【Keep on believing!】自分の声を信じて今を生きるんだ!

姉の人生。

外国で暮らす姉。

帰国した時には、いつもカラオケに行く。


姉が決まってうたう歌。

アンジェラ・アキさんの『手紙』  

その時、姉は、いつもこの歌を一番に歌う。



笑顔を見せて 今を生きていこう!

今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は

自分の声を信じ歩けばいいの

人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて

Keep on believing!


今を生きていこう!

(手紙より) 自分の声を信じ、今を生きる! >【keep on believing!】




そのたびに、わたしは、姉が生きてきたであろう人生と、この詩をタブらせる。

姉が越えてきたであろう、私には到底超えることのできないたくさんの苦労。

姉の歌を聴きながら、涙がこみ上げてきそうなのをがまんする。


わたしにも、わたしが苦しい思いて生きているときに、いつも浮かんでくる詩がある。


わたしは、今、どこにあるのと。

踏みしめた足跡を何度も見つめ返す。

サヨナラを誰かに告げる度に

僕ら また 変われる 

強くなれるかな♪

(いきものがかりより)





オーストラリアに発つ姉。

わたしの尊敬する姉。

その姉の子供は、新しい未来と自らの可能性をどこまでも開くために、アメリカへ旅立って行った。


辛かっただろうね。

姉の苦労はどこまで続くのだろう?


しかし、苦労を苦労としない姉のどこまでもまっすぐな生き方。


誇らしい人生を歩む姉の姿。


『これからも、自分の夢に向かって、楽しい挑戦を続けてください』


姉が、メールでくれた言葉。


苦しいことも全部、自分の夢のためにある。


「今を楽しんで行こう!」


辛い中を一生懸命に生きてきた姉。


ありがとう。


一番苦労した人が一番幸せになれる哲学


「きっと!」






本因妙 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【本因妙】:人間の限界を超える不可能を可能にするのは「今」

今日は、聖教新聞の【名字の言】をご紹介します。

先日、宮崎市で開かれた「マスターズ競技記録会」。陸上一般男子200㍍のM80クラス(80~84歳)で、世界新記録(30秒69)が誕生した。

記録を作った選手は、20代で国体選手に選ばれたが、心臓病を患い、走ることを断念していた。63歳の時、世界大会の地元開催をきっかけに、再びトラックへ。36年ぶりの再挑戦だった。

当初は、なんと県予選の最下位。〝自分はもっとできるはず〟と言い聞かせ、練習に汗を流した。次第に記録が伸び始めた矢先、73歳で胃がんに。しかし、手術から4年後に復帰し、78歳で日本新記録を刻んだ。「目標があるから挑戦できる」とたくましいその人は、トラックのみならず、広布の庭も縦横無尽に駆ける80歳の副県長である。

葛飾北斎は、90歳で没するまで描き続けた。ピカソも90代でも絵筆を握った。「自分は、これからだ!」と、前を向いて進む人生に限界はない。過去・現在・未来。そのどこに心があるかで、生き方は決まる。

「今」の決意が「未来」を開く。「本因妙」の精神が仏法の真髄である。牧口初代会長は、齢70を過ぎてなお、「われわれ青年は」とよく口にしたという。自身の〝新記録〟への挑戦に遅すぎることはない。決意した瞬間が、最高の時である。(誼)

2011年 9月30日(金)【名字の言】より転載いたしました。



今日の『名字の言』いかがでしたか?


【臨終正念】、【臨終只今】に生きる哲学っていうのも知っとるけ?


80歳になっても、90歳になっても進化できる。


人間の限界に挑戦し、その限界を超える不可能を可能にするもの。


人類の歴史っていうのは、不可能を可能にしてきた歴史でもある。


進化っていうのは、変化の最高の形。


そこにあるのは、限界の壁を越えようとする強い意志。


その意思は、生命を存続させようとする本能。


どこまでも、今を賢明に、そして、一生懸命に生きようとする信念、そして、「絶対にあきらめない!」という一念から執念へ。


生きる。


生きるんだ!


ダーウィンの進化論では、

進化の過程で、種が生き残る為に必要なことは、


最も「強い」ものではなく、


最も、「賢い」ものでもなく、


最も「変化」したものである



という。



「変化」とは、「変革」、そして、「革命」を意味するのでしょう。


窮地に追い込まれた、苛酷な環境の中でこそ、人間、一人ひとりの究極の進化が可能な時。


人間の持つ、不思議な力の発揮できる時。


火事場の馬鹿力でしょうか? ダーウィンの進化論は変化を求める


世の中の平常時と世の中の非常時、どちらに人間の更なる可能性を引き出す進化への不可能の中の可能を引き出せるべき時なのでしょう?


