幸せも不幸も紙一重:誰かの為に戦う人間は強い


2011年の今年の漢字、一字。

「絆」

当然、東日本大震災で、失われた多くの命、そして、被災された多くの人達。

「頑張ろう日本!」を合言葉に、復興の為に多くの人達の真心が、結集された。

人と人との確かなつながり。

真心の結集。

それは、人間と人間が、感じあうことが出来る見えない糸。

絆。

誰かの為に戦う人間は強い。

今年の目標は、笑顔だった。

本当の笑顔を取り戻せそうな一年だった。

とても充実していた。

でも、今、そして、これから後にも、先にも、決して忘れてはいけないこと。

謙虚さ。

報恩感謝。

今、生きている。

わたしにとって、今、こうして、生きているだけで丸儲け。

なのに、本当の笑顔の裏には、傲慢という悪魔が、きらりとわたしの汚い人間の本性を剥き出そうと、にやりと薄笑いを同時に浮かべてる。

幸せも不幸も紙一重。

一瞬。

己という人間の中に、確かに存在する傲慢さと、愚かさ。

己という人間を、生かすのも、殺すのもわたし自身。

人の言葉に左右される弱いわたし。

過酷な環境であればあるほど、わたしの強さの中に潜む傲慢が牙をむく。

わたしを地獄へと引きずり落とそうとする力が働く。

謙虚に生きる。

報恩感謝の真心が、わたしの中にも確かに存在する。


どんなときにも、誰かの為に戦える人間になりたい。

わたしにとって、私よりも大切な人の為に。

己の中にある汚いエゴ。

自分の為にしか、生きることが出来ない弱い人間達。

誰かの為に戦える人間は、素晴らしい。

『常に高潔な人間とは、富や名誉や肩書きなどに基づくものではない。

感謝に基づく報恩の大切さを知るものが、心から決意し、行動を起こしていくことが出来る人間のことである。

報恩の誠を尽くすことこそが、人間として真の生き方である。』



そこにあるのは、確かな絆。

誰かの為に戦う人間は強い。

そして、尊い。

今年も一年、ありがとうございました。

来年は、今年よりもさらにきっといい年になる。

昨日よりも、今日。 今日よりも明日。

「月々日々につよりたまえ」

強くて、尊い、確かな哲学。


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人間が今を生きるということは不可能な任務


確かな哲学に従って生きる。

「それはあなたが決める事です。」

人間が人間として、より人間らしく生きる。

生きたい。

二度目の人生だもの。

当たり前に生きる事さえ出来ぬ人間が、当たり前に生きる。

わたしが、人間として与えられた時間を生きる。

確かな哲学を求める人間して生きることの不可能な任務。

その不可能な任務を可能にする・・・。

あんたは、誰やねん?

現実を生きることで確かな哲学を、己という人間そのものに刻み込む。

人間の中の可能性を開く。

誰もが主役になれる。

ひとりひとりの中にある不可能を可能に導くことのできる領域。

一番、簡単で、一番、難しくて、一番、最強。

人間が、より、人間になれる一番の近道の法則。



■世相・雑感・コラム | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人間に待ち受ける人生最後の審判


人間の寿命はあまりにも長すぎる。

長く生きながらえていても、家族や社会、世の中に迷惑かけるばかりだ。

働くこともできず、ただ、毎日をロボットのように生き続けることのために、一生、病院へ通う。

死ぬまで薬を飲み続ける。

死ぬまで、週三回、半日を費やして人工透析のためにクリニックへ通う。

生きる事は、なんなんだろう。

人間生きて50年。

その時代に比べれば、平均寿命は、80歳。

あまりにも長すぎる。

あまりにも長く人生を生きた老人、年寄り、高齢者達。

長寿社会。

未曾有の超高齢社会は、幸せな世の中か?

何のために、病苦にまみれながら、長い人生を生き続けるのだろう。

人間は、死ぬまで生きなければならない。

死という瞬間が訪れるまで、自らの命で生きなければならない。

いっそのこと、死ねたらどんなに楽だろう。

もういいよ。

世の中、社会、家族の厄介者になって、他人に自分の尻を拭いてもらうようなお荷物になって、それでもなお、生きなければならないのなら、安楽死させてよ。

殺してくれていいよ。

お年寄り、老人がこれからさらに増える。

あまりにも長く人生を生きた老人達の超高齢化社会。

これからを生きなければならない世代が抱えるお荷物。

わたしが、介護という世界でミタ、人生を長く生きた大先輩である老人という言葉で一括りにされる人間達。

長生きしてごめんね。

長く生きてきた人間の最後に待ち受けるものとは、「今を生きる」ということの結末。

今が、「地獄」か「天国」か?

