理解できないものを理解するということ


好きとか嫌いとか理由の無い生理的な拒否反応は、仕方が無いというように片付ける。

そんなマイナスの最低な答えなんて、答えじゃあない。

理解しようとする時に、沸き起こる感情。

その感情を乗り越えるということは、理解しなければならないものに対する前向きな心によるもの。

その感情の元となるのは、己の?

現在の己の生き方の全て?

感情と感情。

理解できないものを理解するということ

それは、己の中の葛藤。

人間を理解することの難しさ。

思いやり以前の心の器の問題?

心の器より、過敏に反応する心の出来、不出来の問題?

単なる鈍感な人間の愚かさの軽薄な理解より、感情に打ち勝つ生命の塔を打ちたて、その鎖でつながれた心から、発する思いやり。

人間が、理解できないものに対する思いやりを発揮するために、そんなに、己の中で、戦わせなければならないものなのか?

単なる独り相撲。

独り相撲の哲学?

哲学は、孤独な中で生まれるもの。

思いやりって、それは同情。

理解しなければならないものに対する、心の葛藤の末に投げかける重い槍。



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人間の我慢の限界:宗教の袈裟を着て「法」を語る


人間の我慢の限界。

一人の裸の人間の言葉」で「法」を語る。

「宗教の袈裟を着てそのユニホーム」で、「法」を語る。

この二つは、全くその語る意味が違う。

その時、その持つ人間の本性が出る瞬間。

一人の人間の本性を通し、その「法」を知ることによって、人間が必要なものを知る。

その宗教を賛嘆し、その組織を宣揚するために、「法」の教えを語る時、人間の我慢の限界を越えて、むき出しにされた本性を知ることは、その宗教の価値を下げる。

その宗教の宝を石ころにする。

その宗教の未来をぶち壊す。

その宗教の本質とその価値を語れないのに語ろうとするもののその心とは?

私のような未熟者では、「ココ」が、どこなのか、わけもわからず、どこのどいつが見ているかも知れないこんな場所で語るのには、どんな批判が来るか、その宗教の宝と大切な【もの】を壊しはせぬかと、名前さえ出す事が恐ろしい。

それは、こんな場所だから。

良識を弁えた人間ならば、

「よくあんな場所で、そんなことが出来るわねえ。」

なんて中身を知らぬものが、勝手な事を噂する。

「一体、常識さえ弁える事の出来ない、非常識な人たちなんだから」、なんてね。

「そりゃあ、しかたが無いかもね。」

「正義、正義」と、正義ならなんでもあり。

なんて風に思っているの人たちなんだから。

慎みや謙虚や思いやりが、そのやり方のえげつなさに、かき消されてしまうほどの正義の履き違え。

宗教を信仰しながら、世間の常識からずれていく、この非常識。

でも、それをその宗教の正義と勘違いするドアホ。

本当に、極普通に生きていらっしゃる人には、迷惑極まりなくて申し訳ありませんと代弁しても収まりません。


一部で見られるそんな、今のその宗教の実情。

憂慮しなければならない心配事を、上からの号令だけで、猪突「盲信」。

突き進もうとする。

元気がいいのはいいけれど、礼節を弁えられんのかね。

その宗教の看板が泣くよ。

それは、私には、愚かに見える。

「物言わぬ」本当に、その宗教の価値を知る良識を弁えた高き生命の人たちは、見えているはず、感じているはず、心配しているはず。

でも、私は、「一人の裸の人間の言葉」で、「法」を語る。

だから、あえて、その宗教のダメだしをする。

それは、その宗教を大切にしているから、絶対に壊せない宝があるから。

きっと心配しているはず。

号令だけで動く、イエスマン達。

一番大切なもんを忘れてはいませんか?

大切な人が、一番恐れているものはなんですか?

その宗教の本質とは、利他と慈悲。

未曾有の理想。広大無辺な理想。

その宗教の素晴らしさを、にわか仕立ての袈裟を着て、人に教えを説く坊さんにでもなったつもりで、出家並みの修行や過酷な現実を生きたわけでも無いのに、わたしゃ、頭が良いといわんばかりに、理路整然と、「偉そうに」法を説く。

何様のつもりじゃ!

そんな暇があったら、一人の大切な人を救える人間になるために、現実を生きんかい!

法は、お前が偉そうに、こくもんじゃねえ。

おまえ自身に現実のために説く法だろ?

誰も法を説いてくれなんてそんなことを誰が頼んだのかねえ。

俄仕立てのお尻の赤いお坊さん。

ネットはホントに厄介だねえ。

一著前に、お釈迦さんにでもなったつもりで偉そうに法をといても、やっぱり、人間は人間。

その馬脚を現す時がやって来る。

その本性を現すときがやって来る。

中身の無いものに、紙を貼り付けても、当然、雨が降れば破れて、おんぼろろ。

攻撃される事を承知でも、結局、そいつの我慢の限界。

我慢の限界とはなんだ?

己の負け。

しかし、その負けを認める事の出来ないその生命が、本性をさらけ出す。

見ているだけで哀れ。

その哀れさの結末は、誰がそいつの尻をふくというのだろう。

その尻を拭かされて汚されるのが、その宗教じゃあないのか?

情け無い。

逆切れして、そのネットで、攻撃したものをこれでもかと晒す。

何のためのその宗教の宣揚なのだろう。

それは、その宗教は、人を選ぶと言う権威主義に映らんか?

その宗教を褒めちぎり、宣揚する事を己の役目として振舞いながら。

人の幸せを祈ることの出来るその宗教。

利他と慈悲の、その宗教を宣揚しながら。

そんなときには、都合よく自己保身のために、その「法」を都合よく使える。

逃げるために仏法を解釈する。

そんな意味では、法というのは、頭のいいだけの尻の赤い猿でも使える者には万能。

使われるその宗教にとっては不幸。



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【孤独】:どん底のどん底、 2番底のどん底 、3番底


「どん底」というのは、現在の世の中かな。

100年に一度の世の中も、現在の今、この瞬間の世の中かな。

「どん底」の、更に「どん底」の「2番底」

どん底の次のどん底を誰が呼んだか、「2番底」。

そのそこが抜ければ、次は、3番底かい。

その次の底の次は、4番・・・。

「何じゃ、そりゃあ?」

単なるアホさ加減をごまかすための言い分けに、どん底の底が抜けりゃあ、底の下に、もう1つ底を作って、さも、ありそうなことをもっともらしく「2番底」とよぶ。

人間とは、無責任な生き物。

人間の言う事は、不確かな言葉の連続。

要するにいいかげん。(良い意味での好い加減ではない。)

ごまかす人間。繕う人間。

どん底なんていうのが、一体、どこに見えると言うのか。

見えないものを見たように言い。

見るべき見えないものを見ようとしない人間。

人間として与えられた能力・本能の退化。

世の中の進化と引き換えに、人間のどこかの回路は、機能する必要を搾取されて、退化しているのではないか?

