「運命」は自らの手によって開く


生命の大宇宙をありのままに生きる

準備万端、やることはすべてやった。

あとは、生きるという自然の法則任せだ。

私の生命のありのまま。

生きるという法則の流れのままに生きるのだ。

生命の大宇宙。


法に書かれていることを、己の人生で確かめる。

哲学の法は、そのためにある。

宣伝の為には、存在しない。

なぜか?

宣伝の価値が無いからだ。

法は、人に説く為にあるものではない。

説く事が出来るものは、法を作ったものだけ。

己の中で解くもの。

解くことの出来ない人生のためのヒントを与えてくれる。


正しいかどうかを人間に問うな。

正しいかどうかを自分に問え。

信じる事によって成立する宗教。

しかし、その正しさの根拠とる根本。

本当に正しいのか?

自分を信じきることが出来ればそれでいい。

自分にとって価値のある人間になれ!

そのための人として修行を積め!

人間として役に立つ人になれ!

人間を生きる人としての正しい生き方。


自らの宿命に流されず、宿命を使命に変えて、自らの運命の扉を開き、道を創る。

自らの「運命」は自らの手によって開くことができる。

己の中の生命を映し出す鏡。

仏。

祈りとは、自身を敬う最高の儀式である。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。



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無限の拡大と収束

生きてきた人生の中で、己の目に映る、心に反映された全て。

人生の中で、感じたことの全ては、その過程でふくらみ続ける。

しかし、あるところで、あることを契機に、その無限に膨らむものは、収束を始める。

収束。

この収束の意味。

人間が人間として、坂道を登る過程。

坂道を転げ落ちる過程。

そのいずれであろうと、無限に拡大し続けるものは、必然的に収束を始める。

法則。

人間の中の法則。

その法則が、人生を決定付ける。

幸せな人生を決定付けるための法則とは、一体、どこに行き着く?


『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく

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マイナスをプラスに変えることの出来る生命の妙

世界に一冊のメモ帳・ひとしずく

今こそ、生き方の底上げだ。生命の底上げ。

絶対的な境涯をたかめるための儀式だ。

人間を馬鹿だと思う、己の「業」。己の「傲」。

その二つの「ごう」を見抜けよ!叩き潰せよ!乗り越えろよ!

人間の馬鹿と利口を区別する己の生命の低さ。

人間の見えぬところに潜む己の傲慢。

憎しみや恨みは、前向きに生きるエネルギーになる。
マイナスのエネルギーも、プラスに変えることの出来る哲学と己の中の信仰。
今という、現実を生きる為の壁を、ハードルを越えるエネルギーとなる。

2009年7月29日の今日の「名字の言」

大阪・枚方市の香里ケ丘一帯では戦前、火薬や砲弾が造られていた。製造所の煙突の一つが、今も「平和の記念碑」として残る。

第2次大戦中、製造所には、数百人もの女子学生が動員され、爆弾造りの労働を強いられた。粗末な食事のため、多くの学生が栄養失調に陥った。武器製造のために青春の貴重な時間を失ったのである。(日本経済新聞)

関西創価小学校の校舎は、その煙突の近くにある。毎年、小学3年生の児童が煙突を見学し、戦争の悲惨さを学ぶ。平和学習の一環である。同校での、ある年の平和記念集会は、こう締めくくられた。「かつて、戦争のための道具を作り出した場所に校舎はあります。私たちは、平和のため、世界へ飛翔しゆく使命を果たしたい」。

戦争は、青年の未来を奪う。だからこそ、その悲惨な経験を、どう未来へ生かしていくか。平和への情熱を、いかに若い世代に継承していくかが重要である。関西創価小の取り組みは、その小さな挑戦であろう。

創価学園創立者の池田名誉会長は、かつて学園生に語った。「(私は)『絶対に人類は平和であらねばならない!』と祈り、戦い続けてきた」と。次代を担う青少年の心に、平和への闘争心が燃え続けることを期待したい。(芯)

【聖教新聞】 「名字の言」より

■名字の言~人生を確かに生きるひとしずくの言葉


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過去と現実の全てを宝に変える妙法という賢者の石


人を憎む、己の宿業を呪え!

