馬鹿になって悟りを開く

暗い心は現実に負けている己の弱い心が作り出しているもの。

現実が苦しくなればなるほど、生命のか輝きが増すのならば、
心に笑顔がどうして作れない。

現実の戦いの苦しさ故に、己の心の弱さを暗さで露呈するならば、
己を力づけてくれる人に対して、これほど辛さを与えることは無い。

人の幸せを願える生命を己自身で勝ち取りたいのら、
己の現実に深く沈んでいる心に負けるな!

苦しいからといって、己の心に、晴れない分厚い雲を敷き詰めて
悩み満ちたその心を撒き散らすそんなつまらない人間になるな!

信じて馬鹿になる。
己を信じて馬鹿になる。

苦しくても、泣いて生きるより、笑って生きるほうが
前向きな生き方ということは、誰にでもわかる。

わかるはずのことが出来ないのが、己の宿命。
生命によって強い心を更に強く出来ない生命の壁。
その壁を見抜いているのなら、馬鹿になって信じる。

間違いの無いものを確信しているのならば
もう馬鹿になることだけだ。

人間は馬鹿になって初めて、人の道を悟り、
更に、人としての階段を登れるのかもしれません。


2009年7月22日の今日の「名字の言」


若き豊臣秀吉の“三日普請”の故事は有名で、数々の小説やドラマなどで紹介されてきた。中でも、吉川英治氏の『新書太閤記』に描かれた内容は、示唆に富んでいる。

織田信長の清洲城の壁が、暴風雨で100間以上も崩れた時のこと。修復工事がノロノロと進まない。それを憂いた藤吉郎(秀吉)が、「三日もあれば」と普請奉行を請い請けた。しかし、前任奉行が邪魔立てし、老獪な棟梁らも怠けてばかり。藤吉郎は訴えた。「国の興亡は、実はお城にあるわけじゃない(中略)お前らの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀だ、濠だ」。ただ国を思い、民を思う叫びが、棟梁たちを目覚めさせた。自身も一職人となって泥仕事。総力戦の突貫工事で、約束通り、わずか三日で修復した。

確かに、どんな世界でも“全責任を担う!”という必死の一人が立てば、劇的に道は開かれる。逆に、心の片隅のどこかに、他人を当てにする心があれば、物事は停滞してしまう。小さな一念の差が、大きな勝敗を決するのだ。御書に「一の師子王吼れば百子力を得て」(1316ページ)と。環境ではない。人でもない。自分が師子となって祈り、走り、断じて勝ってみせる! 本物の覚悟が決まった瞬間、勝利への大回転は始まる。(誠)

【聖教新聞】 「名字の言」より



■名字の言について~人生を前向きに生きる哲学の実践



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