人生の病根は、傲(ごう)の一字


「人生の病根は傲(ごう)の一字」:中国古典

一、中国の『伝習録(でんしゅうろく)』に、「人生の大病は、只だ是れ一(いつ)の傲(ごう)の字なり
人間の一生の最大の病根は、「傲」の一字 ―― すなわち「傲(おご)り」に尽きるということである。
 傲慢な人間は、結局、自らの傲慢によって滅びていく。「傲り」は怖い。「傲慢」は、人間精神の深刻な“病”といえるかもしれない。まさしく「人生の大病」である。
 人生全般に通ずる言葉であるが、仏法の世界、信心の世界において、とくに戒めていくべき一点である。
 御書の仰せ通りに広布に進む学会に対して、決して傲慢になってはならない。絶対に学会を、学会員を軽んじてはならない。
 経文に照らし、御書に照らして、その人は必ず厳しき報いを受ける。
 「わるい所業(しょぎょう)は、所詮、栄えませんな」とは、古代ギリシャの大詩人ホメロスの『オデュッセイァー』(呉茂一訳、岩波文庫)の一節だが、古から変わらぬ真理である。

一千万へ正義の陣列第49回本部幹部会より



傲慢な人間は、信仰者の仮面をかぶったものの中に、いくらでもいる。

自らの心を生命を蝕みを滅ぼす元凶。

これは、信仰に励む途中、聖者としての途中に芽生える、傲慢、特権意識、差別意識を戒める言葉でもあるかもしれません。

全ての人間が本来、平等であるべき社会。

そして、その中でも、信仰組織に於ける一人の人間の傲慢は、既に、信仰者としての姿は、そこには無く、傲慢な人間は、己を畜生とかし、深い報いを受ける結果になる。

信仰者として、信仰心を高めるための努力に励めば励むほど、信仰に、目覚めたと自覚したものほど、陥りやすい隙(すき)と罠。

「人を救うための信仰なのだ!」とのたまう人間、その中には、傲慢の極みなる人間が潜んでいるのかもしれません。

己を救わずして、人を救うことなどあるもんか。

救うのは自らの生命によって開かれた己の信仰心以外にあるものか。

お前が人を救えるのなら。

信仰者ではない、既に、この世にいることは無い。
何のための信仰修行だというのか。

そこに傲慢があるというのに、傲慢を慈悲と考える。

慈悲に人を救うと言う目的などあるものか!

無色透明なる慈悲。

その領域を、傲慢で汚す。

自惚れる信仰者。

賢者は、真の信仰者と、信仰を己の利益のみに人をたぶらかす傲慢にまみれた人間を、見抜く知恵を自らの中にある哲学によって、学び、見抜かなければならない。

傲慢の輩(やから)が、「信仰」を手段と道具にして、扇動し、利用するものは、いずれは、己の畜生の生命によって、己の宿業を深め、更には、死の最後に決着がやって来る。

己の身を滅ぼす結果。

生命の中から食いちぎられた結果。

釈迦に説法・賢者は語らず>人生の病根は「傲」の一字
【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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