桜梅桃李に生きる:原点


現実を生きることに対する苦しみ、悩み、迷い。

その果てにやってくるもの。

絶望。

そして、希望。

人間とは何だろう。

生きることは、何だろう。

自分とは、何だろう。

肉体と精神。

その存在を支えるもの。

生命。

桜梅桃李に生きる。

その原点。


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理解できないものを理解するということ


好きとか嫌いとか理由の無い生理的な拒否反応は、仕方が無いというように片付ける。

そんなマイナスの最低な答えなんて、答えじゃあない。

理解しようとする時に、沸き起こる感情。

その感情を乗り越えるということは、理解しなければならないものに対する前向きな心によるもの。

その感情の元となるのは、己の?

現在の己の生き方の全て?

感情と感情。

理解できないものを理解するということ

それは、己の中の葛藤。

人間を理解することの難しさ。

思いやり以前の心の器の問題?

心の器より、過敏に反応する心の出来、不出来の問題?

単なる鈍感な人間の愚かさの軽薄な理解より、感情に打ち勝つ生命の塔を打ちたて、その鎖でつながれた心から、発する思いやり。

人間が、理解できないものに対する思いやりを発揮するために、そんなに、己の中で、戦わせなければならないものなのか?

単なる独り相撲。

独り相撲の哲学?

哲学は、孤独な中で生まれるもの。

思いやりって、それは同情。

理解しなければならないものに対する、心の葛藤の末に投げかける重い槍。



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生きることの切なさ:悩み・迷い・苦しみ


何でこんな苦しいのに人間は生きなければならならいのだろう。

苦しむために人間は生きるのだろうか?

生きることの切なさ。

辛さ。

生きている。

生きていることの意味はなんなのだ。

この世から一瞬にして去ることが出来ればいいのに。

生きている「今」は、何なの?

現実なの?

夢なの?

現実も夢の同じなんだろうけど。

生きている「今」。

こうして涙が止まらない。

生きているから。

誰か教えてほしい。

こんなに生きることが辛い。

泣いているこの瞬間に現実が無くなればいい。

生きているわたし。

わたしは、誰?

桜梅桃李。

今を生きる。



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木を見て森を見ず・森を見て木を見ず


己の生命の中での、成功と達成の刻印は、現実に生きることにおいて、その全てを決定付ける基本となる。

そして、その全ての道筋を、太く、大きく、更に、整備させていくのだ。

己の生命で。

『木を見て森を見ず』

些細なことやどうでもいいことに囚われすぎてはいけない。

大局的なものの見方も大切。

些細なこととに囚われることは、一つのものを極めていくものの見方につながらないか?

そして、些細なことどうでもいいようなことに、実は、大局的なものを映し出すことの出来る要因や、本当の大切なそのものを、見つけられることもあるでしょう。

を見て森を見ず』

そして、

を見て木を見ず』とも言われます。

この二つは、相反しているわけではなく、どちらも必要なものの見方ということなのかもしれません。

でも、なかなかこの2つのバランスを、その状況や、現在の立場などを、瞬間、瞬間、判断して、切り替え、保つことは、現実を生きる上で、とても難しいと思います。

己の場合など、現状に対して、窮地に陥ると、近視眼的思考回路にはまり易く、やはり、『を見て森を見ず』の選択を、しているようなことがほとんどです。

それだけ、己のの心というものは、何かのストレスに対して、弱いということなのでしょう。


「人間」を動かす「命(生命)」になれ!

今を生きること。

ただ、人間を動かす命(生命)に成れ!

過去も未来も、今を生きる人間の姿がそこに無ければ、語る言葉の全ては単なる妄想に過ぎない。

無意味だ。

価値は無い。

何もしないのと同じだ。

死んだ人間が、言葉を語れる世界。

間違った宗教は、恐ろしくも馬鹿な、妄想信者を生み出す。

その人の生命の真実は、姿に現れる。

正しい宗教とは、現実を生きる人間の姿に現れるのだ。

ネットで宗教を語る「人」だけの世界に、真に正しい宗教が広まるとでもいうのだろうか?

洗脳された宗教の奴隷(信者)達よ。

落ちぶれる宗教。

堕落する宗教。

組織の為の宗教。

金儲けの為の観念の袈裟を着た禿人ども。


今、己の宿業を一つ、乗り越え、そして、断ち切る時


過去の全てが、ぐるぐると巻き戻され、あの時の、あの場所、そして、あの匂い、あの季節・・・、

何が、どうなっているのだろう?

