生きることに必死:宗教を越えた信仰心

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人の心は自由だからこそ一つになれる。

人間は、不自由な中を生きなければならない。

人間に与えられた生きることの試練。

現実は厳しい。

現実を好き勝手、自由に生きることは許されない。

不自由な中で現実を生きることに許された、自由に生きることの出来る人間の心。

何でもできる。

何ぼでも好き勝手に生きることの出来る心。

心こそ大切なれ。

心は自由だからこそ、最高の不自由さえ獲得することが出来る。

人と人が一つになれる心。

心こそ大切なれ。

「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」

現在、過去、未来。

桜梅桃李に今を生きる。

三世にわたる生命の因果の理法。

当たり前に生きられるようになった。

でも、そこには、何もない。

結局は何もない。

病気になれば、体は不自由だ。

しかし、信心があれば心は自由だ。

人間って、人の心が満たされた状態、幸福な境涯を維持することが出来れば、人に対しても寛容になれる。

まして、人殺しの思想が、人に入り込む余地などあるはずがない。

ありのままに生きるためには、ありのままを自分を受け入れなければなりません。

そして、ありのままの己の本当の姿を知るということも大切。

どうしようもない程、心が打ちのめされる。

どんどん心が沈んでいく。

どこまでも暴走しそうな心。

どこまでも感情が膨らんでいく。

いや、感情を押さえることが出来ない。

自分というものの限界にまで、その感情が膨らんでいく。

感情が爆破しそうだ。

兎に角、自分の心をわたしの人間が押さえようとしている。

己の信仰は、今、どこにある。

どっちにある?

自分と言う人間をコントロールすること。

暴走しながらも、その暴走を私の人間がなんとか踏ん張っている。

「偉いな」、私と言う人間。

宗教を越えたかな?

桜梅桃李。

今を生きる。



桜梅桃李

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