桜梅桃李に生きる:原点


現実を生きることに対する苦しみ、悩み、迷い。

その果てにやってくるもの。

絶望。

そして、希望。

人間とは何だろう。

生きることは、何だろう。

自分とは、何だろう。

肉体と精神。

その存在を支えるもの。

生命。

桜梅桃李に生きる。

その原点。


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理解できないものを理解するということ


好きとか嫌いとか理由の無い生理的な拒否反応は、仕方が無いというように片付ける。

そんなマイナスの最低な答えなんて、答えじゃあない。

理解しようとする時に、沸き起こる感情。

その感情を乗り越えるということは、理解しなければならないものに対する前向きな心によるもの。

その感情の元となるのは、己の?

現在の己の生き方の全て?

感情と感情。

理解できないものを理解するということ

それは、己の中の葛藤。

人間を理解することの難しさ。

思いやり以前の心の器の問題?

心の器より、過敏に反応する心の出来、不出来の問題?

単なる鈍感な人間の愚かさの軽薄な理解より、感情に打ち勝つ生命の塔を打ちたて、その鎖でつながれた心から、発する思いやり。

人間が、理解できないものに対する思いやりを発揮するために、そんなに、己の中で、戦わせなければならないものなのか?

単なる独り相撲。

独り相撲の哲学?

哲学は、孤独な中で生まれるもの。

思いやりって、それは同情。

理解しなければならないものに対する、心の葛藤の末に投げかける重い槍。



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生きることの切なさ:悩み・迷い・苦しみ


何でこんな苦しいのに人間は生きなければならならいのだろう。

苦しむために人間は生きるのだろうか?

生きることの切なさ。

辛さ。

生きている。

生きていることの意味はなんなのだ。

この世から一瞬にして去ることが出来ればいいのに。

生きている「今」は、何なの?

現実なの?

夢なの?

現実も夢の同じなんだろうけど。

生きている「今」。

こうして涙が止まらない。

生きているから。

誰か教えてほしい。

こんなに生きることが辛い。

泣いているこの瞬間に現実が無くなればいい。

生きているわたし。

わたしは、誰?

桜梅桃李。

今を生きる。



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木を見て森を見ず・森を見て木を見ず


己の生命の中での、成功と達成の刻印は、現実に生きることにおいて、その全てを決定付ける基本となる。

そして、その全ての道筋を、太く、大きく、更に、整備させていくのだ。

己の生命で。

『木を見て森を見ず』

些細なことやどうでもいいことに囚われすぎてはいけない。

大局的なものの見方も大切。

些細なこととに囚われることは、一つのものを極めていくものの見方につながらないか?

そして、些細なことどうでもいいようなことに、実は、大局的なものを映し出すことの出来る要因や、本当の大切なそのものを、見つけられることもあるでしょう。

を見て森を見ず』

そして、

を見て木を見ず』とも言われます。

この二つは、相反しているわけではなく、どちらも必要なものの見方ということなのかもしれません。

でも、なかなかこの2つのバランスを、その状況や、現在の立場などを、瞬間、瞬間、判断して、切り替え、保つことは、現実を生きる上で、とても難しいと思います。

己の場合など、現状に対して、窮地に陥ると、近視眼的思考回路にはまり易く、やはり、『を見て森を見ず』の選択を、しているようなことがほとんどです。

それだけ、己のの心というものは、何かのストレスに対して、弱いということなのでしょう。


「人間」を動かす「命(生命)」になれ!

今を生きること。

ただ、人間を動かす命(生命)に成れ!

過去も未来も、今を生きる人間の姿がそこに無ければ、語る言葉の全ては単なる妄想に過ぎない。

無意味だ。

価値は無い。

何もしないのと同じだ。

死んだ人間が、言葉を語れる世界。

間違った宗教は、恐ろしくも馬鹿な、妄想信者を生み出す。

その人の生命の真実は、姿に現れる。

正しい宗教とは、現実を生きる人間の姿に現れるのだ。

ネットで宗教を語る「人」だけの世界に、真に正しい宗教が広まるとでもいうのだろうか?

洗脳された宗教の奴隷(信者)達よ。

落ちぶれる宗教。

堕落する宗教。

組織の為の宗教。

金儲けの為の観念の袈裟を着た禿人ども。


今、己の宿業を一つ、乗り越え、そして、断ち切る時


過去の全てが、ぐるぐると巻き戻され、あの時の、あの場所、そして、あの匂い、あの季節・・・、

何が、どうなっているのだろう?

