「奇跡」とは、起きるから「奇跡」と呼ぶ

言葉は、人間に不可能を可能にする力を与えることができる。


言葉自身に、価値があるわけではない。


言葉自身に、力があるわけではない。



言葉に価値と力を付け足すのは人間。



受け取る人間の中に、その言葉の持つ本質を引き出す力がある。


受け取る人間の中。




奇跡とは、起きるから奇跡という


これって、テレビドラマ「家政婦のミタ」の中の台詞だった。



奇跡とは、普通は絶対に起きない出来事が、そうなってほしいと願う人間の強い意志で起こる。奇跡は、起きるから奇跡と言います。自分には無理だとあきらめている人には、絶対に起こせません


こんな台詞。



たかが台詞、されど台詞。


わたしには、「されど台詞」なんだ!



奇跡という言葉。



奇跡という言葉がある以上、奇跡とは起こるものなのだ。




奇跡は起こらないから奇跡と呼ぶという人間もいるだろう。



そんな人間には、己の中の不可能の壁を打ち破るための限界を超える奇跡は、当然のことながら、絶対に起こることは無い。



奇跡は、起こるべくして起こる。



奇跡とは、偶然でも棚ボタでもなんでもない。


奇跡とは、必然的になせる業なのだ。



成功(天才)は、1パーセントの閃きと99パーセントの汗



99%助からないと言われても、残りの1%の奇跡を起こすために、決してあきらめない努力を続ける事。



不可能を可能にする努力をあきらめない所には、たとえその扉が閉じられようとも、扉が閉じられた瞬間に、次の不可能を可能にする扉を開くこと出来る。



わたしの父は、この世でたった一人。


今、わたしの中で奇跡を起こせる瞬間。



諦めない。



奇跡が起きることを信じるんじゃあない!



奇跡は、自らの力で起こすもの。


現実を真正面から受け止め、あきらめない気持ちと勇気をどこまでも持ち続け、絶対に逃げないと誓った私自身の力をどこまでも信じる。



わたしの中の不可能を可能にする奇跡。



わたしの境涯革命。



私という人間を変える事は、決して不可能なことではない。




懸命に自分の命と闘っている父。



わたしは、今、何が出来るのか?



わたしに与えられた使命。



果たさんかな。


意識不明の父。


父の奇跡を起こすのは父自身。



父とわたしの大切な時間。



互いの奇跡。



わたしの奇跡と父の奇跡。



セレンディピティは、偶然では無く必然的な努力の結果


「セレンディピティ」の獲得とは、常に、努力を怠らない中で、教わるものではなく、己の中からの「気付き」、「気がつくという力」である。




自らの幸福は、自らの力と勇気で勝ち取るもの。



お父ちゃん!


互いの奇跡を、互いに信じようね。


毎日、父の姿を焼き付け、心のスクリーンに刻む。


あなたは、あなたの奇跡を決してあきらめていない。



わたしは、わたしの中の不可能の可能にすることのできる奇跡をどこまでも信じる。



『人間万事塞翁が馬』


『生きているだけで丸儲け』



父の今の姿が、奇跡なのかもしれない。



こうして2度目の人生を生きているわたしの今の姿が奇跡なのかもしれない。




気が付く力「セレンディピティ」



人間の不可能の可能性にどこまでも挑戦する哲学。




賢者の石。

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【本因妙】:原因と結果を真正面から受け止める

物事のとらえ方というのは、とらえ方一つでその結果が大きく変わる。


でもそのとらえ方というのは、微妙に似ている場合がある。


でも、結果としては全然違うし、真逆な場合もある。


物事の本質に辿りつくというのは、なかなか難しい。


とらえ方や見方によって見え方が違ってくる。


物事の見方やとらえ方の道理によって、答えも違ってくる。


原因と結果。


現在の結果は、過去の原因に基づくもの。


未来を変えるのは、現在の結果を未来の因としてとらえることが出来るかどうか。


不幸になったことが過去に基づく結果ではなくて、そうなることは未来の幸せを築くための因なんだ。


原因と結果を追求する。


より人間らしく生きることを目指すことの過程において、物事の原因と結果を見つめ微妙なとらえ方に拘るのは、現実をより力強く勇気をもって歩いていくことの一歩の価値を高めることが出来る。


現在の結果は、自らが招いた過去の「因」。


現在の結果は、未来につながる大切な「因」。


因果具時。


『過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ』


因果応報。


こうなったことが何かの結果ではなくて、こうなったことが何かの因となる。


本因妙。


今を生きる私の哲学。






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わたしという人間の可能性をどこまでも信じて生きるんだ!