己の生命が憎い!

もう!人を責めることから、卒業。

人を責める己の心を責めよ。

己の生命を高めよ。

人に対する憎しみは、己の宿命の深さゆえの生命の低さ。

なんと哀れな己の宿業であろう。なんと汚い生命であろう。

小さく、幼い、原始的な生命。

その、人を憎み、恨む、己の生命を呪え、憎め。

己の宿業にまみれた生命を憎んだ分だけ、恨んだ分だけ己の宿命転換につながる。

過去と現実の全てを宝に変える、妙法という賢者の石によって。




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自己を確立するための無明を開く最高のシナリオ

世界に一冊のメモ帳

肯定されようと、否定されようと、どちらでもいい。

反対され、否定され、社会から、冷たく見放される人生もある。

それでも、自己を確立するための確かな哲学を確信できる人間、己の中に確かな宗教を持つ人間は、どんな時も、己の中の信仰を貫くために強い執念を発揮できる。

賛同してくれる多くの味方に囲まれる人生。
否定される敵ばかりの人生。

しかし、否定も肯定も、敵も味方も全部、己という存在を主役にした舞台であり、ドラマなのだ。この現実というドラマ。そこにこそ、己の人生を進むための哲学の価値がある。妙法の価値がある。

敵も味方も、己を映し出す鏡。

この妙法があれば、敵が多ければ多いほど感謝。否定されればされる程、その私の自己という存在を照らしてくれる。なんという人生のドラマの演出であろう。最高の役者が揃った。後は主役がその舞台の中心でどれだけ演じきるかなのだ。

生きる現実において己を理解してくれなくても、批判されようとも、その役者たちにはなんの罪も無い。全ては、己にとっての感謝すべき存在、宝の石。

全ては己の宿命転換のために存在する。

辛いと思える人生こそ確かに生きることを知ることの出来る人生。
この世を生きることの無明を開くために必要なシナリオ。

宿命。
己の生命の傾向性による原因と結果。

私の、この世で主役としてドラマを確かに演じきるために、そのドラマの途中で、必要なもの、私に欠けているもの、無いものを、早く気づくことなのだ。

気づくことの無い人生は無明の人生。

妙法は、その気づけない人生に明かりを灯す。己の中に確かな信仰を創る。

妙法にとって、現実に映る目に見えるもの、見えないもの全てが己の生命にとっての宝の原石。私にとっての妙法は与えられたシナリオを、人生の終着点へ向かってそのストーリを限りなく完成に近づけてくれる不思議なペン。

■【New!】ひとしずく
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3歩進んで3歩戻る?- 大切な人へ創価の花を咲かす自己確立の道

世界に一冊のメモ帳

己の現在の苦しみは、乗り越えられるのだろうか?

一つの答えを導き出すために苦しんで、
また、その苦しみの答えを求めるために更に深く辛い過去に戻る。

一体、私の記憶は、どこまで引き戻されるのだろうか?

まるで喪失していたはずの、自らが消し続けてきた過去。

しかし、無意識の中にまでインプットされ続けた言葉の記憶は、
決して消し去ることなどは出来ない。

そして、現実に向かう瞬間にその過去が、私を苦しめる。

すべての一つ一つが、鎖のように繋がっているのだろうか?

こんな人間が、今をまともに生きられるのだろうか?

弱いダメな私が、言い訳をしようとする。

「こんな重たすぎる荷物を自分一人で、背負わなければならないなんて!」

しかし、一方で「半端に、生きてきたおまえ自身の罰なのだ!」という自分。


「信じる!信じる!」

今の 私には、信じるしかありません。

逃げなければ、必ずきちんと解決できる答えに到達できる。

自らが「宝」と信じるものを、更に深く確信するために。

なんだか、自分で以前書いた、「3歩進んで、2歩下がる」毎日のような気がします。

でも、まだ、「3歩進んで、3歩戻る」、同じところに戻っていないと
思えるのだから、少しは、私の心も前進しているのでしょう。

申し訳ないと思うのなら、必要なことは、一つ!

