哲学で開く信仰心

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本来、己を高めるべきもの、「一流」なもの、大切なもの程、見えない矛盾。

自分は、世の中のほんとに大切なものなど、何一つ見えていないのではないだろうか?

ただ、馬鹿な勘違いをして生きてきただけではないだろうか?

ただ、現実に見えるもの、表面的なものだけに価値を求め軽薄に生きてきただけではないか?

素直に本当に大切なものをニュートラルに映し出せない「心」。

見えなくなっている。

そんな人間が、「真実があるのか、無いのか」「正義、正義」などを語る資格はない。

見えなっていると感じる時、必要なことは己を映し出す「鏡」を持っているか?

使っているか? 

己の生命が出来るだけ限りなくニュートラルに近づける道具。

低い命に染まっている己の汚い生命で、本来、己を高めるべくして必要なもの、高く「一流」なものを、己の汚いフィルターを通せば、おのずと出てくる言葉や行動が、己の高める材料として己に還元され、活かされることへつながらないでしょう。

必要なこと、正しいもの、大切なものを探そうとするなら、求めようとするなら、まず、己の中に正しく、大切なものをきちんと受け止めることの出来るニュートラルな心があるかどうかを、己の生命に問え!求めよ!

己の生命が変わらなければ、己を高めなければ、本当に必要なものは決して見えてこないでしょう。

己を高める「因」として、命に刻まれることもないでしょう。

命が汚く染まっているものに見える世界。

己の汚い真っ黒な心のフィルターを通してみる世界が、真実を映し出せるはずが無い。

そこには、正しいものまで、汚いものに映る。

真実までが捻じ曲げられる。

己の生命にドロドロとたまりに溜まった、汚い生命の「塊」そんな、「塊」が同居している生命。 

私の生命である。

現実がゆがんで見えるのは、己の心の歪みそのものの場合もある。

しかし、そのことにさえ、気づかずに生きてきた人生。

そして、そのことに気づかせてくれた哲学で開くことの出来た信仰心。

物事の正体を見極める力を発揮し、己の中で糧として高めることの出来る哲学。

確信をもって伝えることの出来る哲学。

己が、大河の源流の澄んだ、一滴(ひとしずく)になれるのか、よどんだ、汚された、流れずに留まり続ける、ドブ川の一滴(いってき)になるのか、

高い哲学の旗を武器に己の闘いを生き切った人のみが、答えを得ることが出来るのでしょう。

汚れた心に気づかせてくれ、「曇りなき眼」に変えてくれる、そんなきっかけを与えてくれるものがありますか? 

己の新たな人生の、リセットとスタートは、いつでも切ることが出来るのでしょう。

己の生命の中に、その宝があることを知れば。

桜梅桃李。

今を生きる。



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