地獄や天国は、あの世にあるものではない。

今を生きるこの現実にある。

生きることから遠ざかる、人生をあまりにも長く生きた老人たちの地獄と天国。

現実。

そこに向かって今を生きている。

「今を生きる」

そこに確かな哲学を求め続ける。

人間の寿命はあまりに長すぎる。

しかし、今を生きるために与えられた人間の寿命には、意味がある。

確かな価値がある。

どこまでも人間の価値を創造する。

どんな人間にも価値を求める。

確かな価値を知る哲学。


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今を生きている人間の「涙」と「笑顔」の価値と意味


死ぬまで二度と笑うなって言われたことを、もう、忘れて!

これからは、楽しい時や嬉しい時は私達と一緒に笑ってくれないかな?

それは、無理です。

どしてもとおっしゃるなら、お暇を頂きます。

お母さんになって!

承知しました。・・・・・



「家政婦のミタ(日テレ系)」の第十話(息子よ、夫よ、お願い...私も天国に連れて行って!) からのドラマのセリフの一部。

来週の12月21日(水曜日)が最終回。

松島菜々子演じる家政婦の三田 灯(みた あかり)。

心を映し出す感情を表すことのないまるで能面のような表情。

瞬きをしない見開いたままの彼女の瞳には、目の前の現実は映っていない。

彼女が十字架として背負深く、重たい荷物。

「自分の意志で動くと、周りが不幸になる」と自分で自分を呪い続ける。

「決して、死ぬまで笑わないで!」

わたしの笑顔は、愛する人を不幸にする。

優しくなりたい。

自分だけじゃ寂しい。

強くなりたい!

優しくなりたい!

