不自由な心で自由な「人間」を生きる馬鹿な「人」


心を不自由にして、人間の自由を生きるバカな人達。

バカな人の常識は、人間の非常識。

バカの壁、心の常識を打ち破る。

「身の財より心の財第一なり」



ではない。

「命」(生命)こそが一番大事なんだ。

「心の師となるとも心を師とせざれ 」



心の師とは何だ?

命(生命)だ。

生命とは、なんだ。

「仏」だ。

だから、決して、宗教の奴隷になってはいけない

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」



人の「言葉」に、人間の価値を見ることは出来ません。

現実を生きる「人間」の姿に、真実の「言葉」の価値が顕れる。

「言葉」に騙されるネットのバカな宗教活動に群がる「人」達。

「自由な心」を不自由にして生き、「不自由な人間」を、自由に生きるバカな人達。

桜梅桃李。

今を生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

人の心は「真実・道理」を知ることは出来ない:生命の変革


人間として生きる道理を知る(悟る)ことができる。

物事は単純に考えればよい。

単純に考えれば、事が済むことを、あーでもない、こーでもないと、複雑(弱い)な心で考えないことだ。

人間として、物事の道理に従った単純明快な生き方。

苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて



人間が人間として、より人間らしく、生きることが出来る道理。

苦をば、苦と悟る。

苦を滅する。

空。

解脱。

生かされている命(生命)。

妙法。

人間が仏に成れる道理。

己を生きることが出来る。

「人」の心に、真実を映し出すことは出来ません。

「人」の心に、道理を導くことは出来ません。

「人間の命(生命)」に、「真理」を導くことが出来る。

「真理」とは、何か?

「真実」の「道理」である。

人の心では、道理から真実を解き明かす真理に到達することは出来ません。

上っ面の人の心で、己の人間を正しい道理に生きる姿として、決して、真実を現すことなど出来ない。

だから必要。

その真理に到達することの不可能を、可能するものとは?

薄っぺらで頼りない「人の心」から、人間の命(生命)に届く「信仰」。

一人に一つの「信心」。

人間の命(生命)を変革する。

人間をより人間として生きることが出来る、仏になる、神になる。

人間革命。

その錬金術。

その真髄。

妙法。

桜梅桃李を生きる。



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人間を物として生かす人の道:生命


人間は、物である。

物として生きる事に、人の心を定める。

人の心は定まらぬ。

その心を定める為の妙案。

人間は物じゃあない。

人間は、人間だ。

だから、人間は、人間という物だ。

物には、今を定まる不自由がある。

諸行無常?

人間を物として生かす人の道を知る哲学。


私とは、生命なり。

「その物」を所有する「その人」を確立するための「信心」は、一人の宇宙、その生命に、一人ずつ。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。



生命 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-

はやく宗教を捨てなさい:「人間」を救うのは「人」


あのおじいちゃんの遺言、誰もが、「人間」を正しく生かし、活用することのできる究極のマニュアルなのだ。

「宗教活動よりも、人間活動だよ!」

「宗教」は、「人間」を救うことは出来ません。

「人間」を救うのは、「人」です。

「人間」を正しく生きなさい!

これが、あのおじいちゃんの遺言だ。

「人」として「人間」を生きることにとって大切なことは何だ。

道理だ。

「人間」は、生き物だ。

宗教活動をするよりも人間活動をしなさい。

「人間」が生きる。

ただそれだけだ。

「人間」が生きるという道理。

生きる「人間」として今に定まる「人」の心。

「人」として「人間」を正しく生きる為の己の信仰に基づくわたしの信心。

そこに宗教は無用だ。

桜梅桃李。

今を生きる。


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臭い物に蓋をする「宗教」


人は、人それぞれ。

確かに、人は、十人十色。

十派一絡げに、人を判断してはいけない。

臭い物に蓋をする自己確立のための方程式。

そんなのあるだろうか?

物の道理に従って生きることに人間を定める命の創造主として、自己の心を確立させる信心。

十派一絡げの信仰。

その信仰に励む、一人ひとりの信心。

見えないモノすべてを無とする。

人の心は、それぞれで、究極的には理解不能であると結論づける。

その究極の答えに辿り着いた哲学?

理解できない物、それは、人の心。

人の心は物としてみることが出来ない、しかし、理解できないモノであったとしても、見えないモノとして存在しているのに・・・。

それは、その人の中の生命の違いや、その「病いの災い」によっておこる勘違いなのではないだろうか。

人間は、人間。

人間の中の人を理解することを諦め、無いモノと否定する。

そんなところから、決して、人間がより人間らしく生きる、より正しい道理へ導く、絶対的な信心を極めることに達することはない。

人間が生きることの苦しみを厄介な物として切り捨て、臭い物に蓋をする自己満足の宗教には、己の人間を変革するための生命に届くことを可能にする信仰に、そして、宗教へと辿り付くことはない。

