馬鹿正直に生きる自分を信じることの出来る強さ


馬鹿正直に生きる自分らしさと自分を信じる強さ

反面教師として見つめきた、馬鹿正直に生きてきた父と母。

お人好しで、嘘がつけず、人から騙されることばかり。

そんなあなた達のおかげで、私は、人を信じられなくなった。

そして、疑い深い人生を歩むことによって、人の温かい心が理解できず、大切な人も去り、残されたものは、孤独だけだった。

「どうせ、人間は、みんな、ひとりぼっち。」

なんて、寂しく意地を張って悟ってみたりしても所詮、孤独は孤独。

心の中には、いつも寒い風が吹いている。

でも、いま、母と父、あなた達程、正しい生き方はないと確信出来ます。

騙されても、騙されても人を恨むことなく、一生懸命に生きてきた『生き様』。

あなた達は、勝ったのだ!

あなたらしく生きることの「人生の勝利者」なのだと言えます。

だから、これからの私の人生は、人から騙されると判っていても信じてみよう!

騙されるつもりで、人を信じることも必要な時が、今なのかもしれない!

大きく、前に向かって、人生を更に高いところから眺めようと思えば、騙されることを恐れては進めないこともある。

そうすることによってでしか、本当の大切なものは得ることができない。

馬鹿正直に生きることの出来ない人生は、とても大切なものを得られることから遠ざかる。

馬鹿正直に生きられない己の生き方の弱さを知る。

馬鹿正直に生きられるほどの、己を信じられる強さを磨く。

生命の哲学。




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人の幸せを祈れる人間としての器


自身の心のベクトルはどちらを向いているか。

自身の背負った過去。

過去は囚われるためにあるのではない。

その事実から学び、現在、そして未来に活かすためにある。

気付かぬうちに過去に囚われ

苦しみに囚われの身になっていく。

現在の私が蝕まれていくのだ。

全ては私の命の傾向性。本性なのだ。

隠すことの出来ない、消えてなどいない私の本性なのだ。

少しずつでいいから私の幸福と共に、人の幸せも祈って行こう。

私の命の中で、出来ないことなど何ひとつない。

しかし、その命で、本来の、私の命の姿で出来ない障害を
作っているのは、私自身の弱い心だ。

私が生まれる前から背負ってきた、そして、生まれてから宿し続けてきた私の心。

その弱い私の心が、本当の姿を現し無限の力を発揮させることを邪魔しているのだ。

言い訳でもなんでもない!

ただ、ただ、輝こうとしている己の生命に覆いかぶさっている己の心よ!

厚く覆った雲の向こうには必ず、太陽が輝いている。

必ず、天晴れな日々がやってくることは必然と信じる。

今は、裸になるために今を生きる。

過去に塗り固めて蓋をした、虚飾の中にうずもれた己の人生をさらけ出し語れる生命を得る為に。



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生命で人の心に刻む作業が「今を生きる人間の姿」だ


心に立ちはだかる壁。

心の引きこもりからさようなら。

ちっぽけな生き方とさようなら。


感情に打ち勝つための理性。

己の言いたいことをぐっと堪えて、 聞き役に回るのは並大抵のことではない。

言いたいことをぐっと堪えた分だけ 己にいい答えが返ってくる。

理性に負けて我慢できずに、言いたいことを感情に乗せて放言すれば、 結果として課題になって現れてくる。


精一杯生きているその姿が美しい。

精一杯に生きている目に見える、心に映る姿が美しい。

そこから、更に精一杯に両手を広げて、そして、両足を突っ張って、

自身の心の壁を広げていく姿が美しい。

周囲の目など気にせずに目一杯生きている姿が美しい。

「あー面倒くさいなー、あとで、しよう。」とか、

「もう、明日でいいや。」と思った瞬間に、生き方にとって大切な事を置き忘れいる

その時の人の心の状態は、ころころ変るのは必然であるけれども、常に、その必然と闘うことが己を高めるための唯一の修行であると思うならば、生き方を前向きに進むのか、後ろ向きに進むのかの判断は、一瞬で決まっているのだろう。。


ありのままの姿で生きる!

己の価値を高めるもの目に見えるもの、姿、形ではない。

目に見えない内面を充実させる力だ!

力の源を生命で刻む作業が必要なのだ!

