木を見て森を見ず・森を見て木を見ず


己の生命の中での、成功と達成の刻印は、現実に生きることにおいて、その全てを決定付ける基本となる。

そして、その全ての道筋を、太く、大きく、更に、整備させていくのだ。

己の生命で。

『木を見て森を見ず』

些細なことやどうでもいいことに囚われすぎてはいけない。

大局的なものの見方も大切。

些細なこととに囚われることは、一つのものを極めていくものの見方につながらないか?

そして、些細なことどうでもいいようなことに、実は、大局的なものを映し出すことの出来る要因や、本当の大切なそのものを、見つけられることもあるでしょう。

を見て森を見ず』

そして、

を見て木を見ず』とも言われます。

この二つは、相反しているわけではなく、どちらも必要なものの見方ということなのかもしれません。

でも、なかなかこの2つのバランスを、その状況や、現在の立場などを、瞬間、瞬間、判断して、切り替え、保つことは、現実を生きる上で、とても難しいと思います。

己の場合など、現状に対して、窮地に陥ると、近視眼的思考回路にはまり易く、やはり、『を見て森を見ず』の選択を、しているようなことがほとんどです。

それだけ、己のの心というものは、何かのストレスに対して、弱いということなのでしょう。


「人間」を動かす「命(生命)」になれ!

今を生きること。

ただ、人間を動かす命(生命)に成れ!

過去も未来も、今を生きる人間の姿がそこに無ければ、語る言葉の全ては単なる妄想に過ぎない。

無意味だ。

価値は無い。

何もしないのと同じだ。

死んだ人間が、言葉を語れる世界。

間違った宗教は、恐ろしくも馬鹿な、妄想信者を生み出す。

その人の生命の真実は、姿に現れる。

正しい宗教とは、現実を生きる人間の姿に現れるのだ。

ネットで宗教を語る「人」だけの世界に、真に正しい宗教が広まるとでもいうのだろうか?

洗脳された宗教の奴隷(信者)達よ。

落ちぶれる宗教。

堕落する宗教。

組織の為の宗教。

金儲けの為の観念の袈裟を着た禿人ども。


今、己の宿業を一つ、乗り越え、そして、断ち切る時


過去の全てが、ぐるぐると巻き戻され、あの時の、あの場所、そして、あの匂い、あの季節・・・、

何が、どうなっているのだろう?

グルグル、グルグル。

過去に、引き戻される鮮明な記憶の数々。

長い間、思い出す事さえなかった記憶。

その記憶に、辿りつくたびに、己の心が、生命の針が、強くふれる。

辛さなのか、痛みなのかわからない、心に強く、再び印象付けられる記憶。

己自身の腐りかけた命では、これまでは、感じることの出来なかったこの感覚。

しかし、苦しみに飲み込まれいた過去にくれべれば、何か、己の中の、何かが取り除かれていくような、掃除されていくような感覚。

何かの痛み共に、その痛みが、取り除かれていく感覚。

己の人間らしく生きようとする生命の明かりが灯る

今、己の宿業を一つ、乗り越え、そして、断ち切る時。



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現場で流す汗と涙の跡:血脈


『醜いアヒルの子は♪

裸の王様キラ~イ♪』



裸の王様ってかわいそうだね。

ブレーンが愚か者だから。

世の中、誰も叱ってくれなくなると、もう、そこから人間的な成長を期待することなんて無理なもんかね。

年をとっても、あ~は、なりたくない。

ぼけ老人になって、見境なくやりたがる老人。

嫌だね。

仕方がないね。

なんでこうなっちゃうんだろう?