前を向いて、進む以外にはないのだ!

大切な人が、苦労を乗り越えて身をもって実証を示した証拠は、
厳然として存在する。

それ以上、確かなものがあるか!

その証拠を確かなより所に「信じる!信じる!」事だけ!

己の中に、己の信じる力を、一念を、執念にまで高め、

この哲学の正しさをも、己によって、証明してみせる!

※2008/5/24の過去の記事を再整理し掲載いたしました。
・ひとしずく幸せみつけた

今日の「名字の言」の言葉(09/04/01)

・何事も最初は下積みの連続。“雑用”と思える仕事があるかもしれない。しかし、小さなことに誠実に全力で取り組むことで、周囲の信頼と本物の実力を勝ち取ることができる



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二つの北極星で二つの因果の証明 - 派遣切りとネットカフェ難民

世界に一冊のメモ帳

三十半ばの派遣切りにあった女性が、住まいを追われ、ネットカフェ難民に。

六十半ばの男性が、派遣切りにあい、自らの生きる道を断つ。


そんな現実の深刻さをメディアが、冷たく映し出す。
「これが、現実だ」とばかりに。

身近な人の「明日は、わが身」と、つぶやくその言葉が、
現実の厳しさをさらに物語る。

知ることの出来ない、立ち入ることの出来ないそれぞれの事情。

しかし、
己の心の弱さゆえに、翻弄され続ける人。
己の心の弱さゆえに、己の生きる道を自ら絶つ人。

苦境の時こそ、「気づける心」を生み出す「生命」が、自らの中にある!

その瞬間、気づける人は、己を知ることに近づける。
己を知り、己の弱さを強さに変えられることの出来る瞬間。

現実に、苦しみ、悩み、迷うことの意味。

気づきと選択の瞬間は、チャンスを与えられた瞬間。
逆転、挽回に、マイナスをプラスに変える、
生きることの醍醐味を知るチャンス。

「ゼロ地点」

「無」に、限りなく近づける極限の瞬間。

「宝の原石」なのだ。

同情や哀れみは禁物。

「同情するなら、お前!代わってやれ!」
「哀れむなら、救える人間になれ!」

同情という言葉は、弱い人間同士が、
ひきあうマイナスの言葉。

同情、相憐れみ。

弱い心の人間が同情哀れみで、自己満足の生き方で、
己自身が、弱い生き方に引きずられてゆくマイナス思考。

強い人間の弱い人間に対する優越感。

そんな気休めの言葉に、現実を変える力があるはずが無い。


烈風にさらされ、苦難を苦難とせず、全てに矢面に立って、
闘ってこられた人。

人間に、生きることの意味を自身の姿を持ってあらわされてきた人。

生命哲学の実行者。

現実を生きるための確かな「哲学」
確かな存在である「師」。

この2つがあれば、道に迷うことは無い。

己の苦悩からの脱却。
己の宿命転換の為に。

輝く、無限の星。その中心の北極星。

いつも何処からでも動かずじっと、一つの方向を向いている北極星。

ポラリス。 

どんなに苦しい時も、
苦しい時こそ強くなれる己の中に存在するものを確かめる。

「師」は、北極星。
「妙法哲学」は、北極星。

弱い己の心の中で、2つの確かなものを私の中で輝かせる。

己の内なるものの確かな存在。
そして、己の目指す、確かなものの存在。

「師」
生命の「師」

生命に刻み、更に輝かせる闘いだ!

「妙法の因果」で、妙法の正しさを証明する。
「師弟の因果」で、師の正しさを証明する。

「法の証明」と己の「信仰心の証」は、己の宿命転換の為。

答えは必然。

現実に、苦しみ、悩み、迷う哀れな姿は、
己の中に存在する確かなものに気づける、灯りを灯せる瞬間なのだ!