人間の問題は、どこまでも人間を見つめることによってのみ、不可能を可能へと、変革され、進化を遂げていく。

桜梅桃李。

今を生きる。



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生命の真実は、人間の姿に現れる:諸法実相


永遠の生命の宝を積むときは「今」

死を忘れた人は、生を充実させることも忘れます。

死を直視しつつ、いかに「生」を充実させるかが大切である。

人生には、限りがある。

だからこそ、いつかではなく、今日を悔いなく最高に生き切ることを目指す。

死を見つめる事は、今を生きること。

「今を生きる」事の「一念」と「振る舞い」に、過去も未来も包含すると、仏法は説く。

堂々たる人生の感性へ、心の財を積むことの出来る「今」かどうか。

その問いかけが、日々をか輝かせるのだ。

2014/3/19:【社説】より 




「人間」の人生。

短い人もいれば、長い人もいる。

何の為に生きるのだろう。

それは、「人」を知る為にあるのだろう。

「人間」が、より「人間」らしく生きる。

後は、死ぬだけだ。

人の「心」とその「生命」

人として生きる道を歩む人間の生命。

それは、永遠。

その人の生命の真実は、姿に現れる。

「諸法実相」である。

過去も未来も、すべては、この「今」という瞬間を生きることにつながる。

私と言う「人間」を生きる。

桜梅桃李。

今を生きる。




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人間:井の中の蛙大海を知らず


あえて、人間なんて・・・

所詮、みんな「井の中の蛙」。

「井の中の蛙大海を知らず」 (故事成語)



これには、後付とされるが、

「されど、空の深さを知る」、という続きがあるらしい。

また、「空の青さを知る」
    「井戸の深さを知る」などとも。

だから、結局、人間なんて、みんな「井の中の蛙」なんだ。

人は、人それぞれ。

一人ひとりの価値とその権利、人間としての尊厳。

あえて人間なんて・・・。

結局、人に、どうでもいい御託を並べるよりも、

「人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん」(明石家さんま)



自分が人間として、「今を生きた」事が全て。

そのために、「人」から学ぶことが大事。


人間は、死への道を生きる。

人は、生(生命)きる道(未知)を知る。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。




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「運命」は自らの手によって開く


生命の大宇宙をありのままに生きる

準備万端、やることはすべてやった。

あとは、生きるという自然の法則任せだ。

私の生命のありのまま。

生きるという法則の流れのままに生きるのだ。

生命の大宇宙。


法に書かれていることを、己の人生で確かめる。

哲学の法は、そのためにある。

宣伝の為には、存在しない。

なぜか?

宣伝の価値が無いからだ。

法は、人に説く為にあるものではない。

説く事が出来るものは、法を作ったものだけ。

己の中で解くもの。

解くことの出来ない人生のためのヒントを与えてくれる。


正しいかどうかを人間に問うな。

正しいかどうかを自分に問え。

信じる事によって成立する宗教。

しかし、その正しさの根拠とる根本。

本当に正しいのか?

自分を信じきることが出来ればそれでいい。

自分にとって価値のある人間になれ!

そのための人として修行を積め!

人間として役に立つ人になれ!

人間を生きる人としての正しい生き方。


自らの宿命に流されず、宿命を使命に変えて、自らの運命の扉を開き、道を創る。

自らの「運命」は自らの手によって開くことができる。

己の中の生命を映し出す鏡。

仏。

祈りとは、自身を敬う最高の儀式である。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。



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「祈り」→「誓い」→「一念」→「執念」→「祈り」へ

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信心。

己の心を信じる。

生命の領域。

「祈り」が、やがて「誓い」になる。

「誓い」が心を決める「一念」になる。

その「一念」が、心を燃え上がらせる「執念」になる。

やがて、「執念」は、生命の境涯を高める「祈り」へと昇華する。

己の外と内、「神」と「仏」が一体になる瞬間。

宇宙。

我が生命の宇宙を包み込む祈りという作業。

神と仏が融合する世界。

「祈り」の錬金術。

人として人間を生きる為の革命。

一念ですべては決まる。

その人の生命の真実は、姿に現れる。

「諸法実相」である。

自己の境遇を嘆いて、いつも下ばかり向いて沈んでいるようでは、自分がみじめである。

そんな人を誰も評価してくれるはずがない。

いつも、快活に生き生きと行動した方が得である。

その方が道が開ける。

すべては一念で決まるのである。

池田SGI会長指導選集「幸福と平和を創る知恵」より



誰を責めても始まらない。

愚痴を言っても目の前の現実は、何も変わらない。

自分の生命を更に低くするだけだ。

ご本尊に訴えれば、祈りになる、誓いになる。

そうだ、全ては、己の生命の一念で決まるのだ。

妙法。

桜梅桃李に生きる。



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悟りを開く究極の喜び:悟り


人間として生まれて、人として死んで行く。

究極の苦しみ。

死。

病の恐怖、その苦しみ。

老いの恐怖、その苦しみ。

死への恐怖、その苦しみ。

生老病死。

生まれることに苦しみ宿る。

人間。

それは、人間が生きていく過程において人として目覚め、私そのものである自分という生命の存在を知る。

いつしか人間は、人として生きていく。

それが人生。

やがて人生の終焉、最終章で訪れる死。

究極の苦しみ。

それは、究極の喜び。

自分という人間が人としての生命にピリオドを打つ瞬間。

「今をいきる」事が終わるその時。

人間で終わるのか。

人として旅立てるのか。

おのずと悟りを開ける。

人間として生まれ、人として死んで行く、自然の道理だ。

悟りを開くことの出来る究極の苦しみである、己の死の瞬間。

ぞれぞれの死。

悟りとは、究極の苦しみの果てに辿り着く。

歓喜。

妙法。

桜梅桃李。

今を生きる。




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