どん底と言うものを知ることが出来るもの。

どん底と言うものを見ることが出来るもの。

どん底とは、そのどん底を、味わったものが知ることができる。

どん底とは、振り返った時に見える。

どん底を味わったことのないものが、どん底と抜かす、この底抜けの世の中。

「適当」に繕う世の中の無責任さ。

ただ、ゲームを楽しむ人間。

以前、大河ドラマで「坂本龍馬」の生涯が放送されていました。、その坂本竜馬の生き方を最大の人生の哲学としていらっしゃる武田鉄也氏。

元、フォークグループの「海援隊」で芸能人、武田鉄也さんが、売れなくなった頃に、その日の生活さえ事欠くような暮らしに陥ったときの話。

その時に、妻が、今が「どん底」。

このどん底を良く見ておこうよ。と言ったそう。

ココが、どん底ならば、後は、上がるだけ。と更に、そう言った。

とてもいい話です。

しかし、そのときに、その瞬間に、そのようなことが言えるのだろうか?

そのはなしが、作られた感動話とは言いません。

また、何一つ、疑うことを必要しないのかもしれません。

その通りじゃないか?

後は、這い上がるだけ。

結果オーライ。

そのどん底から登り続けたと言う、成功話を否定するつもりは、毛頭ありません。

その実、現在、武田鉄也氏は、芸能界で確固たる位置にいらっしゃる。

でも、じゃあ、先の話の、2番底は?

まだ、その先の3番底は?

また、その先の・・・・、「もおぉっ、ええちゅうねん!」

底は底でも、どん底とは限らない。

だから~、どん底と信じて生きれば後は這い上がるだけ。

それでいいでしょう!

そうじゃあない!

どん底にいる人間が、どん底を知ることが出来るならば、その底はどん底ではない。

どん底にいる人間が、どん底が見えるのならば、その底は、どん底ではない。

人間の言葉と言うものは、その言葉が事実であっても、本当の真実を映し出しているとは限らない。

「ココが、どん底ならば、後は、上がるだけ。」

「後は這い上がるだけ?」

そうだけれど、そうでない。

まあ、それでいいか。

違っていようが、違っていまいが、どうでもよいことなのだから。

これが「お前」のいいかげんさ。 (良い意味での好い加減ではない。)

関連ページ■日本のヘレン・ケラー福島 智 氏の孤独と苦悩からの脱却~人
関連ーページ■福島智東京大学教授の闇と沈黙の苦悩の脱出~名字の言



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木を見て森を見ず・森を見て木を見ず


己の生命の中での、成功と達成の刻印は、現実に生きることにおいて、その全てを決定付ける基本となる。

そして、その全ての道筋を、太く、大きく、更に、整備させていくのだ。

己の生命で。

『木を見て森を見ず』

些細なことやどうでもいいことに囚われすぎてはいけない。

大局的なものの見方も大切。

些細なこととに囚われることは、一つのものを極めていくものの見方につながらないか?

そして、些細なことどうでもいいようなことに、実は、大局的なものを映し出すことの出来る要因や、本当の大切なそのものを、見つけられることもあるでしょう。

を見て森を見ず』

そして、

を見て木を見ず』とも言われます。

この二つは、相反しているわけではなく、どちらも必要なものの見方ということなのかもしれません。

でも、なかなかこの2つのバランスを、その状況や、現在の立場などを、瞬間、瞬間、判断して、切り替え、保つことは、現実を生きる上で、とても難しいと思います。

己の場合など、現状に対して、窮地に陥ると、近視眼的思考回路にはまり易く、やはり、『を見て森を見ず』の選択を、しているようなことがほとんどです。

それだけ、己のの心というものは、何かのストレスに対して、弱いということなのでしょう。


「人間」を動かす「命(生命)」になれ!

今を生きること。

ただ、人間を動かす命(生命)に成れ!

過去も未来も、今を生きる人間の姿がそこに無ければ、語る言葉の全ては単なる妄想に過ぎない。

無意味だ。

価値は無い。

何もしないのと同じだ。

死んだ人間が、言葉を語れる世界。

間違った宗教は、恐ろしくも馬鹿な、妄想信者を生み出す。

その人の生命の真実は、姿に現れる。

正しい宗教とは、現実を生きる人間の姿に現れるのだ。

ネットで宗教を語る「人」だけの世界に、真に正しい宗教が広まるとでもいうのだろうか?

洗脳された宗教の奴隷(信者)達よ。

落ちぶれる宗教。

堕落する宗教。

組織の為の宗教。

金儲けの為の観念の袈裟を着た禿人ども。


今、己の宿業を一つ、乗り越え、そして、断ち切る時


過去の全てが、ぐるぐると巻き戻され、あの時の、あの場所、そして、あの匂い、あの季節・・・、

何が、どうなっているのだろう?

グルグル、グルグル。

過去に、引き戻される鮮明な記憶の数々。

長い間、思い出す事さえなかった記憶。

その記憶に、辿りつくたびに、己の心が、生命の針が、強くふれる。

辛さなのか、痛みなのかわからない、心に強く、再び印象付けられる記憶。

己自身の腐りかけた命では、これまでは、感じることの出来なかったこの感覚。

しかし、苦しみに飲み込まれいた過去にくれべれば、何か、己の中の、何かが取り除かれていくような、掃除されていくような感覚。

何かの痛み共に、その痛みが、取り除かれていく感覚。

己の人間らしく生きようとする生命の明かりが灯る

今、己の宿業を一つ、乗り越え、そして、断ち切る時。



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生と死の憂鬱:悩み・迷い・苦しみ


私と言う人間は、一体、どれほどの薄汚れた人生をおくってきたことか。

その汚さの垢と言うものが、ボロボロと、どん底の中で剥がれて行くことの感じ。

その感じが、今、わかる。

鉛のような、なんとも形容しがたい心の中のどうしようもない、どんな時にも付いて回る重たいような、纏わり付くような、その心の鈍痛のような痛みでもない、分厚くどんよりと私の心を覆いつくし続けてきた、決してどんな時にも晴れることのない、本質的に消し去る事の出来なかった憂鬱。