もう、そんなところで生きている人に、何を言っても無駄。

この人を変えようなんて思うことは無理。

だって、病気なんだもの。

現場主義か・・・。

『どうして現場に血がなれるんだあ~~~っ!』

「あぁ~?・・・?」

現場で流すものとは、汗と涙の跡。

血脈という。

桜梅桃李。

今を生きる。



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真の宗教組織とはひとりひとりの人間の為に存在する


唯一、一人のための、一人による、一人の絶対的な幸福の境涯の確立のための宗教

一人の人間の宿命転換は、すなわち、人間革命を意味する。

どこまでも、一人の中の生命の独立自尊を目的とする自己確立をめざす己の中の宗教。

世界に一つのわたしの宗教を確立する闘い。

弱いわたしと、わたしの確かな哲学に基づき生きることの闘い。

宗教団体というものは、その組織のために存在するものではない。

宗教団体は、ひとりひとりの人間の中に、正しい哲学の灯りを灯すことにのみ、その役割を担う使命が存在する。

組織の保身のために、真実を隠すような宗教団体なら、私のが生きることの確かな哲学は、その団体には、もはや存在しない。

人間のための組織なのか、「組織のための人間」なのか。

どんなに善意から生まれた組織であっても、やがて「組織のための人間」という転倒や硬直化は避けられないのか・・・。

私は、「人間の為の組織」は可能であると信じております。


「宗教と科学、その間の壁は破れるのか」:茂木健一郎・池田大作往復書簡より



文字や言葉では、心動く感動モノで、お涙ちょうだいの美辞麗句なんていくらでも並べられる。

今、本当に試されている。

学会という見せかけの看板倒れになり果てるのか?

それとも、看板頼らず、一人ひとりの中に確か信仰の証を打ち立てることの出来る生命を開くことが出来のか?

宗教を名乗るものすべてに、一人ひとりの信仰が、今この瞬間生きていることの現実に試されている。

真の宗教組織とは、どこまでもどこまでも、

「人間の為の組織」は可能であると信じております。



信じる人間の心を信じきることができるために、己を信じることができる信仰を更に確立していかなければならない。

自分が生きるということに直結する真の宗教に人生を賭ける。

唯一、その根本の確かな哲学に基づいて生きる。

 「人民の、人民による、人民のための政治」とは、アメリカ第16代大統領リンカーンの不朽の名言。1863年、南北戦争の激戦地ゲティスバーグで行った演説である。

実は、その歴史的瞬間を収めた写真は一枚も残っていない。あまりに簡潔だったため、写真班がレンズの焦点を合わせる前に、演説が終わったからだという。時間にして、わずか2分。冒頭の名言は、その結びの一言であった(本間長世著『リンカーン』中公新書)。

長年、営業畑で後輩を育成してきた壮年によると、着実に実績を伸ばす人材には、特徴があるという。「意外でしょうが、器用な人より、口下手な人が多いんです」。不器用な分、陰で努力する。一生懸命に語る。その真剣さが、かえって相手に響くのだという。広布の世界も同様だろう。

人の心を動かす言葉。それは、時間の長短ではない。表面的な上手、下手で決まるものでもない。そこに何が込められているのか。その一点に尽きる。

御金言に「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(御書563㌻)と。語る人の思い一つで、言葉の力は何倍にも増す。対話の秋。あの人に勇気と希望を。精いっぱいの真心を込めて、一人また一人、〝言葉の花束〟を贈りたい。(誠)

2011年 10月21日(金):【名字の言】より転載いたしました。





本因妙 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間が物を使用する時代から、物に使用される時代。


公衆の場で、スマートフォンの歩きながらの使用が増えている。

従来の携帯から、ウェブ操作の使いやすさが、更に発展したスマートフォン。

スマートフォンを操作しながらの、「ながらスマフォ」の危険性を知らせていた。

『ながらスマフォ」』の人間が、

「スマートフォンも持つと、世界が広がるんですよねぇ~♪」

しかし、現実に見える世界を消滅させている。

そんなことに気が付かない人間の愚かさ。

スマートフォンとは、他人の迷惑を顧みないエゴな道具にもなる。

のこぎりのバイオリンに見立てて、弓を引いて、あの名曲を歌ってやる。

「お~♪ま~♪え~♪は、 あ~♪ほ~♪かっ?!♪」

現代の文明の利器は、人間性を失わせるために開発されたものだろうか?

