カオスそのものの人間の矛盾の折り合いをなせるは「妙」の一字

弱者と強者の理論を、己の信仰心に持ち込むことなかれ!

この世で、汚れた、汚された、己の命、生命の汚さを知れ!

そこから始め無ければ、己の真実を知ることなど出来ない。

世間の法に基づく「世法」に、生きて汚される己を知ることの出来る
確かに生きるための哲学の存在を己の中に確認できるのか?

弱者と強者。

食うものと食われるものの、「弱肉強食」の倫理。

正しいのか?間違っているのか?

そんなことを考えている間に、食われてしまう。

人間が、人間から搾取するための経済主義の構造は、
人間を非人間化するための、システム。

その進化は、不必要なまでに発達するメディアに、
まざまざと、嘘を真実と織り交て、人間を非人間化させる過程を、
映し出していると私には感じます。

人間を生きながら、蛇の生殺しにして、生きた奴隷と、道具に貸すシステム、
まるで、今の世の中は、人間を奴隷化する巧妙なシステムを作り上げている
事を進化と呼び、文化と呼んでいる世の中なのかもしれない。

人間を、非人間化して、自ら、己を滅ぼすことに、人間のおろかさ故に、
欲にまみれて、悪に導く本能に基づいて手を貸しているのかもしれません。

人間の中に巣くう、善と悪の二面性は、常に、五分五分。

「罪」を本能として、背負う人間のなせる業。

悪も善も、一つの中に存在する人間。

人間の生きていること自体が矛盾。

矛盾を科学で証明できるか!

出来ないならば、そこに必要なものは、不思議。

「妙」なるものしか存在しない。

「妙」なるものが、己の中で、全ての矛盾の折り合いをつけられるのかもしれません。

カオスは、世の中の現象ではなく、
人間自体が、カオスの存在そのものなのだと感じます。


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