グルグル、グルグル。

過去に、引き戻される鮮明な記憶の数々。

長い間、思い出す事さえなかった記憶。

その記憶に、辿りつくたびに、己の心が、生命の針が、強くふれる。

辛さなのか、痛みなのかわからない、心に強く、再び印象付けられる記憶。

己自身の腐りかけた命では、これまでは、感じることの出来なかったこの感覚。

しかし、苦しみに飲み込まれいた過去にくれべれば、何か、己の中の、何かが取り除かれていくような、掃除されていくような感覚。

何かの痛み共に、その痛みが、取り除かれていく感覚。

己の人間らしく生きようとする生命の明かりが灯る

今、己の宿業を一つ、乗り越え、そして、断ち切る時。



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生と死の憂鬱:悩み・迷い・苦しみ


私と言う人間は、一体、どれほどの薄汚れた人生をおくってきたことか。

その汚さの垢と言うものが、ボロボロと、どん底の中で剥がれて行くことの感じ。

その感じが、今、わかる。

鉛のような、なんとも形容しがたい心の中のどうしようもない、どんな時にも付いて回る重たいような、纏わり付くような、その心の鈍痛のような痛みでもない、分厚くどんよりと私の心を覆いつくし続けてきた、決してどんな時にも晴れることのない、本質的に消し去る事の出来なかった憂鬱。

刹那に生き続けてきた人生。

そして、マイナスからの人生の再スタート。

あるものは何も無くなった。

無くなるにつれて、更に、苦しみ、悩み、そして、生きることと死ぬ事への選択への迷い。

どこまでも続く、己の中の地獄。

過去の全てが、私を苦しめた。

それは、全ては、私が、背負わなければならなかったもの。

全ての憂鬱と絶望感。

その中で生きる。

ゼロからのスタート。

全てを失い続ける毎日は、変わりはしない。

私の心の中の嵐は、吹き荒れ、苦しむこと、悩む事、そして、迷う事から、絶対に逃げないと、思えば、思うほど、弱い心が、私を更に痛めつける。

死への覚悟。

その淵にたどり着くたびに、最後の灯りが灯る。

灯りのある方向へ這いながら、心は死を求めながらも、なぜか、生きようとしているもう1つの自分。

己の生きることへの絶望は、苦しみのどん底の涙で、その灯りの方向へはいつくばって、ほんの少しの生きようとする力によって、死への選択の道をとどまらせた。

ゼロになっても。

人生を1からスタートさせるためには、私にとっては、なんども、なんども、生きることと、死ぬ事との闘いでもあったような気がする。

今も、これから先も、どん底なのかもしれない。

しかし、あれほど、私の心の中で決着する事が出来なかった己の中の過去の人生を、その時々に生命の中から晴れ間をのぞかせてくれる。

これから、もっとどん底を見ようとも、もう私の生きるという覚悟は変わらない。

憎しみと怒り。

どんな時にも晴れることの無かった心の中に本質的に、消し去る事の出来なかった憂鬱。

己の人生を破滅に向わせた己自身の中にあるその呪われし業。

今、その1つの節目を、己自身の中の変化として、確かに感じる事が出来る。

これは己の能力か?

不思議と感じる、自分ではない自分。

その自分では無い自分と言うもの、それこそが、本当は、己の本質なのかもしれない。

それとも、今までに、私に無いものを与えられたとでも言うのだろうか?

そんなことは、どうでもいい。

今、こうして、生きるということに対して、灯された明かりに対して、確実に感じる『生きていける』という自信。

この、なんにもない、己の情け無い現実の中で。

それは、私の中には、確かな【もの】がある証拠。

目に見えるものは何も無くなった。

でも、見えない確かな【もの】が、今、はっきりと見える。

宝。

本当の宝。

私が欲しかった宝。

何不自由ない生活の中で、得ることのできなかった宝。

己の宿命の深さをこうして、まざまざと知ることの出来る、己の中の宝。

何も無くても、生きていける自信。

今、決して、生きることを諦めないという自信の中で感じるのは、私の中で乗り越えること、解決することの出来なかった過去に対する申し訳ない思いと、感謝。

全ての人に報いたいという願い。

その願いのために、生きる。

その願いを誓に変える。

生きることによって、私が変わることが、全ての報恩感謝への0(ぜろ)から、1(いち)に変わる力。

その力を宝に変えるために、現実を更に生きる。

どん底を這い蹲ってでも。

これが、現実を生きることの実感と、充実感!

