「運命」は自らの手によって開く


生命の大宇宙をありのままに生きる

準備万端、やることはすべてやった。

あとは、生きるという自然の法則任せだ。

私の生命のありのまま。

生きるという法則の流れのままに生きるのだ。

生命の大宇宙。


法に書かれていることを、己の人生で確かめる。

哲学の法は、そのためにある。

宣伝の為には、存在しない。

なぜか?

宣伝の価値が無いからだ。

法は、人に説く為にあるものではない。

説く事が出来るものは、法を作ったものだけ。

己の中で解くもの。

解くことの出来ない人生のためのヒントを与えてくれる。


正しいかどうかを人間に問うな。

正しいかどうかを自分に問え。

信じる事によって成立する宗教。

しかし、その正しさの根拠とる根本。

本当に正しいのか?

自分を信じきることが出来ればそれでいい。

自分にとって価値のある人間になれ!

そのための人として修行を積め!

人間として役に立つ人になれ!

人間を生きる人としての正しい生き方。


自らの宿命に流されず、宿命を使命に変えて、自らの運命の扉を開き、道を創る。

自らの「運命」は自らの手によって開くことができる。

己の中の生命を映し出す鏡。

仏。

祈りとは、自身を敬う最高の儀式である。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。



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無限の拡大と収束


なぜ、私が苦しまなければならないのか?

なぜ、わたしは、こんなにくるしんでいるのか?

私は、何によってこんな苦しみの原因を与えられているのだろうか?

私は、何に向かって生きていくのか?

生きてきた人生の中で、己の目に映る、心に反映された全て。

人生の中で、感じたことの全ては、その過程でふくらみ続ける。

しかし、あるところで、あることを契機に、その無限に膨らむものは、収束を始める。

収束。

この収束の意味。

人間が人間として、坂道を登る過程。

坂道を転げ落ちる過程。

そのいずれであろうと、無限に拡大し続けるものは、必然的に収束を始める。

法則。

人間の中の法則。

その法則が、人生を決定付ける。

幸せな人生を決定付けるための法則とは、一体、どこに行き着く?



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マイナスをプラスに変えることの出来る生命の「妙」


今こそ、生き方の底上げだ。生命の底上げ。

絶対的な境涯をたかめるための儀式だ。

人間を馬鹿だと思う、己の「業」。己の「傲」。

その二つの「ごう」を見抜けよ!叩き潰せよ!乗り越えろよ!

人間の馬鹿と利口を区別する己の生命の低さ。

人間の見えぬところに潜む己の傲慢。

憎しみや恨みは、前向きに生きるエネルギーになる。

マイナスのエネルギーも、プラスに変えることの出来る哲学と己の中の信仰。

今という、現実を生きる為の壁を、ハードルを越えるエネルギーとなる。

桜梅桃李。

今を生きる。



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生命を生かす人間:個性と宿命を混在させた一人の宇宙の世界


私が現実に対して感じたことは、家族に対する無力感であったのかもしれません。

信仰を与えておきながら自らの宿命に翻弄され、その信仰の正しさを求めるよりも、現実にのしかかる己の宿命の深さ故に、盲目の如くに信じ、頼る、すがる信仰。

宿業の深き者から与えられたこの信仰。

それこそが私の背負うべき宿業の更なる深さの全てを象徴しているのかもしれません。

正しいもの正しいかどうかを疑うことなく信じることが出来るというのは、良く言えば純真。

しかし、皮肉にも盲信ですがるだけの信仰として拝んできた者には、己の言葉で与えたものにその信仰を伝えることが出来ない。

右から左へ確信の無い、意味の無い言葉で、与えたものに大切なものを与えてこなっか罪。

その罪を私が背負わされて、この信仰によって、目覚めた時に、悟ることのその意味の答えは宿命。

それでも、己の背負っているものは全て己が原因とする宿命か?

そのあまりにも深い罪の意味を問い続ける人生。

そして、人間として生きる人生の途中で、尚、私の中での戦いは続く。

同じ信仰をしていながら、宗教の操り人形として、無明の因を開くことが出来ない人。

それさえ気がつかず、己の中に宗教というものが芽生えない人。

なぜだろう?

