宿命とは、乗り越えるものか 断ち切るものか

宿業とは、乗り越えるものだろうか?
それとも、断ち切るものだろうか?

過去の悩みに囚われる。
どうしても過去に引き戻される。

戻りたくない過去。

なぜだろう?

今をこんなに、一生懸命に生きているつもりなのに、
今でさえ、こんなに苦しくて、その苦しみに耐えかねて、

暗闇の浮かぶ、更に、暗く深い底の見えないその先、
見えない暗闇に、己が引き込まれいく、己が沈んでいく、
そんな呼吸が激しくなる程の、不安を打ち消すことに必死で、生きているはずなのに。

その、大きな波のうねりのように、時として、
ある場面をきっかけにやってくる過去に引き戻される苦しみ。

でも、やっと、その過去の苦しみから、悩みから、迷いから、少し開放されて、
今を生きられるようになったような気がする。

なぜだろう?

己にとって全てが、否定的であった過去。
否定的に生きてきた過去。

その過去の苦しみは、今を生きる力を更に倍増させてくれるのだろうか?

現在の苦しみを乗り越えるために、過去の苦しみやの原因や事実、
否定的な人生の記憶を辿る、いや、もう一度辿らされるのは、
必要、必然のことなのだろうか?

今を、生き、そして、過去をも、生きる。

消すことの出来ない過去。

しかし、己の中で、薄らいでゆくこの感覚は、
重たい鎖が解かれていく過程なのだろうか?

宿業とは、乗り越えるものだろうか?
それとも、断ち切るものだろうか?

今の、わたしは、その宿業の前に己を晒され、
宿業を一つ、一つ、乗り越える儀式の過程にあるのかもしれない。

そして、その次の宿命を断ち切る為の更なる、絶対的な高い境涯へと、
進むためのステージへのスタート地点に向かっているのかもしれない。

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メトカーフの法則:正義の旗で人間主義を訴える


正義の旗で人間主義を訴える

メトカーフの法則」とは、ネットワークの価値は「ノード数」の二乗に比例する。

「ノード」とは、ネットワークの参加主体のことで、ユーザ数もしくはコンピュータなどの機器の数と解釈される。

コンピューターネットワークの中の情報通信における利用者数に対するその価値は、二乗に比例するというのである。

確かに、インターネット社会は、世界を一つに結べるツールの一つかもしれません。そのつながりが、更に高速になり、ありとあらゆる場所に情報ネットワークが張り巡らされれば、瞬時に私たち全ての人が、情報を共有することが出来ます。

情報化社会のその情報ネットワークの価値は、足し算や単純な掛け算の域を越えるほどの影響力があることは、想像できます。

ブログの中でも、「芸能人ブログ」と呼ばれるものの、ある一人の芸能人のアクセス数の爆発的な増加などに見られる現象は、ネットを中心に張り巡らされている多くのメディアの情報網が引き起こす、「メトカーフの法則」をある意味、証明しているのかもしれません。

ネットの情報の広がり方は、一部では、「パンデミック」という言葉にも近いような気がします。

「爆発、炎上」というような言葉もあります。

なぜこのような情報の伝達手段が、進化を遂げていくのだろうか?

多くの人が全ての情報を共有化できる社会。

これは、平等、自由な社会に向かっている現象だろうか?

一つの国から、地球的な規模への情報化ネットワークの世界。

「プロパガンダ」。

すべては、情報を牛耳るもの、また、発信する者の心一つで、世界は変わってしまうかも知れません。

怖いと思えるけれど、国が、世界が一つのものに向かって、収束していかねばならないならば、これも一つの法則なのかもしれません。

でも、そこにいるのは、人間。

人間が人間らしく生きることを、決して、放棄してはならないということを、『人間主義の旗』、『正義の旗』を更に、一人、ひとりが、発信し、そのネットワークを広げることが重要になってくるのでしょう。

