過去の囚われからの自己の変革、自己革命

私の心の幼さゆえに、
過去の浅い心のせいで、
人から受けた恩や心を
感じ取ることが出来なかった頃の思い出。

その時に、もっと、もっとその恩を、人の心を感じる心があれば、

今こんなに、過去の苦しい思い出に対して、今尚、現れては、私を苦しめる課題として、私の記憶として現れることは無かったかもしれません。


でも、こうして過去の思い出が苦しみとなって現れるのは、私を苦しめる為のトラウマでは無く、今その記憶を、
苦しい思い出から最高の思い出に、私のこれから生きてゆく為の宝の変えるために何度も試されているテストなのだ。

今では感じることが出来ます。

その記憶がよみがえってきた瞬間(とき)、過去から逃げなてはいけない。
誤魔化してはいけない。

己の中から湧き上がる過去の苦しい思い出を、逃げて、誤魔化して解決することなどあり得ない。

その時に受けた恩。

更に更に、

私の心が幼すぎるが故に、本当の意味を理解出来ずに苦しんでいたこと。

私が、気が付くことができなっかた恩。

今、この一瞬の生命で、

過去の思い出を最高の宝に変えられる瞬間(時)。

私の心に映る過去の風景を、今この一瞬の生命で、最高の風景に変えることが出来る時。

目の前の現実は、自身の心を映し出す鏡。

「私の心が変れば、目の前の現実が全て変る!」

過去の風景を、もう一度、何度も何度もその苦しみと対峙して、その暗かった風景と、闘って、私に勝つ!

そうして、私の心の中には、過去の出来事が、新たな風景となって私の心の中に映し出される。

過去に囚われていた、私の心を過去の呪縛から解き放つために。

そして、その私を苦しめた過去が、今を、未来を、乗り越えていく宝になっていく。

自己の変革。

自己革命。

人間革命( Human Revolution)。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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心の器、容量を増やす哲学と信仰心

◆心の器、容量を増やす方法

「心のキャパはどうして広げる?」

この厳しい、
全てに厳しい時代、心をさらに強く鍛えなければ、
生き抜いていくことは難しい。

本当に、今、そう思います。

子供の頃、一番、大切な事は、「何事にも努力するという姿勢」。
自身の可能性を開くことに前向きに取り組んでいく努力。

だと聞かされてきました。

この努力する心。

大人になればなる程、
何故か忘れてしまうのでしょうか。

現実の厳しさに、
もうこれ以上、努力することに
意味を感じなくなってしまうのしょうか?

くたびれた心のまま、
その心を何とか表面的に飾ることのみにしか心を使わず、
いらぬ神経を使う。

そんなことを続けてては、
くたびれた心で、正常な神経を維持することなど、
当然、出来なくなることは、予想できます。

壊れる・・・。

自己の崩壊。

現実の厳しさに耐えられない神経。

受け止められない心の器。

くたびれた心の末路の先に待ち受けているもの。

自己の崩壊。

人として成立し得る限界は?

札幌市で、母親が娘を8年間も
社会に適応ささず、自宅に監禁状態であったことが、
ニュースに取り上げられていました。
 

このような、
事象もその当事者でなければ、
理解できない事があるでしょう。

その中で、敢えて言えるとするならば、

心の器を鍛えてこなかった、
心の器を鍛えるチャンスを逸してきた。

この母親にとって、関わる大切な子供。

自身を人として母として、
成長させてくれる子供。

「くたびれた心」では、本来、
「努力」で越えるべきはずの困難を
自らの与えられた課題として
乗り越えて行く事さえ放棄してしまうでしょうか?

