怠け者のサル社会は宇宙人の仕業か


「世の中」の仕組みという「奴」は、いかに「面倒くさいもの」を、合理的に、効率良く、

怠け者のサルのように、ほんのちょっと毛の生えた「人」という姿をした動物(人間)に、

より、都合のいいように、便利な社会を追求し、提供するかということ?

その、便利性を追求するが為の文化であり、進化であるとも言えるでしょう。

それは、人間の怠慢、そして、退化へ突き進む道。

人間性への破壊。

その人間性への破壊へ突き進むもうとさせるものは誰か?

「宇宙人の仕業か?」

その宇宙人の仕業を食い止めるものは何か?

「便利な世界を作り上げる、世の中の仕組み」という「奴」を、

真実の「無償」の「慈悲」を持って、己の心の幸福を、創り出す「生命」の便利さと、合理化と、効率化を追求することを、今すぐ、同時に実行せよ!

その追求した究極的な物を、更に、収束し、形にせよ!

そうすれば、「宇宙人」も、この「種」も、人間として、知恵のある者と、少しは 認めてくれるだろう。

・・・なんて、

そんなわけのわからない馬鹿なことを考え、妄想している己が、

己の中に存在する「宇宙人の仕業」によって、侵されているのに気付いていない・・・。

桜梅桃李。

今を生きる。





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ネガティブな人間はポジティブな人間を否定する


下の「」内の言葉を、吉本のお笑い芸人、「天津(てんしん)木村」氏の、「あるあるエロ詩吟風」に読んでいただければ、重たい中身も、軽くなるかも・・・。

(※知らない方は、下記、天津木村 レッドカーペットでフレーズ♪を参照のこと)

「テレビや、メディアで成功者のポジティブな話を聞いても~~~♪」

「そんな話の全てを心の中では、信じられず、嫌悪感を感じる~~~♪」

「否定的な人間は、前向きに生きている人間まで、否定する~~っ!」

「・・・♪」

「あると思います!」



「いえ、あります。」

それは、私が、そんな人間だから。

何事にも、否定的で、ネガティブな発想の人間。

何事も悲観的に、人生を後ろ向きに考える人間。

今を、生きることから、学ぼうとしない人間。

そんな人間は、ポジティブに明るく生きている人間が、まともに見れないほど、自分が恥ずかしくなるのだ。

そして、その己の弱さと、ネガティブな生き方を悟られないように、そして、己自身を正当化しようとして、無意味に己を、繕うために、
そして、何とか、己の心の平成と安定を保つために、

更に、後ろ向きで、ネガティブな生き方へ、自分で追い込んでいく為の馬鹿な、心の中の言い訳を考える。

なんという、愚かなことだろう。

己の中の「疑心」と、「本当」と「嘘」を見分けることの出来ない己の愚かさを隠す為に、相手の姿を、「嘘」と「偽善」に仕立て上げるのだ。

愚か者は、更に、愚かな生き方を、自らから望んで、その生き方を選択して生きてゆくのだ。

これが、わたし。

でも、こんな人間って、本当にかわいそうな人(私)だなあと、つくづく思います。

「人の不幸は蜜の味」、なんていう言葉に、うなずきたくは無いけれど、実際、本音は、やっぱり、そうなんです。

人の不幸を喜び、人の成功を否定する。

こんな考えの人間が、本当に幸せなら、悲しい事件も起こることもないのかもしれません。

でも、最近、感じることは、ネット上に存在する、無数にあるウェブサイトのなかには、とても人生を生きることに役に立つ、そんな優れた、サイトがあるものです。

インターネットの創設目的の一つには、「善」の発想に基づく、世界の役立つ情報を共有する、相互扶助に目的の一つがあるそうです。

でも、今、「優れた前向きな言葉がちりばめてある価値ある」ものから、「目から鱗」のように心に入ってくる私を感じられて、

学ぼうとする「心」に向かう、私の無意識に働く心の傾向に意識が及んだ瞬間、少し驚きを感じました。

私もちょっとは、「ポジティブ」な生き方の方向にベクトルが無意識に向いていることを微妙に感じ、嬉しくなりました。



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感情から冷静へ、生命哲学の実戦の場所

世界に一冊のメモ帳

己の心が、萎えて、しぼんで行く。

ドロドロとした、重く、よどんだものが、私に巻きつくような感覚。

それらが渦巻く、大きな鍋の中へ、
体を引き込まれ、沈めこまれていくような感覚。

現実に、立ち向かおうと、すればするほど、
跳ね返そうとする、おおきな力。

この力の大きさに、
私の心が、弱く、無力になり、
心の奴隷になって、戦意を失い、どんどん沈んでいく。

しかし、私は今、こうして、
この、私の心が沈んでいく感覚を、この今!
感情から、冷静へと移行して、見つめることが出来る。

苦しんでいる私を、同じ場所から、眺めている「私」がいる。
その「私」が、呼んでいる。
私に話しかけている。

今、この瞬間こそ、その萎えた心を!
感情の泥沼へ、足を取られようとしている、その心を!