わたしという人間。

現実のこの世を人間として生きたい。

更に、より人間らしく、どこまでもわたしらしく。

絶対的な幸福境涯の確立。

己の今という現実を生きることの連続につながる先に辿りつくゴール。

死。

死ぬこと。

「人間」として生まれて、「人間」として死んで行く。

人間が生きている間を人として生きる為の哲学。

それは、己の信心によって生命に刻まれる。

一人の人間として後悔のない人生を、死へのゴールまで生き切るための絶対的自己確立。


独立自尊の人生を。

わたしは、人として人間を生きる人生の『独立自尊を体得したい。

どこまでもわたしの中の根本の哲学に基づいて。

それは、みずからの生命に明かりを灯すこと。

それは、自らの使命に生きることに突き進むこと。

わたしの使命。

わたしの生命を無限に広げて行くための境涯革命。

わたしの人間の中の不可能を可能にする大切な宝。

わたしが人間として今を生きる価値創造。

わたしの哲学は、わたしという生身の人間が、現実の世界を人間として生きられる。

それは、わたしという人間をどこまでも、どこまでも信じきること。

わたしが私らしく生きる

煩悩即菩提。

衆生所遊楽。

楽しみたい!

誇らしく生きたい!

私は、わたしという人間を楽しむために生まれてきた。


苦楽共に思い合せて・・・。

「おとうちゃん!」

ありがとうね。

これからも一緒に生きて行こうね!

桜梅桃李。

今を生きる。




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奇跡の人『ヘレンケラー』:人間の見えない心を言葉で紡ぐ

風邪をひいて熱と激しい頭痛で、何もできずにベットに寝ている間、奇跡の人『ヘレンケラー』の映画を見た。



言葉があれば闇は無い、言葉が光を導く』という台詞が映画の中でとても印象的に残りました。



言葉というものがあるのを、

はじめて悟った日の晩。

ベットの中で、私は嬉しくて嬉しくて、

この時はじめて、「早く明日になればいい」と思いました。

              (ヘレンケラーの言葉より)






人生で3重苦を背負いながら見事に世の中に貢献した奇跡の人「ヘレンケラー」の人生。



物には名前というものがあるということを知る。


言葉があるということを知る。



ヘレンケラーの中に人間として生きる人生のあかりが灯された瞬間。




言葉は、人間の心の中の見えない大切な思いを見える形として伝えることができる最高のツール。


最高の言葉があっても、そこに「真心」の先につながる人間の命、生命を感じ取ることが出来なければ、私達が人間対話を求める究極の哲学を生きることにならない。


美しい文章を浅墓な知恵だけで考えても、そこに踊る美辞麗句なんて嘘っぱちだとすぐにわかる。


私達の仏法を根幹とする生きた哲学は、事実を伝える言葉を磨くだけの方法論などではない。



どんな言葉でさえもそこに「心」が映し出されなければ、最高の言葉と言葉を紡ぐことなんてできやしない。



究極、言葉なんて無くてもいいのかもしれない。



現実には何も無い。



ヘレン・ケラー

ヘレン・アダムス・ケラー (Helen Adams Keller)。

1880年6月27日生まれ。

米国アラバマ州出身。



見えない、聞こえない、話せないという人間が生きることの上においての3重苦という重い障害を背負いながら、世の中の障害と闘う人々のために世界の福祉に貢献した奇跡の人、ヘレン・ケラーとアニー・サリバン先生の半生を描いた「奇跡の人」はあまりにも有名。




