人間社会で互いの理解を必要としない絶対的な関係


過去も未来も「今」を生きるためにある。

過去も、未来も、「今」という瞬間を生きるためにある。

「今」という現実。

未来から一瞬にして過ぎ去り、過去へとつながるその点。

現在。

今、見える人間と言う姿で生きているこの現実を生きるためにある。

人間が、生きることにとって大切なのは、現実を生きる「今」。

今を語る、未来を語る、そして過去を語る。

そんなことに、何の意味も無い。

語った言葉は、己の現在を生きる今と言う瞬間に過去になる。

何の価値も無い。

価値があるのは、今この瞬間を生きている人間の姿で生きる己自身。

肉体と精神を持つ人間という私。

生きるこの世の全ての価値は、今この瞬間を生きる己の自身のありのままの、見えるものと見えないものが、映し出されたすべて。

そこに相対的に映し出されるものは何も無い。

唯一、己自身。

絶対的な価値。

今。

今を生きるこの現実の一瞬をどこまで完全燃焼できるか。

己の価値。

人間の価値は、今を、今ある人間の姿かたちで生きてなんぼ。

「何ぼ?」

絶対的な価値感。

互いに理解など必要としない、互いの絶対的な世界。

ひとりひとり。

人間社会の中においてニュートラルな関係は、互いの理解を必要としない絶対的な関係から生まれる。

誤解もなにもない世界。



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馬鹿が生きる人間達の全ての社会


自分が馬鹿だからと言って、馬鹿を自覚しながら、馬鹿の中でお山の大将であってはダメ。

何一つ成長出来ない、ぬるま湯に浸かっている自己満足な怠惰と惰性に満ちた傲慢。

自分の中の上昇志向を諦めない。

それは、己の中の自己改革。

己の中の変化。

それは、自身の生命の境涯を高めるための人間革命への道。

それは、妄想でもあり、空想でもある、己の中の理想郷である。

しかし、現実を生きるためには、空想も、妄想も必要である。

妄想は夢であり、空想は希望である。

それが人間が人間であるために無いものを心の中であるものとして、実現させる事が出来る。

その無いものとして心に存在する有る形のものを、この世という舞台で、現実に生きる生身の見える姿として生きる人間の形によって実現させていくこと。

生きる。

人間が人間であることの証明。

未来を生きるために、現実という今を生きる。

より、人間らしく。

己に与えられた課題を生きる使命に変えて。



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ノロカメ語録よ、いづこへ?


わたしが、毎日訪問していたブログ。

大好きなブログ。

ノロカメ語録。

そのブログが、突然、閉鎖された。

いつものように、ノロカメ語録で検索、サイトを開くためにクリックをすると、指定されたブログは見つかりません。

ブログが削除された可能性が高い。

それが、ノロカメ語録のサイト運営者であるノロカメさんの意志なのか、それとも、サーバーによる削除なのか。

でも、どちらにしても、毎日わたしが、いつものように訪問しているブログは、そこには存在しない。

どうしたんだろう?

ほぼ毎日のように、ノロカメ氏によって記事が更新されており、昨日までいつものように記事を読むことが出来たのに。

なんども、なんども、いつものブログへ訪問するために、そのさいとのURLを開いても、いつもはあるはずのノロカメさんのブログであるノロカメブログは無い。

時として、この人を嫌いになったけれど、人間としての奥深さをノロカメ語録へのコメントを書き込み続ける事によって、そのコメントに非難めいた事を書いたこともあったにも関わらず、ノロカメ氏は、いつも素直に冷静に対応してくださることで、確かに感じる事の出来る人であった。

わたしが、ネットのブログと称するものの中で、最も尊敬してやまないノロカメ語録のサイト運営者であるノロカメさん。

どうなさったのですか?