お前の中にある、本来の力、あるべき力で、
目覚めさせ、更に高めるべき瞬間。

お前の中にある、お前の生命で、満たしてやることの出来る、
お前が偉そうに語る、「哲学」の登場だ!

必要な時に使えないのなら、お前の語る、「哲学」の中には、
実際には、何一つ詰まっていない!

中身の無い、空っぽの空理、空論を続けるがよい!

お前が語ることなど、無駄の、無意味の、ただの「絵に描いた餅」。

「哲学の正しさを、己自身で、証明出来ないものが、哲学を語るんじゃない!」


「今、この瞬間こそ、
お前が この哲学の正しさを語る資格を得ることの出来る、
お前が語れることの出来る、生命の哲学の実践!、実戦!、その場所だ!」


感情に支配されようとしている私を、
冷静へ導く、知恵を湧き出させ、英知へと、導こうとする声が、
私に、そう語ってくれる。

『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく
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セレンディピティは偶然では無く必然:進化という不可能への挑戦


進化とは、不可能への挑戦である。

更により良い物を造る。

生き物の変化の過程。

生き物が生まれ変わる結果とその形。

人間社会のなかで進化の道を歩む。

大きな文字で、進化と書かれた社のポスターには、【切磋琢磨】とも書かれてある。

生き物の社会は、競争社会であり、弱肉強食の生き残りゲームの世界でもある。

過酷な現実。

それが現実。

人間を磨くのは何のため?

人に勝つため?

人間社会は、己自身を磨くためにある。

自己確立を高めるための毎日は、自己満足の人生。

単なるエゴ。

そのエゴなる生き方の最高の形を目指す哲学。

人の不幸の上に、自身の幸せは無い。


進化の過程で、種が生き残る為に必要なことは、

最も「強い」ものではなく、

最も、「賢い」ものでもなく、

最も「変化」したものである。


イギリスの博物学者:ダーウィンの進化論より。



窮地に追い込まれた、苛酷な環境の中で、

人間の持つ不思議な力が発揮できる。


      ※ダーウィンの進化論は変化を求める

人間の中に秘めれた限りない能力。

生き物が持つ究極の本能。

進化。

人間の進化とは、人間社会の中で、人間同士の切磋琢磨という互いに互いを高めあう競争の中で、人間一人ひとりの変化の過程をたどり生まれる。

互いが互いの存在の認めあう。

理解しあう。

人間のセレンディピティを高める世界。


以前、テレビで放送された失敗から成功が生まれるセレンディピティがもたらした、ノーベル物理学賞!についての番組はとても興味ある内容でした。

「運命と、幸運と、セレンディピティは、決して偶然では訪れない。」

セレンディピティ(英: serendipity)とは、何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指す。(セレンディピティ - Wikipediaより



東京大学、小柴昌俊博士が、ノーベル物理学賞を受賞したのは、「カミオカンデ」の「セレンディピティ」 のおかげによって、「宇宙ニュートリノの検出」という偉業を成し遂げられたことであるという。

本来の目的から、「気付き」によって、更に性能を極限までに高めた「カミオカンデ」が見つけ出した物質の最小単位。

無限の宇宙から降り注ぐ、宇宙ニュートリノを検出したこと。

苦しい時ほど明るくなる。

目指す「ドイツ文学」から、「物理学」への進路の変更は、「あいつはダメだ」、といわれた言葉に対して火がついた、へそ曲がり(?)的な反骨精神精から出たものだそうです。

自身を追い詰めるほど力を発揮する人の典型かもしれませんね。


●小柴博士の言葉

『いくつもの運が、偶然重なった結果だといわれるノーベル賞。
でも、運は、誰にでも平等に与えられている、降り注いでいる。
その、運が、やってきた時に、捕まえられるように準備しているかどうか。』