それは、今というこの瞬間。


臨終正念、臨終只今に生きる哲学。

「今」の決意が「未来」を開く。

「本因妙」の精神が仏法の真髄である。



まさに、その通りと言える。



過去を宝にし、未来を創る「今を生きる哲学」。

その哲学の根本となる最高の教本って、「しっとるケ?」


確かな哲学【名字の言】










本因妙 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

神や仏は人間に法を説かないよ!己の仏が己の生命に説くんだよ!

人間が人間を理解するというのは、神の領域においてなせる技なのかもしれないね。。

まったく、世の中の人間というのは、自分が一番偉くて、自分が常識みたいなことを言ってる。

一方通行の交通道徳しか語れない人間ばかり。


創価も世間もそんなやつばかり。


「俺を批判するお前らが間違っているんだ!」

みたいな。


「自分がそんなに偉そうなことを語るのと同じくらい、他人の言葉を素直に聞いたことなどあるんかい!」って思う。


何様のつもりだろうね。

神様か仏様にでもなったつもりでもいるのかね?

言ってやりたいよ。

神や仏は、人間に法を説くわけないよ。

己の中の神と仏が、己自身に法を説くんだよ。

人間を理解しようとしない奴は、一生、小さな世界で生きていろ!

井の中の蛙(かわず)大海(たいかい)を知らず

わたしのなかには、もっと大きな未知な世界を知ることの出来る哲学がある。

わたしゃぁ、一体、何を言ってるんだろうねぇ・・・。




本因妙 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間は神や仏を信じるもんじゃあない!人間を信じるもんだ!

人間は神や仏を信じるもんじゃあないよ。

人間は人間を信じるもんだ。

人間の中の人間性をどこまでも信じるものだ。

人間の中の人間性をどこまでも信じることのできる不可能を可能にする哲学。

それは、己自身を最高にどこまでも信じきることの出来る哲学。

己の不可能を可能にすることの出来る哲学。



わたしには、この世で一番、尊敬できる家族がいるから幸せ。

こんなにも、感謝することの出来る家族。

ありがとう。

本当にありがとう。


こんなにもありがたいと思える家族がいることの幸せ。

何よりも幸せ。

今、こうして家族に感謝できるわたしは、幸せ以外のなにものでもない。

だから、今を一生懸命に生きることが出来る。

一人ひとりに感謝できる。

ありがとう。

今は、ありがとうとしか言えない。

ありがとうと思える恩返し。

必ず。

人間は、人間を信じるもんだ。

神や仏を信じるもんじゃあない。

「人間を信じられる」と信じることの出来るわたしを信じられる哲学。




本因妙 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人のために灯をともせば、わが前明らかなるが如し

昨日よりも今日、今日よりも明日

明るい朝の日を浴びて、今日も元気に スクラム組んで♪

たたかうわれらの心意気♪

嬉しい時も、悲しい時も 交わす言葉は・・・♪



なんかきゅうにこんな歌が・・・。


自分の言葉に責任を持たねばならない。

責任を持たなくても、必ず、その責任を取らなければならない時がやってくる。

わかっている。

わかっているけど、わかっちゃあいない。

己の中の傲慢。

その責任。

原因と結果。

自分を苦しめるのは、自分以外の誰でもない。

自分が生きていること全てが自分を苦しめることになる。

自分が生きていること全てが自分を解放することになる。

どこまでも、どこまでも、己の中に巣食う傲慢。

バカだから仕方がないね。

人に頼る生き方は嫌だ。

だからと言って、人間、一人で生きられるわけがない。


『人のために灯をともせば、わが前明らかなるが如し』


そんなことない。

でも、その通りだ。

そうでなくてなくてはならい。

そうして生きられることが最高なのだ。

人間として確かな哲学に基づいて生きる最高の生き方。

最高の生き方こそが、当たり前の生き方。

でも、わたしには、出来ないよ。

まだ、まだ・・・。

昨日よりも今日、今日よりも明日。

あきらめないよ。

そんな風に当たり前に生きている人がいる。

毎日が当たり前の人達がいる。


ごめんね・・・創価。




創価 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

一人ひとりの人間を大切にすることに徹しなければならない

財務を通して知った、わたしの地域の創価学会の体質。

まさに、わたしの見た地域の創価学会こそが、今の創価学会の組織だ。

地域によって創価学会というものの見方が違うのならば、創価が根本とするところの哲学は嘘っぱちになる。

新聞の記事は、綺麗ごとばりをならべたてた作り話となる。

現実を生きるわたしの生身の人間が創価という人間に接して感じる学会組織が創価そのものなんだ。

人間一人ひとりの千差万別?

