己の宿命転換の因:「敵」は己の中にある


目の前で溺れているわが子を見て、学会活動でこの子を救うのだ。

この子を絶対に助けてみせる。

そんな親がいるだろうか? 

いや、そんな風に学会活動をしていれば、溺れているわが子を助けることが出来ると信じている人もいるようだ。

どんな理由で学会にそんな力があるという道理にたどり着くのだろうか。

溺れているわが子を見て、この瞬間に手を差し伸べて命を助ける知恵を出すのがこの信仰であるはず。

一体、誰が、そんな他力本願的な信仰を植えつけるのだろう。

己の宿業の原因が目の前にあるのに、そこから目を背け、楽な信仰活動を選択する者。

組織の中では、そんな信仰活動を己の信仰心と履き違える者もいるようだ。

本来の戦うべき己の宿命の現実が見えなくなる信仰。

正しい信仰にも関わらず大切なものに気がつくことの出来ない愚かさ。

その愚かさを気づくべきはずの信仰組織の活動において、そのことを気がつくことの出来ない信仰活動に本来の宗教の意味は無い。

互いを高めることの出来ない信仰組織の中の活動に一体、なんの意味があるのだろう。

空転する組織が悪いのか、己の中に無明を開く知恵に導くための信仰心を求める一念の無さ、生命の低さなのか。

組織の中の駒としてのみ働く人間。

それも宿命。

気がつけるものは幸せ。

気がつくことさえ出来ずに操り人形の歯車として、この世の人間活動を終わるのか。

そんな人間達と縁するのも己の宿命。

人間とは?

正しい信仰にも目覚めることも出来ず、己の信仰心の確立さえも出来ず、己の人生を生き切ることさえ出来ない生命。 

歯がゆい心。

桜梅桃李。

今を生きる。





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