【十中八九】 で【九死に一生】>溺れる者は藁をもつかむ

今年も、残すところ、あと二日。

2009年、という10年、区切りの年。

2010年。

ゼロからのスタート。

新しい、区切りのスタートラインとも感じます。

2000年から、もう、10年が過ぎるわけです。

今年の漢字は、「新」でした。

本当の意味では、間もなくやってくる来年こそが、

「新」しいスタートにふさわしいのかもしれません。

縁起を担ぐわけではないですが、9という数字は、
やはり、苦しい、辛いを意味するのかもしれません。

その区切りのスターの節目の年、2010年には、
いろんな重要なことが重なる、不思議さを感じるとしでもあります。

どん底を蹴って這い上がる。

今年はそんな力をぐっと、
握りこぶしにエネルギーを溜め込むことの出来る年だったかも知れません。

雪辱を果たすための年。

お前にとって、今年が、苦しい年であったならば、

来年という年が、どれほど、意味のある年であるのかということをお前に誓え!

勝つこと!

勝つことを誓う!

負け犬は去れ!

結果を出せ!



『溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ』という言葉。

人間というものの愚かさを解いているのだろうか?

藁をも掴むと言う人間の生きようとする本能の前向きなエネルギーを説いているのだろうか?

しかし、溺れていても、藁を掴まない人間もいるのではないだろうか?

その藁に、最後の命の一縷の望みを託す。

「助からな」いと知っていて、藁を掴むのと、
必ず、「助かる」と信じてつかまるのと。


見た目では、どちらも、「おぼれて藁(わら)をつかんでいる」ように見える。

助からないものにまですがるという人間の愚かさを説いているというのが、
一般的であるよう。

しかし、人間の本能というのは、
どんな状況でも生きようという前向きなエネルギーを
本質的に備えているということの証明であるとするならば、

火事場の馬鹿力の如くに、藁のような頼りない役に立たないものが、
その瞬間に役に、ぶっといワイヤーに変わるようなこともあるのではないだろうか?

そんな手品みたいなことが起こるはずが無い?

でも「九死に一生 」とは、まさにそのようなこともあるのではないだろうか?

「十中八九 」 助かるはずの無い、藁(わら)で助かる人間がいる。


『溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ』

「九死に一生 」で、掴んだ藁(わら)が、ワイヤーだった。

そんな人生をひとつに、「波乱万丈」ともいうのかも知れない。


人生の失意のどん底にあっても、そのどん底を蹴って這い上がる力が要る。

失意のどん底で、その生きようとする力を出すことの意味。

お前に、出せるか?

お前に、出せるわけが無い。


都合よく、「どん底に落ちれば、後は這い上がるだけ」、
なんて事をつぶやく人間は、きっと、いつまで経っても這い上がることは出来ない。

どん底を這う人生もある。

それとも、さらに、6 378.1 キロメートルの「奈落の底」まで落ちることも出来る。

おまえ自身を知らずに、そのどん底を蹴る力を出すことは出来ない。

おまえの底を知って、始めて生きる人生のどん底を知ることが出来る。

その、おまえを知ることの意味。

どん底を蹴るための準備。

そんな意味で今年は、どん底を蹴る準備が出来る年だったのでしょうか?



今年のブログの更新はこれが最後になります。

当サイトをご訪問していただいたかには、

お世話になり、ありがとうございました。


それぞれの方に、
来年が、本年以上に、良い年であるといいですね。

良いお年をお迎えくださいませ♪

来年も、また、よろしくお願いいたします。(^_^)



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【肉食ダイエット】教>信仰が芽生える運命的な瞬間

世界に一冊のメモ帳

「肉食ダイエット」をご存知でしょうか?

20日で「-6,4キロ」!

と、まあ、それなりの効果があるようなのですが・・・。


「肉を食べて痩せる」?なんて、

「肉(にく)を切らせて骨を切る(=断つ)」?、みたいな~、


「えっ!何?」「何で?」「何のこと?」と、


人間の知識に基づいて蓄積された人間の常識という回路が、くすぐられる。

それじゃあ、まるで『欧米か!』ということになるのですが、

その肉を食べて痩せるとうのは、ちゃんとした偉い先生の根拠と理論があるわけです。

食事から摂取される糖分を制限する。要するに肉はそのままで、米と野菜を減らす。特に注目すべきは野菜は添え物程度でよいということ。炭水化物を中心に糖分を適量に減らすことで、体に余計な脂肪を溜め込まないようにする。大まかに言うと、こんなことらしいです。

まあ、そのお言葉を信じて、
何かしら心の中の常識のギャップと戦いながら、ダイエットを続けると・・・

「あ~ら!びっくり!痩せてる!」

20日で「-6,4キロ」!