親として命を授けたものである母親の自己の崩壊。

この罪は、己の受ける罰だけでは
済ませれないはず。

その子が生きてゆくための
将来の可能性を断つ親の罪は計り知れない。

子供に罪はない。

その親が、己の罪と供に子に負わせた不幸を、
背負はなければならない。

現実の苦しさゆえに、
現実から逃げて生きていることさえ
気付くことの出来ない程の「くたびれて行く心」

己の中から、
一番大切なのは「努力」という、
このことに気付かせてくれる、
この「努力」に火をつけてくれる、

大切な「種」が心の中にいつも備わっていれば、
親も、子供も救われるのかもしれない。

親の「心」。
子の「心」。

その「心」さえ救うことが出来れば、
更に、生きるという「生命力」に火をつけることが可能になるのだろう。

人の中には、無限に発揮できる「力」があると、信じる「その力」。

人の中にある「力」が「力」を生む連鎖。

その連鎖が可能になるのが、
強い「哲学」と自身の中の「信仰心」なのかも知れません。

困難な時ほど、試されている時、
己をどこまでも鍛えるチャンスだと考えられる心。

その原動力となるものが、
強く正しく生きる為の前向きな「哲学」なのだと感じます。


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泰葉、泣いて笑って爆発炎上で人間らしさを取り戻してね:動画

この人は、父林家三平のDNAを
一番強く受け継いでいる人ではないのだろうか?

   ・林家三平 - Wikipedia

積もりに積もった、
ために溜めてきたもの。

一つのことがきっかけに、
堰をきったかのように、とめどなく流れ出す感情。

この人が、人間らしさ、
自分らしさを取り戻すための
行動だったのかなあ。

人間らしい反応の、
一度にほとばしりでた結果。

こんな素直な人が、
今まで、その素直さを、
素晴らしい父、三平さんの慣性を、
ずうっと外に出せず、貯めてきたのだろうと感じました。

偉大な尊敬する父、大好きな父、
そしてその父を支えた
立派な母をかがみとして来た娘として。

自分を殺して生きてきた答え。
なのかなあ。


人って、ひとりの私の人格だけで生きるってことは、
難しいことなのだなあという思いに駆られました。

でも、まだ、まだ。

この人のエネルギーの放出は、
これだけでは収まらないような気がします。

ちょっと、聞いてて、涙が出ましたけど。

でも、やっぱり、お嬢さんなのか、
どこかに大人になりきれていない部分の
我の強さと弱さを感じました。

「ホントに、仕方がない娘だねえ。」
っていう感じ。ですか?

泰葉、泣いて笑って“終結宣言”
 元夫で落語家の春風亭小朝に対する非難で騒動を巻き起こしている歌手・泰葉が会見し、“終結”を宣言した。泰葉は小朝に対し、自身のブログで「金髪豚野郎」と激しく“口撃”していたほか、250通を越える“脅迫メール”を送っていた。発端は泰葉がプロデュースしていた来年3月の明治座公演「林家三平物語」。演出・出演する予定だった小朝がキャンセルしたため、辞めた理由を問いただすうちにエスカレートしたと説明。母・香葉子さんまでが騒動を謝罪する事態になっていたが、27日に直接小朝と電話で話ができたという泰葉はすっきりした表情。約1時間に及ぶ会見では泣いたり笑ったり毒を吐いたりしながら経緯を説明したが、最後は「小朝さんを三遊亭円朝にしてください。それが私の願いです」と主張、とことん泰葉ペースだった。
出席者:泰葉
日時・場所:2008年10月29日;アパホテル日本橋駅前(東京・日本橋)
GyaOニュース - 泰葉、泣いて笑って“終結宣言”





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低き所から高き所を目指す川の流れのような生き方

「川の流れのように」

人生を生きることを、
よくそんな風に例えられます。

川の流れは、
源流から小さな小川へ、

そして大河へ。

自然の法則に従って、
高い所から低い所へ流れていきます

確かにそんな風に、
常に、流れに身を任せ大海原へ。

大海を目指す人生。

人生を生きることの本質的な部分で
「川の流れのように」生きることを
オーバーラップして感じることが出来ます。

生きてるだけで確かに時間が経過します。
それは、そのこと自体が確かに川の流れに相当するかも知れません。

時の過ぎ行くままに、
そして、「川の流れのように」生きる。


でも、心は、時の過ぎ行くままに、
「川の流れのように」は、流れないのではないか?