現実を確かに生きることの出来る確かな哲学を、更に、私の足跡に刻む毎日の闘い。

それは、私との闘い。

今、この、瞬間。

2010/4/28

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実証・灯(あかり):悩み・迷い・苦しみ

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憎しみと苦しみと、悩みと迷いの連続、その繰り返しの人生。

現実を生きる己の人生。

見えそうで見えない、しかし、それは確かな道を指し示す灯り。

灯りは、己の憎しみと苦しみと、悩みと迷いの中から生まれた。

完全に消えた己自身の中から再び灯されたされたあかり。

「火の無いところに煙はたたず」

しかし、心の深きところより灯りの無いところに火は灯る。

生命。

生き物の進化に見られるその生命の無限の可能性と不思議。

生命の不思議。

いや、不思議でもなんでもない、人間の理解を超えた宇宙。

生命は宇宙そのものとも言う。

己自身の姿で、今を生きた道を刻むための実証という、己にしか見えぬ信仰心の証。

その宝しか持ってはいけぬ。

深く、深く、どこまでも、このどん底を己が確かに生きたという証拠。

哲学に対する信仰心という証。

証とは、己の中のそのもの。

この現実を更に生きて、足跡として実証を残すための哲学。

己の自身の力で。

己の過去に、縁した全てに報いたい。

過去に報いることは、現在を生きること。

そして、未来を変える大きな力と変化のための気づき。

目には見えない宝の価値を見える姿であらわす。

実証。

どこまでも、どこまでも、己の中の哲学の集大へ向う途中の更なる決意を示す哲学に対する信仰心の証。

証をもってして、何度も何度も、検証の道を辿り、更なる実証を残す。

己が生きた人生の確かな足跡。

遥か彼方から、

そして、遥か彼方へ向うの夢の途中。

今、今こそ、その実証を得たい。




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極限を生きる辛さ「辛い時こそ、笑顔!」

極限を生きる。

生きることの楽しさ。

極限を生きること。

私とあなた。

あなたは、私。

極限を生きる。

あなたのことがよく解る。

あなたは、私と同じ。

だから、一緒。

一緒なんだよね。

本当に辛かったね。

辛いね。

でも、よく頑張ってる。

きっと、大丈夫だからね。

必ず、その辛さに感謝することが出来る。

その辛さに、幸せがあるということを、つらさの中に知ることが出来る。

今日もまた、人生のフライトが始まる。

一日が、人生の縮図。

辛い時こそ、笑顔。



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ごめんね。

一人の幸せなんて存在しない

暖かい涙。

止めども無く流れる涙。

暖かい涙。

ごめんね。

ごめんね。

許してほしい。


許してくれるよね。

許して欲しい。

幸せ。

一人の幸せなどありえない。

幸せは、一人より、それ以上。


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宗教をとるの?私をとるの?【究極の愚問】

希望の朝。

苦痛の朝。

惰性の朝。

真っ暗な朝。

夜が明けると、また、朝がやってくる。

それぞれの朝。

お前の生命の境涯をはかるバロメーターが、リズム正しく、24時間ごとにやってくる。

時間というものの存在。

時間というものの有りがたさを知る。

日はまた必ず昇る。



「宗教」を取るの?

「私」を取るの?


人生を供に生きようと誓い合った大切な存在からそのような選択を迫られた時。



その時の選択肢に、「宗教」を取ったお前。


しかし、それは、人間としての未熟さ故の答え。

不確立の人間。

確立された信仰心のないものの頼りなさ。

確立された己の中の信仰心という絶対的な存在の無さ。


宗教という袈裟など、必要無くても幸せに生きていける。

なにしろ、生きている現実こそが、
生きている日常こそが、
己にとって宗教活動なのだから。

人間としての頼りなさ。
人間としての幼さ。
人間としての確立したものの無さ。
人間のすがる、頼る弱い心。

一人の人間の弱さと生命の傾向性。

人間を選択するのか宗教を選択するのか?

