人間を生きる:宗教を信じる者は救われない

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生きる。

生きなければ。

生きる事が大事。

今を生きることに全力を注ぐ。

大事。

生きるための柱は何だ?

生きる理由は何だ?

生きること。

死ぬまで生きる。

理由。

わけ。

生きることの目的。

死。

わたしは、死という物から逃れることは出来ない。

生きる。

わたしが死という目的の為に、今を生きるという目標。

それは、生きるということだ。

人間を生きる。

私らしく、桜梅桃李に。

毎日を自信をもって生きよう。

それが、わたしの今を生きる目標を達成するための課題だ。

人間が生きる上で、悩みや苦しみは必ずついて回るもの。

でも、本当はそんなものは最初から有りはしない。

無いのだ。

全ては無。

悩みや苦しみ、悲しみ、嬉しさ、喜び。

全ては、何も無い。

無いということは、始めから人間はただ生きることに専念すればそれで良い。

人が無になると、生きることが簡単になる。

今日があって、明日がある。

無になってはじめてわかる。

人間が存在するということ。

そこに人が生きるということ。

私らしく桜梅桃李に生きるという事。

宗教を信じる者は、いつまでたっても救われない。

ありのままの自分を信じきることが出来る。

それが信心。

私の心を信じきることの出来る信仰。

宗教は信じるものでは無い。

宗教は学ぶものだ。

宗教の奴隷になってはならない。

宗教に利用されることがあっては絶対にならない。

宗教は利用する為にある。

宗教組織を維持する為に、学会員がいるのではない。

学会員は宗教を利用して、自らの信仰によって、自らの生命に信心の灯りを灯せばよい。

妙法とはそういうものだ。

最高の生き方を確立させるための信仰だ。

それは私自身なのだ。

私自身が宗教だ。

桜梅桃李。

今を生きる。



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心が「無」になると生きることが楽しくなる

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宗教は人間を救うことは出来ないのだ。

宗教を信じることによって、人が救われるのではない。

人として死んでゆくのか?

人間として死んでゆくのか?

人を信じようとすれば、まず、わたし自身を信じきることが必要だ。

私自身を信じきることを可能にするもの。

人間が生きることに、一つの答えを出すことなどできないのだ。

人間の生き方に道理があるのと同様に、人の心にも道理がある。

人の心は自由でもあるが、不自由でもある。

自己確立って何だろう?

自分が自分であることを知るためのアイデンティティーの確立?

自分って何だろう?

自分っていう存在はどこにある?

わたしという人間の体は存在はしているけれど、わたしという人間を動かしている存在は、どこにあるのだろう?

どこにあるのかわからない自分の存在を確立させる。

自分などどこにもないのかもしれない。

自分がどこにもない状態。

心の中が空っぽになる。

「無」。

空っぽではない。

「無」なんだ。

無色透明で「そこ」には何もない。

何もないのに、「そこ」って言う場所があるのもおかしい。

でも、心を無にすると生きることが楽になる。

心を無にすると無駄に悩んでいたことが意味の無いことだとわかる。

「無」っていうのは、素晴らしい。

それは、現実の今という瞬間を最も自分らしく桜梅桃李に生きることが可能となるから。

わたしという存在が持つ、これまで不可能にしてきた可能性の扉を開けることが出来るから。

無になることの喜び。

「無になれる」ことの不思議。

人生の灯りが更に大きく灯る。

「無」こそ、自己確立された自身という存在なのだ。

何もない自分こそが、桜梅桃李を生きることを可能する自分そのものなのだ。

妙法。

身近な人ほど、人間を理解することが難しいのではないだろうか?

