正しいと信じているから生きられる:絶対的な喜び「生命」

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それは決して信心ではなく単なる言葉の遊びだ。

私が、わたしとして、この世に生まれてきた理由。

人間として生まれて、人として生きて、人間として死んで行く。

人間らしく生きるということは、人として生きるということだ。

その人は、わたし。

わたしらしく、桜梅桃李に生きる。

「人間らしく生きる」というのは、現実の暮らしと生活を私と言う人として生きる。

他の誰でもない。

わたし。

見聞きする現実の全て。

ただの人間なら、ロボットでも十分だ。

現実の暮らしでは、わたし達は、人間を生きているのだろうか?

それとも、人を生きているのだろうか?

ネットのブログの世界で好き勝手な御託を並べて、神や仏の如く振る舞う人間達。

指先につながった人間の脳に浮かぶ妄想の世界。

あんた達のは決して、信心ではない、単なる言葉の遊び。

頭でっかちの脳にお得意な妄想に必要なのは、何だ?

余計な事。

人は人。

人間が生まれるには理由がある。

あなたが生まれた理由は何だ?

人が生きることにおいて、何が正しくて何が間違っているかなんてことは本当は、誰もわからない。

正しいと信じているから生きられる。

人間が生きるという正しさの価値基準。

思想。

信念。

常識を打ち破るには、爆発させるしかない。

妄想の宮殿。

迷宮。

言葉が足りない。

人の精神が人間を越える。

可能の先に限界がある。

限界を超えたところに不可能がある。

その不可能を越えられるものは、正しいと信じているから生きられる人なのだ。

心が無になれる絶対的な喜び。

生命の仏。

人は、それぞれ。

人の心が自由であるが故に、誤解を生む。

人間世界で争い事が起こる。

何時間もかけて捻りだした、その一言。

しかし、何も伝わらない。

言葉には、何の価値もない。

言葉とは、白紙の薄っぺらなコピー用紙とおんなじ。

人を信じることの出来ないお前の信仰に、己自身を信じきることの出来ない絶対的に確立された信心の無さを嘆け。

心が無になる絶対的な喜び

私自身を信じることが出来る。

人を信じることが出来る。

全てを可能することが出来る。

不可能を可能にする。

仏が、神とつながる宇宙。

私の心に仏の境涯が湧現する。

生命。

人の心を知ることは不可能なのだ。

その不可能なるが故に、その不可能を悟ることに信仰の極みがあるのだ。

自己確立された絶対的な幸福。

己を信じる心。

信心。

桜梅桃李。

今を生きる。


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