こころのつぶやき- 信じることの難しさ

信じるというこは、
今の時代には、とても必要なことであろうけれど、
必要な時ほど、その必要さを受け取ることの出来ない、困難な時代。

「信用」という重い言葉が、軽く、意味の無い、嘘っぽい言葉に聞こえてしまうのは、
この時代の社会事象を映し出す、さまざまなメディアの情報が一つの要因でしょう。

なんとなく、世の中、社会や、世間というものが、その「情報」によって、
それぞれの人の心が、押しつぶされていくような、何事にも否定的な方へ、
心のベクトルが向いてしまいそうな、そんな憂鬱を感じます。

政治や、社会、生活のことを語れば、語るほど、その多くのことに対して、
批判的に、半ば、投げやり、あきらめの感情に引き込まれ、

己が、現実に対して、何も出来ないことの無力感、脱力感のようなものに
囚われてしまいそうになります。

しかし、このような時代であるからこそ、「善と悪」が、はっきりと浮き彫りにされ、
更に、その、人間の持つ、わたしの中にある、
その命の中の「善と悪」を同時に浮き彫りにさせているのかなと感じます。

この、己の中に感じている無力感、脱力感こそ、
己の中の悪の部分、人間としての弱さなのかと。

信じるということの難しさ、そして、必要性を強く感じることは、
信じることの出来ない己の心を映し出しているのだと。

とすれば、究極的には、己の人間としての弱さを浮き彫りにしてくれるのは、
将に、今、最悪とまで言われるこの世の中の現実そのものであるといえます。

その最悪の材料は、己を変えることの出来る、最高の課題と宿題ではないか?
世の中の最悪に映る現象は、己にとって、最高の宝の原石なのかともいえるのでしょう。

そのように、己の中で感じることは出来ても、
実際には、心と生命のどこかで、相反する矛盾のように映っている。

「感じていること」と、「信じていない」ことのギャップが、
心の中で一つの矛盾につながっているのでしょう。

結局は、己自身の中で『信じるということの難しさ』と、
己の「不信」を曝け出していることになるのですね。

この信じることの出来ない、
わたしの中にある「不信」、その根本の原因は何なのか?

信じようとすることが大切だと、分かっているけれども、
わかることの出来ない、この心の不確かさとは?

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