人間が生きていく成長して、
人としての精神的な心の部分を、
その年齢、生きてゆく過程に伴って人として、

大きくその器を広げていくためには、
常に、「流れを起こすエネルギー」が必要だと感じます。

そして、そのエネルギーは、
自然の法則に逆らうかの如き、「低き所より高き所へ」、

その水の流れを変える、
水を運ぶ前進するためのエンジンが必要です。

人が生きる、人として生きる、人間として生きる為に。

低き所から高き所へ流れる河をイメージする人生。

高き頂点に向かって。

「川の流れのように」生きる自然に反してる?


「人間が生きること自体が、
自然に反していることのなのかも。」


人間が人間らしく生きる。
矛盾だらけの人間が、人間らしく生きる。

より強く人間の生きる意味と本能を達成するためには、
物理の法則や自然の法則と共に、その法則を度外視した、
それらの法則に反した生き方こそ、人間らしい生き方なのかもしれません。

人間が人間を求めるために、生きることは、
己の生命からわき出でる炎のエネルギーを常に呼び起こす哲学、
前進するエネルギーが必要なのだと感じます。








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西川史子、踊るさんま御殿で年収4000万無いチクル


おっ!「西川」のワードで、名字だけで、グーグル検索して2番目にランクされている!

芸能人、「西川史子」(Wikipedia ウキペディアに掲載)

今日の「踊るさんま御殿」に出演してました。

私は、この方テレビで批評されているより、別の番組でコメントを聞いた時、実際は「いい人なのだなあ~」と好感を持っていたのです。でも、今日の番組中のコメントで全てが吹っ飛びました。

以下、番組での様子です。

現在、交際中の相手についてのコメントを聞いていて、「テレビで、よくも、そんなことが言えるものだなあ~」って、なんだか、可哀想な人だと感じました。相手の、プライバシーに関わることを、しかも交際相手というならば、ほんの少しのフォローさえあれば、まだ許せたのですが・・・。

話の核心は、相手の収入の4000万。とても下品に感じます。

芸能人だって、自分で自分の年収を暴露する気にならないのに・・・。

ちなみに明石家さんまさんの年収ってどれくらいか知ってますか?

・・・、尊敬するさんまの嫌がられることをココで言うわけにはいきません。

最近は、芸能人や有名人、また、企業の代表、資産家などの長者番付を見なくなりましたが、なくなったんですかね。


その、さんまさんの年収・・・、じゃあなかった、西川史子氏の交際相手の相手の収入の4000万。

笑いを取るための作り話的な話題の範囲を超えていたような気がします。

もともと、この西川史子が、「年収4000万以上の男としか結婚しない」と吹聴しており、現在の交際相手の年収にメディアが注目してどこに行ってもその点について聞かれるのだということでした。

「私も、知らないんですよ。」
「仕事は、福祉関係の仕事。」

さんまさんが、「そんな、人を助ける仕事を一生懸命していて、収入がついてこないんだ~。」

と、交際相手を人としてフォローするような発言をしているにも拘らず、そんな、交際相手の仕事などどうでもいいかのように、

「私も、今調べているんですけど、たぶん、4000万の年収は、無いと思うんですよね。」

「無いと判ったら、別れてました」、

だって。

・・・・。

????。

「叶うはずの無い夢を見てなさい!」

「金オンリーかいっ?」

この人の目には、生きていることの世の中が一体どのように映っているのだろう?

枯れている。

誰かこの人を、人として再生してあげて下さい。

この交際相手の方が、人間としていい人であることを願います。


この放送を見た、交際しているとされる、相手の男性がどんな風に感じるか。こんな発言させれて、「交際してます」なんて公表されて、「4000万の収入を調べている最中です。」と言われて、これって、本当に交際してるって言えるのかなあ?