便利なものを得る代わりに、大切なものが消滅していく。

その功罪。

人間が、物を使用する時代からものに使用される時代。

人間が、物に使用される時代。


■世相・雑感・コラム | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

【名字の言】:傷だらけの絆の確かさと深さ知る



 「聖教新聞で文字を学びました」。東京・日野の男子部員が語ってくれた。中学卒業後、職人の道に。転機は24歳。妻に導かれ入会。同志は信心と生活全般のアドバイスをしてくれた。

漢字が苦手。文章が読めない。悩みを吐露すると本紙コラム欄を書き写すように勧められた。毎日、書き写し音読。分からない言葉は辞書を引き、調べた。3年余り続いた挑戦。苦手意識は消え、今では池田名誉会長の書籍を貪り読むまでに。世界観が広がる喜びを知った。

今年6月末、愛妻が急逝。幼い一人娘を案じ、悲しみのどん底に沈んだ。窮状を知った同志が、すぐさま駆けつけた。未明に遠方から来た人も。交わした言葉は覚えていない。ただ明け方まで付き添ってくれた。その最中、名誉会長から愛娘に真心の伝言が届いた。心の暗雲のすき間から、希望が見えた。報恩の行動が、妻への最大の回向と奮起。先日、友人に弘教を実らせた。

作家サン=テグジュペリは言う。「ともに生きた多くの困難な時間、多くの仲たがい、和解、感動、これらの宝物に及ぶものはなにもない」(『人間の大地』山崎庸一郎訳)。

絶望から希望を創り出した蘇生のドラマ。悲しみも喜びも分かち合う同志の絆。それ以上の人生の宝はない。(集)

2011年 10月18日(火):【名字の言】より転載いたしました。




名字の言』いかがでしたか?


本当の人間の絆というのは、優しさだけで結ばれているのじゃあない。

わたしの心の中で常に結ばれている大切な人。

大切な家族。

これまで、互いに傷つけあった。

恨んだ。

憎んだ。

罵り合った。

遠く遠く離れた。

絆。

その糸は、ボロボロでも、決して切れることは無かった。

絆の意図。

目には見えない心の絆の糸は、絶対に切ることはできない。

それは、私の中に確かな絆の存在を証明する確かな証があるから。

傷だらけの絆。

でも、その絆の太さは、この世のどんな太さにも例えることはできない。

深いんだよね。

絆は太さでたとえるもんじゃあないね。

深さだね。

傷だらけの絆のその確かさと深さ知る。

妙法。

桜梅桃李に今を生きる。




家族 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

神や仏を信じるなんて馬鹿のすること:人生の病根は傲の一字

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神や仏なんて信じるもんじゃあないよ。

ホント、馬鹿な人間がやることだね。

自分を信じないで神や仏を信じるなんて、弱い人間にはお似合いかもしれない。

神や仏を信じる人間なんて、現実を己の力で生きることのできないヨワッチイ人間だと言ってるんだ。

世の中、神や仏なんて言うものなんてあるもんか。

坊主丸儲けの世界の道理なんだよ。

弱っちい、ご都合主義の人間には、まさに都合がよい。

互いの利害関係がそこで成立する。

似非宗教というもんは、利害関係で成立するのだ。

面倒くさい部分を全部、坊さんに丸投げする。

得手勝手な人間には、仏や神を信じたふりをして、都合よく宗教を利用する。

似非な宗教は、利用する者と、利用されるもの、

更に、利用されるものと、利用するものが都合よく、互いの必要性に合致したシステム。

似非な宗教とは、合理的な利害関係になる損得勘定。

信仰というものに対する精神世界なんていうのは、どうでもいいこと。

坊さんに利害関係の一致による依存によって、わずかばかりの心の安定を得ることのできる。

世間の恐ろしく巧妙に人間を奴隷にする似非宗教の拝金システム。

信者様は神様です。

似非なドロボー宗教ども。

人生を方法論で生きる。

頭を使って生きるのと、心を使って生きるのとは違うよ。

心って言うのは、いったいどこにあるんだろう?

子供頃には、「心が大切だ」ということをよく聞かされた。

でも、人間の体のどこに、心はあるのだろう?

ハート。

頭を働かせて想像してみた。

心臓付近に心があるような気がした。

心があったかく感じる時は、どのあたりで温かくなった心を感じるのだろう?

心が苦しくなったときには、体のどのあたりが苦しくなるのだろう?

人生とは、方法論で生きると必ず行き詰る。

人間一人ひとりの世界。

ひとりひとりがそれぞれの世界を持っている。

己の世界。

みんな一人として同じ人間はいない。

ひとりひとり。

一人の中の世界でさえ、一日、24時間、一分、一秒。

一瞬に変わる。

さっきの自分。

今の自分。

明日の自分。

その姿。

昨日と今日の自分の姿。

同じなのに、今日は髪の形が気に入らない。

着ている服が嫌だ。

昨日と今日の自分は同じではない。

人間。

「なぜ、あの山に登るの?」

「そりゃあ、そこに山があるからさ」

これが哲学だ!