「家政婦のミタ」の主題歌「やさしくなりたい」より



わたしが、子供の頃に、覚えたお世辞。

わたしが、子供の頃に、覚えた作り笑い。

不幸な家庭の中で、本当の笑顔なんて生まれるはずは無い。

そんなわたしの過去。

わたしの家族には、障害者がいるから、自分は人より幸せになることはできない。

小学生の子供の頃に、口から出た言葉は、大人になった今でも、記憶の中から離れずに、現実生活の意識の中で現れては、わたしの心を苦しめる。

家族の不幸が原因なんだ。

家族が不幸だったから、わたしが不幸だった。

結局は、その言葉は、わたし自身への呪いの言葉になった。

わたしの人生には、本当の幸せというものを与えられることは無かった。

目に見える物だけの世界の幸せに見せるための道具は、たくさん揃えることが出来た。

お金だって必要十分。

わたしには、お金が十分であり、お金を求めることが、心の満足を得られることだと、当たり前に、そのことのみに執着した。

信じられる本当に大切なものを信じることが出来なくなった人間にとって、信じられるものは、この世の目に見える物しか、心には映らなくなる。

心に映るんじゃあない。

己の生命につながる「心」という回路を切り離し、「脳味噌」という思考回路の中の損得勘定で生きる。

要するに、パソコンに毛の生えたような程度の人間に成り下がる。

いつまでたってもわたしに幸せは、やっては来なかった。

両親が互いの愛情の無い家庭に生きる孤独。

家族に障害者のいる家庭。

両親の顔色ばかりを窺い続けて、世間体というものばかりを気にする。

そんな不幸な人間には、心の中で引きつらせながら笑顔の作り笑いが上手な子供。

大人になっても、心を開くことのできず、本当の笑顔になれない人間になった。

過去を断ち切ることは不可能なことなのだ感じる。

所詮、人間なんて気の持ちよう、気持ちの切り替え方次第なんて、アホなことを延々と語る馬鹿がいる。

気持ちを切り替える事だけで、過去を断ち切ることなんて出来るのなら、人間がこの世を生きる意味を知ることなんて、生きている人生で、一分もあれば今の時代は事足りる。

過去と現在と未来。

人間が生きることの現実は、一人の人間の過去と現在と未来の人生。

生まれては死んで、生まれては死んでを繰り返してきた人間が生きてきた過去。

人間に生まれて、人減を生きることの意味。

わたしは、そのことの意味を生きてきた過去の多くの失敗から学んだ。

今を生きている人間の、その瞬間(とき)の「涙」と「笑顔」の意味。

あなたは、今、わかろうとしているの。

人間らしさを取り戻そうとしている。

いま、現実にみえる家族のお蔭で・・・・



ドラマのなかの家政婦の「ミタ」に対する台詞が印象的だった。

最終回、ミタさんは、本当の笑顔を取り戻せることが出来のかしら?



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病膏肓に入る:「変人」の領域を越えた「神」を「ゴミ」(塵)と呼ぶ


自分だけの偏った見方や狭い考えを「我見」という。

人間は、「神」になれるという。

人間は完全な創造物なんだという。

私利私欲を捨て、「我欲」に囚われず、執着せず、「無我の境地」を開きなさいと説教を垂れながら、自分自身に洗脳された思想の「我見」に執着する。

完全な創造物であるというはずの人間の、不完全な矛盾。

世間という中で、人間が生きる。

その中で、他者という存在を尊重できず、謙虚に学ばず、理解をしようとせず、自説のみが正しいと意固地になる。

人間の社会の中で、自説と他説の意見の調整や折り合いを付ける事さえできなくなる。

他者を否定する。

かたくなな様子。

人間がより人間らしく生きることから遠ざかる。

これを「我見」とは言うなり。

まあ、こうなると当然、人間社会の中から鼻つまみ者として、多くの人間が相手にしなくなる。

「病膏肓に入る」は、「やまいこうこうにいる」と読む。

なんだか難しいね。

簡単に言うと「救いがたい馬鹿」ということになるね。

人間は、神にも悪魔にもなれる。

確かにそう思う。

でも、神と悪魔とは、全く別な存在なのだろうか?

意固地な「変人」の領域を越えた「神」。

それこそ、「悪魔」と呼ぶにふさわしい。

「おれは神だ」という人間こそ、「悪魔の本性を現した人間の姿」だろう。

そんな「悪魔」と呼ばれる人間のことを、「煮ても焼いても食えないろくでなし」という。

病膏肓に入る「変人」の領域を越えた「神」は、「(カミ)」とは読まない。

「ゴミ:ごみ(塵)」と呼ぶ 。



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今年の漢字【涙】:涙よなら!涙よこんにちは!


2011年、今年の漢字が発表されました。

「絆」

毎年、12月の12日に京都の清水寺で、その年の世相を映す漢字一文字が選ばれる。

12月の12日は、「いい字一字」と読み、毎年「いい字」を少なくとも「一字」は覚えてほしいという願いを込めているそうです。

去年は、夏の猛暑を反映して、「暑」が選ばれた。

2009年は、新。

2008年は、変。

2007年は、・・・もう、いいっか。

森清範貫主が特大の和紙に筆で書き上げた「絆」と言う文字。

そこに何を映し出すのだろう?

絆が断たれたの?

絆は必要なの?

絆はあるの?

絆で救われたの?

絆を確かめ合うことが出来たの?

人間失格」という歌が、日本有線大賞で、「有線問い合せ賞」を受賞した。

何だこの詩?

○○してますか?

○○してますか?

○○してますか?

この歌詞をみれば、この詩を聞けば、

今、生きている人間は、みんな「人間失格」の資格を持っているよね。

「明日は、明日の風が吹く」

この詩を創った「Metis(メティス)]は、自分自身が「人間失格」なんだろうね。

この詩からは、何の哲学も感じない。

兎に角、この詩がすべて、人間失格なんだ。

○○してますか?

○○してますか?

○○してますか?

と問い続ける。

しかし、最後には、あきらめじゃあないか?

「明日は明日の風が吹く。」

なんだこの詩は、・・・。

間違いない、すべてが人間失格。

明日は明日の風が吹くのなら、人間やめろ!