:・・・真面目すぎて面白くない。今日はお休み。
・ひとしずく幸せみつけた

今日の「名字の言」の言葉(09/03/24)

・50歳を過ぎて、新たに何ができるか。悩みながら御本尊に向かった。
とんとん拍子で再就職が決まった。あなたのように笑顔で元気に返事のできる人が欲しかったと採用理由を聞かされた。自分を過小評価していたことに気づいた。

・人には必ず使命がある。問題は、それを、どうすれば見つけられるのか。
池田名誉会長は、“じっとしていないことだ”と言う。遠くを見て躊躇するのではない。

・「目の前の山」から逃げない。自分の足で立ち、自分を信じて進む。
その一歩が必ずや使命の道を開く。



『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく

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感情から冷静へ、生命哲学の実戦の場所

世界に一冊のメモ帳

己の心が、萎えて、しぼんで行く。

ドロドロとした、重く、よどんだものが、私に巻きつくような感覚。

それらが渦巻く、大きな鍋の中へ、
体を引き込まれ、沈めこまれていくような感覚。

現実に、立ち向かおうと、すればするほど、
跳ね返そうとする、おおきな力。

この力の大きさに、
私の心が、弱く、無力になり、
心の奴隷になって、戦意を失い、どんどん沈んでいく。

しかし、私は今、こうして、
この、私の心が沈んでいく感覚を、この今!
感情から、冷静へと移行して、見つめることが出来る。

苦しんでいる私を、同じ場所から、眺めている「私」がいる。
その「私」が、呼んでいる。
私に話しかけている。

今、この瞬間こそ、その萎えた心を!
感情の泥沼へ、足を取られようとしている、その心を!

お前の中にある、本来の力、あるべき力で、
目覚めさせ、更に高めるべき瞬間。

お前の中にある、お前の生命で、満たしてやることの出来る、
お前が偉そうに語る、「哲学」の登場だ!

必要な時に使えないのなら、お前の語る、「哲学」の中には、
実際には、何一つ詰まっていない!

中身の無い、空っぽの空理、空論を続けるがよい!

お前が語ることなど、無駄の、無意味の、ただの「絵に描いた餅」。

「哲学の正しさを、己自身で、証明出来ないものが、哲学を語るんじゃない!」


「今、この瞬間こそ、
お前が この哲学の正しさを語る資格を得ることの出来る、
お前が語れることの出来る、生命の哲学の実践!、実戦!、その場所だ!」


感情に支配されようとしている私を、
冷静へ導く、知恵を湧き出させ、英知へと、導こうとする声が、
私に、そう語ってくれる。

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生も死も歓喜 生きることは現実と未来の錬金術と賢者の石 探し

わたしにとって、今を、そして、未来を生きることは、
心と、生命の中の財産、「命の宝」を、産み出すための「触媒」探し。

そして、命の「錬金術」を習得する為の「賢者の石」を見つける作業という
道のりなのかもしれません。

そして、己の生きてゆく、その途中、途中の境涯において、拾い集めた最良の
「賢者の石」使って、更に優れた「黄金の宝」を命の宮殿に貯めるために、
その、不思議な、「錬金術」を高めていくことに大きな意味があるのかもしれません。

生きることの矛盾。
生きることの不思議。
生きることに課された人間の性。

今、現実に有ることも、無いことも、確かなことも、確かでないことも、
すべての真実は、「無」

有ることも、無いことも、「無」なのだと感じることがあります。

しかし、この世で、人間としての仮の姿を与えられたものとして、
現実と受け止めて生きるのが、人間の定めならば、

人として、幸福に生きるための、心の財産を生み出す為の習得作業は、
生きることの確かな作業になるのではないでしょうか?