私が生命で感じている信仰とあの人が授かっているものは同じであるのに違うのだ。

それぞれに中にある生命は、個性と宿命を混在させた一人の宇宙の世界。

桜梅桃李。

今を生きる。



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苦しいからといって現実の課題から逃げてはいけない


苦しいからといって現実の課題から逃げてたまるか!

こんな中途半端で止めるような弱い人間から「さよなら」だ。

こんなことで己の存在を否定されてたまるか!

絶対にあきらめない!

あきらめてたまるか!

見つけたぞ!

己の病気の根源。

人間の社会生活の中からいつも呼吸困難に陥って逃げ出そうとしている己の人間社会における学びの少なさ。

それは、己の生命の弱さを物語るもの。

人は一人で生きていくことはできないのだよ。

現実の中で、己の中にある、妄想とエゴと我侭を生きるという苦しみの中から学び取るべき宿命を。

人間が、人間として、この人間社会の中で、一人では決して生きることが出来ない。

それは、自らの存在を否定することになる。

この世に存在する自らの存在を消去することになるのだ。



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3歩進んで3歩戻る?- 大切な人へ創価の花を咲かす自己確立の道

世界に一冊のメモ帳

己の現在の苦しみは、乗り越えられるのだろうか?

一つの答えを導き出すために苦しんで、
また、その苦しみの答えを求めるために更に深く辛い過去に戻る。

一体、私の記憶は、どこまで引き戻されるのだろうか?

まるで喪失していたはずの、自らが消し続けてきた過去。

しかし、無意識の中にまでインプットされ続けた言葉の記憶は、
決して消し去ることなどは出来ない。

そして、現実に向かう瞬間にその過去が、私を苦しめる。

すべての一つ一つが、鎖のように繋がっているのだろうか?

こんな人間が、今をまともに生きられるのだろうか?

弱いダメな私が、言い訳をしようとする。

「こんな重たすぎる荷物を自分一人で、背負わなければならないなんて!」

しかし、一方で「半端に、生きてきたおまえ自身の罰なのだ!」という自分。


「信じる!信じる!」

今の 私には、信じるしかありません。

逃げなければ、必ずきちんと解決できる答えに到達できる。

自らが「宝」と信じるものを、更に深く確信するために。

なんだか、自分で以前書いた、「3歩進んで、2歩下がる」毎日のような気がします。

でも、まだ、「3歩進んで、3歩戻る」、同じところに戻っていないと
思えるのだから、少しは、私の心も前進しているのでしょう。

申し訳ないと思うのなら、必要なことは、一つ!

前を向いて、進む以外にはないのだ!

大切な人が、苦労を乗り越えて身をもって実証を示した証拠は、
厳然として存在する。

それ以上、確かなものがあるか!

その証拠を確かなより所に「信じる!信じる!」事だけ!

己の中に、己の信じる力を、一念を、執念にまで高め、

この哲学の正しさをも、己によって、証明してみせる!

※2008/5/24の過去の記事を再整理し掲載いたしました。
・ひとしずく幸せみつけた

今日の「名字の言」の言葉(09/04/01)

・何事も最初は下積みの連続。“雑用”と思える仕事があるかもしれない。しかし、小さなことに誠実に全力で取り組むことで、周囲の信頼と本物の実力を勝ち取ることができる



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二つの北極星で二つの因果の証明


三十半ばの派遣切りにあった女性が、住まいを追われ、ネットカフェ難民に。

六十半ばの男性が、派遣切りにあい、自らの生きる道を断つ。

そんな現実の深刻さをメディアが、冷たく映し出す。

「これが、現実だ」とばかりに。

身近な人の「明日は、わが身」と、つぶやくその言葉が、現実の厳しさをさらに物語る。

知ることの出来ない、立ち入ることの出来ないそれぞれの事情。

しかし、己の心の弱さゆえに、翻弄され続ける人。

己の心の弱さゆえに、己の生きる道を自ら絶つ人。

苦境の時こそ、「気づける心」を生み出す「生命」が、自らの中にある!