「あんた肉ばっかり食うから、そんなに太るんだよー」といわれ続けたのに、
肉を食べて痩せるなんて!

ココから、人間の1つの信仰が生まれる。

「信仰心」というもの。

心が信仰に向う瞬間というものの原理というのは、こんなもの。

その「きっかけ」というものは、何かの拍子。

偶然。

「偶然」は、気が付くということの、火花の散る瞬間。


人間と人間がが出会う瞬間を、運命的な出会いなどとも言います。

偶然は、運命であり、
お前の中の何かを刺激する回路から発生する「気づき」ということになります。

まあ、言ってみれば、一期一会ということでしょうか。


「・・・なんのこっちゃ?」

そう、

「宗教」とは、そんな感じのものです。

要するに「なんのこっちゃ?」に、信仰心の毛が生えるんですね。


また、

「なんのこっちゃ?」ですか?


「だからあ~、要するにそんなもんなです。」


己の中の信仰と宗教を、
己の中で合致させるさせることの難しさを「難信難解(※2)」ともいいますね。

頭で理解するものではないということです。

「なんのこっちゃ?」

「あたま、ついてるでえ~。」

「もう、えぇ、ちゅうねんっ!」

※記事文中の「お前」「おまえ」の二人称は、
             全て「私」「己」の一人称のことであります。

注記)※2「法」については、独自の解釈をしている場合があり、誤解を招くことを期待している場合もあります。正しいとか間違っているなどの判断は読者に勝手にお任せします。記事については、否定的な内容に受け取る方もいらっしゃいますが、コメントに関しては否定的ものはお断りいたします。ただ、前向きな選択肢になる何かを感じていただければ幸いです。生きる知恵は誰が与えるものではなく自らの運命と同様に自らの手によって開くものですからね♪(否定的な記事を前提にはしていないのが、現在の当サイトのポリシーでもあります。)
   
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他人の不幸の上に自らの幸福を築いてはならない【名字の言】

涅槃経の成立は釈尊滅後700年ころといわれる。そこには「一闡提」と呼ばれる人々が登場する。皆が成仏しても、最後まで成仏は不可能であるとされた

一闡提とは梵語「イッチャンティカ」の音写である。名聞・利養を貪る者との意。名声におぼれ、私腹を肥やす。まさに「師子身中の虫」である。涅槃経は当時の教団が直面していた危機を物語っている、との見方もある

エゴイズムは誰にもある。しかも、才能があればあるほど、その手口は巧妙となり、我欲が及ぼす被害も大きくなる。極悪人が怖い顔をしているとは限らない。だから見分けがたく、だまされやすい。一闡提の悪とは、カントが指摘した人間存在の基底に巣くう「根源悪」にも通じよう

「100年に1度」といわれる世界不況。これも、自分さえ儲かればいいとの“強欲資本主義”の暴走が大きな原因だ。今や時代そのものが、一闡提と化していないか

「他人の不幸の上に、自らの幸福を築いてはならない」――池田名誉会長が常々、青年に語ってやまない指針である。生きている以上、エゴイズムの“根絶”は不可能だろう。しかし“克服”は可能である。それには、日々の自己鍛錬が欠かせない。人間革命は、永久革命である。(裕)【聖教新聞】 「名字の言」より

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【毒を持って毒を制す】>現実を生きる【ワクチン】と【抗体】

世界に一冊のメモ帳

人間が人間としていきる。

そして、人として生きるという道を求めるその過程。

おまえ自身に何かを課し、人間の価値を高めようとすることの意味。

それは、「自分的型な人生」を求めているとうことなのか。

それとも、現実というものから乖離していく生き方につながらないのだろうか?