己が最高とする宝 「賢者の石」を求め、信じる。

無限の可能性を求めて、この世で「生き様」 「足跡」 を最高の宝石によって、
生命の中の黄金の財宝を築き上げて行く。

人生の節目、生きていく過程において示される、悩み、課題、宿題を、
己の絶対的な「金の財産」へと精錬するために。

しかし、そこで、重要な錬金術の成否の鍵を握る「賢者の石」。

生まれながらに備えて来た人もいるでしょう。
はたまた、それぞれの人生の途中で、見つけていく人もいるでしょう。

多くの場合は、後者にあてはまるのかも知れません。
しかし、「賢者の石」に気付かず、また、見つけようとしない人もいるでしょう。

それは、絶えず、錬金術を高めていく努力を怠らない作業の過程で、
「知恵」と「英知」その瞬間の「生命の傾向性」によって得ることの
出来るものなのかもしれません。

そして、更により最高の、宝である「賢者の石」を獲得する為に必要なことは、

求め続けていくこと。
知り続けていくこと。
磨き続けていくこと。

人は、死ぬ為に生きる。

この世で果たせた、己に課せた、使命のいくつかを果たすために。
幸福な死の絶頂を迎えるために。

『生も、死も、歓喜』

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己の革命の道は、己との戦いに勝つしかない

世界に一冊のメモ帳

確かな哲学によって生きる。

その生きてゆく自信が、
確信に変るまで、
後、もう一歩だと信じたい。

苦しい道のりを逃げずに進んできたと
確信できる過去は、

やがて私を、
そして、私に関わる大切な人を守り、
多くの人と関わることの人生を歩んでいける
大きな財産に変ると確信して。

現実を生きる、
未来を生きる絶対的に崩れることのない自信は、
確かな己の中に存在する哲学によってうまれる。

その哲学と共に、己自身の生命に向かえば向かうほど、
己の中の生きる為の根本に関わる深い根っ子に辿りつくことが出来るのかもしれない。

その深い根っ子は、私の中に居座っている。
己のこれまでの人生と、
そして、これからの生きかたまでも作り出している。

宿命。

命の傾向性。

私の根本に関わる「大本(おおもと)」だ。

己を、変えようとする強い一念は、
己の生命の深い根っ子に辿りつかせるのかも知れない。

それこそが、私が知りたかった、そして必要としているもの。

しかし、強敵だ!

私の中の、最高で最強の強敵だろう。

なかなか倒すことの出来ない敵。

確かな哲学と、妙法の剣を武器に、
己の最高の生命を引き出し、闘いきるしかない。

己の革命の道は、己との戦いに勝つしかない。

『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく
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心の器、容量を増やす哲学と信仰心

◆心の器、容量を増やす方法

「心のキャパはどうして広げる?」

この厳しい、
全てに厳しい時代、心をさらに強く鍛えなければ、
生き抜いていくことは難しい。

本当に、今、そう思います。

子供の頃、一番、大切な事は、「何事にも努力するという姿勢」。
自身の可能性を開くことに前向きに取り組んでいく努力。

だと聞かされてきました。

この努力する心。

大人になればなる程、
何故か忘れてしまうのでしょうか。

現実の厳しさに、
もうこれ以上、努力することに
意味を感じなくなってしまうのしょうか?

くたびれた心のまま、
その心を何とか表面的に飾ることのみにしか心を使わず、
いらぬ神経を使う。

そんなことを続けてては、
くたびれた心で、正常な神経を維持することなど、
当然、出来なくなることは、予想できます。

壊れる・・・。

自己の崩壊。

現実の厳しさに耐えられない神経。

受け止められない心の器。

くたびれた心の末路の先に待ち受けているもの。

自己の崩壊。

人として成立し得る限界は?

札幌市で、母親が娘を8年間も
社会に適応ささず、自宅に監禁状態であったことが、
ニュースに取り上げられていました。
 

このような、
事象もその当事者でなければ、
理解できない事があるでしょう。

その中で、敢えて言えるとするならば、

心の器を鍛えてこなかった、
心の器を鍛えるチャンスを逸してきた。

この母親にとって、関わる大切な子供。

自身を人として母として、
成長させてくれる子供。

「くたびれた心」では、本来、
「努力」で越えるべきはずの困難を
自らの与えられた課題として
乗り越えて行く事さえ放棄してしまうでしょうか?