名字の言 1月29日

情報通信の世界に「メトカーフの法則」と呼ばれるものがある。“ネットワークの価値や力は、利用者の数にしたがって増大する”というもの。人間同士が交流するときも、互いに触発し合い、コミュニケーションの輪が生まれる。注目すべきは、その増え方だ。人数が1人増えるごとに、倍、倍と急増する。触発が、また新たな触発を生み、交流の輪が爆発的に広がるのだ。

人間の脳の神経細胞は140億個ともいわれるが、これも単独ではなく、複雑なネットワークを形成することで、無限の可能性を創造することができる。池田名誉会長は「今日の情報社会にあっても、結合が力である。いかなる分野においても、孤立したところは取り残され、滅び去っていく」と語っている。

広布の組織にあっても、皆が団結して、目標を達成しようと、互いに手を取り合って前進するとき、思いもよらぬ力が発揮でき、その相乗効果が「勝利」への上げ潮をつくり出す。

グループを中心に、一対一の真心の対話で、さわやかな共感を広げる婦人部。名誉会長の随筆「広布の賢者の壮年部」を手に家庭訪問を重ね、ともに学び合う壮年部。創価の人間の輪は、「一人」への励ましに徹した“触発”から始まるから強いのだ。(由)





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人生崖っぷち:茶碗の淵が最高


いつもどこかで守られてきたような気がする。

根がまじめでいつも損ばかり。

似なくていい方の親の性格と、ことごとく嫌っていた部分のその他の性格まで、受け継いで。

真面目が取柄だなんて、ひとのいい親たちが、人からだまされてばかりいるのを見て一度も、ありがたいと思ったことが無い。

でも、そんなこと考えていいのかどうか解らないけれど、己の人生ふと考えてみると、その節目、節目の困りかけた頃に、

いつもタイミング良く、橋が無くて渡れなくて困っている時に、誰かが橋を架けてくれる。

そんな事が、不思議と多かったように思えてならない。

そんな生き方の中で、作られた来た私の体質、弱い生き方。

我侭なくせに、何も自分から出来ないくせに、人に頭を下げることも出来ないくせに、人に頼ろうとする依存体質。

本当に弱い人間だねえ。

それでも、これまで、誰かのおかげで生きてきた。

誰かに守られて生きてきた。

そこに、何一つ感謝無く。

最低の人間だ。

己の怒りと憎しみの感情さえコントロールできないのは、一人で生きていけないくせに、我侭で冷たい人間が、甘えて、人に依存して生きているそんな弱いおろかさを証明しているのだ。

怒りは、甘えでもある。

己の弱い心の叱咤でもある。

しかし、その矛先をあらぬ方向へ向けることによって、無意味な怒りを増幅させることになったり、人を悲しませることになったり
するのかもしれません。

怒りと憎しみの心は、己の弱い心の証明である。

しかし、また、正しい感情でもあり、必要な感情なのかもしれません。

本能的であり、原始的な感情である「怒り」と「憎しみ」

その怒りと憎しみの感情が、己(人間)の心の弱さの証明であるならば、その感情を向ける矛先は、己の生命の中にのみ向ける必要のあるエネルギーなのかもしれません。

これまで、無意識に己の弱さに耐え切れず、その怒りと憎しみを直接、言葉と行動によって、己以外の物にぶつけて来た。

そのことによって、己の中に、多くの罪をつくり、多くの不幸の因を作ってきたのだ。

「怒り」と「憎しみ」の感情は、己の永遠に続く、宿業の元凶かもしれない。

その元凶を断ち切るために必要なのもは、「知恵」と「理性」と「英知」の合体なのかもしれません。

その必要なものを得るためには、どうするのか?