刹那に生き続けてきた人生。

そして、マイナスからの人生の再スタート。

あるものは何も無くなった。

無くなるにつれて、更に、苦しみ、悩み、そして、生きることと死ぬ事への選択への迷い。

どこまでも続く、己の中の地獄。

過去の全てが、私を苦しめた。

それは、全ては、私が、背負わなければならなかったもの。

全ての憂鬱と絶望感。

その中で生きる。

ゼロからのスタート。

全てを失い続ける毎日は、変わりはしない。

私の心の中の嵐は、吹き荒れ、苦しむこと、悩む事、そして、迷う事から、絶対に逃げないと、思えば、思うほど、弱い心が、私を更に痛めつける。

死への覚悟。

その淵にたどり着くたびに、最後の灯りが灯る。

灯りのある方向へ這いながら、心は死を求めながらも、なぜか、生きようとしているもう1つの自分。

己の生きることへの絶望は、苦しみのどん底の涙で、その灯りの方向へはいつくばって、ほんの少しの生きようとする力によって、死への選択の道をとどまらせた。

ゼロになっても。

人生を1からスタートさせるためには、私にとっては、なんども、なんども、生きることと、死ぬ事との闘いでもあったような気がする。

今も、これから先も、どん底なのかもしれない。

しかし、あれほど、私の心の中で決着する事が出来なかった己の中の過去の人生を、その時々に生命の中から晴れ間をのぞかせてくれる。

これから、もっとどん底を見ようとも、もう私の生きるという覚悟は変わらない。

憎しみと怒り。

どんな時にも晴れることの無かった心の中に本質的に、消し去る事の出来なかった憂鬱。

己の人生を破滅に向わせた己自身の中にあるその呪われし業。

今、その1つの節目を、己自身の中の変化として、確かに感じる事が出来る。

これは己の能力か?

不思議と感じる、自分ではない自分。

その自分では無い自分と言うもの、それこそが、本当は、己の本質なのかもしれない。

それとも、今までに、私に無いものを与えられたとでも言うのだろうか?

そんなことは、どうでもいい。

今、こうして、生きるということに対して、灯された明かりに対して、確実に感じる『生きていける』という自信。

この、なんにもない、己の情け無い現実の中で。

それは、私の中には、確かな【もの】がある証拠。

目に見えるものは何も無くなった。

でも、見えない確かな【もの】が、今、はっきりと見える。

宝。

本当の宝。

私が欲しかった宝。

何不自由ない生活の中で、得ることのできなかった宝。

己の宿命の深さをこうして、まざまざと知ることの出来る、己の中の宝。

何も無くても、生きていける自信。

今、決して、生きることを諦めないという自信の中で感じるのは、私の中で乗り越えること、解決することの出来なかった過去に対する申し訳ない思いと、感謝。

全ての人に報いたいという願い。

その願いのために、生きる。

その願いを誓に変える。

生きることによって、私が変わることが、全ての報恩感謝への0(ぜろ)から、1(いち)に変わる力。

その力を宝に変えるために、現実を更に生きる。

どん底を這い蹲ってでも。

これが、現実を生きることの実感と、充実感!

現実を確かに生きることの出来る確かな哲学を、更に、私の足跡に刻む毎日の闘い。

それは、私との闘い。

今、この、瞬間。

2010/4/28

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実証・灯(あかり):悩み・迷い・苦しみ

憎しみと苦しみと、悩みと迷いの連続、その繰り返しの人生。


現実を生きる己の人生。


見えそうで見えない、しかし、それは確かな道を指し示す灯り。


灯りは、己の憎しみと苦しみと、悩みと迷いの中から生まれた。


完全に消えた己自身の中から再び灯されたされたあかり。


「火の無いところに煙はたたず」


しかし、心の深きところより灯りの無いところに火は灯る。


生命。


生き物の進化に見られるその生命の無限の可能性と不思議。
                   (ダーウィンの進化論は変化を求める【心に残る言葉】


生命の不思議。


いや、不思議でもなんでもない、人間の理解を超えた宇宙。


生命は宇宙そのものとも言う。


己自身の姿で、今を生きた道を刻むための実証という、己にしか見えぬ信仰心の証。


その宝しか持ってはいけぬ。


深く、深く、どこまでも、このどん底を己が確かに生きたという証拠。


哲学に対する信仰心という証。


証とは、己の中のそのもの。

この現実を更に生きて、足跡として実証を残すための哲学。


己の自身の力で。


己の過去に、縁した全てに報いたい。


過去に報いることは、現在を生きること。


そして、未来を変える大きな力と変化のための気づき。


目には見えない宝の価値を見える姿であらわす。


実証。


どこまでも、どこまでも、己の中の哲学の集大へ向う途中の更なる決意を示す哲学に対する信仰心の証。


証をもってして、何度も何度も、検証の道を辿り、更なる実証を残す。


己が生きた人生の確かな足跡。


遥か彼方から、


そして、遥か彼方へ向うの夢の途中。


今、今こそ、その実証を得たい。







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極限を生きる辛さ「辛い時こそ、笑顔!」

極限を生きる。

生きることの楽しさ。

極限を生きること。

私とあなた。

あなたは、私。

極限を生きる。

あなたのことがよく解る。

あなたは、私と同じ。

だから、一緒。

一緒なんだよね。

本当に辛かったね。

辛いね。

でも、よく頑張ってる。

きっと、大丈夫だからね。

必ず、その辛さに感謝することが出来る。

その辛さに、幸せがあるということを、つらさの中に知ることが出来る。

今日もまた、人生のフライトが始まる。

一日が、人生の縮図。

辛い時こそ、笑顔。



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宗教をとるの?私をとるの?【究極の愚問】

希望の朝。

苦痛の朝。

惰性の朝。

真っ暗な朝。

夜が明けると、また、朝がやってくる。

それぞれの朝。

お前の生命の境涯をはかるバロメーターが、リズム正しく、24時間ごとにやってくる。

時間というものの存在。

時間というものの有りがたさを知る。

日はまた必ず昇る。



「宗教」を取るの?

「私」を取るの?


人生を供に生きようと誓い合った大切な存在からそのような選択を迫られた時。



その時の選択肢に、「宗教」を取ったお前。


しかし、それは、人間としての未熟さ故の答え。

不確立の人間。

確立された信仰心のないものの頼りなさ。

確立された己の中の信仰心という絶対的な存在の無さ。


宗教という袈裟など、必要無くても幸せに生きていける。

なにしろ、生きている現実こそが、
生きている日常こそが、
己にとって宗教活動なのだから。

人間としての頼りなさ。
人間としての幼さ。
人間としての確立したものの無さ。
人間のすがる、頼る弱い心。

一人の人間の弱さと生命の傾向性。

人間を選択するのか宗教を選択するのか?