ラララ・・・。

この詩は、失格だ。

人間が人間らしく生きる事から遠ざかる。

明日は明日の風が吹く。

人間失格。

負け犬人生確定。

今年の私の漢字は、涙。

人間が流す涙。

そこには意味がある。

人間の持つ心の動きを表現する感情。

その感情は、目には見えない。

でも、涙としてみることが出来る。

怒りの涙。

苦しみの涙。

あきらめの涙。

喜びの涙。

感謝の涙。

涙に対して涙する涙。

【涙】という文字。

今年のわたしの漢字【涙】なんです。

「涙くんさよなら!涙くんこんにちは!」

生きている間、涙と付き合いたい。

涙を流せる人生でありたい。

わたしの今を生きてることの涙の意味。

去年の涙。

そして、今年の涙。

今年の涙には、笑顔がある。

今年の涙には、感謝がある。

辛さの涙から、幸せの涙に変わる。

「辛」いと「幸」せ、たった一本の横棒を足すことに、わたしの過去の苦しみがあった。

苦しみの意味を、今を、一日一日、生きる人生の中で体得することが出来た。

「生きているだけで丸儲け」の人生。

「ありがとう」を心から感じ取ることができるわたしに涙。

心からの笑顔を取り戻せそうな気がするわたしに涙。

生きていてよかったと確信ができる私に涙。

明日は、明日の風は絶対に吹かない!

お前は風見鶏か!

明日は、明日の風が吹く、なんてことを言ってる奴は、アホな人間失格!

明日の風は、自分で起こすもんだ!

確かな哲学の無い人生は、あきらめの風しか吹かない。

明日の風も吹かない人生だ。



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現実に見える世界に真実はない、見えぬ世界に真実が実在する。


現実に見える世界に惑わされて、愚か者として生きる。

堕落した生き方とは、現実に見える世界が全てなんて言って生きている奴。

そんな奴は、もはや未来のために今を生きる「人間」とは言わぬ。

真実を見ようとせず、嘘と方便に塗り固められた、目に見える現実世界だけを真実として生きる愚かな者。

愚か者。

者じゃあないね。

物だね。

物が目に見える物に支配されて生きる者達。

そんな者達が、偉そうに人間を語りだしゃあ、人間の未来は、猿の惑星さ。

こんな奴が世界に蔓延れば、もはや人間を人間と呼ぶ必要はない。

猿だ。

家畜だ。

未来に猿が蔓延する世界は、誰が支配している?