己の生命の傾向性の変革、言い換えれば、宿命転換以外のなにものもありえないのではないかと感じます。

それぞれの境涯の中で、最高の「知恵」と「理性」と「英知」が働けば、その怒りと憎しみを、宝に変えることができる、錬金することが出来る。

そして、己を賢者へと高めていくことが出来る。

その「賢者の石」こそ、わたしにとって、妙法以外の何者でもありえません。

人生崖っぷち。

茶碗の淵が楽しい。

そんな人生こそ、実は最高なのかもしれません。

己の力で生きてみよ!

無限に存在する己の力を発揮して見よ!

崖っぷちの人生こそ、最大の力を発揮できる場所なのだ。

どうせ、一度、死んでいるのだから、もう一度死ねるなら、奇跡だって、必然と信じることが出来る。

生きる!

生きる!

桜梅桃李。



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大阪府知事の橋本さんは、かき回すぬか漬けが大好き

橋本さんは、何事も、引っ掻き回すのがお得意、お好きなようだ。

いい意味で。

現在、大阪府の橋本知事。

濁った泥水も、放っておけば、汚い泥が底に溜まり、表面は、きれいな済んだ上澄みになる。でも、本当の汚さを知るためには、その表面だけがきれいになった泥水をかき回すことで、再確認できる。

積極的な改革、前進とは、そんなものかもしれない。

マスコミが言う、多くの失言も、橋本知事にしてみれば、引っ掻き回すためのひとつの手段、「してやったり!」というとことかもしれません。マスコミ慣れしている分、マスコミに足を引っ張られず、マスコミを逆に操る位の手腕は、あるのかもしれません。

「ぬか漬け」の「ぬか」も、時々、かき回してやれないと、腐ってしまうといいます。

■橋下知事就任1年、支持率82%でノック氏上回る
2月6日で就任1年を迎える大阪府の橋下徹知事への支持などについて、読売新聞社は府内の有権者を対象に電話による世論調査を実施した。

 橋下知事を「支持する」とした回答は82・3%で、「支持しない」の9・5%を大きく上回った。「無党派知事ブーム」を起こした横山ノック元知事の就任1年時点(1996年4月)の支持率(64・4%)を大きく上回り、「橋下人気」の高さを示した。

 調査は23~25日、無作為に作成した番号に電話をかけ、1627世帯のうち1008人から回答を得た(回答率62%)。

 政党支持別にみると、全体の4割強を占める無党派層で79%となり、府議会で知事与党の自民支持層は92%、公明支持層も9割近い。野党も民主支持層が83%で、共産支持層も5割が支持した。

 支持理由(複数回答)では「指導力がある」(59%)が最も高く、不支持は「政策に期待できない」(45%)が1位だった。

YOMIURI ONLINE(読売新聞)




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憎しみと怒りにまみれているその心の分厚い雲の先に答え


憎しみと怒りにまみれているその心の中の分厚くおおわれた雲の層。

その湧き起る怒り、その憎しみを押さえつける必要など一つも無い。

ただ、己の境涯を高める妙法への一念に、その怒りと憎しみのエネルギーの向け、答えを自らの生命に求めることなのかもしれません。

怒りと憎しみに渦巻いた生活から逃げてきたものの心の中のその感情は、ただ己の弱い心で蓋をしただけのもの。

どこまでも、追いかけてくる現在の己を苦しめる悩み。

その怒りと憎しみからの脱却とは。

これまで己から逃げて逃げて、無意識の層にまで追いやられた過去の怒りと憎しみの「大本」が、再びこうして過去のその時、その瞬間に感じたエネルギーを噴出しだし、再現されるのは、ただのトラウマでもなんでもない。

今、その瞬間、その怒りと憎しみにまみれている己を客観的に見つめなおせる瞬間なのだ。

己の中に湧き起る怒りと憎しみと対峙する時、闘う時なのだ!