わたしのブログの記事を通して、ノロカメさんの様子を知ることが出来るならと思って今、記事を書いています。

また、ノロカメさんのブログが復活される事を願って止みません。

一人ひとりの信仰心を訴える自己確立論である妄想劇場の空想哲学。

わたしは、このノロカメ劇場から学べる事がたくさんありました。

これからも末永くノロカメ語録の中のノロカメ劇場は、永遠に開演し続けるものであるものだと思っていたのに。

何かの間違いであって欲しいです。

また、ノロカメさんの記事を読むことことが出来る日を楽しみしています。

早く、戻って記事を書いてください。



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傲慢な人間社会に求められる謙虚な生き方


人間が無知である事を気がつかない傲慢。

己と言う人間を人間社会の中で謙虚に学べない人間。

その謙虚さの必要性を気がつけない精神。

その精神を鍛えるための習慣を養おうとしない心の傾向性。

惰性と怠惰な人間の本性。

そこには、やっぱり、だって人間だもの・・・。

人間としての限界と諦めというものを感じざるを得ない。

多くの人間の中のそのほとんどの人間の「だって人間だもの」は、結局は、「世の中、そんなもん」って負け犬の弱音と言う本音。

好い加減にいきるよりも、ええ加減に生きるほうが楽だ。

・・・、だって、その他大勢のひとりの、人間だもの。

人間社会を生きることの対する謙虚さの欠如。

その欠如によって、気がつこうとしない人間は、一生、大切な更なる事を気がつく事が無い。

人間が生きることに対して、どれだけ無知であるかと言う事を。

だから、自分が気がつけばそれでいい。

気がつかない人間を見て、その無知ぶりを、己自身が気がつける。

気がつけることによって。

人間の生きることに対する無知が、どれほど愚かであり、不幸であるか。

気がつかない者のその愚かさと不幸を感じない事に、さらに、愚かさと不幸を感じる。

しかし、ありがたいことに、そのことに気がつける己自身が、そこから具体的なその人間の愚かさと不幸を知ることが出来る。

学ぶ事が出来る。

無知に気がつく事の出来ない愚かな、そして、不幸な人間から、己の無知の世界をほんの少しは埋めることが出来る。

己が人間としてこの世を生きる為の哲学を己の精神に刻むために、心を働かせる事が出来る。自分の生き方を何度も変えたいと思っているのに、変えることの出来ない人間。その愚かさと不幸。

変えることの出来ない人間ばかりの社会から、気がつく事によってその無知なる人間の愚かさと不幸に気がつく事が出来ることによって生まれる生きる確かな知恵と幸福。

人間の中の無知なる愚かさと不幸を相対するものの中から見つめる。

人間社会。



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去るものは追わず【卒業】:残されるもの


現実のこの世を、「死」と言う形で去る。

人間社会の中で、1つの組織を去る。

「去るものは、追わず」

「去る者は日々に疎し」なんて事を言うけれど。

人間社会の中の組織を去った者のあと、その残された者達の社会。

去った者の存在が大きければ、大きいほど、寂しかろう。

また、その去った者の存在の穴を埋めるのは、大変な事であろう。

残された者の苦労。

去る者の気持ちよりも、残された者達の気持ち。

その苦労を乗り越え、気持ちを整理して、平静を取り戻すために必要な時間。

現実を生きる人間社会は、その社会を卒業するという1つの過程を辿る事で、卒業した者とまだまだ、そこに存在し続ける者達の大切な節目となる。

それは、身近な「死」と言うものを乗り越える事によって、己の「死」と言うものに直面すると言う事の模擬訓練に近いように感じる取る事が出来る。

人間社会の中で、人間を理解しようとして生きる。

去った者達の理由如何を問わず、残された者達は、その節目を謙虚にそして、懸命に生きるということの大切さと、人間が生きるということに対する悩みや苦しみを解決するための明かりを灯すヒントと、その答えを人間が現実を生きるということの道理を導き出すための己自身の信仰心を開くことが出来る。



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今を生きる為の知恵を発揮する集中力【一念と執念】


生きる為の「今」を生きる知恵。

それは、目の前の現実を歩み続ける一歩先を見つめる事から始まる。

最後の最後まで、気を引き締める。

最後の最後まで、諦めない。

今、この瞬間、何をなすべきか?

今、すべき事は、未来の為。

己の現実を生きる為の、一歩先の未来のため。

そして、次の二歩目を踏み出すため。

今日という、一日のテーマと課題。

そして、人生を、己が人間として生きるテーマと課題。

生きる為の「今」を生きる知恵。

それは、目の前の現実を歩み続ける一歩先を見つめる事から始まる。

それは、未来に向う己の大きなテーマに確実に、そして、確かにつながっている。

そして、確実に、確かに近づいている。

桜梅桃李。

今を生きる。



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人間の千差万別と桜梅桃李


宿命と宿業・桜梅桃李の原点

最も身近な信仰者を理解する事が出来ない。

創価学会という宗教を保ちながら、その宗教に対するそれぞれの思いの違い。

その宗教によって得ることの出来た妙法という己の人生を最高に生きることの哲学。

その哲学によって出され導かれる答え。

それが、確かな哲学に基づく信仰心であるならば、その答えの本質というものは、1つのところへつながるはずだと感じるのですけどね。

導き出される答えの相違。

そこにあるのが、それぞれの生命の傾向性とでも言うべきものではないかと感じる。

それこそが、宿命と宿業。

一人ひとりの千差万別な生き方。

桜梅桃李の原点なのかもしれない。

同じ宗教を保ちながら、その互いの信仰心において対話をしても、その同じテーブルでさえ対話が成立しないという現実。

人間の持つそれぞれの業。

その業というものは、はかり知れないほど深い。

人間を互いに理解すると言う事の不可能なほどの難解さ。

底知れないほどの人間が無知であるというその真実。



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人生の病根は傲の一字


妙とは、蘇生の儀なり。

人間の強さの中の傲慢。

己の非を認められないその強さの中の弱さ。

宗教の操り人形として生きるその人間の愚かさ。

今、本当に大切な事。

でも、宗教に洗脳されただけの盲目の人間には、

宗教組織における全体の戦いのイベントの方が、命を掛けるほどの大切な戦い。

目の前で、己の子どもが溺れて死にそうになっていて、その子どもに手を差し伸べることよりも、その宗教組織における「立正安国」の戦いが最優先。

創価学会と言う宗教においては、「目の前の溺れている子どもを助けるよりも、選挙が先であり、大切」と言う方程式があるらしい。

その方程式の答えが、溺れている子供を助ける事の答えになるらしい。

愚か者。

大馬鹿者。

盲目とは、将に、この事を言うのではないだろうか?