グルグル、グルグル。

過去に、引き戻される鮮明な記憶の数々。

長い間、思い出す事さえなかった記憶。

その記憶に、辿りつくたびに、己の心が、生命の針が、強くふれる。

辛さなのか、痛みなのかわからない、心に強く、再び印象付けられる記憶。

己自身の腐りかけた命では、これまでは、感じることの出来なかったこの感覚。

しかし、苦しみに飲み込まれいた過去にくれべれば、何か、己の中の、何かが取り除かれていくような、掃除されていくような感覚。

何かの痛み共に、その痛みが、取り除かれていく感覚。

己の人間らしく生きようとする生命の明かりが灯る

今、己の宿業を一つ、乗り越え、そして、断ち切る時。



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地獄も天国:生きているだけで丸儲けの人生


夏が来ると思い出す。

4年前のこと。

生きることが苦しかった。

生きることの上での悩みも解決されなかった。

母の兄弟で一番上の兄が亡くなった。

亡くなった母の兄の葬儀に出席するために、母の実家の九州に向かった。

お通夜と葬式を終えて。

ホテルで、部屋の窓から見える玄界灘を見つめながら思いつめていた。

わたしは、もう生きていくことをやめたくなった。

もう、このまま戻らずにここからいなくなってしまおう。

そんなことを思った。

自分を消したい。

生きることにたちが上がることに疲れた。

もう、真っ暗な先しか見えない人生。

このまま自分が生まれた場所で死ぬこと。

でも、出来なかった。

母に最期だと思って電話をかけた。

察してか、涙ながらに「帰っておいで」という母。

なぜ、あの時に死ななかったのだろう?

というより、こうして生きていることの方が不思議。

あの時は、生きる事よりも、死ぬことの方が楽だったはず。

生きることの辛さのどん底に、なんどもなんども這いつくばって、それでも死ぬことの選択よりも辛い、生きる選択をして生きていた。

生きることを終わらせたかった。

母の言葉で、わたしは生かされたのだろうか?

生きていることが不思議。

生きることの選択と死ぬことの究極の選択に迫られながら生きていたあの時。

死ぬことに怯え、生きることに怯え。

生きることのどん底。

今は、私はどこにいるのだろうか?

でも、後ろを振り返ればそのどん底がはっきり見える。

見えているような気がする。

死ぬことを選ぶ毎日から、今は、生きることを選ぶ毎日。

生きていることはありがたい。

人生生きているだけで丸儲け。

「地獄が天国と思える人は、もう、生きているだけで人生が丸儲けなんだ。」さんまさんが言っていた。

その言葉に、その通りだと同感できる。

今、あの夏の暑い日に自分のどん底があったのかと思える。

でも、あの時は、地獄は地獄以外のなにものでもなかった。

地獄が天国に思えるなんて、仏様位のものだろう。

だらから明石家さんまさんはお笑いの神様と呼ばれいるのかもしれない。

今、生きている。

生きているだけで丸儲け。

ありがたい。



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生と死の憂鬱:悩み・迷い・苦しみ


私と言う人間は、一体、どれほどの薄汚れた人生をおくってきたことか。

その汚さの垢と言うものが、ボロボロと、どん底の中で剥がれて行くことの感じ。

その感じが、今、わかる。

鉛のような、なんとも形容しがたい心の中のどうしようもない、どんな時にも付いて回る重たいような、纏わり付くような、その心の鈍痛のような痛みでもない、分厚くどんよりと私の心を覆いつくし続けてきた、決してどんな時にも晴れることのない、本質的に消し去る事の出来なかった憂鬱。