人間のあるがままで、人間で、生きるということを何一つ疑わず、現実を生きてきた事によって、お前自身に溜めこんだその「垢」こそが、現実を生きるためのワクチンになる。

「抗体」になる。


「毒を持って毒を制す」


他力信仰、他力宗教のように、

人間は、仏として生きることは出来ない。

人間は、神として生きることは出来ない。


現実を生きるには、

人間として、毒を飲まねばならない。

毒の味を確かめねばならない。

ワクチンを探さねばならない。

抗体を作らねばならない。

人間。

垢を垢のまま生きるのか。

毒を毒として、毒のままの飲み続けるのか。


人間のまま生きる苦痛。

人間がさらに人間を高め、人として生きようとするための苦痛。

どちらの苦痛が、お望み?


所詮、人間は、なるようにしかならない。

人間はやっぱり、人間。

「だって、人間だもの」。

どんなに、お前が偉そうなことを言っても、人間。

どっかで、おまえ自身が「鼻で、笑ってらあー。」

お前が、高い価値を求めたとしても、

結局、人間の中にある、心の中の思い。
現実という己に関わる人間関係の中に、その求めた価値は埋没してしまう。


人間の無駄と無力。


だから、所詮、人間は人間。 
      人にはなれない?

所詮、人間は人間。     
    だけど、だから、人になれる?


    ※お詫び:記事文中に使用してはいけない言葉を使用しております。
         訂正いたしませんが、この場を借りてお詫び申し上げます。m(__)m(笑)


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注記)「法」については、独自の解釈をしている場合があり、誤解を招くことを期待している場合もあります。正しいとか間違っているなどの判断は読者に勝手にお任せします。記事については、否定的な内容に受け取る方もいらっしゃいますが、コメントに関しては否定的ものはお断りいたします。ただ、前向きな選択肢になる何かを感じていただければ幸いです。生きる知恵は誰が与えるものではなく自らの運命と同様に自らの手によって開くものですからね♪(否定的な記事を前提にはしていないのが、現在の当サイトのポリシーでもあります。)

関連ページ:■「潔癖」から「潔癖症」>かべ「壁」がやまい「症」に
関連ページ:■相田 みつをさんの「だって人間だもの」

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「潔癖」から「潔癖症」>かべ「壁」がやまい「症」に

世界に一冊のメモ帳

明石家さんまさんが、番組に加わるとその番組の格が上がる。

「コーン!」と。

明石家さんまの「さんま」にかけて、「明石家サンタ」。

   【明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー2009 】

       2009年、12月25日 0:35~2:35分


さすが、アインシュタイン並のIQを持つ(?)明石家さんまさん。

現実の一歩、未来を生きている?
完成されている世界を再現するだけのその装置はどこから来ているのだろう?

明石家さんまさん=笑い。

お笑いの神様、モンスター。

その明石家さんまさんの「踊る!さんま御殿!」で、
俳優 坂上忍さんの潔癖症について放送されていました。

この方の潔癖症については、とても有名。

その中の1つの彼の過去のエピソードとして、

母親が炊いたご飯。
そのご飯が、三日も過ぎて、黄色くなるまで温めて続けてあるのに、
そのご飯を母と兄弟は、何も気にせず食べている。

その時に、こんな母親と兄弟を理解できない自分がいる。
当時から、そんな潔癖の片鱗(?)とでも言うべき、そんな心の中で馴染めないようなことを言っておられました。

潔癖。

その潔癖と言うものが、どこから来るのか?

心と精神?

「潔癖」から「潔癖症」。

それは病。

「癖」が「病」に変わる。

病気。

「病は、気から」なんて言います。

「気は心」ともいいますから。


やっぱり、心と精神から来る?

「癖」は、病気の前兆、種とも言える。


癖のある人は、既に「病」の「気」を持っている?

「癖(へき)」は、「壁(へき)」に通じる。

越えられない「壁」を越えれなかった【もの】の病の「垢」=「菌」?


まあ、精神科医にでも尋ねてみれば、正常な人間として常識的で、
納得せざるお得ないお答えがきちんと返ってくるのでしょうけどね。


しかし、本質的に「癖」と言うものは、もっと別なところからやって来ているものでは?

どっか、遠いところから。
どっか、近いところから。


でも、あそこまで、個性がきついと、もう、1つの「宗教」。

「マイ宗教」に対して、「ユア宗教」?。

でも、幸せならそれでいいじゃあないですか?