親として命を授けたものである母親の自己の崩壊。

この罪は、己の受ける罰だけでは
済ませれないはず。

その子が生きてゆくための
将来の可能性を断つ親の罪は計り知れない。

子供に罪はない。

その親が、己の罪と供に子に負わせた不幸を、
背負はなければならない。

現実の苦しさゆえに、
現実から逃げて生きていることさえ
気付くことの出来ない程の「くたびれて行く心」

己の中から、
一番大切なのは「努力」という、
このことに気付かせてくれる、
この「努力」に火をつけてくれる、

大切な「種」が心の中にいつも備わっていれば、
親も、子供も救われるのかもしれない。

親の「心」。
子の「心」。

その「心」さえ救うことが出来れば、
更に、生きるという「生命力」に火をつけることが可能になるのだろう。

人の中には、無限に発揮できる「力」があると、信じる「その力」。

人の中にある「力」が「力」を生む連鎖。

その連鎖が可能になるのが、
強い「哲学」と自身の中の「信仰心」なのかも知れません。

困難な時ほど、試されている時、
己をどこまでも鍛えるチャンスだと考えられる心。

その原動力となるものが、
強く正しく生きる為の前向きな「哲学」なのだと感じます。


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低き所から高き所を目指す川の流れのような生き方

「川の流れのように」

人生を生きることを、
よくそんな風に例えられます。

川の流れは、
源流から小さな小川へ、

そして大河へ。

自然の法則に従って、
高い所から低い所へ流れていきます

確かにそんな風に、
常に、流れに身を任せ大海原へ。

大海を目指す人生。

人生を生きることの本質的な部分で
「川の流れのように」生きることを
オーバーラップして感じることが出来ます。

生きてるだけで確かに時間が経過します。
それは、そのこと自体が確かに川の流れに相当するかも知れません。

時の過ぎ行くままに、
そして、「川の流れのように」生きる。


でも、心は、時の過ぎ行くままに、
「川の流れのように」は、流れないのではないか?

人間が生きていく成長して、
人としての精神的な心の部分を、
その年齢、生きてゆく過程に伴って人として、

大きくその器を広げていくためには、
常に、「流れを起こすエネルギー」が必要だと感じます。

そして、そのエネルギーは、
自然の法則に逆らうかの如き、「低き所より高き所へ」、

その水の流れを変える、
水を運ぶ前進するためのエンジンが必要です。

人が生きる、人として生きる、人間として生きる為に。

低き所から高き所へ流れる河をイメージする人生。

高き頂点に向かって。

「川の流れのように」生きる自然に反してる?


「人間が生きること自体が、
自然に反していることのなのかも。」


人間が人間らしく生きる。
矛盾だらけの人間が、人間らしく生きる。

より強く人間の生きる意味と本能を達成するためには、
物理の法則や自然の法則と共に、その法則を度外視した、
それらの法則に反した生き方こそ、人間らしい生き方なのかもしれません。

人間が人間を求めるために、生きることは、
己の生命からわき出でる炎のエネルギーを常に呼び起こす哲学、
前進するエネルギーが必要なのだと感じます。








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逃げてる生き方と前向きに闘う生き方

現実から、目を逸らし生きている
弱い人(私)が感じる生きることとは、

人生とは、ただ、辛く、苦しいことの
連続のように感じるのかもしれません。

人生に生きることから逃げれば逃げるほど、
苦しみは増し辛さは大きく感じられるようになるのもわかっています。


例えば、
冬の歌、童謡のなかに、雪が降る寒い日でも

「犬は、喜び♪ 庭、駆け回る♪」
その後は、「猫はコタツで丸くなる」・・・でした?

猫は、どうでもいいですが、
雪が降る寒い日に、「犬は、喜び。庭、駆け回る。」でしょうか?