刹那に生き続けてきた人生。

そして、マイナスからの人生の再スタート。

あるものは何も無くなった。

無くなるにつれて、更に、苦しみ、悩み、そして、生きることと死ぬ事への選択への迷い。

どこまでも続く、己の中の地獄。

過去の全てが、私を苦しめた。

それは、全ては、私が、背負わなければならなかったもの。

全ての憂鬱と絶望感。

その中で生きる。

ゼロからのスタート。

全てを失い続ける毎日は、変わりはしない。

私の心の中の嵐は、吹き荒れ、苦しむこと、悩む事、そして、迷う事から、絶対に逃げないと、思えば、思うほど、弱い心が、私を更に痛めつける。

死への覚悟。

その淵にたどり着くたびに、最後の灯りが灯る。

灯りのある方向へ這いながら、心は死を求めながらも、なぜか、生きようとしているもう1つの自分。

己の生きることへの絶望は、苦しみのどん底の涙で、その灯りの方向へはいつくばって、ほんの少しの生きようとする力によって、死への選択の道をとどまらせた。

ゼロになっても。

人生を1からスタートさせるためには、私にとっては、なんども、なんども、生きることと、死ぬ事との闘いでもあったような気がする。

今も、これから先も、どん底なのかもしれない。

しかし、あれほど、私の心の中で決着する事が出来なかった己の中の過去の人生を、その時々に生命の中から晴れ間をのぞかせてくれる。

これから、もっとどん底を見ようとも、もう私の生きるという覚悟は変わらない。

憎しみと怒り。

どんな時にも晴れることの無かった心の中に本質的に、消し去る事の出来なかった憂鬱。

己の人生を破滅に向わせた己自身の中にあるその呪われし業。

今、その1つの節目を、己自身の中の変化として、確かに感じる事が出来る。

これは己の能力か?

不思議と感じる、自分ではない自分。

その自分では無い自分と言うもの、それこそが、本当は、己の本質なのかもしれない。

それとも、今までに、私に無いものを与えられたとでも言うのだろうか?

そんなことは、どうでもいい。

今、こうして、生きるということに対して、灯された明かりに対して、確実に感じる『生きていける』という自信。

この、なんにもない、己の情け無い現実の中で。

それは、私の中には、確かな【もの】がある証拠。

目に見えるものは何も無くなった。

でも、見えない確かな【もの】が、今、はっきりと見える。

宝。

本当の宝。

私が欲しかった宝。

何不自由ない生活の中で、得ることのできなかった宝。

己の宿命の深さをこうして、まざまざと知ることの出来る、己の中の宝。

何も無くても、生きていける自信。

今、決して、生きることを諦めないという自信の中で感じるのは、私の中で乗り越えること、解決することの出来なかった過去に対する申し訳ない思いと、感謝。

全ての人に報いたいという願い。

その願いのために、生きる。

その願いを誓に変える。

生きることによって、私が変わることが、全ての報恩感謝への0(ぜろ)から、1(いち)に変わる力。

その力を宝に変えるために、現実を更に生きる。

どん底を這い蹲ってでも。

これが、現実を生きることの実感と、充実感!

現実を確かに生きることの出来る確かな哲学を、更に、私の足跡に刻む毎日の闘い。

それは、私との闘い。

今、この、瞬間。

2010/4/28

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実証・灯(あかり):悩み・迷い・苦しみ

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憎しみと苦しみと、悩みと迷いの連続、その繰り返しの人生。

