過去の信仰と哲学の道理

「反省」と「後悔」。

親に対する私の過去のひどい仕打ち。

今、こうしてその時の記憶を辿り、
己の醜い姿を、己自身の生命に刻み込むことが出来、申し訳なく思い、
涙する、この私の心。

そこから、過去を「反省」出来る前向きな力に変えることが出来るのは、
こうして、現在も、母が生きているから。

その反省が、「後悔」にならなかったのは、
私の、形だけでも信仰を、保ったふりをして生きてきた過去の
少しの間の僅かながらの福運だろうか?

いえ、それとも、全ては、こんな私を見放さずにいてくれた、母の信仰者として
私を思っていてくれた願いの強さとその福運のお陰だろうか?

こうして、母の信仰者としての、確かな姿に気づくことが出来たから、
こうして、現実に母の温かさを感じられる命と心を取り戻せる事が出来たから、

そのことに対する幸せと感謝を感じることの引き換えに、
この過酷な現実があるのなら、

この苦しさは、
この現実に立ちはだかる己の今、まだ、乗り越えられない苦しみは、

正しい哲学の道理なのだと、強く確信できます。

失うものと同時に、それ以上に得たものの大きさを感じられる今、
感情から冷静へ感謝の心でいられる私。

いや、そして、更にもっと高く。

この妙法に向かうことに、最初から人生に失うものなど何一つ無い。

妙法に生きるうえで、己の命に映るものは、全てが、宝なのだということを
今、この一瞬の生命に課していくことが、己の信仰者としての姿を生きた証として
残すためにも、命に刻んでいくことが重要なのでしょう。


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