それは言い換えれば、己の境涯を絶対的に高める瞬間でもあり、人間革命の途中における一歩を進めることになるのかもしれません。

憎しみと怒りにまみれているその心の中の分厚くおおわれた心のくもり。

その先に到達する確かな力、私の生命の中から立ち向かう力を湧き起こさせてくれるのが、妙法の哲学なのだと強く感じます。



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すべてを背負うことが、幸福境涯をこの世で高めるための最短距離

すべてを己の宿命と背負うことを決めたのに、

でも、やっぱりどこかで、背負い切れない自分がいる。

己の過去を清算することの出来ない心のわだかまり。

一つのことがきっかけになって、とどまることの無い感情が、
怒りとなって心の奥底から、湧き上がってくる。

そして、身近にいる者に対して感情をぶつけてしまう。

このコントロールできなくなるほどの心の中にくすぶっているもの。

どれだけ己の生命の境涯を高めれば、この、ただ、蓋をして、
押さえつけているだけの感情が、消え去り、幸福へつながる大切な宝に
変えることが出来るのだろう。

すべては、己の背負うべき宿命。

そう、思うことが、
そう、誓うことが、
そう、決める一念が、

己の幸福境涯を更にこの世で高めるための最短距離であることを、
確信しているはず。

しかし、その誓いの途中の姿は、時として、
縁に触れ、魔を魔と見破ることが出来ず、
かく乱され、己の醜い本性を、さらけだしむき出しにする。

依然、己の境涯の低さを露呈し、落胆する、己の心の弱さ。

何もかも、吐き出せば、その瞬間、どんなに心が、すっきりするだろう。

しかし、その刹那と引き換えに、また、己の宿業を乗り越え、転換すること
から、遠ざかり、後悔だけの残る結果となるのだ。

今日のテストの点数は、0点。

毎日の誓いの中に、
過去の苦悩から、そして、現在の苦悩から
逃げないと誓っているのに、己の中に消え去ることの出来ない過去の記憶
のわだかまりが、のしかかってくることの意味。

その意味の答えは、0点のテスト用紙を
もう一度、見直すことから始まるのかもしれません。


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反省の一日から、感謝の一日へ変わる生命の哲学

感謝の一日で締めくくれるのか。
反省の一日で終わるのか。

後悔の一生で死を迎えるのか。
幸福の瞬間、この世で生きたことに感謝で死を迎えるのか。

「一日」と、「一生」は、同じことなのかもしれません。

『ただ今、臨終の瞬間(とき)』

その精神こそ、人生を幸せに生ききる最高の生命だと思えます。

生きることは、死に向かうマラソンレース。

孤独な、たった一人の勝負。

そのマラソンレースに勝つための基本は、
スタート地点に、あるのかもしれません。

一日の始まり、そして、
己の生命で、人生の勝負のスタート地点だと刻めた時、

その時の誓いと、一念の強さが、

感謝と幸福の一日、一生であるのか、
反省と後悔の一日、一生であるのか、

を、ほぼ、決定付けているのかも知れません。

己との勝負は、戦う前から、もう既に決している。

己の一念と確信の強さが、あるかどうか、
一日のスタート地点こそ、真剣勝負が必要なのだと感じます。

最高の哲学は、常に私を、「反省の一日」から、
「感謝の一日」に変える為のスタート地点へ、リセットしてくれる
力を私の中から奮い立たせてくれるのです。

人生を最高に生ききることの出来る最高の哲学である「妙法」に感謝します。


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タッチタイピングの無意識化は心の品格を磨くのと同じ


ブログに記事を投稿すること、更新することを、普通に、「記事を書く」と言うけれど、

タッチタイピングが出来ない私にすれば、なかなか、文字を書くように、すらすらとキーボードをたたくわけには行きません。

これまで、パソコンとは縁の無い生活を送っていた者が、パソコンに初め手を触れたのが、2年程前のこと。

記事を更新するということは、紙に文字を書くということよりもかなり、前向きなエネルギーの要ることだと最近、痛感します。


そこで、ブログを更新していく上で、継続を続けるためのモチベーションを保つには、更新することに対する前向きな気持ちが萎えないように、マイナス要因を排除することが必要かな、なんて考えました。