「だって、自分の宗教だもの。」
「だって、教祖様だもの。」

     「※警告:あまり、相田 みつおさんの言葉を
              パロディー化して多用しては、いけません!
                      使えるのは、3回まで!」>すいません(^^ゞ

関連ページ:■相田 みつをさんの「だって人間だもの」
関連ページ:■幸せって何だっけ?>生きてるだけで丸儲け
関連ページ:■人間生きているだけで丸儲け~言葉
関連ページ:■己の性癖について心を開いて知ること


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【心根】の根っ子のつながる先にあるものは?

「心根」。

「心」と「生命」。

「心根」という使い古された言葉。

心の根っこというものは何か?

どこに、生えているものなのか?

その根っこというものは、どこにつながっているのか?

根。

生まれた後に、根っこが生えたものなのか?

生まれる前から、生えていたものなのか?

生まれる前からだとすれば、その根っこは、「両親」につながってるのか?

でも、どう見ても、その両親とはつながっていないと感じる。

しかし、つながっていると、感じる人間もいる。

「現実に、己自身、同じ姉弟で、これほどにも違うものであろうか?」とつくづく感じる。

(心)根っこのある人。

(心)根っこの無い人。

心根というものの存在があるとするならば、無い人と、有る人があるのだろうか?

心根というものは、そんな場所では、つながってなどいない。

宇宙という生命でつながっている。

それは、己自身の生命の宇宙。

輪廻。

心根は、生命。

「心」に、映し出される風景と傾向性は、現実(仮?)の世の中に己の「心根」を通した姿で投影される。

人間の「心」にある、全ての感情というものは、人間だから必要。

それは、お前の生命の心の根っこを映しだす鏡とつながっているから。


「心」が、その鏡を映しだすために必要。

人間だから。

機能しない心、映らない心。

ゆがんで見える心。

欠けて見える心。

機能しない鏡、映らない鏡。

ゆがんだ鏡。欠けた鏡。

心は、人間だから必要。

しかし、

心は、「人」には、必要のないもの。

有っても無くてもどうでもいいもの。

いえ、もはや透明になって消えてなくなる?


必要なものと、必要でないもの。

必要であるけれど、本来は必要でない。

しかし、人間界を生きるためには、投影機が無ければならない。


だから必要。

「相田みつを」氏に言わせれば、

     『だって人間だもの。』 

「仏」や「神」に、人間にある「心」が、あるのならば、もはや、それは、神や仏とは言わない。

そりゃあ、人間の心は理解してくれるでしょう。

「だって、神様だもの。」

「だって、仏さまだもの。」
     
   (※相田みつを氏の言葉ではありません。筆者の言葉です)


生命に「心」が、絶対的に必要とするならば、この世に神や仏は存在しない。

神は心を備えているだろうか?

仏は心備えているだろうか?

備えているなら、人間と同じゃあないか?


だから、人間には必要。

でも、人間には必要。

必要な【もの】の領域をつなぐ。

行ったり来たり。

「心根」

心根というその心の根っこの先に突き刺さる生命に、重要に関わるのが、その生命を持つ人間に与えられた宿業。

「宿業」

・・・「なに、アホなことを言うてんねん! 」
         ※己の、あの辺り(?)からこんな声が・・・。

・・・・気を取り直して。
           

一人ひとりの心根は、人間という姿を与えられたことによって、そこには、「宿業」という、生命を通して心に反映される専用の投影機を強制的に備え付けられる。


その「根」っこの先につながっているものは?

「仏」の領域? 「神」の領域? 「光」の領域?

己自身の「生命」。

「宇宙」の領域。


「法」。

「幸せ」。

「夢」。

「夢」は「希望」の延長線上?


「法」。

「幸せ」。

「理想」。

「理想」は、空想で妄想?


人間の限界。

人への無限の可能性。

生命の領域。

人間は「仏」や「神」「光」にはなれない?

その領域に入ることは不可能?


信仰心と「私の」宗教。

そこに必要なものは、「哲学」と「妙」。

「法」と「信仰」。

桜梅桃李。

今を生きる。



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【感情と理性】 不安と希望/生命は宇宙 希望を求める

世界に一冊のメモ帳

携帯電話が、決定的なアクションへの引き金になった。

かといって、当然、携帯電話会社の責任ではない。


質問


最近、(離婚後)落ち込んでいるんですが、
      気分を変えるには、どうしたらいいか?

  また、一人になって、部屋にいるときの寂しさを癒すにはどうすればいいのでしょう?