そんな究極の愚問を突きつけられた時、

それは、己の信仰者としての信仰心の確かさ、

自己確立の高さを問われている時。


己の中の絶対的な信仰心の証を示す瞬間。

人として生きようとする過程のお前が得た宗教によって、
己の生命の中に開かれた信仰心の確かさと正しさとその力を発揮する最高の選択の時。

究極の愚問は、信仰者にとって最高の選択とその信仰心の証と、
己の信心の深さを確実に知ることができる瞬間。


今なら、自信を持って答えられる。


「宗教」を取るの?

「私」を取るの?


「お前」を取る。


人間が人間として生きるその途中の選択と答えは、人生における点。


その点が汚点に変わるのか、美点に変わるのか?

汚点でも美点でもない。


その点がつながる線の先。


それは全ての選択を、幸せに変えられることのできる終着点につながっている。


確かな哲学。



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【賢者の石】:悩み・迷い・苦しみの賢者の石と幸せの錬金術


この世に相対する世界は、「鏡」である。

相対するものとは何か。

感じるもの全て。

お前が、この世を感じるものの全て。

いま、こうしていることの全て。

「お前が感じる」マイナスの言葉の全ては、お前のマイナスのエネルギーをあらわす。

「お前が感じる」プラスの言葉の全ては、お前の生命に明かりを灯そうとする。

「お前が感じる」マイナスの言葉は、お前の生命を暗やみに導こうとする。

「お前が感じる」マイナスの言葉は、お前自身、そして、お前に関わる全てを、不幸へ導く生命の暗闇の世界へ導く。

マイナスの言葉は、呪いの呪文。

おまえ自身を不幸へ導く呪文。

選択。

心の選択を決めるもの。

生命と宿業。

生命の変化。

心の選択を決めるもの。

意識と無意識、知ると知らざるに決めるもの。

生命。

生命と宿業。

お前を幸せと不幸のどちらかに傾かせる生命。

「悩み・迷い・苦しみ」

心の選択。

変化。

「悩み」は、成長の課題となり、「迷い」は、最良の選択のチャンスとなる。

「苦しみ」は、楽しみの「前菜」。

「苦しみ」は、この世で人生を色濃く鮮やかに永遠に残し、

「苦しみ」は、人生の味を引き出す。

砂糖と塩加減、味とコクの効いた人生。

確かな生きた証。

人間として。

人間を知るために。

未熟な人間が、生きる途上での「悩み・迷い・苦しみ」は、生きることの最高の宝となる。

人間が人間として、そして、人として生きる道は、「悩み・迷い・苦しみ」 という触媒を用いて、錬金術を究める道。

「極道」の道。

「悩み・迷い・苦しみ」は、賢者の石。

「成長・好機・幸せ」への変化を創りだす宝。

その不可能を可能にする「妙」なる【もの】。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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人間は間違いを犯すもの~正しい道に戻れる瞬間

世界に一冊のメモ帳・ひとしずく

テレビのドラマ『コールセンターの恋人』の中で、
こんな風な台詞がありました。

一つのペットボトルの水の味は、どこでも飲んでも同じ味かもしれない。

人間の源である水。
でも、その水の味は、本来、場所と飲む人の感じ方によって、常に違う。

人生も水のようなもの。
望む通りのきまったレールを歩けるとは限らない。

人生には道という、いろんな味を出す道がある。
その予想外の道で、人間の心が傷つくのは生きている証拠。

人生の道を進むためには、思い通りに行かないもの。
だから生きていきなさい!

思い通りに行かなくても、なにがあっても生きつづけます!



ドラマの内容は、ミネラルウォーターに関するクレームがテーマになっていました。

この言葉を、現在消息不明になっている女優の酒井法子さん(38)に聞いて貰いたいような気がします。間違った道を歩いて傷ついたとしても、傷つけたとしても、
人間は間違いを犯すもの。

だから、前向きに人生を生きていく為に、傷つくことを恐れてはならない。
前向きに人生を生きることによって、更に、傷つくことに恐れてはならない。

人生は思い通りには行かないもの。

人間として、母として。

人として、正しく、恥ずかしくない「人の道」を生きることを、今、知ることが出来る瞬間。

『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく
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似非信仰者はいらん!自らが本物の一人に!~今日の「名字の言」

信仰心を己の生命の中に刻む闘いを、妙法哲学の名のもとに、題目と実践と経験を積める人こそ、自らが本物と名乗れるにふさわしい人材と呼べるのだ!信仰者を騙る嘘と傲慢な人間には、「己こそは本物だ」などと、そんなことを語るのはいとも簡単に容易いことだろうが・・・。知恵あるものは、本物と嘘と見抜くための、更なる、己自身を本物に近づける魔との戦いが必要。

愚か者に振り回される、愚か者にだけは、なりたくはないものだ。

『本物』とは、苦しい状態であればあるほど不屈の闘争を繰り広げる人であり、苦しい時にこそ、妙法によって、己の宇宙の法則を生命によって築き上げることの出来る人である。
(※今日の「名字の言」を読んで)

2009年8月5日の今日の「名字の言」

成長するに従って、名前が変わる魚を「出世魚」という。縁起のよい魚として扱われ、門出を祝う席の料理などに使われる。代表的なものとしては、ブリが有名だ。稚魚はモジャコ。その次の段階を関西ではツバスと呼ぶ(『魚の事典』)。

大阪・西淀川区で広布拡大に奮闘する地区部長。月1回、壮年の集い「つばす会」を開催してきた。「皆がブリに、人材に成長しよう」との決意を込めたものだ。スタートの時点で集ったのは、わずか3人。が、今では部員数の7割を超す壮年が集う。全員が本紙の推進を達成し、地域貢献の活動にも率先している。

当初、活動者が少なかった地区。だからこそ、自らが“本物の一人に”と立ち上がり、粘り強く同志の励ましに徹し抜いた。「ただ、“師に応えてみせる”との情熱だけでした」。その執念が、人材拡大の流れを築いた。

池田名誉会長は語っている。「本物の『信心』があり、本物の『人材』がいれば、そこから勝利が広がっていく。 『本物』とは、苦しい状態であればあるほど不屈の闘争を繰り広げる人のことです」。断固たる信心で、勝利の突破口を開く人こそ本物の人材であり、“広布のツバス”と呼ぶにふさわしい。いざ、友情拡大の大海原へ、進みゆこう!(芯)