そこに己の価値を高める絶対的な存在へと導いてくれるのだ。

今は、立ち止まって己が来た道をつまらぬ自己満足で振り返って、無駄な時間を過ごしたくはない。

不可能を可能にするのに、可能であることを、まずクリアできなければ、不可能を可能にすることなど出来はしない。

走れ!走り続けて、ゴールを目指す。

己の中に、これまで感じることの無かった充実感を味わえるまで。


もう、間違った方向に進むことは出来ない。

正しい哲学を命に刻むことが出来たなら、もう間違った方向へ進むことは無い。

しかし、正しい哲学を得ながらにして、正しい哲学を命で理解するまでに私は、一体どれだけの回り道、遠回りが必要だったのだろう。

正しいものを確信し、「信じること」「信じられること」に辿り着いた。

だから、現実を変えることなど、自由自在。

目に見えない己の中の全てが変れば、目に見える現実の世界が全て変る!

今が、幸せな瞬間に!

いつでも、どんなに苦しい時でも、苦しさを乗り越え、突き破り、全てを最高の幸せな瞬間へ幸せな世界へ変えることの出来る生命を得られる最高の哲学。

もう間違った方向へ進むことは無い。

桜梅桃李。

今を生きる。



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自身が持つ力を自身で開いていく哲学


逃げること。

立ち止まること。

進むこと。

どこに行っても、結局己の苦しみから逃れることは出来ない。

ならばその現実に立ちはだかる苦しみに立ち向かっていくことこそ、人として行動。

負けて、倒れて、もう這い上がれないほど徹底的に惨めな気持ちになったとしても。

もう、私は死なない!

「立ち上がる」ことに気付ける自分がいるから。

過去の私は、辛い現実、生きることに直面する躓きに、這い上がれないほど打ちのめされ、その同じ辛さを味わうことの恐怖から逃げる生き方を選んできました。

生きることは、闘って前向きに生きても勝つときばかりではない。

負けることで、己の弱さを知り、負けたものの心を知り、現実の厳しさを知り、多くのことを学ばねばならない。

しかし、人の心は、あまりにも弱い。

弱い生き方しか出来ない人間もいるのだ。

世の中で、人間として生を受けたにも関わらず、生きることを学べない人間もいるのだ。

人間として生きることは、己の弱さを知ることによって本当の強さを獲得していくことなのだ。

己の絶対的強さを高めていくための戦いに必要なもの。

己自身との戦いに必要なものは哲学。

心の貧困と精神の病を抱えて生きている人間のなんと多いこの現実社会。

その苦しみから逃れるために誰に頼るのでもない。

己自身が持つ力を開いていけよ。


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己の中の無明を己の力で、確かな明かりを灯せよ!


誰でも、生きていく上で目標や目的を持って生きているはず。

心の中で、未来の幸せを欲しない人など、誰一人いないはず。

なのに、思い描いた自分の人生を築けない、進んでいけない、思い描くことが出来ないのはなぜでしょうか?

目標どおりの結果を出したにも関わらず生きる事の達成感を味わえないのは、そこに確かで正しく生きるための哲学が、養われていない、存在していない場合があるからではないでしょうか?

あなたのあなたが命のそこから欲する絶対的な幸せを自らの力で得ることの出来る哲学を得ることが、今この瞬間を、生きているという最高の充実した一瞬に出来るのです。

生きることの意味の一つは、今、この一瞬を最高に生きることなのです。

見えないものが見えるようになる。

生きる力。

生きようとする力があれば、夢を持ち続ければ、未来を求めれば、見えないものが見えるようになる。

信じることによって信じられないことが起こる。

頂上を目指す人は、みな誰も不可能と思えることを現実に実現している。

その途中には「やめよう」と思ったことは、何度もあるはず。

それでもやめずに己の最高の結果を出せるのは、

それは信じた結果なのだ。

自身を信じた結果。

信じることによって、信じられないことが起こる。

人間の中の信仰とは、まさにこれなのだ。

人間をダメにするもの、人間を無能化させるもの。

物質や目に見えるものにこだわるあまりの「心の貧困」。

嫉妬と己の心の醜さを目に見える醜さに変える心の劣等感。

心の更なる貧困化に拍車をかけるものは何か?

己の中に真実を見極める哲学の無いこと。

己を知るためための哲学の無きが故に、他を救うことも、自らを救うことさえも出来ない。

明日出来ることを今日しよう!

