傲慢 謙虚>知は力では無い!能ある鷹はつめ隠す知恵


知は力なり

知識は力というけれど、「知識」はあっても、「知識」の使い方を知る為の『知識』を知らねば、その「知」は、本当の力として発揮されない。

知識を得たとしても、無駄に、知識を振り回すだけでは、一体、生きてゆく上での、目的さえ見つけ出すことが出来ないという人が、世の中の、多くの現象に見てとれないだろうか?

確かに「知識」は、力にはなることはある。

しかし、その知識は、何の為?

頭でっかちな知識だけが、たくさん詰まっている脳味噌(みそ)の中に、法律の文書が、山ほど詰まっていたとしても、「幸せ」を決める材料にはならない。

知識だけでは。

その知識を、確かに生きることに役に立つように、振り回すために必要なものは何か?

「知恵」。

でも、「知識」の集積が、「確かに生きる知恵」になる人もいれば、「知識」の集積が、「確かに生きる知恵」へと、高めることの出来ない人もいる。

「能ある鷹はつめ隠す」

そんな風に思える人は、「知識」を知恵に変えることの出る人。

その人が、持ち合わせている「謙虚さ」は、「知識」から学んだ一つの「確かに生きる知恵」の形。

その「知恵」によって、知識の価値を高め、困難な状況でも乗り越えていける力。

知識は、人にひけらかす為にあるものではない。

己の知恵を磨く為にあるのだ。

薄っぺらな人生を生きてゆくのなら頭でっかちな脳「味噌」だけでも十分でしょう。

良く出来た性能の良い、「パソコン代わり」程度にはなるだろう。

単なる「道具」や「物」程度の価値として。

しかし、人間としての価値を高め、認められるためには「知恵」が必要。

人としての「人格」を高める要素。

「心」を高める、「心」を磨く、「心」を知る。

そして、己を知る。

己が何者なのかを知ろうと求め知識を集積してゆく。

「知恵」

そのあふれ出た「知恵」を、「慈悲」によって広め、更に、高める。

「英知」

そこに、辿りつくには、やはり確かな哲学を求める知識「欲」が必要。



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