わかるか?

わかんねえだろうな。

より人間らしく生きる人間の心理、いや、真理。

・・・こっちの方がわからからんか・・・。

人生の病根は傲の一字。

謙虚だなあ。

桜梅桃李。

今を生きる。



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悟りとは現実に対するあきらめの境地か?


人が人間を悟る。

悟りとは、現実に対するあきらめのを境地をさすのだろうか?

どこまでも人間の可能性を信じている者にとって、悟りというのはいつまでもやってはこない。

自己を確立し続けることの人生。

人間が神や仏になれるはずは無い

悟りを説く人間のあきらめの境地は、人間に対する未来の可能性をどこまでもあきらめずに追及する人間にとっては、何の価値も感じない。

人間が説教するあきらめの境地に達した悟りなんて悟りとは言わない。

人間の精神世界をどこまでも成長させ続けること。

その不可能を可能にすることこそ、人間が人間たる理由なんだ。

この世の現実を俯瞰して、あきらめの境地を集めた言葉を哲学風に語る。

人間は結局は、こんなものなんだ。

そんなところに、人間が人間たる理由を発見することはできない。

人間が、生きる意味。

人間が今を生きるのは何のため?

未来を生きるため。

勇気。

希望。

あきらめない勇気と希望。

人間が今を生きることに対する意味を無限の未来に対する可能性を信じない者の哲学など人間を否定するもの。

人間の可能性をどこまでも開く。

未来に灯りを灯し、未来を創る哲学。

ネガティブなものに対して、常にポジティブな発想で生きることの哲学。

人間が現実を生きる。

人が生まれる瞬間に、この世の人間となる。

その瞬間から人生が始まる。

未来がある。

今がある。

今を生きたことが過去になる。

人間の無限の可能性を人生の最後の瞬間まで見つめ続ける。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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信仰とは、慰めの道具ではない



『信仰とは、慰めの道具ではない。現実生活で勝つためにある。

「信心即生活」に日蓮仏法の真髄がある』



宗教は、わたしの信仰の道具であってよい。

しかし、宗教は、信仰者の信心、信仰心を道具にしてはいけない。

「女心と秋の空」

「秋に三日の晴れ間無し」

なんてことを言う。

「秋ナスは嫁に食わすな」

そんなことは関係ナスか…

ここ数日、日中の気温が高くなった。

でも、朝晩の気温は、すっかりと低くなった。

こんな気温の差がある時には、体調も崩しやすい。

風邪などひかぬ様にせねば・・・。

桜梅桃李。

今を生きる。


今日の【名字の言】:2011年 10月13日(木)

体調を崩しやすい季節の変わり目。体が熱っぽかったり、だるさを感じたりしたら、早めに具体的な処置を施し、万全を期したい。

誰もが無縁であることを願う「痛み」「発熱」「疲労」にも意味がある。これらは体が異常を感知して警告を発し、防御を指令するメカニズムだ。この「3大生体アラーム」が働くおかげで、大事に至らず健康を管理することができる。

仕事をはじめ、生活上の小さなトラブルやミスも、一種の「アラーム」と捉えることができよう。それは大きなトラブルの前兆である場合がある。「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)と。あいまいなまま放置せず、原因を突き止め、再発防止策を取ることで、未来に待ち構える“落とし穴”を埋めることができる。

完璧な人間などいない。身体の変調も、仕事や日常生活での失敗も、万人につきもの。肝心なのは、それを自身への戒めとし、向上への糧とする“心のアンテナ”を張っているかどうか。

「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(同1466ページ)。信仰とは、慰めの道具ではない。現実生活で勝つためにある。「信心即生活」に日蓮仏法の真髄がある。 (明)




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【心の財】で生きる【色心不二】の哲学

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信じることによってでしか、成立しえない宗教の世界。

信じなくても成立する信仰の世界。

わたしの信心で生きることのできる確かな宗教。

そんな宗教が日本にある。

汚い薄汚れた人間には、みんな同じ見えるだろうがね。

世の中に存在して信心している人間の多くは宗教の奴隷。

宗教にこき使われて、愚痴をこぼしながら、せっせっと教団のために働く。

おまけにお布施まで搾取される。

世の中の宗教のほとんどが似非なんだよね。

キツネや蛇や狸といったものまで信心の対象となるから、宗教は銭儲けにもってこいだ。

人間の愚かさ。

一人の人間の持つ弱さ。

宗教とは?