その瞬間、気づける人は、己を知ることに近づける。

己を知り、己の弱さを強さに変えられることの出来る瞬間。

現実に、苦しみ、悩み、迷うことの意味。

気づきと選択の瞬間は、チャンスを与えられた瞬間。

逆転、挽回に、マイナスをプラスに変える、生きることの醍醐味を知るチャンス。

「ゼロ地点」

「無」に、限りなく近づける極限の瞬間。

「宝の原石」なのだ。

同情や哀れみは禁物。

「同情するなら、お前!代わってやれ!」

「哀れむなら、救える人間になれ!」

同情という言葉は、弱い人間同士が、ひきあうマイナスの言葉。

同情、相憐れみ。

弱い心の人間が同情哀れみで、自己満足の生き方で、己自身が、弱い生き方に引きずられてゆくマイナス思考。

強い人間の弱い人間に対する優越感。

そんな気休めの言葉に、現実を変える力があるはずが無い。


烈風にさらされ、苦難を苦難とせず、全てに矢面に立って、闘ってこられた人。

人間に、生きることの意味を自身の姿を持ってあらわされてきた人。

生命哲学の実行者。

現実を生きるための確かな「哲学」

確かな存在である「師」。

この2つがあれば、道に迷うことは無い。

己の苦悩からの脱却。

己の宿命転換の為に。

輝く、無限の星。その中心の北極星。

いつも何処からでも動かずじっと、一つの方向を向いている北極星。

どんなに苦しい時も、苦しい時こそ強くなれる己の中に存在するものを確かめる。

「師」は、北極星。

「妙法哲学」は、北極星。

弱い己の心の中で、2つの確かなものを私の中で輝かせる。

己の内なるものの確かな存在。

そして、己の目指す、確かなものの存在。

「師」

生命の「師」

生命に刻み、更に輝かせる闘いだ!

「妙法の因果」で、妙法の正しさを証明する。

「師弟の因果」で、師の正しさを証明する。

「法の証明」と己の「信仰心の証」は、己の宿命転換の為。

答えは必然。

現実に、苦しみ、悩み、迷う哀れな姿は、己の中に存在する確かなものに気づける、灯りを灯せる瞬間なのだ!

:・・・真面目すぎて面白くない。今日はお休み。


・50歳を過ぎて、新たに何ができるか。悩みながら御本尊に向かった。
とんとん拍子で再就職が決まった。あなたのように笑顔で元気に返事のできる人が欲しかったと採用理由を聞かされた。自分を過小評価していたことに気づいた。

・人には必ず使命がある。問題は、それを、どうすれば見つけられるのか。
池田名誉会長は、“じっとしていないことだ”と言う。遠くを見て躊躇するのではない。

・「目の前の山」から逃げない。自分の足で立ち、自分を信じて進む。
その一歩が必ずや使命の道を開く。





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感情から冷静へ、生命哲学の実戦の場所

世界に一冊のメモ帳

己の心が、萎えて、しぼんで行く。

ドロドロとした、重く、よどんだものが、私に巻きつくような感覚。

それらが渦巻く、大きな鍋の中へ、
体を引き込まれ、沈めこまれていくような感覚。

現実に、立ち向かおうと、すればするほど、
跳ね返そうとする、おおきな力。

この力の大きさに、
私の心が、弱く、無力になり、
心の奴隷になって、戦意を失い、どんどん沈んでいく。

しかし、私は今、こうして、
この、私の心が沈んでいく感覚を、この今!
感情から、冷静へと移行して、見つめることが出来る。

苦しんでいる私を、同じ場所から、眺めている「私」がいる。
その「私」が、呼んでいる。
私に話しかけている。

今、この瞬間こそ、その萎えた心を!
感情の泥沼へ、足を取られようとしている、その心を!

お前の中にある、本来の力、あるべき力で、
目覚めさせ、更に高めるべき瞬間。

お前の中にある、お前の生命で、満たしてやることの出来る、
お前が偉そうに語る、「哲学」の登場だ!

必要な時に使えないのなら、お前の語る、「哲学」の中には、
実際には、何一つ詰まっていない!

中身の無い、空っぽの空理、空論を続けるがよい!