現実を生きる己の人生。

見えそうで見えない、しかし、それは確かな道を指し示す灯り。

灯りは、己の憎しみと苦しみと、悩みと迷いの中から生まれた。

完全に消えた己自身の中から再び灯されたされたあかり。

「火の無いところに煙はたたず」

しかし、心の深きところより灯りの無いところに火は灯る。

生命。

生き物の進化に見られるその生命の無限の可能性と不思議。

生命の不思議。

いや、不思議でもなんでもない、人間の理解を超えた宇宙。

生命は宇宙そのものとも言う。

己自身の姿で、今を生きた道を刻むための実証という、己にしか見えぬ信仰心の証。

その宝しか持ってはいけぬ。

深く、深く、どこまでも、このどん底を己が確かに生きたという証拠。

哲学に対する信仰心という証。

証とは、己の中のそのもの。

この現実を更に生きて、足跡として実証を残すための哲学。

己の自身の力で。

己の過去に、縁した全てに報いたい。

過去に報いることは、現在を生きること。

そして、未来を変える大きな力と変化のための気づき。

目には見えない宝の価値を見える姿であらわす。

実証。

どこまでも、どこまでも、己の中の哲学の集大へ向う途中の更なる決意を示す哲学に対する信仰心の証。

証をもってして、何度も何度も、検証の道を辿り、更なる実証を残す。

己が生きた人生の確かな足跡。

遥か彼方から、

そして、遥か彼方へ向うの夢の途中。

今、今こそ、その実証を得たい。




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極限を生きる辛さ「辛い時こそ、笑顔!」

極限を生きる。

生きることの楽しさ。

極限を生きること。

私とあなた。

あなたは、私。

極限を生きる。

あなたのことがよく解る。

あなたは、私と同じ。

だから、一緒。

一緒なんだよね。

本当に辛かったね。

辛いね。

でも、よく頑張ってる。

きっと、大丈夫だからね。

必ず、その辛さに感謝することが出来る。

その辛さに、幸せがあるということを、つらさの中に知ることが出来る。

今日もまた、人生のフライトが始まる。

一日が、人生の縮図。

辛い時こそ、笑顔。



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宗教をとるの?私をとるの?:【究極の選択】


希望の朝。

苦痛の朝。

惰性の朝。

真っ暗な朝。

夜が明けると、また、朝がやってくる。

それぞれの朝。

お前の生命の境涯をはかるバロメーターが、リズム正しく、24時間ごとにやってくる。

時間というものの存在。

時間というものの有りがたさを知る。

日はまた必ず昇る。

「宗教」を取るの?

「私」を取るの?

人生を供に生きようと誓い合った大切な存在からそのような選択を迫られた時。

その時の選択肢に、「宗教」を取ったお前。

しかし、それは、人間としての未熟さ故の答え。

不確立の人間。

確立された信仰心のないものの頼りなさ。

確立された己の中の信仰心という絶対的な存在の無さ。

宗教という袈裟など、必要無くても幸せに生きていける。

なにしろ、生きている現実こそが、生きている日常こそが、己にとって宗教活動なのだから。

人間としての頼りなさ。

人間としての幼さ。

人間としての確立したものの無さ。

人間のすがる、頼る弱い心。

一人の人間の弱さと生命の傾向性。

人間を選択するのか宗教を選択するのか?

そんな究極の愚問を突きつけられた時、

それは、己の信仰者としての信仰心の確かさ、

自己確立の高さを問われている時。

己の中の絶対的な信仰心の証を示す瞬間。

人として生きようとする過程のお前が得た宗教によって、己の生命の中に開かれた信仰心の確かさと正しさとその力を発揮する最高の選択の時。

究極の愚問は、信仰者にとって最高の選択とその信仰心の証と、己の信心の深さを確実に知ることができる瞬間。

今なら、自信を持って答えられる。

「宗教」を取るの?

「私」を取るの?

「お前」を取る。

人間が人間として生きるその途中の選択と答えは、人生における点。

その点が汚点に変わるのか、美点に変わるのか?

汚点でも美点でもない。

その点がつながる線の先。

それは全ての選択を、幸せに変えられることのできる終着点につながっている。

確かな哲学。

桜梅桃李。

今を生きる。


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「無駄な日々」に充実した人生を見つけることができる


人の話が、見えないということは、お前の中の人の心を理解しようと努めないその心に何かあるのだろう。

心が働かない人間。

お前の心が働かないのに、人間の心を見ることや理解することなど不可能。

その心に何かあるというのは、その心の問題だけで済むことであろうか?

心。

心というものはどこから作られる?

どこから?

人間は機械じゃあない。

子どもの頃によく言われた言葉。

「こんなところにいちゃあいけないよ。」

「ココは、お前が来るところではない。」

お前の居場所。

自分探し。

お前にとって、ここは間違った場所?

お前はココでこんなことをしていいの?

お前にとっての無駄な時間。

時間は、そのままお前の人生の一部。

しかし、人間にとっての意味のある時間。

無駄なことに無駄な時間を、「一生懸命」に費やすことに、無駄は無い。

無駄に過ごす人生。

その無駄な人生を、「一生懸命」に過ごすことのなんと無駄なこと!

でも、そこに無駄は無い。

愚か者で馬鹿に生きた、その「無駄な思い出」という十分すぎるほどの中身の濃い無駄。

「充実した無駄な人生」という意味が、あるじゃあないか?