そこで、そのマイナス要因を、プラス要因に転換するために、始めたのがネットで見つけた、タッチタイピングの練習サイトです。

勿論、タッチタイピングの専用のソフトなども発売されています。

『7日間であなたもタッチ体ピングが出来る!』なんてタイトルで。

まあ、でも、見つけたサイトが私には、とても学習に為になるサイトだと思えたので、タダだし、始めてみることにしました。


わたしがおすすめする、タッチタイピングの上達のための練習サイト
e-typing {インターネットでタイピング練習}

というわけで、毎日、サイトを訪問しては、基本練習を繰り返しているのですが、その練習をサボったり、続けたりしながら感じたことを少し。

物事の上達とは、意識することから、無意識への領域に到達するまでの過程なんだなと感じたことです。

まず、出来ない事が、出来るようになるには、常に、その課題を、意識することを忘れてはならないということ。

普段、何気に意識せずに打っているパソコンのキーボード。

いざ、キーボードを見ず、パソコンの画面だけ見て打つなんて出来る人がとてもうらやましく感じます。

もっと早くから、この基本を身に着ける練習を始めていればよかったと思いました。

何事も、普段、意識するかしないかで、その上達の度合いが、決まるのかもしれません。

いえ、普段、意識しなければ、そこから何も生まれることは、無いということさえあるとも感じます。

これまで、毎日キーを叩いてきたのに、タッチタイピングという効率的に文字を打てるようになる技術を習得しようとしなかった、意識しなかった、いえ、それ以前に、知ろうとしなかったのです。

タッチタイピングの上達のコツは、「慣れること」という方もいます。

でも、この慣れるということは、意識することの繰り返しの結果、知らず知らずに無意識の領域へ到達することによって得ることのできるものなのではないかと思います。

学習することによって、一つのことを習得する過程とは、まさに、確かに生きることに通じる基本的な人間学習でもあるのだなあと感じます。

意識していることを無意識化へ移行させるためには、完全なる意識化の確立をすることから始まる!

その完全なる意識化されたものが必然的に無意識化され、一つの能力を根本的に高めることにつながる。

それが、己に内在する現在、発揮できる「実力」「人間力」ということかもしれません。

従って、何らかの要因によって、本来、明らかに、出来るはずであるべきことに躓いたり、失敗したりするのは、意識化から無意識化へ移行していたとしても、その移行に不完全なる要因があるのではないか。

完全に克服していない不完全な要素がある限り、人間は、時と場合によってミスを犯すのかもしれません。

生きることに上においても、意識してしなければならない、現実に常に、意識することに努めてその結果、無意識のの領域に到達できたものだけが、その人の財産になるのでないかと思います。