これだけ、暴露されて好き勝手な自己中な話されれば、きっぱり、別れると思うけど。

まあ、本当に人はいろいろですけど・・・。


でも、福祉関係の仕事をやっていると言うことは、人の痛みや心を理解できるという温かい人という可能性もある。それとも、弱者を貪る、福祉を営利目的のみに起業しているような人なのでしょうか?少なくとも、この番組がバラエティー番組であるとを前提として、差し引いて考えなければならない所もあるでしょうが・・・。

番組としても、この西川史子の口から出た言葉の品性下劣なまでの不快に感じる言葉に、この人の顔は、テレビで2度と見たくないと思いました。

もしかしたら、全てが作り話しの方が、見る側からすれば、ほっとします。「あんな風には、なりたくない女性」が
今日のさんま御殿のテーマの一つでした。

・・・それは、

「あなたです。」

まあ、自虐的に番組中、自分でもそう言ってました。

ある意味、その交際相手との今後がどうなるのかが、注目です。

でも、ここまで書いといて、「でも、やっぱりいいひとなのかなあ~?」と言うわけではありませんが、芸能界で生きる方法として、敢えて、風当たりの強い、厳しい選択を選んでおられるのかもしれません。

人から、憎まれる役を敢えて買って出ているのかも。

芸能界で生き残る方法は、メディアによって作られた自身の「立ち位置」を、きちんと弁えて、生きる為に自己を犠牲にするということ。

よく言えば、人間としてものすごく強い人ですよね。根性がすわってるというか、なかなかテレビでそんなこといえないですよね。逆に言えば、ものすごく賢い人なのでしょう。

どちらにして、その交際相手との今後がどうなるのかは、注目してみたいですよね。

「みんな、幸せにならなにゃあ、いけんとよ!」

人を悪く思ったことに少し反省。



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我はゴッホになる!「棟方志功とその妻」の生き様~人


10月25日にフジテレビで放送された、土曜プレミアム

「我はゴッホになる!愛を彫った男 棟方志功とその妻 」を観ました。

青森出身の天才版画家と呼ばれた、「棟方志功」とその妻の愛を完全ドラマ化したものでした。

芸術家「棟方志功」のとても純粋な生き様に感動しました。

己をどこまでも未熟者として、「板極道」を貫いた芸術家。

そして、その「棟方志功」を支えた妻の生き様。

泣いて、泣いて、エ~ン!

何がそんなに、わたしの胸に響くのだろう?

このドラマを観ながら、素直に涙が溢れる。

台詞の中に散りばめられた、心がはっとするような言葉の数々。

主演 の「棟方志功」を演じた、劇団ひとりさんも最高でした。

まるで本物の「棟方志功」が乗り移ったのではないかと思うくらいの演技を感じさせない程の名演技。

この方の芸風、これからの幅を広げて活躍されるであろう一端を、垣間見たような、実力の高さ、懐の深さを感じました。

また、「妻」役の香椎 由宇(かしい ゆう)さんもとても、夫婦役、相手役として、「ピッタンコ」でした。

ドラマの終盤のあの台詞は、「名台詞」にしたいくらい。

・・・「わたしの宗教は、棟方志功だ!」

命のそこから溢れださせる「生き様」を表す重い言葉。

主題歌の「ハナミズキ」もドラマととてもマッチングしていて、ドラマ全体がとても完成されたものとしてみることが出来ました。


棟方志功。

私は、未熟者。

どこまでも、どこまでも、

己の終着点を遠く、高く、

ほとばしりだす、あふれ出す、

己の内なる生命の炎に突き動かされて一心不乱に掘り続ける姿。

「芸術」とは、溢れる心の生命、

ほとばしるエネルギーの表現を見えるものの姿として映し出す作業とその結果。

板極道。

『我は、ゴッホになる。』

芸術とは、作者の作品を見て、見えない「心」と「生命」を感じるもの。




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私が私らしく生きられるように:疑う心より信じる心


目の前の現実を「いつもニュートラルな心で見つめる」と言うことは、もう出来ないことなのでしょうか?

いつも私の中には、私の心で見る、色眼鏡がある。

生まれる前から・・・。

生まれて、生きてきた中で私の中に塗られた色。


数日前に、送られてきた一通の通知。

「う~ん」

一応、心当たりのあるところから送られてきており、案件の内容についても、大方、不審な点は無い。

「でも、気になる。」

詐欺かな?

