インターネットで感じる少しの不安:心の自由が人間を破壊する


ストレスを他人にぶつける行為。

八つ当たりは、一番最低な行為。

己の弱さゆえに心の中の解決されないもやもやストレスを家族や他人に向ける行為。

社会の中で起こっている事件では、最近、特にそのようなことに端を発する事件が取り分け多いような気がします。

己の達成できな出来ない心の弱さを、出来ない限界を勝手に作り上げ、努力することを諦めている己の弱さ。

そして、己の中で解決できない理由を、己以外の責任になすりつける愚かな心。

己の出来る「一生懸命」を全力で尽くせたのなら、必ずそこから新しい道が開ける。

どんなに目の前の道は閉ざされようと、道は1本だけではない。 

とことん、どこまでも諦めず戦い続ければ、あなたの周りには、見えなかった、閉ざされていたはずの道が開ける。

そもそも、インターネットは、地球上のコンピューターによって有益な情報を互いに提供し合う為の、相互扶助の精神から発したものとされています。

本来、人間とは互いの不完全性を補い合うのが、地球上に、男と女と2種類の性が存在する理由から推測すれば、人間の本能や生理に近いものでごく自然発生的に生まれ広がっていったのでしょう。

そのような意味では、インターネットは、人間の「善」の意志から発生したもの。

しかし、いまやインターネットは、純粋な思いを保ち続けて機能しているといえるでしょうか?

有益なものと、有害なもの人間の不完全なるが故の、人間の持つ、善と悪の2面性は、ことごとく歴史において史実とし証明されてきました。

限られた一部の人間の利益の為に、また他人を排除することを助長したり、排他的で、個人主義で、利益優先の先進社会の要素をそのまま映しだしています。

個人ブログにおいても、己の不完全性を差し置いて、また、棚に上げ、他人の不完全性の穴をこれでもかという程、非難しあげつらい攻撃する。

ネットという公のブログを、単なる個人の感情や不満の捌け口のゴミ箱にしているようなサイトを見かけ、少し悲しくなったりすることもあります。

最近、「自由」という言葉をあまり意識しなくなったような気がします。

人は、普段、空気の存在を意識しないのと同じような事かも知れません。

それだけ、本来の「自由」に人が生きているからかもしれません。

しかし、自由に生きられることに対し「感謝」を忘れれば、その自由と引き換えに、大切なものを失うのかもしれません。

行き過ぎた「自由」のその先に待ち受けるものは何なのでしょうか?

自由が人間を作り、自由が人間を破壊する。

人間が不完全である以上、永遠に、「善」と「悪」が人間の中に存在する以上、破壊と創造を繰り返すのかもしれません。

その、先にあるものは 「・・・?」

人間とは、一体何なんだろと考えずにはいられません。

桜梅桃李。

今を生きる。



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