そんなもん当たり前。

でも、創価の常識は世間の常識とは違うのか?

民主主義の世の中は、多数決の世界ではないのか?

少数派の意見が正しいという変人の世界なのか?

正しい、正しいという根本が一人ひとりの心の中にあるのか?

組織の操り人形になってるやん。

世間の常識よりも創価の常識を理解しろって?

それが、創価の正論?

人材、人材というけれど、今の組織に人材はいるの?

人材ってなんだ?

硬直化していく組織の中で、人材はどんどん組織の中から染み出していくよ。

ごく普通に感じる創価の組織に対する違和感。

組織を維持していくことの悲壮感さえ感じない。

楽観主義を都合の良い言い訳にして。

確かな哲学に基づく信仰心の確立された信仰者にとって、組織という存在は大切なものではないけれど、

組織にとって、一人ひとりの信仰者は、組織よりも大切なものである。

創価学会は、組織よりも、組織の一人ひとりの人間をまず、大切にしなければならない。

組織を守るために、組織を維持するために、組織の一人ひとりを単なる構成員としてみることに、創価の存在意義は無い。

必ず組織は崩壊する。

そう信じる。

わたしの哲学は、組織にあるのではない。

一人ひとりの己の信仰心に確かな明かりを灯し続けることを可能にし続ける者に、確かな哲学を受け継ぐことが出来る。

これからが、本当の試練。

一人ひとりの信者と呼ばれる者たちの化けの皮がはがされる。

正体をされけだすもの。

正体をさらけ出されるもの。

信仰活動ならぬ、惰性と観念に満ちたぬるま湯のタダの組織活動に、その判決が下される。

創価という組織のホントの正体。

その価値。

価値を創造する今の創価という組織に、本物の価値があるのかどうか。



創価 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

池田大作死亡説「沈黙は金なり」:ネットの創価


「沈黙は金なり」という言葉ある。

ホント、創価にもいろんな人がいるんだね。


自称、創価学会員と名乗る者達のネットにおける情報の取捨選択の方法とは?


「おい、おい、・・・乗っかっちゃってるよ・・・。この人。」


劇場を上手く巧妙に演出する手段と方法に長けてるね。

炎上目的?

華麗にして、巧妙なる演出。

アクセス・・・?


ココ↓の創価カテゴリー
ブログランキング・にほんブログ村へ
ランキング上位の優越感に浸る自己満足のためのクリックをよろしくねっ♪

※当サイトは、この創価カテゴリーランキングには参加しておりません。願い下げお断りします。


池田大作死亡説についてなんたらかんたらを記事にする。

そんなもん、興味本位にターゲットを絞らなければ、出てくるもんじゃあない。

しかも取るに足るような根拠などありもせぬ悪意以外のなにものでもない。

その悪意を取り上げ、反証しようとする創価の看板を名乗る学会員も止せばいいのに・・・。

『根も葉もない』ものならば、そこに食いつく必要はない。

無視を決め込む。

それなのに、根も葉もないところをほじくろうとする矛盾。

何かの意図がなければ便乗するはずがない。

ほっとけばいいものを、煙もないものに、あらぬ方向から着火するとは・・・。

似非かどうかは知らんけど、馬鹿を相手にせぬことが最良の策とは、十分知りながらその馬鹿に便乗することで、創価を擁護していると見せて、己の愚かな自己満足にほくそ笑む。

右手は、水の入ったバケツのつもりでも、ほんとは、団扇で煽いでる。

しかも、左手で見えぬように隠し持っているのは、火のついたライターなんだよね。

そんな記事を下種な連中がみれば、野次馬根性が煽られ、記事にコメントの花が咲く。

やれ、屑だ、糞、ハエだと。

創価の変な奴等が食いついてくるんだよね。

それは、そこにうごめく創価の人間達の姿だ。

ココはいったいどこだ?