後悔。

お前の愚かさを知る。

後悔。

人生を振りかって見れば、もう、絶対に戻っては来ない無駄な時間を、愚かさと後悔とともにその無駄に生きた時間を知ることになる。

生きるという人生の上において全てに無駄は無い。

生きることの全てに意味がある。

後悔と愚かさを知るのには、十分すぎるほど。

無駄の意味を短い人生の一部の中で知ることが出来る。

知恵があれば。

お前の居場所。

自分探し。

「充実した無駄な人生」の中に見つかることもある。

後悔と愚かさの中に詰め込まれた、その無駄に意味を見つけることの出来る知恵があれば。

でも、できれば、そんな愚かなことで知恵を使いたくはないもんだねえ。

もっと、賢明な生き方を知る方法がある。



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【十中八九】 で【九死に一生】溺れる者は藁をもつかむ


今年も、残すところ、あと二日。

2009年、という10年、区切りの年。

2010年。

ゼロからのスタート。

新しい、区切りのスタートラインとも感じます。

2000年から、もう、10年が過ぎるわけです。

今年の漢字は、「新」でした。

本当の意味では、間もなくやってくる来年こそが、「新」しいスタートにふさわしいのかもしれません。

縁起を担ぐわけではないですが、9という数字は、やはり、苦しい、辛いを意味するのかもしれません。

その区切りのスターの節目の年、2010年には、いろんな重要なことが重なる、不思議さを感じるとしでもあります。

どん底を蹴って這い上がる。

今年はそんな力をぐっと、握りこぶしにエネルギーを溜め込むことの出来る年だったかも知れません。

雪辱を果たすための年。

お前にとって、今年が、苦しい年であったならば、

来年という年が、どれほど、意味のある年であるのかということをお前に誓え!

勝つこと!

勝つことを誓う!

負け犬は去れ!

結果を出せ!

『溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ』という言葉。

人間というものの愚かさを解いているのだろうか?

藁をも掴むと言う人間の生きようとする本能の前向きなエネルギーを説いているのだろうか?

しかし、溺れていても、藁を掴まない人間もいるのではないだろうか?

その藁に、最後の命の一縷の望みを託す。

「助からな」いと知っていて、藁を掴むのと、必ず、「助かる」と信じてつかまるのと。


見た目では、どちらも、「おぼれて藁(わら)をつかんでいる」ように見える。

助からないものにまですがるという人間の愚かさを説いているというのが、一般的であるよう。

しかし、人間の本能というのは、どんな状況でも生きようという前向きなエネルギーを本質的に備えているということの証明であるとするならば、

火事場の馬鹿力の如くに、藁のような頼りない役に立たないものが、その瞬間に役に、ぶっといワイヤーに変わるようなこともあるのではないだろうか?

そんな手品みたいなことが起こるはずが無い?

でも「九死に一生 」とは、まさにそのようなこともあるのではないだろうか?

「十中八九 」 助かるはずの無い、藁(わら)で助かる人間がいる。

『溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ』

「九死に一生 」で、掴んだ藁(わら)が、ワイヤーだった。

そんな人生をひとつに、「波乱万丈」ともいうのかも知れない。

人生の失意のどん底にあっても、そのどん底を蹴って這い上がる力が要る。

失意のどん底で、その生きようとする力を出すことの意味。

お前に、出せるか?

お前に、出せるわけが無い。


都合よく、「どん底に落ちれば、後は這い上がるだけ」、なんて事をつぶやく人間は、きっと、いつまで経っても這い上がることは出来ない。

どん底を這う人生もある。

それとも、さらに、6 378.1 キロメートルの「奈落の底」まで落ちることも出来る。

おまえ自身を知らずに、そのどん底を蹴る力を出すことは出来ない。

おまえの底を知って、始めて生きる人生のどん底を知ることが出来る。

その、おまえを知ることの意味。

どん底を蹴るための準備。

そんな意味で今年は、どん底を蹴る準備が出来る年だったのでしょうか?

今年のブログの更新はこれが最後になります。

当サイトをご訪問していただいたかには、お世話になり、ありがとうございました。

それぞれの方に、来年が、本年以上に、良い年であるといいですね。

良いお年をお迎えくださいませ♪

来年も、また、よろしくお願いいたします。


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人間は間違いを犯すもの~正しい道に戻れる瞬間


テレビのドラマ 『コールセンターの恋人』の中で、こんな風な台詞がありました。

一つのペットボトルの水の味は、どこでも飲んでも同じ味かもしれない。

人間の源である水。

でも、その水の味は、本来、場所と飲む人の感じ方によって、常に違う。

人生も水のようなもの。

望む通りのきまったレールを歩けるとは限らない。

人生には道という、いろんな味を出す道がある。

その予想外の道で、人間の心が傷つくのは生きている証拠。

人生の道を進むためには、思い通りに行かないもの。

だから生きていきなさい!

思い通りに行かなくても、なにがあっても生きつづけます!