お前が語ることなど、無駄の、無意味の、ただの「絵に描いた餅」。

「哲学の正しさを、己自身で、証明出来ないものが、哲学を語るんじゃない!」


「今、この瞬間こそ、
お前が この哲学の正しさを語る資格を得ることの出来る、
お前が語れることの出来る、生命の哲学の実践!、実戦!、その場所だ!」


感情に支配されようとしている私を、
冷静へ導く、知恵を湧き出させ、英知へと、導こうとする声が、
私に、そう語ってくれる。

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己の革命の道は、己との戦いに勝つしかない

世界に一冊のメモ帳

確かな哲学によって生きる。

その生きてゆく自信が、
確信に変るまで、
後、もう一歩だと信じたい。

苦しい道のりを逃げずに進んできたと
確信できる過去は、

やがて私を、
そして、私に関わる大切な人を守り、
多くの人と関わることの人生を歩んでいける
大きな財産に変ると確信して。

現実を生きる、
未来を生きる絶対的に崩れることのない自信は、
確かな己の中に存在する哲学によってうまれる。

その哲学と共に、己自身の生命に向かえば向かうほど、
己の中の生きる為の根本に関わる深い根っ子に辿りつくことが出来るのかもしれない。

その深い根っ子は、私の中に居座っている。
己のこれまでの人生と、
そして、これからの生きかたまでも作り出している。

宿命。

命の傾向性。

私の根本に関わる「大本(おおもと)」だ。

己を、変えようとする強い一念は、
己の生命の深い根っ子に辿りつかせるのかも知れない。

それこそが、私が知りたかった、そして必要としているもの。

しかし、強敵だ!

私の中の、最高で最強の強敵だろう。

なかなか倒すことの出来ない敵。

確かな哲学と、妙法の剣を武器に、
己の最高の生命を引き出し、闘いきるしかない。

己の革命の道は、己との戦いに勝つしかない。

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心の器、容量を増やす哲学と信仰心

◆心の器、容量を増やす方法

「心のキャパはどうして広げる?」

この厳しい、
全てに厳しい時代、心をさらに強く鍛えなければ、
生き抜いていくことは難しい。

本当に、今、そう思います。

子供の頃、一番、大切な事は、「何事にも努力するという姿勢」。
自身の可能性を開くことに前向きに取り組んでいく努力。

だと聞かされてきました。

この努力する心。

大人になればなる程、
何故か忘れてしまうのでしょうか。

現実の厳しさに、
もうこれ以上、努力することに
意味を感じなくなってしまうのしょうか?

くたびれた心のまま、
その心を何とか表面的に飾ることのみにしか心を使わず、
いらぬ神経を使う。

そんなことを続けてては、
くたびれた心で、正常な神経を維持することなど、
当然、出来なくなることは、予想できます。

壊れる・・・。

自己の崩壊。

現実の厳しさに耐えられない神経。

受け止められない心の器。

くたびれた心の末路の先に待ち受けているもの。

自己の崩壊。

人として成立し得る限界は?

札幌市で、母親が娘を8年間も
社会に適応ささず、自宅に監禁状態であったことが、
ニュースに取り上げられていました。
 

このような、
事象もその当事者でなければ、
理解できない事があるでしょう。

その中で、敢えて言えるとするならば、

心の器を鍛えてこなかった、
心の器を鍛えるチャンスを逸してきた。

この母親にとって、関わる大切な子供。

自身を人として母として、
成長させてくれる子供。

「くたびれた心」では、本来、
「努力」で越えるべきはずの困難を
自らの与えられた課題として
乗り越えて行く事さえ放棄してしまうでしょうか?