ヘレン・ケラーの名言集

・人生は、「勇気をもって挑むか、棒にふるか」のどちらか。


・あなたの顔を日光に向けていなさい。そうすれば陰影を見なくてすむ。いつも真理に目を向けていなさい。そうすればあなたの心から不安、心配は消える。



・ひとつの幸せのドアが閉じるとき、もうひとつのドアが開く。


・もしも、この世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばない。


・世界を動かすのは、英雄の強く大きなひと押しだけではありません。誠実に仕事をするひとりひとりの小さなひと押しが集まることでも、世界は動く。



・人生の目的は何か、などと堅苦しく考える必要はない。楽しく生きて、この世を去るときに、「生まれてきて良かった。幸福な人生だった。」と振り返ることができたら、その人は人生を楽天主義者として過ごせた成功者だといえる。





ヘレンケラーの名言集は、わたしが確かに現実を生きるための哲学と何一つ変わらないことに改めて心から感動させられました。


確かな現実を生きることに、懸命に生きた人。


言葉に、命を与えるための人生を賢明に生きたヘレンケラー。



【送料無料】奇跡の人ヘレン・ケラー自伝


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人生の病根は傲の一字


人間の持つ感情。

心によってコロコロと移り変わる。

感情から冷静へ!

冷静から理性へ!

人間がより人間らしく生きる。

確かな哲学に基づいて生きる。

わたしにとって今を生きることは、この世での2度目の人生を生きる事。

そう誓ったはず。

傲慢に生きてきた過去の己の愚かな人生。

わたしにとって今を生きることに求められているもの。

感謝と謙虚さ。

そうして生きる事のみに、わたしの第二の人生を生きる価値を創造することが出来る。

感情に流される愚かな毎日。

人生の病根は傲の一字

自身の運命を変えることが出来るのは、私自身でしかない。

ありがたい。

ほんとうにありがたい。

今、こうして自分の病の根源と闘うことからあきらめない。

わたしが、今、最高に自らの可能性を開く時。

勇気を出して、一歩前へ!

恐れるものは何もない!

失うものは何もない!

失うものなど何もないのに、なんで、こんなに憶病になってんだ?

人間の中の弱さとは、一体、どこからやってくるのだろう。

私自身を苦しめるもの。

私自身に付け込んでくるもの。

今、変革のときなんだ。

感情から理性へ!

人間を変える。

私という人間を変えることに対する挑戦。

今こそ、境涯革命の瞬間!

心の奥底に消えかかっている炎。

輝かせ!

自らの使命を決してあきらめない。

希望と夢をどこまでも決してあきらめない。

今こそ、勇気。

その勇気を生命の底から湧きいだすための賢者の石。

己の生命のダイヤモンド。

確かな哲学を体得する。

桜梅桃李。

今を生きる。



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毎日、今こそが自分との闘いだねっ!お父ちゃん 

なんだか私は、しばらくの間にとても弱くなっていたよう。


辛いことから逃げないという思い。


辛いと思うから辛いんだ。


でも、そう思えば尚更、現実がしんどくなる。


何だろう?


どうして、こうなるんだろう?


どうして、こうなったんだろう?


わたしの人間として弱さ。


持って生まれた生命の傾向性。


自分という人間を変えるということは、無理なことなんだろう。


わたしは、自分がまた、昔のような自分に戻らされてしまうのだろう。


現実というものの恐ろしさ。


立ち向かうということに対する気持ちさえ失われていく。



心がどんどん消耗していくんだね。


心に灯された火がだんだん弱くなっていく。


体が辛い。


心も辛い。


辛いことに感謝。


でも、辛いことはもう嫌だ。


辛いことから逃げたい。


逃げたくない。


そんな葛藤。


でも、逃げている。



意識するとしないとに関わらず逃げている。



わたしは、病気に逃げているのだろうか?


自問自答するしかない。


自分で答えを出すんだ!


前へ進むために。


自分という人間の弱さと立ち向かうために。


逃げないことが私の哲学なんだ。


それこそが、私の「今を生きる」という価値を創り出す。



これが、私の中の創価。


マイ創価。

わたしの創価な生き方。



それは、現実を見つめて生きる今というこの瞬間にしか存在しない。



わたしは、きっと戻れる!


確かな哲学の証をわたし自身で証明する。

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病気の一歩手前「いかなる病、障りをなすべきや」の信仰を忘れるな!