ドラマの内容は、ミネラルウォーターに関するクレームがテーマになっていました。


間違った道を歩いて傷ついたとしても、傷つけたとしても、人間は間違いを犯すもの。

だから、前向きに人生を生きていく為に、傷つくことを恐れてはならない。

前向きに人生を生きることによって、更に、傷つくことに恐れてはならない。

人生は思い通りには行かないもの。

人として、人間として。

人間として、正しく、恥ずかしくない「人の道」を生きることを、今、知ることが出来る瞬間。



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苦しい時にこそ己の宇宙の法則を生命によって築き上げることができる


信仰心を己の生命の中に刻む闘いを、妙法哲学の名のもとに、題目と実践と経験を積める人こそ、自らが本物と名乗れるにふさわしい人材と呼べるのだ!

信仰者を騙る嘘と傲慢な人間には、「己こそは本物だ」などと、そんなことを語るのはいとも簡単に容易いことだろうが・・・。

知恵あるものは、本物と嘘と見抜くための、更なる己自身を本物に近づける魔との戦いが必要。

愚か者に振り回される、愚か者にだけは、なりたくはないものだ。

『本物』とは、苦しい状態であればあるほど不屈の闘争を繰り広げる人である。

苦しい時にこそ、妙法によって己の宇宙の法則を生命によって築き上げることの出来る人である。




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「ダメ人間」は卑怯を全うな生き方として選択し続ける人生


世の中の社会でいう所の「ダメ人間」とは、己の弱さと愚かさを人の責任、社会の責任になすりつける生き方をいうのであろう。

己の生き方の弱さと愚かさの逃げ道の言い分けを、己以外のものに転嫁する卑怯な生き方を、知ると知らずに関わらず、全うな生き方として選択し続ける人生。

社会の中でダメになる人間は、社会がダメにしているのではなく、己自身がダメになるように追い込んでいるだけなのだ。

人を責めることによってでしか、心のバランスを保つことしか出来ない人間。

そして、その生き方。

それは、病の入り口。

いや、もう、病気は既に己の根っこを食い荒らし続けていたのだ。

侵されていることに気づくことの出来ない病。

意識や無意識を越えた、心の中の奥深くに形成されていく病。

己の変化の無さ、気付くことの無さ、生きることにおいての学ぶことの無さ。

そして、変化と気づきと学びの全てのマイナスの人生。

己の全ての愚かさを相対するこの社会の現象の全てに、責任を転嫁する生き方。

悲しき人生。

はかなき人生。

いつまでも、こんなことを心に感じる己自身から脱却したいものだ。



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人間、どう生きるべきか:人間の逃れられない生老病死


大切な人が亡くなった時に感じるもの。

何も感じない人間などいるだろうか?

悟りを開いた人や仏なら別だろうが、赤い血の流れる生身の体に精神を有する人間が無感情でいられるわけが無い。

あの世に旅たつ魂が現実か、この世が現実かでも、私たちは、現実を生きた人たちの上に生きている。

現実は、今を演じる舞台。

あの世は、観客席。

この世の舞台で演じ切った人たちは、満足の笑顔で現実を生きるあなたの舞台を応援してくれているのかもしれません。

深く悲しく、辛いことですが、生きている私たちは、そう「信じる」ことで、辛さを乗り越え、他者への思いやりや、己が現実を生きる為のエネルギーに変えていける。

さまざまな状況で「生老病死」に直面した時に、宗教、信仰、哲学のの確かさを、己の中の自己確立の高さを確認できる時。

人の死は、人間にとって誰にでも等しく平等。

生きていることも平等なはず。

裸で生まれて、あの世に持っていけるものは何も無い。

宗教が慰めなのかそうでないのかは「信じる」ことでしか成立しない。

生きてどうあるべきかという定義のようなものは、人ではない人間には意味の無いことでしょう。

それよりもどのように死んでいくのか。

己の「死に様」を決するためにどのように生きるかという答えなら出せます。

それは、今、この瞬間をどう生きるかということに尽きます。

明日があるさという人間は、気がつけば「人間」のままで死というゴールを迎え、輪廻転生を繰り返すのでしょう。

過去から未来永劫、無意味な意味を導き出すことよりも、今を生きる意味を導き出す。

「生きて何ぼ」「生きてるだけで丸儲け」己の未来さえわからないのに、死んだ後のことを拝聴したとしても悟れる人間などいるわけが無い。

未来も、死後の世界も己が今を生きるただそれだけのためにある。

人間の価値は、今、この一瞬にどれだけもてる力を発揮でるかということが、己の最後の死を未来のその時に生きた証として残せることになる。

信じることは、今を生きるための、人間として得心を得るために馬鹿になることかもしれません。

私には、「人」になれる悟りはどれほど先のことでしょうか。




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