これが創価だ、これが人間というのもだ。

創価も世間の人間と何一つ変わらん。

『お前は屑だ!』

『屑という人間が屑だ!』

そんな応酬が繰り広げられる。

「なんじゃあ、こりゃあっ!」

創価も世間も

「お前ら、ドタマかち割って、ちい吸うたろうか!」

なんて、ドあほな気分になるね♪

楽しいよ♪

ほんと、創価って楽しい♪

だって、わたしも、そんなときには、より下種な楽しい人間になれる。

そう、「だって、人間だもの」

世間の人間達と同感できる。

悲しい愚かな人間としてね。

創価の学会員と名乗るのもが、創価を利用してそんなに得たいか?

自己満足とエゴ。

危ない、危ない。

ネットには、地雷が一杯だよ。

玉石混淆、魑魅魍魎の世界。

それは、ネットの世界のことではない。

創価学会という組織とその中の創価学会員とよばれる器のなかにある。

踏んづけたら終わり。

こわや、こわや・・・。

こんな記事が、負の連鎖としてありとあらゆる姿かたちを変えて蔓延していくんだろうね。

ネットは罪作りな道具だよ。

『沈黙は金なり』

でも、「雄弁も銀(きん)」かい?

的外れな理屈や屁理屈は御免だよ。

桜梅桃李。

「今」を生きる。



創価 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

創価学会はどこに行く?その哲学は根本は?

創価学会では、毎年、この時期になると財務と呼ばれる、広く流布すると書いて、「広布」部員の申込みというのがある。

この広布部員の申し込みというのは、あくまでも学会員であるということを前提にしている。

わたしは、現在、この地に越してきてようやく9か月ほどが過ぎようとしている。

わたしが感じる現在の創価学会という組織は、新聞紙上で書いてあることを読むのと、現実の今の暮らしと生活をしてる場所に住んでいる地域の創価学会という組織とは、かなりの相違があるといわざるをえない。

別に、愚痴や不満を言うわけではない。

これは、事実なのだから仕方がない。

今の学会の現実。

一番、身近な場所には、創価学会員はいるけど、創価の哲学の根本をそこに見ることが出来る人間がいない。

何なんのだろう?

新聞で書かれていることの信仰に関わる記事は、嘘や出鱈目の美辞麗句の嘘パッチなのかと思いたくなる。

現実と理想のギャップと、本当なのか、事実があるのかと、己の現実の先に映る、今の生活をしている地域の学会員の姿を見て落胆させられた。

創価の組織の中で「財務」という仕事には、信心などいらんのかいな?

創価学会という組織のために、金を徴収する財務というシステム。

根本から見直す必要があるね。

しかし、現実は金が無けりゃあ組織の運営は不可能だ。

一人ひとりの人間。

たった一人の人間のために、創価という看板を掲げることが出来る。

組織運営に携わる創価学会員は、己の哲学の根本の看板を取り外した組織活動に陥ってはならない。


上意下達のピラミッド組織に成り下がった、ただの巨大化した宗教活動団体には、信心の流れは絶たれているいな?

悲しいよ。

地区の●●長さんよ~!

地域の●●長さんよ~!

あんたらの創価の哲学と根本は、どこにある?

現実の今というこの瞬間、この場所になければ、創価が財務を求めるための「広布部員」と称するこの名目は何にも意味のないものになる。

「広布」となる「広宣流布」とは、理想でもなんでもない。

ただの妄想と幻想にすぎない。

創価という学会組織に関して、こんな感想を抱く結果になった、財務に関してもう少し詳しいことは、また、後で記事を書かせていただくことにします。


人生を確かに生きる哲学


創価 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

続けることの大切さ、あきらめない信念と一念から執念

毎日、毎日を己の哲学に基づいて生きる。

続けて来た人の結果。

続けることのできなかった人の結果。

毎日、続けることの出来る人には、敵わない。

凄いね。

決してあきらめないことの証。

継続は力なり。

生きているだけで丸儲け。

でも、そんなに遠慮しなくていいのかしら。

生きてるだけで丸儲け。

生きている以上にもっと丸儲けをしたい。

毎日を生きる。

人間が生きる事。

生きることは大変だ。

生きることは素晴らしい。

生きるって何だ。

毎日、毎日今を生きること。

生きているだけで丸儲け。

もっと儲けたいと思う。

もっと生きて得をしたい。

毎日、毎日生きることを継続する。

信念を持って、一念を重ね、執念へ。

確かに生きるための哲学。

哲学とは、わたしが、生きることを丸儲けにするための血と汗と涙と苦しみと悲しみと喜びと悩みと迷いと、現実をこの生身の人間をもってして得ることのできた、たったひとしずくの宝の結晶かもしれない。



本因妙 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

Copyright © 桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳 All Rights Reserved. Powered By FC2. 
skin:*cuteblog*