そんな究極の愚問を突きつけられた時、

それは、己の信仰者としての信仰心の確かさ、

自己確立の高さを問われている時。


己の中の絶対的な信仰心の証を示す瞬間。

人として生きようとする過程のお前が得た宗教によって、
己の生命の中に開かれた信仰心の確かさと正しさとその力を発揮する最高の選択の時。

究極の愚問は、信仰者にとって最高の選択とその信仰心の証と、
己の信心の深さを確実に知ることができる瞬間。


今なら、自信を持って答えられる。


「宗教」を取るの?

「私」を取るの?


「お前」を取る。


人間が人間として生きるその途中の選択と答えは、人生における点。


その点が汚点に変わるのか、美点に変わるのか?

汚点でも美点でもない。


その点がつながる線の先。


それは全ての選択を、幸せに変えられることのできる終着点につながっている。


確かな哲学。



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【賢者の石】:悩み・迷い・苦しみの賢者の石と幸せの錬金術


この世に相対する世界は、「鏡」である。

相対するものとは何か。

感じるもの全て。

お前が、この世を感じるものの全て。

いま、こうしていることの全て。

「お前が感じる」マイナスの言葉の全ては、お前のマイナスのエネルギーをあらわす。

「お前が感じる」プラスの言葉の全ては、お前の生命に明かりを灯そうとする。

「お前が感じる」マイナスの言葉は、お前の生命を暗やみに導こうとする。

「お前が感じる」マイナスの言葉は、お前自身、そして、お前に関わる全てを、不幸へ導く生命の暗闇の世界へ導く。

マイナスの言葉は、呪いの呪文。

おまえ自身を不幸へ導く呪文。

選択。

心の選択を決めるもの。

生命と宿業。

生命の変化。

心の選択を決めるもの。

意識と無意識、知ると知らざるに決めるもの。

生命。

生命と宿業。

お前を幸せと不幸のどちらかに傾かせる生命。

「悩み・迷い・苦しみ」

心の選択。

変化。

「悩み」は、成長の課題となり、「迷い」は、最良の選択のチャンスとなる。

「苦しみ」は、楽しみの「前菜」。

「苦しみ」は、この世で人生を色濃く鮮やかに永遠に残し、

「苦しみ」は、人生の味を引き出す。

砂糖と塩加減、味とコクの効いた人生。

確かな生きた証。

人間として。

人間を知るために。

未熟な人間が、生きる途上での「悩み・迷い・苦しみ」は、生きることの最高の宝となる。

人間が人間として、そして、人として生きる道は、「悩み・迷い・苦しみ」 という触媒を用いて、錬金術を究める道。

「極道」の道。

「悩み・迷い・苦しみ」は、賢者の石。

「成長・好機・幸せ」への変化を創りだす宝。

その不可能を可能にする「妙」なる【もの】。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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人間は間違いを犯すもの~正しい道に戻れる瞬間


テレビのドラマ 『コールセンターの恋人』の中で、こんな風な台詞がありました。

一つのペットボトルの水の味は、どこでも飲んでも同じ味かもしれない。

人間の源である水。

でも、その水の味は、本来、場所と飲む人の感じ方によって、常に違う。

人生も水のようなもの。

望む通りのきまったレールを歩けるとは限らない。

人生には道という、いろんな味を出す道がある。

その予想外の道で、人間の心が傷つくのは生きている証拠。

人生の道を進むためには、思い通りに行かないもの。

だから生きていきなさい!

思い通りに行かなくても、なにがあっても生きつづけます!



ドラマの内容は、ミネラルウォーターに関するクレームがテーマになっていました。


間違った道を歩いて傷ついたとしても、傷つけたとしても、人間は間違いを犯すもの。

だから、前向きに人生を生きていく為に、傷つくことを恐れてはならない。

前向きに人生を生きることによって、更に、傷つくことに恐れてはならない。

人生は思い通りには行かないもの。

人として、人間として。

人間として、正しく、恥ずかしくない「人の道」を生きることを、今、知ることが出来る瞬間。



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苦しい時にこそ己の宇宙の法則を生命によって築き上げることができる


信仰心を己の生命の中に刻む闘いを、妙法哲学の名のもとに、題目と実践と経験を積める人こそ、自らが本物と名乗れるにふさわしい人材と呼べるのだ!