親として命を授けたものである母親の自己の崩壊。

この罪は、己の受ける罰だけでは
済ませれないはず。

その子が生きてゆくための
将来の可能性を断つ親の罪は計り知れない。

子供に罪はない。

その親が、己の罪と供に子に負わせた不幸を、
背負はなければならない。

現実の苦しさゆえに、
現実から逃げて生きていることさえ
気付くことの出来ない程の「くたびれて行く心」

己の中から、
一番大切なのは「努力」という、
このことに気付かせてくれる、
この「努力」に火をつけてくれる、

大切な「種」が心の中にいつも備わっていれば、
親も、子供も救われるのかもしれない。

親の「心」。
子の「心」。

その「心」さえ救うことが出来れば、
更に、生きるという「生命力」に火をつけることが可能になるのだろう。

人の中には、無限に発揮できる「力」があると、信じる「その力」。

人の中にある「力」が「力」を生む連鎖。

その連鎖が可能になるのが、
強い「哲学」と自身の中の「信仰心」なのかも知れません。

困難な時ほど、試されている時、
己をどこまでも鍛えるチャンスだと考えられる心。

その原動力となるものが、
強く正しく生きる為の前向きな「哲学」なのだと感じます。


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低き所から高き所を目指す川の流れのような生き方

「川の流れのように」

人生を生きることを、
よくそんな風に例えられます。

川の流れは、
源流から小さな小川へ、

そして大河へ。

自然の法則に従って、
高い所から低い所へ流れていきます

確かにそんな風に、
常に、流れに身を任せ大海原へ。

大海を目指す人生。

人生を生きることの本質的な部分で
「川の流れのように」生きることを
オーバーラップして感じることが出来ます。

生きてるだけで確かに時間が経過します。
それは、そのこと自体が確かに川の流れに相当するかも知れません。

時の過ぎ行くままに、
そして、「川の流れのように」生きる。


でも、心は、時の過ぎ行くままに、
「川の流れのように」は、流れないのではないか?

人間が生きていく成長して、
人としての精神的な心の部分を、
その年齢、生きてゆく過程に伴って人として、

大きくその器を広げていくためには、
常に、「流れを起こすエネルギー」が必要だと感じます。

そして、そのエネルギーは、
自然の法則に逆らうかの如き、「低き所より高き所へ」、

その水の流れを変える、
水を運ぶ前進するためのエンジンが必要です。

人が生きる、人として生きる、人間として生きる為に。

低き所から高き所へ流れる河をイメージする人生。

高き頂点に向かって。

「川の流れのように」生きる自然に反してる?


「人間が生きること自体が、
自然に反していることのなのかも。」


人間が人間らしく生きる。
矛盾だらけの人間が、人間らしく生きる。

より強く人間の生きる意味と本能を達成するためには、
物理の法則や自然の法則と共に、その法則を度外視した、
それらの法則に反した生き方こそ、人間らしい生き方なのかもしれません。

人間が人間を求めるために、生きることは、
己の生命からわき出でる炎のエネルギーを常に呼び起こす哲学、
前進するエネルギーが必要なのだと感じます。








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逃げてる生き方と前向きに闘う生き方

現実から、目を逸らし生きている
弱い人(私)が感じる生きることとは、

人生とは、ただ、辛く、苦しいことの
連続のように感じるのかもしれません。

人生に生きることから逃げれば逃げるほど、
苦しみは増し辛さは大きく感じられるようになるのもわかっています。


例えば、
冬の歌、童謡のなかに、雪が降る寒い日でも

「犬は、喜び♪ 庭、駆け回る♪」
その後は、「猫はコタツで丸くなる」・・・でした?

猫は、どうでもいいですが、
雪が降る寒い日に、「犬は、喜び。庭、駆け回る。」でしょうか?

確かにそんな風に見る人が大半でしょうが、
私のように中には、そんなことは無いと疑問を
感じる方が少なくとも居ないとは限らないと思います。

ものの見方なんて人によって、
同じ景色を見ていても、雨が降っていても、
目に映る景色は暗くよどんだ風景ではなく、
明るく降る雨(?)に映るかもしれません。

要するに、苦しい、苦しいと現実から
逃げて生きる人が見える目の前の現実、

その移る風景と、現実を前向きに生きる人が感じる
苦しみや辛さに対して心に映る風景は、
同じ苦しさや辛さでも、その風景は全然違うと思うのです。


逃げてる生き方も、前向きに闘う生き方も、その向かう相手、
「苦しさ」、「辛さ」というものは同じならば、
明るく映る風景の方がはるかに人生を楽しくプラスに
生きれることは間違いの無いたしかな行き方だと思うのですね。

その、
「逃げてる生き方」から「前向きに闘う生き方」に変える。

ここが、これから生きていく人生をかえる
重要なポイントになるのですよね。

ここしかないんです。

どこまで行っても、私は弱い。

前向きに生きていく以上、
今の私は、先の未来より弱い。

強くなったらその瞬間に弱くなっている。
人生はその繰り返しの積み重ねで強くなる?