達観された、とても謙虚で、畏れ多く、有り難い言葉だと感じます。

「セレンディピティ」の獲得とは、常に、努力を怠らない中で、教わるものではなく、己の中からの「気付き」、「気がつくという力」だと説明していました。

そこには、常に「準備」が必要なのだということ。

「準備」の異名が「努力」であり、その具体的な形が、博士の場合は、「カミオカンデ」であったわけです。

「カミオカンデ」の「セレンディピティ」の結果というわけです。

やれば出来る。

失敗を恐れない、失敗から、何かを学ぶ、己の「気付きの力」

「幸運」とは、気がつく為の「準備」をしている者にのみ降り注ぐ。

小柴博士が見つけ出した、ノーベル賞につながる、無限の宇宙から降り注ぐ、ニュートリノの数個を、偶然、検出できたこと。

それは、「偶然」ではなく「必然」の結果だということを博士は、おっしゃっておられるのだと確信します。

そのような意味では、「本当の、真実の幸せは、求める者にのみやってくる。降り注ぐ。」ともいえませんか?

最後に、脳科学者・茂木健一郎氏が、
 
「セレンディピティの基本は、出会い。」

「人と人との出会いが、基本だ。」

ということで結論付けていました。

そうですね。

幸福への準備。

運命を開くことの準備。

己の中の力である「気付き」の準備。

この全ては、「人と人が出会う」ことから始まる。

出合った人から、私の中にある、「何かを気付かせてくれる」、一歩が始まる。

今、私に一番大切なものだと、気付かせてくれました。

やはり、優れた人の言葉には、含蓄のある深い、深い、気付きの言葉が隠されているのだと思います。

そこにも、「セレンディピィティ」が必要なのです。



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己の力で悩みの壁をぶち破る



一人から、連帯の輪へ。

私という一人から、連帯の輪の中へ。

開かない心。

堅く閉ざされた心。

己の力で、ぶち破れ!ぶち破れ!ぶち破れ!

己の生命で!

一体、何を恐れ、何を怖がっている。

何を守ろうとしている。

何を失うものがある。

確かなもの、私の中の確かなもの。

その確かなものが、そこにもある。

あそこにもある。

みな、同じだ。

確かなものへ飛び込むのだ!

確かな連帯の輪の中で、己の生命の花を更に咲かせよ!

躊躇している暇は、もう、無いのだ。

堅く閉ざされた己の「心」を強く意識して、生命の妙なる力で、打ち破る。

打ち破る。



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日本映画の「おくりびと」がアカデミー賞

日本映画「おくりびと」 外国語映画賞受賞

ヒット曲、「スシ食いねェ!」で知られる、
元、シブガキ隊の「モックン」こと本木雅弘さん主演、広末涼子さんが共演の映画。

納棺師の物語。解説、あらすじとキャストの紹介はこちら→http://www.okuribito.jp/

■主演の本木さん「言葉にならない」 アカデミー賞
米アカデミー賞で、外国語映画賞に「おくりびと」(滝田洋二郎監督)、短編アニメ賞に「つみきのいえ」(加藤久仁生監督)と日本映画がダブル受賞の栄誉に輝いた。授賞式で滝田監督が「このオスカー像は全員で取ったもの」と笑顔を浮かべ、加藤監督も「感謝したい」と応えた。「暗い話ばかりの日本に久々の明るいニュース」。映画関係者やファンも朗報に沸いた。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090224AT1G2304823022009.html



同時に、加藤久仁生監督の「つみきのいえ」も短編アニメ賞に輝きました。
日本映画のアニメのアカデミー賞受賞は、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」
以来の2度目の受賞になるということです。