「今を生きる」事。

わたしにとって、現実における課題。

いつの間にか、現実からいきることに遠ざかっていた。


いつの間にか、「今を生きる」ということから遠ざかっていた。


逃げていた。


一体なんだろう?


体も心もだんだんばらばらになっていく。


今、自分はどこにいるのだろう?

自分という存在が、自分の中から逃げていく。


私という人間がいるのに、この私の中には、私がいない。


私らしさがどこかに逃げて行った。


今の自分は、何かにただ操られて生きているだけだ。


自分でない自分が、今こうして日記を書いている。


私は、病気になった?


これは精神的な病?


うつ病?


自分を生きている実感が無い。


何でこんなに現実は、思い通りにいかないのだろう?


一日、一日、辛抱して耐えてきた感情が、一気に雪崩の如くに吐き出される。


自分でもどうしようもないほど、情けないけど止めることが出来ない。


そして、自己嫌悪に陥る。


私に今求められている謙虚さはどこにいった?


傲慢なエゴが通用するなんて思ったら大間違い。



疲れのせいで風邪をひいた。


一週間ほど熱と頭痛に悩まされた。


病気って言うのは、精神までも蝕んでいくものなのだと分かった。


今こそ、私の哲学の最高の宝を必要としているときなのに、そのことにさえ気が付くことできないほど、体と精神はボロボロって言う感じ。


情けないという思いがあるけど、心が前に進めない。


心の先が、私の確かな哲学を呼び覚ます生命につながる扉を開けようとしない。


扉が重たいのか、それとも、心が弱っているのか。


心が病んでいるんだね。



「いかなる病、障りをなすべきや」の信仰なのに・・・。


今、必要なものは、何?



わかっているよ!


はやく、戻りたい!


早く抜け出したい!


こんなはずじゃアないんだ!


今のわたしを、わたしの生命の鏡で映し出すことが出来ない。


私の哲学はどこに行った?





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「謝らない、申し訳ないと思わない」父の闘病記録:入院から50日

2012年3月3日:土曜日


父の病気の為に、わたしは、姉がオーストラリアの家族のもとへ帰って行った後も、毎日、毎日、通い続ける。



自らの意志で通い続けてきた。


「父が今頑張っているから、わたしも頑張ろう。」


「父を応援したい。」


それが、今、

わたしの心の中には、


「行かなければならない」という思いに変わっている。


「行きたい」という思いから、


「行くんだ」という思い、


そして、


「いかなければならない」



毎日続けていることを途切れさせることが、怖い。



「今日は、父のところへ行きたくない。」


「休みたい」



「今日、父の病院へ行かない」ということが、とても後ろめたいことに感じる。


なんで?


自分の心に強いストレスを感じる。



自分は今、なんのために一日、一日があるのだろう。


自分を失いそうになっているのだろうか?


自分に楽をさせてあげることに対する罪悪感。


父の付添い、見舞いに行かないということは、弱い自分に負けているのだろうか?



いや違う。


今日は、父の見舞いには、行きたくない。


合いに行きたいわけじゃあない。


でも、もう行きたくないんだ。


だからといって、誰にも、何に対しても、もう、


「ごめんね。」なんて思わない。


思いたくない。


「申し訳ない」なんて思わない。



おとうちゃん、分かってくれるよね。


いつも、そばにいるよ。


おとうちゃんは、わたしの心の中にいる。


だから、そばにいなくても良いよね。


自分が自分である時間を頂戴ね。


・・・・。


だから、謝らないよ。



今日は、朝だけ。

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父の闘病記録:入院から49日『お父ちゃん、弱いわたしでごめんね』