プライバシー情報を盗んできて、振り込ます詐欺かもしれない・・・。

「請求金額」や書面の内容など、なんとなく素っ気無い。

やっぱり怪しいのかも・・・。

もうどんどん、世間の社会面でよく頻発している詐欺事件の数々が頭の中をめぐって行きます。

そうなると、もう、私の中で、これは怪しい書類。

相手は、怪しい会社。

疑い深い私の本領(?) 、

本性が発揮されます。

確かな、きちんとした手続きで書類を送ってきているかもしれないのに、私の心の中に、そんな本領が発揮されては、問い合わせをしても、言葉がきつくなる。

相手に質問する私の言葉の中に、あからさまに、相手を信用しない言葉が、私の中から出てくる。

「本当ですか?」

「間違いないですか?」

また、相手の話す、言葉尻を逃さない。

散々、聞いても私の中ではスッキリしない。

それは、何故か?

これは怪しいと決めて付けているのに、怪しい答えが出ないから。

「なんかおかしい?」

それは、逆にいえば、詐欺でもないんでもない、正当な請求だともいえるのに。

結局、

「まあ、それなら、間違いないんだろう・・・。」

「じゃ仕方がない払おうか。」

・・・・。

『物を見たら、疑ってかかる。』

『人を見たら、疑ってかかる。』

これが私の生きてきた人生の中で、心の中に付けられた一つの色。

「色にすれば、さあ、どんな色だろ?」

綺麗な色では、ないでしょうね。

でも、こんなことがあるたびに心がなんとなく暗くなるような,疑い深い、己の心のなんと狭いこと、かと自己嫌悪に陥ったりして。

物事をニュートラルな心で見つめると言うことは、なかなか難しいことだと思います。

相手を余計な先入観なしに、物事を見る。

そのものを見るということ。

だからこそ、物事をニュートラルな「心」で見つめることが出来るように、妙法に向かい、ニュートラル(無)な己の生命に向かい、己を高めるための闘いが必要なのだと感じます。


先ほどのことから感じたことは、物事の原点から発するものは、全て「善」からでなくては、己の成長に繋がらないのではないのかなと思います。

「疑う心より信じる心」

信仰者として、全ての現実を受け入れるのに、「疑う心」から始まるようでは、まだまだ未熟者。

いえ、全然、己の人間革命、宿命転換の道は遠い先のことかもしれません

私の、目の前に映る物全てをニュートラルな命の、心の世界で見つめられるように。

私が、私らしく生きられる為に。

桜梅桃李。

今を生きる。



嘘・矛盾・本音と建て前 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

魔は一瞬、組織の崩壊も一瞬。

学会の会合に、
出席する機会がありました。

席上、幹部の言葉の中で、

「会合の掛け持ちが多く忙しくて題目を唱える時間が無い。」
という、話の一部にこのような発言がありました。

人の表面的な言葉尻だけををとらえて、
記事を書くのも少し気がとがめるのですが、
その時、素直に感じたことです。

「そうか、会合に出ると、題目があがらなくなるんだー?」と。

でも、私は、
本来、役職を受けたり、会合に出たりするのは、
自身の境涯を高めるためのものに過ぎないと思っています。

役職を全うし自己を犠牲にすることで、己を高め、
会合に出て、更に力を得て、自己の信仰心を高めるきっかけを見つけたり、
作るためのものと言う風に感じているのですが・・・。


なのに、幹部の発言のように、
「会合に出て、題目があがらない」こんな発言に、
私の中で、信仰者としてとても矛盾を感じました。

己の生命の境涯を、
命の底から高めてくれる唯一の妙法を求める信仰。
己のなかにある信仰心に刻める機会を無駄にしている。

会合なら、
仏法活動なら、
選挙活動なら、
一生懸命やっていたら、
題目の大切さは、その次になるのでしょうか?