外国語映画賞受賞した「おくりびと」で、
音楽を手がけたのが、名匠、「久石 譲」氏なんです。

久石 譲氏と、「千と千尋の神隠し」でアカデミー賞受賞した、宮崎駿監督とは、
これまでのジブリ作品の音楽において、切っても切れない関係ですね。

その、久石 譲氏が、先日、メディアで宮崎駿氏との関係について、

「仕事の上で、長くお付き合いをしているのに、仕事以外でのお付き合いが、
一度も無く、酒席や、食事で、ご一緒した事が無い。」

「それは、互いをリスペクトしあう関係を長く維持する為には、
必要なことだったのではないか。」

というようなことを、話しておられました。


成るほど・・・。

創造的、芸術的な仕事に携わるものとして、プライベートでは、
互いの世界に踏み込まない、暗黙の了解のようなものがあるのでしょうか。

長年の、仕事上の関係から、
そこには、信頼関係が築かれていることは、当然なわけです。

互いの創造的な世界を尊重しあい、立ち入らない、
互いを、リスペクトしあう関係。

それは、互いを高めう関係でもある。

だからこそ、互いの最高のものと、最高のものが、
一緒になった時に、すばらしい一つの作品になる。

そんな言い方が出来るのかもしれません。

互いの能力を最大限に発揮するということは、
お互いの絶対的な関係を保つということが、必要なのかもしれません。

互いを尊重し、尊敬しあえる関係。
人と人の関係においての底に流れる基本かもしれません。

人と人との信頼関係を保つ為には、
無闇に、人の心の領域に、立ち入らないことも必要なのですね。

おくりびと

出演: 本木雅弘(MOTOKI MASAHIRO)
広末涼子(HIROSUE RYOKO)
監督: 滝田洋二郎(TAKITA YOJIRO)
つみきのいえ

著者: 加藤久仁生 /平田研也


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世界に一冊のメモ帳 -人生の入学と卒業

世界に一冊のメモ帳


卒業できる。

己の中での、けじめ。

一つの区切り。

生命の中での区切り。

人生の、第一目標を達成し、卒業すること。

永遠に続く、次なる目標を、生命で達成する為に。

終わり無き、人生の「入学」と「卒業」を、何度も繰り返すこと。


・ひとしずく幸せみつけた




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全ては己が何者かを知る為にある:自分とは?


人からどのように思われようと、

人からどのような仕打ちを受けようと、

人からどんなに嫌われようと、

私は、結局、その相手から、私の存在を気付かせてもらっている。

私の中の大切なものにたどり着く為の宿題を与えられている。

私は、学ばせてもらっている。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。



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【ダーウィンの進化論】:人間の不可能を可能する哲学


ダーウィンの進化論

進化の過程で、種が生き残る為に必要なことは、

最も「強い」ものではなく、

最も、「賢い」ものでもなく、

最も「変化」したものである。

イギリスの博物学者ダーウィンの進化論より。



先日放送された、日本テレビ系の謎とき冒険バラエティーテレビ番組「世界の果てまでイッテQ!」の中で、自称「魅惑の女子高生」?の、あの不自然な太い眉毛が印象的な女の子、イモトさんのコーナー。

珍獣ハンターは、ガラパゴス諸島「変」でした。 (・・・ではなく「編」)。

なかなか、興味のある内容でした。

(固有)種が生き残るための命を繋ぐ子孫を残す為の過程には、すさまじいほどの生き残りゲームがくりひりげられているのです。


まさに、動物や生き物が持つ、生きようとする、生きた証を残そうとする子孫を残すための本能が、その生命力を、極限まで高めるのでしょうか?

進化の過程で、最終的に生きの残れるのは「最も変化したもの」しか生き残れない。

過酷な環境に追い込まれることによって、己の中のDNAさえ書き換えることの出来る「変化」。

生き物の進化とは、生命の無限の可能性と不思議を物語っているように感じました。

現在の日本、いえ、世界的なこの経済不況もダーウィンの進化論になぞれば、強くても、賢くてもだめなのでしょうか?

やはり、この状況を打開する為には、今、最も「変化」が、求められているのかもしれません。

去年から今年にかけて、「なんか変?」

なんていってる場合じゃなくて・・・。

アメリカのオバマさんの掲げた「チェンジ・変化」のスローガン。

こんな時だからこそ、人間も「進化」の最高の過程を、今、辿れる時なのかもしれません。

「変化」とは、「変革」、そして、「革命」を意味するのでしょう。

窮地に追い込まれた、苛酷な環境の中でこそ、

人間、一人ひとりの究極の進化の必要な時。

人間の持つ、不思議な力の発揮できる時。

それは、人間の不可能を可能変えることが出来る火事場の馬鹿力でしょうか?



珍獣ハンターイモトの動物図鑑



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母へ:近くて遠い人に誓う「報恩感謝の人生」


母という親へ子として「さじを投げた」瞬間

無意識に蓋をしてしまった過去・・・。

「何を言っているの?」 そんな目で見られたあの時に、

「もう、母に何を言っても無駄だ。」と諦めてしまった。

あの時に私は、私にも諦めてしまったのかも。

親からさじを投げられて、そして子が、親にさじを投げた瞬間だった。

私は、あれ以来、母に対して何も求めなくなった。

それまで、どうしてあんなに母に対して、ぶつかってきたのだろう?

