【愛されたという母の確かな愛情】:田辺聖子

小説家:田辺聖子

愛されたという過去の記憶を頼りに、このつらい人生を生きてゆける


                                
人間が、人間としてこの世で生きていけば、人生つらいことばかりかもしれません。

でも、一番身近な家族、最愛の人に愛されたと、確かな過去の記憶があれば、つらいことがあっても、その愛で癒され乗り越えて行ける。

多くの愛につつまれて、これまでの人生を生きてこれた人は幸せ。幸せに生きていける強く確かなものを人生を生きていく上で与えられている。



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明るいびんぼう:佐賀のがばいばあちゃん

「つらい話は、夜にはしない」
              『佐賀のがばいばあちゃん』より


※佐賀県の方言では、「がばい」とは「非常に」の意味で連用修飾に使用され、「がばいすごか」ばあちゃんと付け加えるとさらにわかりやすいですね。

うーん、確かに明るい、日のあるあいだに、話す方が、つらい話も、前向きに語ることが出来るかもしれません。

他に、『明るいびんぼう』と言う言葉も好きです。

びんぼうと言えば、暗いイメージがあります。

最近、よく知られているのが、貧乏で有名な、お笑いコンビの「麒麟」 そのツッコミ担当の「田村裕」。俳優の「阿藤 快」の物まねで似てるっていわれてますが。

関係ありませんが、相方「川島明」は最近、
ブログの女王こと「真鍋かをり」と噂になっていました。

その田村裕、学生時代は貧乏だったそう。(幼少時代は、そこそこ裕福だったという)。
幼少期に母を病気で亡くし、中学生の頃に家が差し押さえられてしまい父親が蒸発、家族が『解散』したと言うエピソード。

こんな暗い、貧乏な過去を(本当の話として)笑いに変えていけるパワーと言うものは「すごい」「すばらしい」と思えます。何かを「ばね」にして、生きていく姿は、見ている側にもそのエネルギーが入ってくるように感じます。





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不幸の数を数える未熟な人間の不幸 ~言葉

『未熟な人は不幸の数を数える』

・「オーラの泉」 江原 啓之氏のコメント

スピリチュアルカウンセラーの江原さん。

「未熟な人」とは、生きている人生において、
心について、精神的な部分での学びが、少ない人のことをいうのでしょう。

霊的な意味で語る場合、遥か以前の、前世から現在に至るまでの
魂の上での学びも含まれるのでしょう。

自分が、不幸と感じる人は、過去の不幸の原因が、
心の無意識の深い層にまで入り込み「トラウマ」となって、

「魂」に刻印された記憶から逃れられずに、不幸の輪廻から逃れることが、
出来ない命の傾向性を作り出しているのかもしれません。

「未熟な人は不幸の数を数える。」

では、幸せになりたければ、
不幸の数よりも幸せの数を数えればいいわけですね。

「誰でも運の数は平等」だと、
萩本欽一氏(欽ちゃん)が言ってました。

とすれば、「不幸の数」を数える人と言うのは、
本当は、「幸福に感じることの出来る数」まで、自分の心の学びの
少なさから、「不幸」に入れて数えているということのなのでしょう。

「未熟な人は不幸の数を数える」は、
生きているうえで、心に多くの学びを経験している人は、
不幸の中に幸せを見つける能力を磨いていることになるのでしょう。

とすれば、同じことをわが身に背負ったとしても、
その現象や、経験を「不幸」と感じるか、「幸福」と感じるかは、
その人の、心、一つというわけですか。

自分が不幸だ、不幸だと心で感じる人生から、抜け出したいのなら、
「不幸の数」を「幸せの数」へと変えていける、
心の学びを経験していかなければならないと感じました。

その心の学びを、いかように学習経験を積んでいくのか、
全ては、現実に生きている自身が直面している全ての生活の中に、
結果と答えを導き出していけるのでしょう。

確かな生きるための哲学を求め、築きあげながら。

※この記事は、過去に他のブログに格納したものを統合・再整理したものです。




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時間は過ぎて行かない時間はやって来るもの:映画「時をかける少女」


「時間は過ぎて行くものではない、
             時間はやって来るものだよ」

                  映画:「時をかける少女」




人生を前向き、積極的に生きるための言葉だと感じました。

時の過ぎ行くままに生きていく、時の流れに身を任せて生きていくのも一つの方法だと思います。

確かに、流れる時間を止めることなどできません。

自身の未来を見ることなども出来ません。

でも、未来からやってくる時間を自分で決めたならば待つことが出来ます。

自分が生きる、生きていくのだと信じれば。

人には、未来を実現するための無限に働く、無限に創る、創造力があります。

生きると言うことは、自身で決めた未来の時間、やって来るその「幸せ」の時を受け取るために、今、この一瞬を「精一杯生きる事」に、意味を感じて生きていくことではないかと感じます。


※この記事は、過去に格納されたものを再整理したものです。




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「心を無にすれば全ては開ける」宮本 武蔵~言葉

心を無にすれば、全ては開ける
                  宮本 武蔵



二刀を用いることで有名な二天一流兵法の祖。

「心」と言うものは、人生の生き方としての傾向性。

過去から経験として学んできたことやDNAにも関係していることでしょう。
全ての自身の過去から引きずって来た現在の姿が、今の自分の全て。

今持っている、自分の実力以上の力を発揮するには。

心を無にすること。

曇りなく眼を開くことが出来るのは、心を無色透明にすること。

己の持つ力を無限に引き出すもの、心を無にして、
心を覆っているものを取り払って、その心の先にある、

神の持つ領域、生命に辿りつくことかもしれません。

それは、本来、全ての人に備わっている無限の力を引き出すことの出来る力。

その心を無にする方法とは?

これこそが最も難しいことかもしれない。

『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく

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