            相談者:磯野 貴理(いそのきり)


お答え

これからは、年末の忙しい時、そんなときこそ、心の余裕を持つことが大切。

相手への思い(恨みやつらみ)を断ち切ることが大切。

そのような感情は、無駄。

プライベートでエンジョイすること。

これから光ることが出来る。

私もあなたも一緒よ。

そのくらいの気持ちを強くして生きる。


袈裟を着たお坊さんのお言葉でした。


 最近、離婚された芸人、磯野貴理子さんの
    お昼の笑っていいとものオープニングでの人生相談/身の上話の内容でした。


そうですかあ・・・。



不安と希望


この表裏一体の言葉。

その裏を、表に変えるもの。

その表を、裏に変えるもの。

その境目は、どこにあるのか?

その境目は、何で決まるのか?


不安と希望。


「言葉」を「生命」の如くに操る人がいる。

不安という文字を、希望というお前の生命に輝く「光」に変えることの出来る人。


感じ取る心。


受け流す生命。


人間。


不安から、奈落の底。

不安から、蘇生への道。


感じ取る心。


心から生命にに映し出される鏡。


受け取ることの出来る生命。


受け取ることの出来る生命は、希望の世界が無限に広がる。


もはや「人間に必要な心」の存在を感じない人がいる。


生命に映しだされる鏡の精度は、カミオカンデ並。


人間という「カミオカンデ」。


人間で無い?

「心」が無い?

心というものは、人間に必要なもの?

生命のみで生きられる「人」。


人間は生命で生きられるのか?

心のある人間が生命だけで生きられるのか?


その回路とは?


もはや、現実の全てが消え去る瞬間。


一念三千。

十界互具、十如是、三世間。


宇宙の空間を自由に旅することの出来る生命。


その生命を映しだす心が消える。


行きたいところへ何処へでも。


生命は、希望(無限の宇宙)を求める。

心は、不安を映しだす。

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祈りと誓い>変化と哲学

世界に一冊のメモ帳


今があるから、求められる。

今があるから、人間として成長できる。

今があるから、お前を知ることが出来る。

今があるから、お前という人間の汚さを知ることが出来る。

今があるから、その汚さと引き換えに、
       生きる強さを受け取る権利がある。

人間が人間として、お前のゴールに向かい、
          更に生ききることの選択肢。

その選択肢の1つの答えの種を生命に植え付ける。

お前の生命に、その答えの種を導くために必要なもの。


変えようとした努力が、現実を変えるのか?

変わろうとした努力が、現時を変えるのか?


  あの人が幸せになりますように。
  
  あの人を幸せにするために、私自身が幸せになりますように。


祈りなのか?

誓いなのか?

祈りでいいのか?


現実を映し出す鏡とは何だ?

祈りと誓い。

信念から、一念と執念へ!

祈りが強いのか?

誓いが強いのか?


  あの人が幸せになりますように。

とは、何に対する祈りなのだ?

祈りと哲学。

誓いと哲学。

変化と哲学。

答えのあるものから、答えを導くことの無意味よりも、
答えのないところから、答えを導くことの意味。

あるのか、無いのか。


あるものでは、意味が無い。

無いものこそ、意味がある。


その妙。

1つの中の信仰心の光の輝きを増す瞬間!

己の生命。


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映画・博士の愛した数式 「Eπi+1=0」(オイラーの公式):【心に響く言葉】



『Eπi+1=0』(オイラーの公式)

映画:「博士の愛した数式」(原作、小川洋子)より


                        
「Eπi+1=0」⇒読み方、「いーの ぱい あい じょう(乗) ぷらす いち いこーる ぜろ」
  
一杯の愛情に、1を足すとゼロになる。

わたしは、心の中で、そんな風に読むことが出来ました。

交通事故の後遺症で80分しか記憶がもたない数学博士。

数学を愛し、数学を哲学としている博士。

この映画の中の終盤のシーンに出てくる公式。

かたぐるしい映画ではなく、とても心が癒される映画でした。

(映画「博士の愛した数式」公式サイトはこちら http://www.hakase-movie.com/)