【聖教新聞】 「名字の言」より



■名字の言~人生を確かに生きるひとしずくの言葉


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「ダメ人間」は卑怯を全うな生き方として選択し続ける人生


世の中の社会でいう所の「ダメ人間」とは、己の弱さと愚かさを人の責任、社会の責任になすりつける生き方をいうのであろう。

己の生き方の弱さと愚かさの逃げ道の言い分けを、己以外のものに転嫁する卑怯な生き方を、知ると知らずに関わらず、全うな生き方として選択し続ける人生。

社会の中でダメになる人間は、社会がダメにしているのではなく、己自身がダメになるように追い込んでいるだけなのだ。

人を責めることによってでしか、心のバランスを保つことしか出来ない人間。

そして、その生き方。

それは、病の入り口。

いや、もう、病気は既に己の根っこを食い荒らし続けていたのだ。

侵されていることに気づくことの出来ない病。

意識や無意識を越えた、心の中の奥深くに形成されていく病。

己の変化の無さ、気付くことの無さ、生きることにおいての学ぶことの無さ。

そして、変化と気づきと学びの全てのマイナスの人生。

己の全ての愚かさを相対するこの社会の現象の全てに、責任を転嫁する生き方。

悲しき人生。

はかなき人生。

いつまでも、こんなことを心に感じる己自身から脱却したいものだ。



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人間の逃れられない生老病死

人間は死んでどうするかでは無くて、生きてどうあるべきかを知りたい

大切な人が亡くなった時に感じるもの。何も感じない人間などいるだろうか?悟りを開いた人や仏なら別だろうが、赤い血の流れる生身の体に精神を有する人間が無感情でいられるわけが無い。

あの世に旅たつ魂が現実か、この世が現実かでも、私たちは、現実を生きた人たちの上に生きている。

現実は、今を演じる舞台。あの世は、観客席。この世の舞台で演じ切った人たちは、満足の笑顔で現実を生きるあなたの舞台を応援してくれているのかもしれません。

深く悲しく、辛いことですが、生きている私たちは、そう「信じる」ことで、辛さを乗り越え、他者への思いやりや、己が現実を生きる為のエネルギーに変えていけるのかもしれません。

さまざまな状況で「生老病死」に直面した時に、宗教、信仰、哲学のの確かさを、己の中の自己確立の高さを確認できる時かもしれません。

人の死は、誰にでも等しく平等。生きていることも平等なはず。裸で生まれて、あの世に持っていけるものは何も無い。宗教が慰めなのかそうでないのかは「信じる」ことでしか成立しないのかもしれません。

生きてどうあるべきかという定義のようなものは、人ではない人間には意味の無いことでしょう。、それよりもどのように死んでいくのか。己の「死に様」を決するためにどのように生きるかという答えなら出せます。それは、今、この瞬間をどう生きるかということに尽きます。

明日があるさという人間は、気がつけば「人間」のままで死というゴールを迎え、輪廻転生を繰り返すのでしょう。過去から未来永劫、無意味な意味を導き出すことよりも、今を生きる意味を導き出す。

「生きて何ぼ」「生きてるだけで丸儲け」己の未来さえわからないのに、死んだ後のことを拝聴したとしても悟れる人間などいるわけが無い。未来も、死後の世界も、己が今を生きるただそれだけのためにある。

人間の価値は、今、この一瞬にどれだけもてる力を発揮でるかということが、己の最後の死を未来のその時に生きた証として残せることになる。信じることは、今を生きるための、人間として得心を得るために馬鹿になることかもしれません。私には、「人」になれる悟りはどれほど先のことでしょうか。

※この記事は、筆者の他のブログに対するコメントに内容を付け足して記事としています。

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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人間>人から人へ行き着くための人間

世界に一冊のメモ帳

「人」という字は、「ひと」と「ひと」が、寄り添って、
支えあって出来ている文字だということは誰でも知っています。

「人間は社会的動物である」ということも。

「人間」とは、「人のあいだ」と書きます。

人のはざまに存在するのが人間。
人と人を結ぶのが人間。

やっぱり、どんこなとがあっても、人は、ひとりでは生きていけないし、
そのつながり求め、その質を高めることによって人間らしい人生を実現することが
可能になるのでしょう。

そして、人間のもう一つの役目は、
過去と未来をつなぐために存在する。

歴史を作るのは人間。
過去と未来をつなぐのは、現在。

今、この瞬間。

地球の歴史、宇宙の存在からすれば、時間という単位で、
1人の人間が生きている時間なんて、ほんの瞬きの一瞬程のものでしょう。

だからこそ、この瞬間が大切。

何を受け継いでいくのか、何を残していくのか。
人間として、その大切なものに気づけた分だけこの世での
人として生まれた価値を創り出し未来を生きる人に、伝えることが出来るのでしょう。

現実を生きること、現実を生き切ること。
現在というこの時間の中で、人と人のつながりを求めることで、
過去と未来をつないでいくことが出来る。

自身の、幸、不幸は誰のせいでもありません。
「幸せ」と「不幸」を感じる心は、自身が創り出したもの。

不幸を感じる心は、この世に生まれてきた意味と、
自身を知ることの出来ないことによるもの。

今、この現実を生きているという実感を感謝とともに感じられる。
涙を流しながらでも、現実のなかで、肌に、心に痛みを感じながらも、
一歩、一歩、歩んでいることを感じる毎日です。


※現在、継続的なブログの更新は、お休み中です。

『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく
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強い生き方を選択する「知恵」と「縁」という「種」-悩み 迷い 苦しみ

世界に一冊のメモ帳

悩み、迷い、苦しみ。

心に受け取る感情というものは、さまざま。

楽しさ、悲しさ、恐怖、怒り、嫌悪・・・、

もう、一瞬のうちに、天と地程も、急上昇、急降下したり。

大きく反応したり、地味にしっかりと反応したり、

いつも、心は、外の出来事を受けて、心の中で、コロコロと動き回る。

弱い生き方の人間は、都合の悪いものから逃げようとする。
弱い生き方の人間は、都合の悪いものから身を隠そうとする。
出来るだけ、今居るポジションから、動かずに、じっとして、
やり過ごそうとする。

