心の器、容量を増やす哲学と信仰心

◆心の器、容量を増やす方法

「心のキャパはどうして広げる?」

この厳しい、
全てに厳しい時代、心をさらに強く鍛えなければ、
生き抜いていくことは難しい。

本当に、今、そう思います。

子供の頃、一番、大切な事は、「何事にも努力するという姿勢」。
自身の可能性を開くことに前向きに取り組んでいく努力。

だと聞かされてきました。

この努力する心。

大人になればなる程、
何故か忘れてしまうのでしょうか。

現実の厳しさに、
もうこれ以上、努力することに
意味を感じなくなってしまうのしょうか?

くたびれた心のまま、
その心を何とか表面的に飾ることのみにしか心を使わず、
いらぬ神経を使う。

そんなことを続けてては、
くたびれた心で、正常な神経を維持することなど、
当然、出来なくなることは、予想できます。

壊れる・・・。

自己の崩壊。

現実の厳しさに耐えられない神経。

受け止められない心の器。

くたびれた心の末路の先に待ち受けているもの。

自己の崩壊。

人として成立し得る限界は?

札幌市で、母親が娘を8年間も
社会に適応ささず、自宅に監禁状態であったことが、
ニュースに取り上げられていました。
 

このような、
事象もその当事者でなければ、
理解できない事があるでしょう。

その中で、敢えて言えるとするならば、

心の器を鍛えてこなかった、
心の器を鍛えるチャンスを逸してきた。

この母親にとって、関わる大切な子供。

自身を人として母として、
成長させてくれる子供。

「くたびれた心」では、本来、
「努力」で越えるべきはずの困難を
自らの与えられた課題として
乗り越えて行く事さえ放棄してしまうでしょうか?

親として命を授けたものである母親の自己の崩壊。

この罪は、己の受ける罰だけでは
済ませれないはず。

その子が生きてゆくための
将来の可能性を断つ親の罪は計り知れない。

子供に罪はない。

その親が、己の罪と供に子に負わせた不幸を、
背負はなければならない。

現実の苦しさゆえに、
現実から逃げて生きていることさえ
気付くことの出来ない程の「くたびれて行く心」

己の中から、
一番大切なのは「努力」という、
このことに気付かせてくれる、
この「努力」に火をつけてくれる、

大切な「種」が心の中にいつも備わっていれば、
親も、子供も救われるのかもしれない。

親の「心」。
子の「心」。

その「心」さえ救うことが出来れば、
更に、生きるという「生命力」に火をつけることが可能になるのだろう。

人の中には、無限に発揮できる「力」があると、信じる「その力」。

人の中にある「力」が「力」を生む連鎖。

その連鎖が可能になるのが、
強い「哲学」と自身の中の「信仰心」なのかも知れません。

困難な時ほど、試されている時、
己をどこまでも鍛えるチャンスだと考えられる心。

その原動力となるものが、
強く正しく生きる為の前向きな「哲学」なのだと感じます。


生き方

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