父という人。

亡くなって今は、もういない。

父を理解したかった。

それは、私という存在の意味を知る為。

桜梅桃李。

今を生きる。


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奇跡は起こるべくして起こる:心こそ大切なれ。

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奇跡は起こるべくして起こる。

一つもいいことがなかった人生。

その人生の全てが変わる。

生きる意味が全て変わるからだ。

人間関係のさらなる強化。

私が私らしく桜梅桃李に生きる道。

奇跡は起こるべくして起こる。

妙法。

今日一日、明日という日、そして一か月先、一年先の自分の姿を思い描いて、一念を込めて一日、一日を生きる。 

すべては、具体的な目的と目標設定をする事が必要だ。

予定によって全て私の人生設計を立てる事。

明日の為に、今を生きよう、そして、始めよう。

一か月先の為に今を生きよう。

家族の為に、誰かの為に生きよう。

自分の為に何をしよう。


全てに目的を持つことが大切だ。

何かを始めるための具体的なスケジュールを作ること、計画とは、目的と目標に沿ったものでなければならない。

誰かを意識せず、自分が自分を越え続けるための今の自分よりも高くなるための目標だ。

具体的で現実という今を生きるための目的と目標だ。

心こそ大切なれ

当たり前に生きるには、心が大事なんだ。

人間が人間らしく生きる事。

心こそ大切なれ。

その心。

人間が生きる。

私が生きる事。

私がわたしである為に生きることに必要なもの。


己の心を限りなく無色透明にする。

私が、わたしらしく生きられる。

桜梅桃李に生きられる。

妙法。

目からうろこの自己をしっかり確立させるための法だ。

無になることが楽しい。

無になれる生命。

生きることが当たり前になる。

苦しいことが全て楽しさに変わる。

変幻自在の無。

心を心で練り上げる。

心は瞬間にして、形を創りあげる。

創造だ。

心で心を鍛える。

自分の心を自由自在に操ることが出来る。

わたしの頑固さの秘訣。

自己を確立し続けることができるその秘密。

わたしが生きている間、答えの出ない答えを出し続けることに挑戦する。

それが私がわたしらしく桜梅桃李に生きること。

今を生きる。

人間が確かに生きるための頑固な鎧を身に着けることが出来る。

その頑固な鎧とは、現実を悠々自適に生き切ることの出来る法だ。

妙法に南無すること。

見えない「心」に、確かに生きる明かりが灯される。

だから、当たり前に生きるには、「心」が大事なんだ。

心こそ大切なれ。

己の桜梅桃李の道を生きる。

心は無限なる宇宙だ。

何でもできる。

何でもできる心によって、人間として現実を当たり前に生きることを可能にする。

当たり前に生きることの難しさに挑戦するのだ。

桜梅桃李。

今を生きる。



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答えを出せる信心:人生を迷わずに生きる

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思考錯誤、迷い、答えを出せない生き方。

もう、卒業しよう。

生きる事の悩みからの卒業。

そうすることによって、現実を生きる人間の姿が定まる。

残りの人生を桜梅桃李に迷わずに、確立された自分を生きることが出来る人生。

妙法に南無すること。

「百聞は一見しに如かず」

「生きて見て」答えを出す。

それが私の信仰者としての道。

自分の生きる道を切り開くのだ。

自分の道は決して閉ざされてなどいない。

私の生きる道。

今を生きる。

その道。

信じる。

わたしの心。

妙法に南無することによって。

それが、私がわたしを生きるための桜梅桃李の哲学。

今ほど、信じることの難しさを感じる時代はないのではないだろうか?

己を信じることの難しさ。

自分の心を信じることが出来ないのに、なんで人の心を信じることが出来るだろう。

心というもの。

信じきることの出来ない己の心をどこまでも信じる事の出来るのは、妙法しかない。

自分の一生を自分らしく朗らかに、楽しく所願満足の人生を生き切りたい。

最高の信仰だ。

一番最短で自分を変えることが出来る桜梅桃李の哲学だ。

人に元気を与えた分、自分も元気になれる。

与えられる人間になれ!

私の心のコップから溢れた幸せを伝えることが出来る人間になれ!



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私が宗教だ!:自分の道は自分で開け

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今、「自分の道は自分で開け」というブッダの教えに共感する人が増えているということです。

「因果関係によって作り出されたすべてのものは無常である」(諸行無常)と智慧によって見るとき、人は苦しみを厭い離れる。

これが、人が清らかになるための道だという。

釈迦の仏教では「拝んで救済を願えば、死後、よい世界に生まれる」などということは一言も言っていません。

また、神秘的な力で人々を救済するような絶対者の存在も認めていません。

釈迦の仏教は、あくまでも自分自身が修行することで苦しみから逃れることができるという、いわば「自己鍛錬システム」。

2500年前にできたとは思えないほど合理的で、現代人も受け入れやすい教えなのです。

苦悩に満ちた現代にこそ、釈迦の言葉は力を持って我々の心に訴えかけます。

桜梅桃李の自己を確立するための「自己鍛錬システム」。

その鍵(キー)となるべき触媒とは。

妙法。

どこまでも己を信じきる自信。

自分という人間が存在する価値。

それは、絶対的なもの。

自分という人間の絶対的な存在価値。

一体、誰が自分を自分以上、信じることを知ることが出来るのだろう?

人間を信じることが出来る。

その前提には、己自身という人間を信じる切ることが出来る。

己という絶対的な存在。

全てを生かして、生かされているという思いを確信という信念に変えることができるのも、私の人間として現実を生きている己にたいする自信。

私が宗教だ!

一人ひとりが、自分の中に現実を確かに生きることの出来る宗教を持つ。

そう思える私の中の信仰心。

私の信心。

与えられたものから、私が現実生活の中で生きていく自信によって、人間としての価値を生み出す私の中にある私の宗教。

その私の宗教に対する信仰心を高めるための、私の信心。

一人一人の信心。

己の生きる哲学。

頑固に変化にこだわるための変わらぬ羅針盤となる思想。

自らの中に灯りをともさなければ絶対に生まれることは無い。

己の中の宗教。

私自身が宗教だ。

宗教とは、自分の弱さをたすけてもら為にあるのではない。

自信は、人間が絶対的に幸せにいきる為に大切なもの。

うぬぼれや傲慢につながるかもしれない。

でも、そんな時でも現実に生きている主人公である己の自信の存在を信じきることが出来ることは、己の中にある未知の領域を開く限りない力引き出せる力の根源となる。

宗教にのめり込み、宗教にこき使われ、ただ利用される愚かな人間にだけはなりたくない。

それは、この世の中で一番た大切にしなければならない自分という存在をどこまでも信じきることの出来ない弱さなのだ。

桜梅桃李。

今を生きる。


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