だから、いつまでたっても、強い生き方が出来ない。

私の生きて来た過去。

弱い生き方の人間は、全ての受け止めたことを、
都合のいいものと、都合の悪いものに、自動的に振り分ける機能がついている。

その自動的に振り分けられる機能は、
「弱い生き方用」として、設定された機能。

強い生き方を、決して、選択出来ない機能。
「強い生き方」を選択するボタンが無いのだから。

自身を今、映す鏡を見つけて、
そんな己の心の弱さの本性の一つの答えを見つけたような気がした。

「弱い生き方の人間」が、絶対に必要な、己の中の確たるものの存在の重要性。

そして、その確たるものの正邪を判別する「知恵」と、
そのきっかけとなる大切な「縁」。

「弱い生き方の人間」なるが故に必要なる、
生命の柱となる、その哲学の強さは、強ければ強いほど、
その己の生き方の弱さを現実に晒しだし、あぶり出し、

強い生き方へと変革させる為に、
「弱い生き方」を断ち切る具体的な行動を私に与えてくれる。

生きるための「哲学」とは、今を強く、更に、強く、現実を生きることに
反映されるものでなければならない。

今日の「名字の言」の言葉(09/03/19)

・桜が万人に愛されるのは、厳冬に耐えて満開に咲き誇る花だから。まさに勝利の象徴だからであろう。我らも眼前の課題に勝って、晴れ晴れと勝利の花冠を愛でたい。


※今日の「名字の言」より、個人的に感じた部分を、抜粋いたしました。
全文は、【人間の機関紙・聖教新聞】コンテンツの 「SEKIYOnet」の、
◇名字の言よりご覧ください。


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「純粋な強さ」を支えられない「心の弱さ」 :生き方


悩み、迷い、苦しみ。

悩みのない人生。

悩みだらけの人生。

楽しく遊んで暮らすのも一生。

自由に生きることこそが人間らしさの最高の形かもしれない。

悩み、苦しみ、迷いの無い人生こそ最も素晴らしい人生といえる。

悩み、迷い、苦しみばかりの人生こそ、最も人として近づける最高の人生ともいえる。

この世でどちらの生き方に転ぶのかは、現実の世界がどのように映るのか、己を映し出す鏡によって決まる。

己の生命の傾向性と宿命。

幸、不幸は己自身が決めるもの。

悩みのない人生。

悩みだらけの人生。

どちらの人生も幸せな人生。

「純粋」であるが故に、そして、「心の弱さ」ゆえに、この世で生きることに苦しむ人。

人間の深いところに存在する、根本的なところに行き着く悩み。

強い生き方しか出来ない人は、弱い生き方の人を理解できない。

逆に、弱い生き方の人には、強い生き方の人を理解できない。

「母」と「私」の関係。

「純粋な強さ」と、その、純粋な強さを支えられない「心の弱さ」。

私自身が、私自身をを否定してきた人生は、理解されないことによって、芽生えたものかもしれません。

一番理解して欲しい人に、理解されない苦しさ。

それは、この世の中が、私の生きる世界では無いのだと思い続けて、生きてきた過去。

心の弱さゆえに、「弱い生き方」を更に弱くし、そして、心根の中の「純粋な強さ」ゆえに、更に苦しむ。

私も、否定的な人生を歩んできたものの一人。

「優しく生きたい!」という、本来の「純粋な強さ」。

しかし、優しくなれずに、辛く人に当たり散らかす「心の屈折」したもの。

今、思えば、子どもの頃に、どうしようもないほどの、私の「弱い生き方」に、理解されない心の中の「矛盾」と「葛藤」に、何一つ訳も分からず、苦しんでいたのかもしれません。

「心の純粋さ」は、素直に生きようと、正しいものを求める、本来の人間の持つ「正」の本能。

そして、強く柔軟に動く「心」と、最も大切な、強く生きる力を湧き起こす「生命力」。

「純粋な強さ」と「心の弱さ」を、合わせ持つ人が、この世で、生きることが辛いと感じるのは、当然のことだと思えます。

しかし、信仰には、、己の「心の弱さ」を己自身で、変えることの出来る生命哲学が存在し、

そして、弱い生き方の人の中にある最高の宝である「純粋な強さ」を、この世で、最も輝かすことが出来る生命哲学が存在する。

強く、そして、更に強く、生きていける推進力。

生命の深い部分で感じた喜びは、決して消えることはない。

いつまでも、どこまでも伝わっていく。「歓喜」というものの本質。

生命の奥底の一念を根本から変革する偉大な力。

「弱い生き方」からの根本的な脱却の実現の為に必要な「生命哲学」。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。





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義を見てせざるは勇なきなり - 全ては己の一念

世界に一冊のメモ帳

3.16を記念するこの大切な意義ある月の座談会の場所で、
いえ、そんな大切な場所だからこそ、大なり、小なり、魔がおこる。

己の弱い心と闘う為の、今、この一瞬の生命力。

その試されているものを、今、発揮出来ないのでは、
何の為の信仰か!

何の為の哲学か?!

一人、一人が、気づける、見抜ける、その生命を養う為の組織。

喧々諤々で、喧嘩覚悟で、まみれてみろ!

基本の根底は、妙法哲学を求める同志。

更に、深い信頼関係は、そこから生まれることもある。

境涯に低さゆえに、本意が伝わらぬことを恐れて、
誤解を避ける為に、行動しないのなら、
己の成長を閉ざすことになるのだ。

誤解を受けても、誤解は必ず、解ける。

己の、生きてきた人生で、身をもって痛感しているじゃないか!

「気がつかない者」、「気づけない者」、
「気づいているのに黙っている者」も、みんな同じ。

その中でも、「気づいているのに黙っている者」は、

『義を見てせざるは勇なきなり』
(人として行うべきことをわかっていながら、それをしないのは臆病者である)

わたしは、まさに、こんな人間なのだ。

この哲学は、「行動しなければ」、「言わなければ」、
自分に返ってくることは何一つ無い。

己の中の哲学の存在の、有無。

その証拠を、「出せ!」 「示せ!」 「行動で!」

全ては、己が、この哲学を知り、そして、誓った、「報恩、感謝」の為に。

:まだ、昨日を、引きずっているのですか?まあ、それだけ、あなたにとっては、重要な意味のある日、だったのでしょうね。

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命が開けるその瞬間!わかるかなあー?、わかんねーだろーなー?

世界に一冊のメモ帳

命が開ける時、その瞬間!

全てが開ける、思考回路に変わる。

行き詰まるのは、己の根本となる、
命の思考回路が閉ざされているから。

「わかるかなあー?」
「わかんねーだろーなー?」


・ひとしずく幸せみつけた neo Zero.