信仰者を騙る嘘と傲慢な人間には、「己こそは本物だ」などと、そんなことを語るのはいとも簡単に容易いことだろうが・・・。

知恵あるものは、本物と嘘と見抜くための、更なる己自身を本物に近づける魔との戦いが必要。

愚か者に振り回される、愚か者にだけは、なりたくはないものだ。

『本物』とは、苦しい状態であればあるほど不屈の闘争を繰り広げる人である。

苦しい時にこそ、妙法によって己の宇宙の法則を生命によって築き上げることの出来る人である。




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「ダメ人間」は卑怯を全うな生き方として選択し続ける人生


世の中の社会でいう所の「ダメ人間」とは、己の弱さと愚かさを人の責任、社会の責任になすりつける生き方をいうのであろう。

己の生き方の弱さと愚かさの逃げ道の言い分けを、己以外のものに転嫁する卑怯な生き方を、知ると知らずに関わらず、全うな生き方として選択し続ける人生。

社会の中でダメになる人間は、社会がダメにしているのではなく、己自身がダメになるように追い込んでいるだけなのだ。

人を責めることによってでしか、心のバランスを保つことしか出来ない人間。

そして、その生き方。

それは、病の入り口。

いや、もう、病気は既に己の根っこを食い荒らし続けていたのだ。

侵されていることに気づくことの出来ない病。

意識や無意識を越えた、心の中の奥深くに形成されていく病。

己の変化の無さ、気付くことの無さ、生きることにおいての学ぶことの無さ。

そして、変化と気づきと学びの全てのマイナスの人生。

己の全ての愚かさを相対するこの社会の現象の全てに、責任を転嫁する生き方。

悲しき人生。

はかなき人生。

いつまでも、こんなことを心に感じる己自身から脱却したいものだ。



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人間、どう生きるべきか:人間の逃れられない生老病死


大切な人が亡くなった時に感じるもの。

何も感じない人間などいるだろうか?

悟りを開いた人や仏なら別だろうが、赤い血の流れる生身の体に精神を有する人間が無感情でいられるわけが無い。

あの世に旅たつ魂が現実か、この世が現実かでも、私たちは、現実を生きた人たちの上に生きている。

現実は、今を演じる舞台。

あの世は、観客席。

この世の舞台で演じ切った人たちは、満足の笑顔で現実を生きるあなたの舞台を応援してくれているのかもしれません。

深く悲しく、辛いことですが、生きている私たちは、そう「信じる」ことで、辛さを乗り越え、他者への思いやりや、己が現実を生きる為のエネルギーに変えていける。

さまざまな状況で「生老病死」に直面した時に、宗教、信仰、哲学のの確かさを、己の中の自己確立の高さを確認できる時。

人の死は、人間にとって誰にでも等しく平等。

生きていることも平等なはず。

裸で生まれて、あの世に持っていけるものは何も無い。

宗教が慰めなのかそうでないのかは「信じる」ことでしか成立しない。

生きてどうあるべきかという定義のようなものは、人ではない人間には意味の無いことでしょう。

それよりもどのように死んでいくのか。

己の「死に様」を決するためにどのように生きるかという答えなら出せます。

それは、今、この瞬間をどう生きるかということに尽きます。

明日があるさという人間は、気がつけば「人間」のままで死というゴールを迎え、輪廻転生を繰り返すのでしょう。

過去から未来永劫、無意味な意味を導き出すことよりも、今を生きる意味を導き出す。

「生きて何ぼ」「生きてるだけで丸儲け」己の未来さえわからないのに、死んだ後のことを拝聴したとしても悟れる人間などいるわけが無い。

未来も、死後の世界も己が今を生きるただそれだけのためにある。

人間の価値は、今、この一瞬にどれだけもてる力を発揮でるかということが、己の最後の死を未来のその時に生きた証として残せることになる。

信じることは、今を生きるための、人間として得心を得るために馬鹿になることかもしれません。

私には、「人」になれる悟りはどれほど先のことでしょうか。




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賢者の石



憎しみが、憎しみを生む心の連鎖。

人間の業。

心は戦わなければならない。

戦う心を創りだす生命は、求めなければならない。

磨かなければならない。

自らの生命に。

賢者の石をもって。

お前の宿業。


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