己の宿命転換の因は眼前にある

 目の前で溺れているわが子を見て、学会活動でこの子を救うのだ。この子を絶対に助けてみせる。そんな親がいるだろうか? いや、そんな風に学会活動をしていれば、溺れているわが子を助けることが出来ると、信じている人もいるようだ。

どんな理由で学会にそんな力があるという道理にたどり着くのだろうか。 溺れているわが子を見て、この瞬間に手を差し伸べて、命を助ける知恵を出すのが、この信仰であるはず。一体、誰が、そんな他力本願的な信仰を植えつけるのだろう。

己の宿業の原因が目の前にあるのに、そこから目を背け、楽な信仰活動を選択する者。組織の中では、そんな、信仰活動を、己の信仰心と履き違える者もいるようだ。

本来の戦うべき己の宿命の現実が見えなくなる信仰。正しい信仰にも関わらず大切なものに気がつくことの出来ない愚かさ。その愚かさを気づくべきはずの信仰組織の活動において、そのことを気がつくことの出来ない信仰活動に本来の宗教の意味は無い。

互いを高めることの出来ない信仰組織の中の活動に一体、なんの意味があるのだろう。空転する組織が悪いのか、己の中に無明を開く知恵に導くための信仰心を求める一念の無さ、生命の低さなのか。

組織の中の駒としてのみ働く人間。それも、宿命。気がつけるものは幸せ、気がつくことさえ出来ずに、操り人形の歯車として、この世の人間活動を終わるのか。

そんな人間達と縁するのも己の宿命。人間とは?

正しい、信仰にも目覚めることも出来ず、己の信仰心の確立さえも出来ず、己の人生を生き切ることさえ出来ない生命。 

歯がゆい心。


2009年7月26日の今日の「名字の言」

水を求めて移動するゾウの群れ。温暖化ですみかを失うホッキョクグマ。山すそを鮮やかに染めるサクラ――大自然の営みを圧倒的な美しさで伝える映画「アース」。昨年、ドキュメンタリーとして、異例のヒットを記録した。

極地、高地、砂漠――過酷な条件での撮影に、なぜ、耐えられたのか。共同監督の一人、マーク・リンフィールド氏は、本紙のインタビューに答えた。“それぞれの環境でのエキスパートである仲間を信じていたからできたのです”(昨年1月5日付)。

自分が仲間を信じる。仲間も意気に感じて全力を尽くす。この強い絆があったからこそ、難事業をやり遂げることができた。強固な信頼の絆があれば、人は大きな力を発揮するものだと痛感する。中国の古典『水滸伝』の中で、豪傑たちをまとめた宋江。彼が中心者になったのは「人物をとことんまで見抜く特別の力を持っていた」からだと、戸田第2代会長は語った。

自分の長所も短所も知り抜く指導者がいたからこそ、一人一人が思う存分に活躍できたのだ。私たちの周りにも、自分を信頼してくれている人が必ずいるものだ。その期待に対して「応えてみせる!」と心に決めた時、想像以上の力が発揮でき、勝利の歴史も開かれる。(行)

【聖教新聞】 「名字の言」より



■名字の言について~人生を前向きに生きる哲学の実践


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