信仰とは?

わたしの心から確かに発せられないものは信仰でも宗教でもなんでもない。

ただの刹那。

お遊びだ。

ゲーム。

一人の中の信心を築あげる本物の宗教は、ゲームではない。

そこに人間が現実を生きる上で何の価値もない。

人間の思考回路。

知識だけに基づく知恵やアイデアなんていうのは宗教でもないし、まして己の信仰でもない。

わたしの中でそんなのは、確かに生きることの哲学から除外される。

「色心不二」の人間が「異体同心」で生きる。

「身の財よりも、蔵の財優れたり、蔵の財よりも心の財第一なり」

人間とは「色心不二」なんだ。

どんなに切り離そうとしたって、結局は切り離すことなどできはしない。

出来ないことを可能にしようとする矛盾。

意味不明。

人間が生きることの矛盾の中から、その矛盾に挑戦する。

不可能を可能にする哲学。

価値ある創造。

色心不二の人間が「異体同心」で生きる。

「身の財よりも、蔵の財優れたり、蔵の財よりも心の財第一なり」

人間とは「色心不二」なんだ。

人間とは、そうして生きなければならない。

人間だから。

人間の進化は、より、人間らしさを追求する。

善が勝つか、悪が勝つか?

世の中のヒーローといわれるのは、善。

世の中の悪。

その相対の中に生きる人間。

その相対を常に表裏一体の中に生きる人間。

わたしの中の善が勝のか、わたしの中の悪が勝つのか?

「異体同心」とは、絆。

「身の財よりも、蔵の財優れたり、蔵の財よりも心の財第一なり」

わたしがこのブログで語るわたしの中の信仰。

貴方が語る、あなたの信仰。

それは、全部、人間の中の「心」から発せられている。

信仰とは、宗教とは、信じる事を越えたところにある、わたしの生命の中の確信であり信念。

わたしの心のより深いところからほとばしり出るパッション。

わたしの生き方を左右している。

人間がより人間らしく、この世の中の人間が生きる世間、社会に生きる。

「色心不二」

「【身の財】よりも【蔵の財】優れたり蔵の財よりも【心の財】第一なり」

「異体同心」



わたしが、今を生きるための最高の方法を選択することを可能にする。

わたしの人生は、最高の人生だったと、己の人生を振り返りたい。

人間がより高い山の頂上を目指せる確かな哲学。

桜梅桃李。

今を生きる。



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65点の人間が完成された独立自尊の人生を歩める哲学


わたしは、ネットで釣りをする人が大嫌い!

0点なんかじゃ許さない♪

100点とるひと大嫌い♪

知っているのに ワザとまちがえる♪

65点の ひとが好き 好き 好き♪

恋人試験/松本ちえこ



「知っているのに、わざと間違える」っていうのが、とっても懐の深い大人の人間を感じる。

人間に100点満点なんて絶対にいらない。

いてたら気持ち悪いし、そんな人には、誰も近寄ってこないんじゃあないかな?

だから、知っているのに、わざと知らん顔をして

この世の道理を語る。

ええ加減の世の中で満足する。


世の中の不幸な人は、不幸のかずを数える。

世の中の幸せな人は、幸せの数を数える。

人生を生きる人間の幸・不幸なんてそんなもんだ。

幸せも不幸せも、ほんのすぐ隣にある。

今が幸せと思えば、幸せ。

今が不幸と思えば、不幸せ。

メーテルリンクのチルチルとミチルの「青い鳥」。


辛いという文字に、横棒を一本足せば、幸せになる。

簡単なこと。

幸せを数えたら、片手にさえ余る♪

不幸せ数えたら、両手でも足りない♪




昔の人は、不幸だった。

でも、今は、もっと不幸だよ。

そんなことを嘆く大人は、幸せかい?

いつの時代も、何も変わらない。

変わってなんかいないんだよ。

ホントはね♪

でも、そんなことを信じる人間はいないね。

信じるか、信じないか?

信じなくても、信じても同じことさ。

確かな哲学は真理を告げる。





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