嘘と偽と虚飾の廃人を生きる道:死への満点大笑い



己の過去の人生を振り返れば、「嘘と偽と虚飾の廃人を生きる道」だったように思えます。

何一つ、確かな生きる指標の無い、見栄っ張りな人生。

本当に確かなものを見つけよう、求めようという、そんな、少しの利口さがあれば、もっと前向きな人生を選択する余地があったのかもしれません。

そのツケは、必ず、己自身で払わなければならない。

己の命をもってして。

精神世界における修行というものが、

現実を生きることより、楽なものであるならば、

修行の修行たる意味があるだろうか?

何の為の修行なのか?

精神(生命)修行において、苦しみの絶頂を味わうことによって、現実に生きる醍醐味を味わうことができる。

『苦をば苦と開き、楽をば楽と開き、苦楽共に思い合わせて』、この現実を己の生命で乗り越えてゆける。

現実より、負荷のかからない修行を好むならば、生命哲学を学ぶことの資格取得試験には、合格できないかもしれません。

桜梅桃李。

今を生きる。


評:言っておきますが、生命哲学を学ぶ為の資格試験はありません。



生き方

Copyright © 桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳 All Rights Reserved. Powered By FC2. 
skin:*cuteblog*