「努力は有限か無限か?」:パラドックス的ジレンマ


無駄で無意味と思える時間。

時間。

その時間こそ、本当は、とても意味のある重要な時間かも・・・。

その時間を噛みしめず、素通りしていくことに、私の鈍感さという、愚かさが、あるのかもしれません。

生きることの上で、振り返るべき大切な「宝」の原石をそこに見つけられず、本当は、大切な時間を忙しいと現実に流され、翻弄され、見失い、ただ、時間の奴隷になって生きてゆく。

私は、こうして、生きる上で大切なものを見失い、見ようとせず、そして、もう見ることさえ出来なくなって、人生を歩んできたのかもしれません。

『大切なものは、目では見えない、心で見るもの』と、誰かが言っていました。

その、『大切のもを見る』

時間。

私は、この「大切なものを見る時間」を、「無駄で無意味と思える時間」として、生きてきたのかも知れません。

何もわからなかった、わかろうとしなかった。

わかることの出来なかった幼い心と生命のままで生きてきた。

人間が生きる「時間」は、この世では確かに有限。

でも、見えないものを、見ようとする為に、「心と生命」の価値を高め、「創造する力と能力」を高める時間は、この世でいきる人間の有限なる時間を、高め、広め、濃く、意味のある時間に変える、「無限」に、変えていけるのではないのかなと思います。

己の中で時間というものの持つ意味を「無限」に変える革命。

己の中の、心と生命の革命は、現実の中で、誰にでも平等である、1秒、一分、一時間の、物理的時間の長ささえ、己の中で、無に、無限に、変革させてくれるのかもしれません。

時間を生かすも殺すも、今、この一瞬の、心を操る己の生命の姿で、未来の時間の一秒、一分、そして、一生を決定し続けているのでしょう。

私の中の幸せのヒントは、この私に、与えられた時間の意味を、命によって、一滴、一滴、ひとしづくを、生命によって、溜めていく、変えていくことに、一つ、一つ答えを見つけていけるのかもしれません。

『時間は有限、努力は無限』

でも、無限に広がるはずの努力も、生きているこの世では、有限。

・・・。

このパラドックス的ジレンマに陥りそうな、無限に広がるはずの努力の結果を、

「有限にするのか?」
「無限にするのか?」

私に必要なもの。

己の生命の時間を無限に変える、変えることの出来る哲学。

その生命哲学の確立。

借りてきた観念論など、必要ない!意味が無い!

頭でっかちの議論など必要ない!

全てを「妙」なるものの方程式によって、命で、生命で確立してゆく作業。

この世で、有限なる、目に見える人間という己の姿で。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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