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最初の一歩を間違える者の愚かさと宿業の深さ - 心のつぶやき

世界に一冊のメモ帳

生きることの、現実において、
最初の一歩を、間違えること程、哀れで、愚かなものはない。

また、間違えていると知りながら、その一歩を、
踏み出すものほど、救いようの無い者は無い。

己の不幸へと突き進むことが、確定された一歩。

「刹那へ!」 →「GO!」
「不幸へ!」 →「GO!」
「生き地獄へ!」 →「GO!」
「GOOL」は、「死!」
「オメデトウ!」人間としての「死」へ向かう出来レースへようこそ♪


そのことにさえ気づけぬ、真っ暗で、汚い、ドス黒い、心の中。

己自身の中に、確かな生き方の欠片ほども感じない生き方。

人間性を求めることを自ら否定し、生きる姿。

人間性の放棄。

哀れでならない。

己の、将来に、自らに必ず、必然的に及ぶ、
己の不幸、いや、地獄の確約と指定席を確保して、
刹那な、目の前だけのゆがんだ矮小で、短絡的で、
軽薄な事だけに必死になって、薄汚く、ニヤケた顔をして、
喜ぶものの、哀れさと愚かさ。

かわいそうでならない。

己の中で、その祭りが終われば、残るものは、
その、無意味さと、無駄と、空虚さのみ。

哀れでならない。

しかし、そんな人間でも、自らの「死」の選択をし(死)ながら、
生きていることを知(死)ることの出来る場面は、いくつもあるものだ。


にもかかわらず、そんな、チャンスを自らが死の為に、
己の手によって、握りつぶし、さらに、近視眼的な刹那を生きることで、
知識はあっても、人間として、無知で、盲目的な生き方しか出来なくなる。

愚か者。

しかし、「地獄の確約」とその「指定席」の苦しみを味わう
ことは、すべて、現在の己の作り出した因(原因)によるものなのだ。

自らを貶め、自らが、未来に向かう、
地獄の苦しみの姿を確かな現実として、約束できるのは、
それは、人間に与えられた、方程式だから。

人として、学べない、罪深い宿業の人間は、
愚かな人生を突き進む、片道キップだけしか与えられない。

帰りの切符を買えるかどうかは、
己を、知ろうとすることから以外に、ヒントは与えられない。

残念ながら、現実の己の心の不幸と地獄は、
誰が、気づかなくても、愚かで、哀れな、己自身が、
身悶えしながら、のた打ち回っている、己自身が、

よく分かっているよね♪

「ねぇ?」

:・・・、ワッ、わたしですか?
たッ、た、たしかにそうです。 はい・・・、

・ひとしずく幸せみつけた neo Zero.



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言葉 - 恐れと、迷いと、弱さと、逃げ道、言い訳の卑怯者の中身

今日の言葉 (09/03/10)

・「楽観主義とは、希望である。」仏法には、
不屈の楽観主義が脈打っている。(SGI会長)

・『恩知らずの人間より、恩を知る犬の方がまし。』(世界のことわざ)

・『悪魔的悪徳は、人間の悪さをはるかに超え出た度合いの悪さを持つ。
そうした悪さとして数えられるのは、次の三つ、すなわち、嫉妬、恩知らず、他人の不幸を喜ぶ気持ちである。』 (カント)


【人間の機関紙・聖教新聞(09/03/10付)】本部幹部会における
SGI会長のスピーチより、抜粋致しました。


世界に一冊のメモ帳

「あと、一息だ!」

その階段を登れば、明るく輝く「朝日」を、浴びることが出来る。
己の生命の中に確実に、登り始める、生命の「朝日」。

いまこそ、己の生命で、その階段を登りきれ!

この胸のつかえ、この心のはっきりとしない重く、つかえているもの。

徹底的に、己の心と対峙してみよ!

その答えを、己の生命で、感じ取ってみよ!

その、己の、心の、通り道の途中で、
細くなった胸の中につかえているものが、すっきりとするまで。

この、己の心の中には、何が詰まっているのか?

「恐れ」と、「迷い」と、「弱さ」と、「逃げ道」、「言い訳」、
己の中にある、「卑怯者」という全ての道具が、詰まっているのだ。

その、つかえている全てを、はっきりと、己に移る姿として、あぶりだす作業。

生命哲学によって、変革する作業のために。


・ひとしずく幸せみつけた neo Zero.


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世界に一冊のメモ帳 - もう過去に言い訳をしない!大切なのは今!

世界に一冊のメモ帳

もう、己の現在の結果を、過去の己の言い訳にするのは、やめよう!

大切なのは、その結果を、今、どうするかだ!

大切なのは、今!

今を、一生懸命に、生きなければ、意味が無い。

今!、全ては、今!、この一瞬。

今こそ、己の宿業との戦い。

己の宿業を引きずり出しているのだ。

叩いて、つぶして、踏み潰して、粉々に、打ち砕いてやる!

そして、今を、生きる力に、変えてやる!

今、一つの宿業を断ち切る瞬間。


・ひとしずく幸せみつけた neo Zero.

今日の「名字の言」(09/03/08)

◇「不器用の一心に勝る名人はない」

◇「仏法の世界は、真面目に、地道に、誠実に戦い抜いた人が、必ず勝つ」と池田名誉会長。

◇ただ真っすぐに、信心を実践し抜いた人に、“人生勝利の春”が訪れることを忘れまい。


※今日の「名字の言」より、個人的に感じた部分を、抜粋いたしました。
全文は、【人間の機関紙・聖教新聞】コンテンツの 「SEKIYOnet」の、
◇名字の言よりご覧ください。

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世界に一冊のメモ帳 - 願いが、一念に、そして執念に

世界に一冊のメモ帳

目の前の現実に立ちはだかる
困難や、苦しみ、悩みが、大きければ、大きいほど、

更に、絶望の淵に追いやられれば、追いやられるほど、

力の湧いてくる哲学。

「願い」が、

「一念」に、変わり、

そして、「執念」へ、変わる哲学。

己の生命の底から、湧いてくる力。

生きようとする力、人間の底知れぬ生命力。


・ひとしずく幸せみつけた neo Zero.



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世界に一冊のメモ帳 - 本当の生き方への心のリセットの準備

世界に一冊のメモ帳

何もしたいことが見つからず悶々としていたあの頃、

苦しいことを苦しいと自覚せず、

心に無駄なストレスばかりを溜めていたあの頃、

苦しいと言えば、
苦しいと言えればよかった。

でも、だから、私は、今、同じように、

自分のなすべきことに目覚めず、悶々とした、
暗く、分厚く覆った心で生きている人の気持ちがよく分かる。

我慢することなんて、無いんだよ!
素直になれば。

素直になれれば・・・。

捻じ曲げられた心。
捻じ曲がった心。
絡んだ心。

素直に、真っ直ぐに、ニュートラルな心へ!

