仕事を子に託し巡礼に向かう二人の老人。一人は自分しか信じない。周囲には目もくれず、巡礼地に辿り着く。もう一人は善良で快活。貧乏と病気に悩む人を救うために手持ちのお金を使い果たし、巡礼を諦める(トルストイ著『二老人』)

どちらが賞讃されるべきか。物語の最後の場面では、巡礼という形式にこだわるよりも、身近な実践の中にこそ、信仰の真髄があると前者の老人が悟る。自分ではなく他者のために行動する。そこに人生の真実の価値があると文豪は語っているようだ。

横浜市保土ケ谷区にある「滝ノ川あじさいロード」。整備等を行うグループ「花咲かせ隊」の中には、“第三の人生”を朗らかに歩む「多宝会」の友もいる。参加メンバーの一人。「学会の発展は、即地域の興隆であり、社会の繁栄であらねばならない」と励ます師に応えたい。そう思っていた10年前、友人に誘われ、一緒に植樹を始めた。今や初夏には800本のあじさいが咲く。行政の区長からの表彰も受け、地域の名所に。

年輪を重ねるごとに輝きを増す。そういう人生でありたい。その輝きの光源こそ、「人のために尽くそう」という心ではないか。広布と人生の大先輩――多宝会の同志こそ素晴らしい模範である。(可)

【聖教新聞】 「名字の言」より ※記事内の太字は当方の判断で修飾されたものであり原文にはありません。





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ヒューマニズムを勝利に導く唯一の方法とは?


2009年8月1日の今日の「名字の言」

トルストイの青春は、悪戦苦闘の連続であった。

名門貴族の家に生まれ、大学に進むも、成績は振るわず中退。

若くして領地経営に取り組み、農奴の解放を志すも、あえなく挫折。

モスクワの都会生活にはまり、揚げ句、借金返済にも苦しんだ。

生活を立て直そうと克明に「規則」を作成。

が、守れず、自己嫌悪に。

迷走の末にたどり着いたのが「文学的創作」であった

それまで周囲も本人も、そのたぐいまれな才能に気付かなかったという。

それに磨きをかけたのは、チェチェン紛争を間近に見聞したことだった。

彼は、ロシア兵の勇気に目を見張り、さらにチェチェン人とも親しく付き合う。

そこで得たのは「民衆の再発見」であった。――若き文豪の魂の歩みを、藤沼貴氏の新著『トルストイ』(第三文明社)は丹念に描き出す。

7月の本部幹部会で、池田SGI会長は、ブラジルの文豪アマード氏の「この世において永遠なものは民衆」との言葉を紹介した。

氏はかつて、SGI会長の活躍にふれ、「民衆とともに戦うことのみがヒューマニズムを勝利に導く唯一の方法」と語っている。

どんな嵐もはね返し、民衆の永遠の真価を発揮しよう。

21世紀は、人間主義の朗らかな、にぎやかな凱歌を待っている。(雄)




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新型インフルエンザ


今、この瞬間が己の成長の出来る時

少しでもご本尊様に向かえないような状態になっている時こそ、己との闘い。

マイナスに向かっている生命。己の自信の魔に負けている証拠なのだ。

己のという自身の戦いに勝つことが、この信仰。

知らず知らずの内に忍び寄ってくる魔に気がつけなくっている命。

現実に潰されているようでは、己の成長などは無い。

今、この瞬間なのだ。この瞬間を見抜けなければならない。その生命を鍛えるのが、この信仰、妙法なのだ!

今、踏みとどまって、何とか乗り越えろ!私がこれまで、守ってもらったことの恩、報恩にむくいたいのなら、今、己の成長できる時なのだ!己が成長できる時。


今日の名字の言-5月29日(金)

 日々のニュースで、新型インフルエンザをめぐる状況が伝えられる。変化、変化の連続だ。その中で、感染を予防するには、手洗い・うがいの励行を続け、ウイルスを寄せ付けないことが大事になってくる

ウイルスを拡散させないことも重要だ。最近、徹底が呼びかけられている「咳エチケット」。通勤電車の中など、人が多く集まる場では必須だ

咳や、くしゃみの飛沫を飛散させないことが大切になる。飛沫には、多くの病原体が含まれ、周囲2メートルに影響を及ぼすからだ。咳をする時は、ティッシュなどで口と鼻を覆う、人から顔を背ける、マスクを着用する――今や「常識」になりつつあるマナーである

社会には、さまざまなマナーがあるが、その基本は「周囲に迷惑を掛けてはいけない」という他者への思いやりであろう。「自分さえよければ、かまわない」という人ばかりになれば、社会は成り立たない。「咳エチケット」も、多くの人が他者の身を案じてこそ、予防の力になる

こう考えると、「他者を大事にし、気遣う」生き方が、まん延防止の決め手といえる。日ごろの行いに、ともすると表れてくる“ささいなエゴ”。その治療こそが、社会に巣くう“病魔”を取り除く第一歩となる。(修)
(聖教新聞 - 名字の言より)





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