母に対して、信仰や学会活動に対して口出しばかりしていた。

母は、私の言うことなど、一つも真剣に取り合ってくれなかったように思うし、私の苦しみや悩みなど考えてもいなかったのかもしれない。

ただ、姉と妹に対してのみ、自身の信仰と学会活動の結果の全てを求めていたような気がする。

淋しかった。甘えたかった。

結局、構って欲しかった。

どうにかして、私の気持ちに気付いて欲しかったのかもしれない。

私のお願いを聞いてくれるのは、私のことを、心から心配してくれるのは、そこに確か目に見えない慈悲と信頼があるから。

心の無い利害関係なんかじゃない。

これまでの私の人生、常に人の好意を当たり前のごとく、無にして踏みにじり、受けた「恩」に対する「感謝」を置き忘れてきた人生。

己の人生、己の力のみで生きて来たかのようにお金と物だけで人生を築きあげようとしてきた傲慢な人生。

そして、地に落ちた傲慢な人間が困った時に、「助けてくれ!」と泣き叫んでみても、誰が私のことなど助けてくれようか。

そして、それを逆恨みして助けてくれない相手を血も涙も無い心の無い人間のように、鬼と呼び、人を社会を非難し恨んできた。

愚か者。

愚か者の行き着く先は、地獄。

その地獄は、世の中の現実の「生き地獄」と己の中の生命の「生き地獄」だ。

この両方の地獄を味わうことになるのだ。

己の中の、地獄を見なければならない、いや、見せられる必然性。

宿業。

その地獄の決定的なのものは、何か?!

「死」

この世での「死」である。

生きながらの「死」である。

「死ぬも地獄、生きるもの地獄」というけれど、私には、「死ぬ地獄」の方が、まだ、天国に近いような気がする。

「生きながら地獄」を味わうこと程、地獄の最上級は、無い。

己を助けてくれない人を、社会を、非難し、恨んできた人生。

あなたに罪はないの?

全部、親のせいだ!世の中のせいだ!

あなたに罪はないの?

一生懸命に、私だって生きてきた。

あなたに罪はないの?

私の罪なのか?

そうだ、私の罪なのだ。

大切なのものを『気がつくことの出来なかった私の愚か者の生き方の結果なのだ。

全部、身から出た錆なのだ。

原因と結果。

確かな方程式なる哲学の基に、かすかな「光」が命に射しだすことによって、少しずつ目覚めさせられた答えと確信。

その「光」を私に向けてくれたのは、

その「光」を与えてくれたのは、

手を差し伸べてくれたのは、

私がこの哲学から、己が逃げる原因になった最も近くいる人であった。

なんという因果であろう。

結局は、回りまわって、同じところに戻ってきたのだ。

結局は地獄を見て、尚も地獄にいる私にとって、また再び、最初の場所に戻ってきたことの意味。

生きてこの哲学を、再び、今度は命に刻めることの意味。

己の「宿命」「宿業」の深さをまざまざと沁みこませて。

どん底の人生を歩んだものの人生の行き着く先は、「死」か「生」の極限のどちらかの選択。

「天国」と「地獄」のどちらかに突き進む最後の選択。

選択の瞬間、己の地獄で出会った、命の明かりが灯された瞬間。

見えるものを見えるものとして、当たり前にしか生きてこなかった人生。

見えないものの中にこそ、本当の確かさ、温かさと価値と真実がある。

そのことを、ほんの少しの開かれた命で感じ取れたわたしにとって、「生きながらの地獄」の己を、己の生命の力で、この世に明かりを灯し、今を生きる力になっているわけです。

生まれながらに、目に見えないものを、感じ取れ、学べて、確かな人生を生きる知恵に、変えることが出来る人は、幸福かも知れません。

私には、そんな大切な宝を私の中に見つけることが出来なかった。

でも、こうして、私の中にも大切な「宝の原石」が、こんな私にもあるのだということを確信できる力を与えてくれたのは、この哲学のお陰であり、この哲学を与え、そして、貫いてきた最も信仰者として尊い姿として私に映る、私を守り続けてくれた人。

一番近くにいながら、一番遠かった、その人なのです。

灯台下暗し。

目の前に転がっている、「宝石の原石」に気がつけぬ己のなんと間抜けなこと。

愚か者の人生。

しかし、「最も意味のある人生の一部」であったと、

この世に、2度目のチャンスを与えられたことの感謝と共に、そういえる人生でありたい。

今の私には、、確かな方向を指す灯りがある。

私にとって、全てに報いてゆく「報恩感謝」の人生の為に。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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