いいえ、私は絶対に違うと思います。
そんな、単なる自己犠牲は、
己を「歯車」に変えていく行為であり、
将に己の弱さと宿命との戦いに負けていることを
知らずに暴露していることに他ならないのだと思います。

信仰者にとって己の宝石を磨くための「題目」、
己の生命に刻み込む大切な題目を、
疎かに考えているような発言を幹部の口から聞くこに大きな疑問を感じました。

そして、一番大事なことは、
そのことを、許されるかのごとき発言に気付かずに、

聞く方でさえ、
「幹部は忙しいから仕方がないわね」
という、組織の、「なあなあ的」な体質さえ感じるられようでは、
とても、組織の枝葉的な存在に力の無さに多少の危機感を感じるのでした。

内部から見てきたものの信仰者の姿と、
内部にいて外から眺めてきたものの学会という現在の本当のニュートラルな目で見た姿。
と言うものの温度差に近いものを感じました。

この人達は、学会と言う組織の中で、
何かしら一般社会と変らぬ、歯車的な意識で、
組織活動をしている間に、本来のもっとも大切な、
信仰者に必要な信仰心を疎かにしているのではないかと感じました。

目的と手段が、本末転倒しかねないような発言を聞くことに、
大きな組織に成長し、その人間がいる組織の中で長年の垢が、
その組織の腐敗する原因となるならば、
たとえ正しい信仰団体であったとしても、
そこに人間がいる組織ならば、そのたまった垢を取り除かねば、
必ず、組織は内なる要因によって、分裂、崩壊への道を辿るのだろうと思います。

魔は一瞬。

組織の崩壊も一瞬。

妙法の哲学に完全はあっても、
人間の集まる組織に、絶対に完全はありえない。

と私の、好き勝手で少し心配に思う今の、
学会の組織に、お聞きしたい点です。

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

嘘・矛盾・本音と建て前 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

学会を批判する敵も真の友


学会に、馴染めなかった私ではありますけれど、正しく生きる為の信仰哲学である妙法に、縁させていただいたことに報恩・感謝を忘れず、自身の立ち位置を確かめながら、学会が確かな方向へ進むように、どんな形であれ、役に立てればいいのかなと感じています。

これが、わたしの妙法という絶対的な信仰・哲学によって、己の信仰心を目覚めさせて頂いた恩返しの方法。

ライバル同士でもいいじゃないか!

敵であってもいいじゃないか!

「巨人の星」のように、少し、例えが古いかな?

宿敵となった友が、父が、己を高めてくれる感謝すべき者たちなのだから。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。


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己の生命が「心の師」となる信仰


その時、その時の自身の境涯の高さ、低さを感じて己の一つの今を知ること、そして今一瞬を高めることのきっかけにしたいと思います。

ダメな時ほど、楽しく。ダメな時を楽しめる。そんな生命に、境涯に!

組織の為に生きてゆくのではない。

組織の為に己があるのでも無い。

組織があっての信仰では無い。

全てが、己の中の信仰心を絶対的に高めるための道具にしか過ぎない。

全ては、己の中に、信仰心という妙法の哲学を絶対的に高める為に存在している。

現実の道具になってはいけない。

現実に翻弄されてはいけない!

己の中の「信仰心」を確立するための全ては道具。

幸せに頼りながら生きてゆくのも人生。

幸せを与えて生きてゆくのも人生。

すべては、己の信仰心。

生命の中にある、宇宙の絶対的な大きさを求めていくことのよって人生が変る。


どこでも、自身の生命から見た「信仰者」としての視点で。

行動したこの全ての私の生命の中に刻む闘いを。

更に生命が私自身の行動を高める為に。

全ての事から、成長の因として、学べることの出来る謙虚さ。

学ぶことの大切さを知る。

謙虚な心の大切さを知る。

私の中の生命の底から無限の力、エネルギーを引き出すための燃料。

それは、私の目の前に起こること全てが燃料なのだ。

怒りや、憎しみも、悲しみも、喜びも、弱い心も私の持っている全ての「心」。

私が感じる全ての感情は、人として消すことなど出来ない、まして、自然な感情を抑える必要など無い。

全て、私の生命を高めるための私自身と闘うエネルギーに変える。

転換する。

錬金術によって。

今日も生きる。

絶対的な生命に基づく己の哲学。

自身の中にわきこる醜い感情を私自身が抑える必要など無い。

その己の弱さゆえに湧き起こる醜い感情と闘うこと激しく戦うこと。

自身の生命。

心の師。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。





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