本当に大切な、己の心に、確かな信仰心の灯りを灯せないものは、信仰心と言うものの本質を、いつまで経っても、己の生命に開く事が出来ない。

盲目の信仰。

今、成すべき事。

何か?

その「何か?」という問いを、己の自身の信仰心に問い、その答えを己自身の信仰心で出す事ができない。

与えられた宗教によって、ただ、その宗教団体の中で、組織の単なる一員として、操り人形として、宗教活動をする事の愚かさ。

悲しい。

宗教活動に終わるだけの人間の愚かさ。

己の信仰心を開くために、一人の人間の中の信仰心に灯りを灯せぬもの。

愚者。


猿にでも出来る反省。

その猿にでも出来る反省を出来ない人間。

その傲慢。

宗教に染まる事による盲目によって、無知なる傲慢の垢がこびりついて行く。

宗教が、心の病を癒し、治すよりも、

宗教に染まる事によって、新たな病を植えつける。

傲慢。

正しいと信じることの傲慢。

正しいと信じることの根拠とは何か?

そこに傲慢はないか?

腐った根っこ。

その腐った根っこを、生き返らせる。

妙とは、蘇生の儀なり」。

人生の病根は傲の一字」。

桜梅桃李。

今を生きる。



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幸せを欲張れる【原点】・「ありがとう」、母へ感謝と報恩


背負わされた苦しみ、悩み、そして、迷い。

その苦しみと悩みと迷いを、己自身が背負えるようになった。

その自分で背負えるようになった人生における大きな、そして、多くの苦しみ。

人間が生きる上で、心の苦しみ、悩み、迷いと、その解決のための選択の心の葛藤は、決して無くなりはしない。

最大の壁は、「生と死」。

そのはざ間で悶絶する苦しみ・悩み・迷い。

そして生きることへ選択と決断。

その一念と執念。

現実を生きるのか、それとも、現実を生きることを諦めて、死を選択するのか。

その渦中において、自らが選択した道を進む方向。

その方向に確かな足跡を刻む。

確かな足跡を刻む事によって、心の苦しみ、悩み、迷い、その心の葛藤の質と、解決のための選択基準の判断力と精度を、増す事が出来る。

人間として、現実を生きる「今」。

苦しむ事の意味、そして、その価値。

悩みぬく事の先に灯る、心の明かり。

心の苦しみ、悩み、迷いと、その解決のための選択の心の葛藤が、宝の原石になる。

人生を前向きに強く、強く、更に強く未来を生きる為の力になる。

そこから生まれる確かな生きる知恵と、その知恵に基づく己の中から湧き出す勇気。

今、感じることの出来る幸せ。

苦しい中で、本当の心からの笑顔。

頑張れる自分に、自分自身でエールを贈れる喜び。

感謝で溢れる涙。

自分にこんな涙が流せる時が来るなんてことは、あの時を思えば、想像する事なんて出来なかった。

どん底の人生。

今も、そのどん底。

でも、今、その「どん底」に確かな変化が見える。

見えないけれど、確かな【もの】。

苦しいからこそ、生きるている実感と、今を精一杯生きられる幸せ。

でも、現実に見えるものは何も無い。

でも、だから、もっと、幸せを求めて。

幸せを欲張る。

それは、己の絶対的な幸福へ強い心を獲得するための道のり。

その原点。

「ありがとう」の感謝。

そして、報恩。

この哲学を与えてくれてありがとう。

母へ。

桜梅桃李。

今を生きる。


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恥を恥と知り、恥を自慢出来る勇気


恥を恥と知り、恥を自慢する。

 ・・・だって人間だもの

誰だって、失敗をする、誰だって間違いをおかす。誰だって恥ずかしい事がある。

 だって人間だもの

失敗も間違いも、そして、それらを恥ずかしい事と思う事も、全部正しい。

失敗を失敗と思えない事、感じ取る事ができない事が、人生における大きな失敗。

間違いを間違いと思えない事、感じ取る事ができない事が、人生における大きな間違い。

恥ずかしいことを恥ずかしい事と思えない事、感じ取る事ができない事が、人生における大きな恥ずかしい出来事。

人間。

だって、人間だもの。

隠すことの卑怯。

さらけ出す事の勇気。

どちらが、人間としてこの世の現実を生きることにとって、より、己の人生の確かな生き方に必要なことか。

その選択基準。

現実を確かに生きる事の出来る確かな哲学。

桜梅桃李。

今を生きる。



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