コメントには礼節とマナーと心地よい一礼を


あるサイトを訪問させて頂いて、そこに書き込みされている「コメント」を見て、感じたことを少し。

そのサイトを運営されている方に対する、繁栄と感謝とエールを込めて、贈りたいと思います。

『自分に無理をして、背伸びをすると、後で、とても自分が恥ずかしくなることがある。』と、何かで聞いたことがあります。

私も、いつも、そんな見栄をはって、己を良く見せようとする癖がある恥ずかしい人間です。

己自身の人としての評価を高めるつもりで、実際には、いつも下げている成長できない部類の人間です。

でも、中には、そのようなことを論外とする、自己顕示欲と虚栄心だけの、人の心など、お構い無しの傍若無人な人(輩)もいるものだと、そのブログに書き込まれたコメントを見て強く感じました。

何かにつけて、己をひけらかし、横槍や、言いがかり的なことを、人の「土俵」で、風呂敷を広げ、己の汚い、汚物をまき散らすかのようなことを平気で出来るもの。

そのようなことを平気でされること程、こちらは、見たくないものを見せつけられたような気分で、最低、最悪なものは無いでしょう。

その土俵が、自身が大切にしている部屋であればあるほど、そのような慇懃無礼な、高慢な態度は、絶対に許せない。

その程度のことさえ気付けない、人間としての品性の下劣さ。

何かにつけ、人にケチをつけたがる、クレーマー的な発想によって、歩み寄りなどさらさらに無い、意味の無い、無駄なことに必死になろうとする行為。

恥さらし。

お前の恥を、さらすが良い。

恥をさらしながら、恥と感じないこの傲慢と高慢は、いずれは、己自身の、「墓穴」を掘る、「因」となるのだろう。

人が、興味の無い、まして、人の大切な部屋に土足で入ってくるような、節度をわきまえぬ者が、偉そうに己の勝手な言葉を並べ、まくし立てたて、説いたとしても、「出来た」大人ならば、誰が、まともに相手をするだろう。

尻尾、一振りで振り払える「蚊」が、止まるような程度のことであるにしろ、誇りと、信念と確かな生命に基づくものを、否定されることは、絶対に許せることではありません。

己の世界を、侮辱され、踏みにじる者を、許せないのは誰でも同じでしょう。

人の痛みに対する想像力と思いやりの欠如。

人に対する、思いやりの気持ちのかけらも無い者が、人の土俵で、「信仰」について吹聴することなど、何を語るというのでしょうか?

己の「恥」と「愚かさ」を語るなら、まだ、許せます。

低俗な自己満足なら、「ひとり、もぞもぞ(あるあるエロ詩吟・動画)」で十分でしょう。

言語道断と言えるのかもしれません。

「ナンセンス」では、わかりにくいですか?

人の部屋に入るには、まず、礼節と、マナー、そして、心に関わる大切な領域についてのコメントは、その場所をわきまえ、己の意見は最小限に控えるというのが、人と人の間に、対等の対話が、生まれるスタートとなるポイントだと思います。

互いをより良く、建設的に高めあう、出会いは、まず、相手を最大に尊重し、人の心を思いやる言葉のスタートから。

「大人」なら、人の大切な部屋を訪問して、「足跡を残す」のなら、気持ちの良く、一礼をして帰れるようにしたいものです。





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