「逃げてる生き方」から「前向きに闘う生き方」
に今までの傾向性を変えるための対策は、
その対策と実践方法は、

まず、今の自身の「弱さ」を認識して、

今日より明日、そしてあさって、しあさって・・・?

「何だろう?」

兎に角、
(※↑ウサギにつのではありません^^;)

毎日の意識改革から、

私の中に映る心の風景を変える
意識改革からはじめてみます。


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滝のごとく堂々と ピンチはチャンス

ご愁傷様です・・・
といいたくなるくらい、

世界的な金融不安と経済の落ち込み。

何で日本が円高?
世界的な不安はどこまで進む?
株価平均1万円を割ったかと思いきや、

あらら、「どこまで?」「いづこへ?」

そんな、アホなこといってられない人にはすいません。

こんなこと書いてる己も、
まさに現実は、お尻に火がついてるくせに。

今が、チャンスと思って行動に出たのが一転、ピンチ!

将に、チャンスがピンチに!

為替の世界の秩序の無さに、

「ふ~ん、そう来るか~。」と大きな落胆で、

当面は、数字を見るたびにため息が出てきそう。

でも、そうか!

今が、「ピンチ」なら大歓迎なんだな♪

「ピンチは、チャンス」という言葉があります。

「アホか!」

「何を能天気にそんなこというとんねん!」

ピンチの時ほど、窮地に立たされるほど、

己の弱さが否応なしに如実に現れる。

己の中の卑怯者の正体を引きずり出して、息の根を止めるチャンスだ!

己の「生命」と「ピンチ」を共有し、「妙」という哲学によって、己の弱い心と闘う。

世界的金融不安?

世界的ドル安?

「ピンチはチャンス」ですから。

どこまでも、「滝のごとく堂々と!」

ka_041[1]

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無駄な一日を、 意味ある一日に変えることの出来る哲学

世界に一冊のメモ帳

◆ダメな一日も、無駄な一日も全て宝に!

あー、昨日はなんて無駄な一日を送ってしまったのだろう。
と悔やんで、その一日を取り戻そうとして、
焦っても空回りしてなかなかペースを取り戻せずに、
更に落ち込んでしまい、悪循環に陥ることがあると思います。

なかなか、抜け出すことが出来ない。


でも、一生のうちの、一日。

その一日が、ダメな一日であったとしても、

後悔する一日であったとしても、

その一日を、取り戻そうとするなら、

悔やまず、焦らず、

ダメな一日も、後悔する一日も、
私にって必然。

無駄な、後悔すべき一日などありはしないと確信すること。

全ては、あなたにとって意味のある一日。

何も意味の無い一日など、ありはしない!

そのように感じ取れる生命があるかどうかで決まる。

無駄な一日を、意味のある一日に変えたいなら、
まず、その一日をよく振り返って考察してみましょう。

思い出して、考察と観察とそこに思慮を加えて、
反省することから始めなければなりません。

それが習慣になれば、無駄な一日も無駄でなくなり、
意味ある一日に変えることが出来る。

そう理解できた瞬間、あなたの生命の境涯がひとつ高められていくのです。

そして、今この瞬間を生きる宝に、未来を生きる宝に、
変えていくことが出来るのです。

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知識を幸せに生かし、英知を導く哲学

世界に一冊のメモ帳

「妙法」とは、知識を英知に変えることが出来る生命の哲学

知識を生活に生かす知恵に、
そして、生きる英知に!

知識を生活に生かすことは、容易いことかもしれません。
しかし、
生きる知恵、
前向きな力に変えていける知恵、

すなわち、更に幸せに変えていくための英知に、
変えていくことは容易なことではありません。

それは、自らの生命の傾向性、宿命によるものが大きいからです。

頭が良くても、知識をいくら蓄えていても、
自らを幸せだと思えない人はいくらでもいます。

そこに、知恵を英知に導くことの出来る、
知識だけでは得ることの出来ない哲学が無いからです。

知識を英知に変えることが出来る生命の哲学。

その哲学とは・・・。

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