明日出来ることは、ゆとりある今日を送るために、明日すればいいことかもしれない。

でも、明日出来ることを今日少しでもしておこうという気持ちは、

未来の人生を更に有意義に楽しく幸せに送るコツかもしれない。

己の幸せにとって自信に正直に生きる事が、最も幸せに近づけることかもしれない。

信じることによって、信じられないことを起こす。

不安という心の切迫した思いは、前向きにとらえるならば、強く生きようとするエネルギーを得るための人間にとって必要な生理なのだ。

祈りは、幸せになるために意識して行う日常の言動を無意識化する作業。

私の命の中には、妙法の当体である仏界の生命が備わっているのだ。

内なるものに求めることによって、私の全てが外に向かって開けていく。

己を信じきることの出来る自身に!

己を信じきることによって運命は開かれる!

どんな困難も解決できる自信!

それは、内なるものに深く求めることによって得られる!

どんな困難を人が否定しようとも、否定されればされるほど、更に己を信じる。

内なるものに求めることによって、私の全てが外に向かって開けていく力!

生きることに関わる乗り越えなければならない課題は、プロになるための試練なのだ!
 
人間のプロになれるかどうか。

様々な形で現れてくる現象は、私の命の中にある妙法の力を引き出す一念が試されているのだ!

常に私は試されている、妙法に向かう命によって得た、その何かの因によって試されているのだ。

どんなことにも言い訳をしない、全ての私に関わる、私が受ける日常生活における一瞬は、妙法の力を我が生命に発揮させるチャンスなのだ!

だから、もう、言い訳しない!

己を疑わない!己を信じる!

己の中の無明を己の力で、確かな明かりを灯せよ!



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信仰とは、己自身の生命に築ける確かで最高の哲学

一度下がったモチベーションを高めることは、本当に大変なこと。

心のベクトルが高い方へ向かっている間に修正し、モチベーションを維持し続けなければ、一旦、 低い方に流れてしまえば、その心の加速を止めることは、難しいことなのだ。

心の中に、常にいつも良い意味での「負荷」ストレスをかけ続けてやることは、モチベーションを維持し、更に最高に状態の最短時間で運んでやることが出来る。

その良い意味での負荷・ストレスとは何か?

現実に立ち向かう間に起こる、様々な課題に闘うこと。
すなわち、その課題から逃げない、負けない自身との戦いを誓える心を鍛えるための「負荷」である。

その負荷から、逃げようとする弱い己を鍛える道具が信仰だ。


信仰とは、生きることについての迷いの中で苦心でいる人にとって確かな生き方を、どこか別のところから与えてくれるものでもなんでもなく、己の中から築き上げてくれる不思議であり、最高の哲学なのである。


宿業 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

「今を生きる」人としての人間の生き方


自身の心が自身の中で理解できるようになる。

そして、自身がどれだけ動じず、毅然とした態度を取れるかどうかだ。

人を責めても、責任を擦り付けても解決するよりも、自分を攻めて戦うことによって解決する事の方が多かろう。

みんな、重い荷物をかかえて、生きている。

人って、「この人、一瞬嫌い」と思った瞬間に、避けるのか、それとももう一度前に向きなおしていいところを探そうとするのかで、先の未来が少し変わりそうな気がする。

出逢いは、一期一会。

その縁。

どんなことも変毒為薬していける力を確信するならば、全てを前向きな結果へと導いていけるならば、良いことも、悪いことも全て受け止めていくこと。

良くも悪くも全ては、全ては必然。

それが、相対的に最上級の生き方。

過去をきちんと振り返るべき時に、心の中でもう一度引き出して整理すること。

前向きに生きる一つの選択となる。

前向きに生きるための法則を身につけたら、学ぶことなくすごしてきた過去から、大切な宝物が出てくることもあるはず。

過去に目を逸らさず、心に蓋をせず、どんな時も前向きな選択を可能にする。

オリンピックは、「4年間の苦しさを楽しさに変えるための戦い」だと言う。

「生きる」ということの本質的を見える姿で凝縮させる哲学。

目の前の課題をクリアしていくこと。

そして、苦しみをきょうを生きる課題にし、今日を生きる楽しみに変える。

そして、更に高い課題に挑戦する。

生きること。 

己の弱さを知るための闘い。

生きること。 

己の生命の強さを知る闘いだ!

生きること。 

己の中に、生きることの喜びを知る闘いだ!