「0」、ゼロと言う数字は、「無」ではなく全ての始まり。

無限の響きを感じる。そう、0、無限に広がる宇宙、0、無限に広がる 人間の想像力、命の、生命の果てしない奥深さ。

すべての始まりは0、ゼロには、想像力と好奇心そして夢と希望がある。

だから私は0、ゼロと言う響きが大好き。

無から、有を産み出す不思議さ、そして前向きさ。

数学は大の苦手、でもこのゼロと言う数字は大好き。

だから、実際には、この公式の意味と言うものは、数学として理解は出来ないけれど、哲学もどきとして、Eπi+1=0 「いーの ぱい あい じょう ぷらす いち いこーる ぜろ」、

ひらがなの文字を漢字に勝手に置き換えれば、「いっぱいのあいじょう、 たす、 いち、=、0(ゼロ)」

「一杯の愛情に1を足すとゼロになるのですよ!」と説いているようにしか私には、見えませんでした。

本当の愛情を知らない人間が、愛情というものの形を知る。

映画のタイトル「博士の愛した数式」
    
この数式を愛した理由とは?

数字は生き物なのだ。

博士の命が宿っている。

博士の中の生命に直結している。

博士の信仰と宗教。

その信仰心の証。

一人の愛(心)と一人の愛(心)の足し算が、この世の人間社会の基本。

幸せに生きるための「0」は、無から有を創りだす、 全ての始まりではないのかなと思います。

一つの愛、一人の愛にもう一つの愛が加われば、ゼロ、・・無限の始まりが生まれると言う証明なのだと。

原作者の小川洋子氏がそんなことを言いたかったかどうか聞いてみたい気がするけれど、まあ勝手に想像しているほうがいいのかもしれません。

でも、私は数学とは、人生を深く知るための哲学なのだと確信出来ました。

かなり、私なりの、いい加減、良い加減、さじ加減で。

当時、「博士の愛した数式」と同じく記憶に関する映画で「私の頭の中の消しゴム」も別の意味で良い映画であったと「記憶」しています。

無関係と矛盾が統一され、


    無限の始まりが生まれるゼロ『無』  
               

              暗闇に光る一筋の流星


                  『Eπi+1=0』 (オイラーの公式)





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人生の病根は「傲」の一字


人に法を説くな。

おまえ自身に法を説け!

法を説いて墓穴を掘るよりも。

歌を歌う。
絵を描く。
自身を表現する。

お笑い(芸)を磨く。

音楽に国境は無い。

芸術に国境は無い。

哲学に国境は無い。

宗教にも国境は無い。 

宗教が求める本来の姿に壁はない。

生命の壁。

無いはず。

ないのに見える壁。

人間の強さに潜む、己の弱さを隠す業病。


間違っているもの?

猫より、犬が偉い?

真理?

馬鹿な事を言っちゃあいけません。

お前に何が判る!

判らない事を判ったように言っちゃあいけません。

この人間の「傲慢」さ。

おまえ自身。

全ては自由な世界。

絶対的な世界。

それぞれの宇宙。

無いはずの世界に、有るものを作り出すのが業。

その存在を作り出すものは、人間。

人間の業。


宗教。

一人に1つづ存在する世界。

おまえ自身に1つ。

己の信仰心の集大成。

限りなく完成に近い作品。


宗教が、1つに辿りつく。

原理。

本来、人という一人に1つ。

真理。


絶対的なものには、存在するものは無い。

無の世界なのだ。

有っても無。

ニュートラルな世界。


法は、おまえ自身に説け。

釈迦に説法。

どんぐりの背比(競)べ。

馬鹿につける薬は無い。

馬鹿につける薬が必要なのは、おまえ自身。

馬鹿につける薬があるのなら、この世の破綻。

薬は無くても、魔法ならある。

良く効く魔法。

魔法という【もの】を知っているもの。

知らぬもの。


「大は小を兼ねる」

いや、小が、大を兼ねる世界。


変わるものしか変わらない。

有るのか、無いのか。

~のような世界。

人生の病根は、「傲」の一字。


お前の傲(業)が、お前の人生を狂わす。

お前の傲(業)が、お前に関わる人間を暗闇に導く。


釈迦に説法。

この世で誰が偉い?

釈迦に説法。愚かな人間のたと(喩)え。

人生の病根は、「傲」の一字。
    己の人生の最後を破壊させる業病・人間に気がつかないうちに忍び寄る魔。(自己解釈)

賢者は語らず(荘子)
知る者は言わず、言う者は知らず。
知って知らずとするは上なり。
知らずして知るとするは病なり。 





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