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過去の消せない記憶【心の棘】 

『私を、殺す気かーっ!』

小学校の4年の時に、担任の男性教諭から、言われた言葉。

とは言っても、まさか、本当に殺すようなことをしたわけではありせん。

でも、その時、その当時、その言われた、言葉に対して、その後どんな、反応、態度を示したのかよく記憶にありません。

また、その時に、どんな気持ちだったのか、いわれた言葉の、その瞬間のあの荒々しい、語気の強さは、今でも、鮮明に覚えています。

『私を殺す気かー!』 

子供が感じ取るものは、大人より本能的に、その空気と本質を感じ取れる能力を備えているのかもしれません。

あのときの、言葉は、「ただ」の怒りでした。

あの時、私は、休み時間に、私を含めた数人の友達とその担任の先生のいる机の周りで遊んでいました。

何人かと、じゃれて、遊んでいる間に私の体が、机のそばで立っていた先生の体の後ろの、お尻の辺りから、ぶつかって、しまったのです。

その拍子に、先生がバランスを崩して、少し、よろけて机にお腹をぶつけたその瞬間に、私のほうを振り返って、『私を殺す気か!』と、怒鳴られたのです。

その瞬間の光景だけが今でも、記憶に鮮明にとどめられているのです。 

担任の教師に対する思い出は、ありません。

今、思うと、その時に私は、子供心に相当、その言葉にショックを受けたのだろうと思います。

だから、自分で自分を保つために忘れようとしたのかもしれません。

子供がそんなことを出来るかどうかわかりませんが・・・。

その言葉が出た瞬間の記憶だけは、消えないのです。

はっきり言って、私には、ひどい言葉の暴力に感じられる程だったのでしょう。

体についた傷には、消せる傷と消せない傷がある。

それと同じように、心の傷にも消せない傷がある。

年をいくら重ねても、大人になっても消えない子供のときの記憶。

消せない心の傷は、その痛みの大きさを物語っているのでしょう。

でも、その傷は、今では、過去の事実を私の中で確認できる写真のようなものになっています。

心の棘。  

大げさかも知れませんが、時々、その光景が、何かの拍子に過去の記憶の中から這い上がってくるのは、私の人生に、この言葉、『私を殺す気か!』 は影響を与得ているということにもなるのかもしれません。

生きるということの上に、常に迫られている選択肢。

でも、その言葉、消えない傷、過去の記憶を、幸せの「因」にするのか不幸へとつながる見せたくないただの暗い嫌な記憶として心の底に埋めてしまうのかは、チクチクと痛む瞬間のその時に、その意味がある事としてとらえられるかどうかにかかっているのかもしれません。

戻される過去の記憶には、何かしら今に必要なメッセージがあるのかもしれませんね。

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生も死も歓喜:生命の「錬金術」・賢者の石


わたしにとって、今を、そして、未来を生きることは、心と、生命の中の財産、「命の宝」を、産み出すための「触媒」探し。

そして、命の「錬金術」を習得する為の「賢者の石」を見つける作業という道のりなのかもしれません。

そして、己の生きてゆく、その途中、途中の境涯において、拾い集めた最良の「賢者の石」使って、更に優れた「黄金の宝」を命の宮殿に貯めるために、その、不思議な、「錬金術」を高めていくことに大きな意味があるのかもしれません。

生きることの矛盾。

生きることの不思議。

生きることに課された人間の性。

今、現実に有ることも、無いことも、確かなことも、確かでないことも、すべての真実は、「無」

有ることも、無いことも、「無」なのだと感じることがあります。

しかし、この世で、人間としての仮の姿を与えられたものとして、現実と受け止めて生きるのが、人間の定めならば、

人として、幸福に生きるための、心の財産を生み出す為の習得作業は、生きることの確かな作業になるのではないでしょうか?

己が最高とする宝 「賢者の石」を求め、信じる。

無限の可能性を求めて、この世で「生き様」 「足跡」 を最高の宝石によって、生命の中の黄金の財宝を築き上げて行く。

人生の節目、生きていく過程において示される、悩み、課題、宿題を、己の絶対的な「金の財産」へと精錬するために。

しかし、そこで、重要な錬金術の成否の鍵を握る「賢者の石」。

生まれながらに備えて来た人もいるでしょう。

はたまた、それぞれの人生の途中で、見つけていく人もいるでしょう。

多くの場合は、後者にあてはまるのかも知れません。

しかし、「賢者の石」に気付かず、また、見つけようとしない人もいるでしょう。

それは、絶えず、錬金術を高めていく努力を怠らない作業の過程で、「知恵」と「英知」その瞬間の「生命の傾向性」によって得ることの出来るものなのかもしれません。

そして、更により最高の、宝である「賢者の石」を獲得する為に必要なことは、

求め続けていくこと。

知り続けていくこと。

磨き続けていくこと。

人は、死ぬ為に生きる。

この世で果たせた、己に課せた、使命のいくつかを果たすために。

幸福な死の絶頂を迎えるために。

生も、死も、歓喜。

桜梅桃李。

今を生きる。


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