2012年3月2日:金曜日

父が、脳幹部による脳溢血で倒れたのは、今年、1月14日の土曜日のことだった。


今日は、3月2日。

暦の上では、立春を過ぎ、現実の日常も雪から雨に変わり、一日、一日、ほんの少しずつ春がやってくる気配を確かに感じることが出来る。


でも、桜の枝の蕾は、まだ、硬そうに見える。


父は病室で眠ったままの状態。


今日も意識は、戻らない。


1月、2月、そして、3月。


倒れた直後に、緊急入院してから50日近くなる。


父の病気との闘い。


それは、私達家族の戦いでもある。


倒れて以来、毎日、病院へ通う。


父が寝ている病院の7階の個室の窓から眺める外の風景にもすっかり慣れっこになった。


1日、24時間、やむことなく父の看護や介護をしていただく看護師さんや医師の方とともそれなりに馴染んでくる。


今、心拍数、血圧、酸素濃度、酸素の摂取率、呼吸数などを管理したモニターに映し出される数字は、一進一退を繰り返している。


気になることは、

酸素濃度が、3から5へ移行したこと。


血圧をあげる薬の量が、これまで6から7、7から8へ、そして、現在は、8から9へと少しずつ増やされていること。


少し前に、血圧が下がり容体が急変、仕事中だった、私の携帯に病院からすぐに来るように緊急時を知らせる電話があった。


なんとか持ち直したものの、その時以来、血圧を上げるための薬を点滴し続けている。


最近は、呼吸が止まる無呼吸の状態も以前に比べて多く、呼吸自体が浅いということ。



毎日、毎日、父の元へ通う。


父が入院した当初。


そして、入院から50日近く経過した今。


父の状況は、日を重ねるごとにしんどくなっている。


私も、毎日、毎日、病院へ通うことに慣れてきたというところを既に、通り越したところにいるようだ。


現実から逃げようとする弱い自分がそこにいる。


もう、一日、一日が辛くなってきた。


「なんで・・・」という気持ちが、疑問が、怒りが、知らぬ間に浮き上がってきて、今の私の心の中のなかで葛藤する。


葛藤しなければならない程度の私の弱い心。


わたしは、弱い。


今、苦しいから、この苦しみを誰かわかってほしい。



看護師さんの話では、近日の内、個室から相部屋の転室がある旨の話を受けた。


ただ、その話を「そうですか。 よろしくお願いします。」


としか答えることが出来なかった。


でも、そこには、たくさんの意味が含まれていることは、百も承知だ。



・・・・。


これから先、わたしは、どんな選択をすればいいのだろう。


迷いと苦しみのなかでの選択。


お父ちゃんをあきらめたくはない。


お父ちゃん答えてよ!


頑張っているんだよね。



そう、信じているからわたしもどこまでも、父の為に今、してあげられる最高のことをしたい。


親孝行できるのは、今しかないものね。



でもね。


わたしは、情けないくらい弱いんだよね。


ごめんね。





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辛いことは「辛い!」と言え!しんどいことは「しんどい!」と言え

なんでこんなに頑張らなくてはいけないの?


今、とても辛いのに「もう、これ以上辛くてできない!」といったらいけないの?


今、こんなに体も心もしんどいのに、「もう、これ以上しんどくてやれないよ!」って弱音を履いたらいけないの?


「わたしを殺す気?」って心の中で叫びたくなる時がある。


自分が今、一番何をすべきなのか、その優先順位がわからなくなる。


しかし、時間は過ぎていく。


しなければならいとい気持ちが先走りする。


心の中では、今するべきこと、そして、今現実の困難な悩みと先の見えない不安とやるべきことだらけで、やれないことのストレスなどが、入り乱れ、逡巡する。


今この現実を乗り越えなければならない。


気持ちは、焦る。


自分が今なすべきことを最優先させたいけど、今は、そんな場合ではないというもう一人の自分がいる。


今、すべきことに迷っては、躊躇する。

迷って、躊躇しながらでも、兎に角、目の前の山ほどあるなすべきことを片づけていかなければならない。



こんな時だからこそ、明るくならなければならない。



でも、あまりの現実の辛さに耐えられず、精神的に追い詰められ、無口になってしまい、涙が出てくる。


生きること。


それでも生きることを選択したわたし。


これが、生きる事なんだと納得しなければならない。


わたしが確かに生きている証なんだ。


時々、自分がうつ病にでもなるのではないかという不安。


そんなに今、自分は追い詰められているのだろうか?


人間というものは弱い。


いえ、私という人間が弱いのだろうか?


今の私。


父よ。


私は、今というこの現実をどこまで真正面から対峙して、自分らしく、頑張ることなく、確かな哲学に基づいて受け入れ、生きていけると思う?


おとうちゃん。

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