きっと、妄想と空想の延長線上にある摩訶不思議なファンタジーな世界が現実となっているのだろう。

人間として生きる資格を失う物として存在する猿の世界。

見える世界に人間が生きるための道理など求めたところで、そこに真実を発見することはできない。

見えぬ世界に人間の生きる道理がある。

愚かで馬鹿な人間が求める短絡的な合理的主義の真実とは、人間が、より人間として生きることが不可能な非合理的主義なんだ。

「諦め」と「観念」のみので生きる者は、人間の中の未知の可能性を、不可能に導く。

愚か者。



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見えないものを心に映し出せる能力を与えられた創造主


この世に今、生きている人間。

人間こそ、全知全能の創造主。

その与えられた能力。

「ああ、わたしは、なんて謙虚なんだ」

人間自らが不可能を可能にして獲得し、進化し続けてきた能力。

人間らしく、更に、より人間らしく。

人間の得意技とは、見えないものを己の心のスクリーンに映し出せる能力を持つ。

この世の法則。

宇宙の法則。

人間が生きる道理。

哲学。

人間が生きてきた歴史。

より人間らしく生きることを求め、多くの人間達が遺した生きた事実、その足跡、多くの言葉。

一人ひとりの人間の未来。

明日のために、今を生きる。

大切なのは今。

過去も未来も全部、今というこの瞬間を最高に人間らしく生きるためにある。

その大切な過去。

折角、多くの人が残してくれた「今という瞬間をより人間らしく生きようとした事実の集まり」。

過去の遺産。

それらを大切にしなければならない。

私の大切な過去。

過去の多くの失敗は、明日を生きる自分の姿を創りかえるために、今を生きることの大切さと、確かな意味を与えてくれる。

生き甲斐。

世の中には、全く、「お気の毒」な人が多い。

「お気の毒」

毒にもなる「気」。

でも、「気」は、毒にもなるけど薬にもなる。

あんたは、「気」が利かんから、あたしゃあ「気」に入らん。

「気」は「心」。

気なんて心によってコロコロ変わる。

心。

全くお気の毒な人の心は、人間の見えない大切な部分と真正面から向かい合わなかった人達。

そんな奴らが、自分を人間と呼ぶなんて、おこがましい。

見えぬ人間の心の奥底に厳然として存在する全知全能の創造主。

生命。

「気が変われば、生き方も変わる。気の持ちようさ。」

そんな馬鹿なことは、軽薄短小で刹那な嘘っぱちな生き方しかしらないお子ちゃまの戯言。

膨らんだ薄っぺらい風船を針で突つけば、すぐにパンクして吹っ飛ぶような、上っ面の小細工だけの説教で、人間の生き様が変わるようなら、それこそ、人間の価値なんてゴミや埃と同様、吹けば飛んでしまうような虫けらと一緒さ。

気を変えるためには、心が必要。

その心を変えるためには、意志が必要。

強い、強い、意志。

意志とは、決意。

毎日を生きる事。

「意」を生き様に変えれば、「気」に届く。

人間こそ、全知全能の創造主。

そこに必要なもの・・・。

見えざる心の錬金術。

その触媒とは?

錬金術を可能にする触媒。

賢者の(石)意志。

確かな哲学。


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心に毎日、水遣りを欠かさない。


人間は、物に従って生きる動物ではない。

人間は、物を創り出す動物であり、不可能な物を産みだす動物である。

その不可能を可能にすることが出来る人間。

人間が生きることは、進化をさらに進めることが出来る。

不可能を可能にする。

人間は物に従って、支配されて、生きる動物ではない。

物と同じように犠牲になっている動物ではない。

人間が持つ不可能を可能にする能力。

生きることによって与えられる。

人間として生きることによってのみ与えられる。

人間。

人間が成長するために必要な心。

精神とは別物の世界にある。

精神をコントロールすることが出来る心。

物としての肉体をコントロールすることの出来る心。

強靭なる心。

鋼のような心。

柔軟な心。

人間が、より、人間らしく生きることに最も大切な心に毎日みずやりを欠かさない。

枯れてない?

コロコロ。

定まってる?

心。

確かな哲学における「心」とは、己の今、そのものを映し出す「生命」の異名なり。


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自らの信心によって清々しい一日が始まる


小さな神社の鳥居の正面付近にほんのすこし空いたスペースがある。

その正面から少し下がったところに、私は、訳があって車を止めた。

まだ、朝の通勤、通学の時間。

神社の横道に沿って、この先に少し歩けば、私鉄電車の駅がある。

また、駅からこの神社を通って先を行けば、歯科大学などいくつかの大学がある。

駅に急ぐサラリーマンを横目に見ながら、神社の鳥居近くに止めた車の中で、用事を済ませていた。

行き交う人達。

その中で、大学へ通うのだろう、駅から歩いてきた若い男性が、私の車を止めているほぼ、正面近くで立ち止まった。

下向き加減で車の中で用事の最中だったけど、気になったので顔をあげて、私の車の正面に背中を向けて立っているその若い男性の様子を窺った。

その若い男性は、私の車を止めてる真反対にある神社の鳥居に正面から立っていることになる。

すると、鳥居の正面奥には神社がある。

駅から歩いてきて、これから大学へ通うのだろう。

その所作は、ごく自然で、彼の毎日の当たり前の日常の行動の一部であるかのように見えた。

彼は、鳥居の先に向かって、軽く会釈して参拝を済ませ、大学のある方向へ歩いて行った。

清々しい。

大切な信仰心。

拝む対象は違っても、一人ひとりの人間にとって、信仰心はとっても大切。

信仰が生活の一部となる。

感謝の気持ちが生きている人間の心の中に常に当たり前に行動として表すことが出来る。

信心というのは、一人ひとりの中にある。

口を開いてひけらかすようなものでもなんでもない。

日常の何気ない動作、振る舞いに、信仰心が全部現れる。

拝む対象は、違っても、私が見たその若い男性の行動は、自分の心をすっきりとリセットしてくれるような姿に映った。

私の信仰の中にある哲学は、今というこの瞬間を生きることに尽きる。

生きているだけで丸儲け。

生かせていただける感謝の気持ちを常に忘れない。

報恩。

今。


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