本当の自分の生き方を見つけるための心のリセットの準備を
始めるのは、いつでも出来る。

遅すぎることも無く、早すぎることもない!

その瞬間、その時。

命で、生命で決心出来る時。


・ひとしずく幸せみつけた neo Zero.




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賢者の石

世界に一冊のメモ帳

上がって来い!

無意識の中に隠れている、姿を変えて存在している、
己の「宿命」、「トラウマ」。

何でもいい!

私の前向きに生きようとする意識の思考回路を邪魔するものよ!

もう、逃げない!
もう、逃がさない!

今度は、私が追いかける番だ!

現実を生かすも殺すも、
己の無意識の中にある、姿の見えない宿業とやらを見える形になるまで。

私の意識の中にはっきりと、映し出されるまで。

「賢者の石」で、叩き潰せる戦いの場所まで。

お前を引きずり出してやる!

・ひとしずく幸せみつけた


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ネガティブな人間はポジティブな人間を否定する


下の「」内の言葉を、吉本のお笑い芸人、「天津(てんしん)木村」氏の、「あるあるエロ詩吟風」に読んでいただければ、重たい中身も、軽くなるかも・・・。

(※知らない方は、下記、天津木村 レッドカーペットでフレーズ♪を参照のこと)

「テレビや、メディアで成功者のポジティブな話を聞いても~~~♪」

「そんな話の全てを心の中では、信じられず、嫌悪感を感じる~~~♪」

「否定的な人間は、前向きに生きている人間まで、否定する~~っ!」

「・・・♪」

「あると思います!」



「いえ、あります。」

それは、私が、そんな人間だから。

何事にも、否定的で、ネガティブな発想の人間。

何事も悲観的に、人生を後ろ向きに考える人間。

今を、生きることから、学ぼうとしない人間。

そんな人間は、ポジティブに明るく生きている人間が、まともに見れないほど、自分が恥ずかしくなるのだ。

そして、その己の弱さと、ネガティブな生き方を悟られないように、そして、己自身を正当化しようとして、無意味に己を、繕うために、
そして、何とか、己の心の平成と安定を保つために、

更に、後ろ向きで、ネガティブな生き方へ、自分で追い込んでいく為の馬鹿な、心の中の言い訳を考える。

なんという、愚かなことだろう。

己の中の「疑心」と、「本当」と「嘘」を見分けることの出来ない己の愚かさを隠す為に、相手の姿を、「嘘」と「偽善」に仕立て上げるのだ。

愚か者は、更に、愚かな生き方を、自らから望んで、その生き方を選択して生きてゆくのだ。

これが、わたし。

でも、こんな人間って、本当にかわいそうな人(私)だなあと、つくづく思います。

「人の不幸は蜜の味」、なんていう言葉に、うなずきたくは無いけれど、実際、本音は、やっぱり、そうなんです。

人の不幸を喜び、人の成功を否定する。

こんな考えの人間が、本当に幸せなら、悲しい事件も起こることもないのかもしれません。

でも、最近、感じることは、ネット上に存在する、無数にあるウェブサイトのなかには、とても人生を生きることに役に立つ、そんな優れた、サイトがあるものです。

インターネットの創設目的の一つには、「善」の発想に基づく、世界の役立つ情報を共有する、相互扶助に目的の一つがあるそうです。

でも、今、「優れた前向きな言葉がちりばめてある価値ある」ものから、「目から鱗」のように心に入ってくる私を感じられて、

学ぼうとする「心」に向かう、私の無意識に働く心の傾向に意識が及んだ瞬間、少し驚きを感じました。

私もちょっとは、「ポジティブ」な生き方の方向にベクトルが無意識に向いていることを微妙に感じ、嬉しくなりました。



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【悩み・迷い・苦しみ】己の力で壁をぶち破れ

世界に一冊のメモ帳

一人から、連帯の輪へ。

私という一人から、連帯の輪の中へ。

開かない心。

堅く閉ざされた心。

己の力で、ぶち破れ!ぶち破れ!ぶち破れ!

己の生命で!

一体、何を恐れ、何を怖がっている。

何を守ろうとしている。

何を失うものがある。

確かなもの、私の中の確かなもの。

その確かなものが、そこにもある。

あそこにもある。

みな、同じだ。

確かなものへ飛び込むのだ!

確かな連帯の輪の中で、己の生命の花を更に咲かせよ!

躊躇している暇は、もう、無いのだ。

堅く閉ざされた己の「心」を強く意識して、
生命の妙なる力で、打ち破る。

打ち破る。

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世界に一冊のメモ帳 - 哲学の要諦

世界に一冊のメモ帳

結果の出ない結果という答えから、更に、その結果を導き出す。

言い換えれば、「失敗」は、結果の出ない「結果」のなのだ。

その結果という、失敗から成功の要因を見つけ出すのが、
この哲学の要諦の一つなのかもしれない。

・ひとしずく幸せみつけた


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世界に一冊のメモ帳 - 己自身に問うこと

世界に一冊のメモ帳

己が、全ての人から受け入れてもらいたいなら、

まず、全ての人を受け入れようとしているか?
己の器の小ささを広げようと努力をしているか?

己のエゴに傾く、支配欲におぼれ、己の心が汚く濁っていないか?
己の受け入れてもらう為の、器をいつも磨いているか?

傲慢な命の発するところからは、絶対に誰も、己を受け入れる
確かな真実の味方など一人もやって来ない。

全てを受け入れてもらいたいなら、
己が、全てを受け入れることの出来る生命かどうかを己自身に問え!


・ひとしずく幸せみつけた


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世界に一冊のメモ帳 -人生の入学と卒業

世界に一冊のメモ帳


卒業できる。

己の中での、けじめ。

一つの区切り。

生命の中での区切り。

人生の、第一目標を達成し、卒業すること。

永遠に続く、次なる目標を、生命で達成する為に。

終わり無き、人生の「入学」と「卒業」を、何度も繰り返すこと。


・ひとしずく幸せみつけた




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世界に一冊のメモ帳 - 知恵と英知のパンデミック

世界に一冊のメモ帳

プラス思考とプラス思考が、融合すれば、知恵となる。

そして、その融合したものが、さらに、融合を繰り返せば、英知となる。

知恵と英知の「パンデミック」。

真実の「広布」は、「メトカーフの法則」に従うのだろ。

そこに映し出されるものが、真実であれば・・・。


・ひとしずく幸せみつけた neo Zero.


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