心に闘う準備が出来ていない時、力を発揮できる命が必要です。

感情と冷静の間で揺れ動く心のコントロールを、己を高める訓練・修行と捉えられるかどうか、

その時の一瞬の生命で決まる。

常に冷静と感情の狭間で揺れ動く心。

一瞬、一瞬が、自身の力を引き出せることが出来るかどうか。

自身の中の己を高める力無限の能力を信じる一念で決まる。

桜梅桃李。

今を生きる。

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目「忙しい、忙しい」と口にする人は失うものが多い

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目的が明確ならば、具体的な目標に立ち向かう意欲も高まる。

その一方で、目先の目標達成だけに汲々としていると、いつしか自分の視野が狭くなり、挑戦の過程そのものが、つらく苦しいものになってしまう 。

目標を持つことは今、一瞬を確かに生きるためには、必要なこと。

目標とは自身の課題であり、乗り越えるための壁であり、ハードルである。

そこに立ち向かう時には、いま自分のもてるエネルギーが必要。

そうするとどうしても、物事が自分の今の目標しか見えなくなりがちで、視野が狭くなってしまう。そうなると、目標を立てることによって、行き詰まりが生じることにもなりかねません。

心の余裕が、目標に囚われすぎることによって失われていくのでしょう。

よく、「忙しい、忙しい」と口に出す人がいますが、忙しいという漢字は、心を亡くすと書きます。

目標に向かってキュウキュウと忙しそうにしている人は、やはり目先のことに囚われすぎて大切なものを得ることの引き換えに、大切なものを失っているのかも知れません。

心に余裕を保つために必要な事は、その目標の目的を定めることなのではないでしょうか?

目の前の目標を支える更に大きな目的を!

生きる為の確かな哲学が備われば、目の前の目標が更に価値の高いものに変えていくことが出来るでしょう。

桜梅桃李。

今を生きる。



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対話の共通項:お笑い芸人天津木村のエロ詩吟「あるとおもいます!」


その時、その時の考え方や意見など偏っていて当然。

世の中の存在自体が矛盾だらけなのに、人の意見など精査すれば、完全一致の意見などありえるわけが無い。

しかしながら、その互いの偏った意見に耳を傾ける。

相手を限りなく肯定することが、自らの存在を肯定することであるならば、全力で全てを受け入れることから物事は始まる。

対話とは、そのようなものでしょう。

「吟じます!」

「あるとおもいます!」

「エロ詩吟」でブレイクしたお笑い芸人「天津木村」さん。

祖父と父親は、正統な詩吟の師範であり、自身も師範代の資格を持っているということです。

彼のお笑い芸の「落ち」に使われている決め台詞の「あるとおもいます!」

経験的に受け入れがたい日常の現象を俯瞰する。

その現象を受け入れて前向きな笑いに発展させている芸風は、その落ちが「無いと思います」という否定語では、全く違うものであることは確かです。

お笑い芸人に求められるものは、お客様との共感を察知できる空気を読めることが、ネタやギャグが強烈に受けて、人気つながると言う事なのでしょう。

互いが「あるとおもいます!」というアンテナを張り巡らせること。

認め合う「対話」と何かしら共通するものを感じます。

「ふ~む?」



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社会の本質【貧乏人と病人の集まり】

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・かつて「貧乏人と病人の集まり」と言われた創価学会。しかし、それは逆境に向かい立ち上がる「英雄」「闘士」の集いであった。この活力ある限り、学会は社会の「希望」であり続ける。(哉)(一部抜粋)

名字の言より( 9月11日)




確かに、貧乏人と病人の集まりだったといえるかもしれません。

でも、今の世の中はどうでしょうか?

心あるものが、心の目で今の世の中を見てみれば、多くの人たちが心の「貧乏」と心の「病気」を抱えている。

更に、深い宿業である心の病を二重三重に抱えた人がどれだけ多いことか!

かつて学会の表面的に目に見える部分の「貧乏」と「病気」だけを見て非難していた人たちが、今己の見えない心の中の、心の貧困と精神的な病を解決出来ずに、のた打ち回っているのではないですか!

「貧乏人」と「病人」よりも「心の貧困と精神的な病」こそ、今、自身の中の信仰によって回復されていかなければならない必要性を感じます。

かつて「貧乏人と病人の集まり」の「かつて」という言葉も、人間の本質的な部分では、「貧乏」と「病気」という、姿かたちが見えるか見えないかの違いで、何一つ変わってなどいない根本的な宿命であり、命題なのだと思います。




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