確かにそんな風に見る人が大半でしょうが、
私のように中には、そんなことは無いと疑問を
感じる方が少なくとも居ないとは限らないと思います。

ものの見方なんて人によって、
同じ景色を見ていても、雨が降っていても、
目に映る景色は暗くよどんだ風景ではなく、
明るく降る雨(?)に映るかもしれません。

要するに、苦しい、苦しいと現実から
逃げて生きる人が見える目の前の現実、

その移る風景と、現実を前向きに生きる人が感じる
苦しみや辛さに対して心に映る風景は、
同じ苦しさや辛さでも、その風景は全然違うと思うのです。


逃げてる生き方も、前向きに闘う生き方も、その向かう相手、
「苦しさ」、「辛さ」というものは同じならば、
明るく映る風景の方がはるかに人生を楽しくプラスに
生きれることは間違いの無いたしかな行き方だと思うのですね。

その、
「逃げてる生き方」から「前向きに闘う生き方」に変える。

ここが、これから生きていく人生をかえる
重要なポイントになるのですよね。

ここしかないんです。

どこまで行っても、私は弱い。

前向きに生きていく以上、
今の私は、先の未来より弱い。

強くなったらその瞬間に弱くなっている。
人生はその繰り返しの積み重ねで強くなる?

「逃げてる生き方」から「前向きに闘う生き方」
に今までの傾向性を変えるための対策は、
その対策と実践方法は、

まず、今の自身の「弱さ」を認識して、

今日より明日、そしてあさって、しあさって・・・?

「何だろう?」

兎に角、
(※↑ウサギにつのではありません^^;)

毎日の意識改革から、

私の中に映る心の風景を変える
意識改革からはじめてみます。


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滝のごとく堂々と ピンチはチャンス

ご愁傷様です・・・
といいたくなるくらい、

世界的な金融不安と経済の落ち込み。

何で日本が円高?
世界的な不安はどこまで進む?
株価平均1万円を割ったかと思いきや、

あらら、「どこまで?」「いづこへ?」

そんな、アホなこといってられない人にはすいません。

こんなこと書いてる己も、
まさに現実は、お尻に火がついてるくせに。

今が、チャンスと思って行動に出たのが一転、ピンチ!

将に、チャンスがピンチに!

為替の世界の秩序の無さに、

「ふ~ん、そう来るか~。」と大きな落胆で、

当面は、数字を見るたびにため息が出てきそう。

でも、そうか!

今が、「ピンチ」なら大歓迎なんだな♪

「ピンチは、チャンス」という言葉があります。

「アホか!」

「何を能天気にそんなこというとんねん!」

ピンチの時ほど、窮地に立たされるほど、

己の弱さが否応なしに如実に現れる。

己の中の卑怯者の正体を引きずり出して、息の根を止めるチャンスだ!

己の「生命」と「ピンチ」を共有し、「妙」という哲学によって、己の弱い心と闘う。

世界的金融不安?

世界的ドル安?

「ピンチはチャンス」ですから。

どこまでも、「滝のごとく堂々と!」

ka_041[1]

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無駄な一日を、 意味ある一日に変えることの出来る哲学

世界に一冊のメモ帳

◆ダメな一日も、無駄な一日も全て宝に!

あー、昨日はなんて無駄な一日を送ってしまったのだろう。
と悔やんで、その一日を取り戻そうとして、
焦っても空回りしてなかなかペースを取り戻せずに、
更に落ち込んでしまい、悪循環に陥ることがあると思います。

なかなか、抜け出すことが出来ない。


でも、一生のうちの、一日。

その一日が、ダメな一日であったとしても、

後悔する一日であったとしても、

その一日を、取り戻そうとするなら、

悔やまず、焦らず、

ダメな一日も、後悔する一日も、
私にって必然。

無駄な、後悔すべき一日などありはしないと確信すること。

全ては、あなたにとって意味のある一日。

何も意味の無い一日など、ありはしない!

そのように感じ取れる生命があるかどうかで決まる。

無駄な一日を、意味のある一日に変えたいなら、
まず、その一日をよく振り返って考察してみましょう。

思い出して、考察と観察とそこに思慮を加えて、
反省することから始めなければなりません。

それが習慣になれば、無駄な一日も無駄でなくなり、
意味ある一日に変えることが出来る。

そう理解できた瞬間、あなたの生命の境涯がひとつ高められていくのです。

そして、今この瞬間を生きる宝に、未来を生きる宝に、
変えていくことが出来るのです。

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