形式にこだわらない信仰に己の生命を開く真髄がある~「名字の言」

形式にこだわるよりも、身近な実践の中にこそ、信仰の真髄がある

「人のために尽くそう」という心

今日の「名字の言」のひとしずく



「常勝」とは何か?

常に勝つ。

与えられたことに常に勝つことが義務付けられてる戦いなのか?

「勝つ」こととは何か?
一体、何に「勝つ」ことだというのか?

組織の中だけに、勝利する場所があるわけではない。

勝利する場所は、どこにでもある。
己が生きているこの現実に映る目のまえの全てが闘いの場所。

一人ひとり、己の信仰心を開くための闘い。己の生命を高めるための闘い。
勝ち負けは、己の「生命」に、勝負の結果を残せたものだけが勝利したといえる。

信仰者にとっての勝利は、己の外にあるのではない。己の弱さを、現実の世の中の現象に映し出して、その己の弱さに勝つこと。

戦いに勝つことは、何も結果を残すことだけを求められているわけではない。
勝負に臨むことの過程において、己の心が、生命が逃げなかったかどうか。

「エゴ」の塊である人間が、「人のために尽くそう」という純粋な慈悲の精神を発揮するためには、どれほどの己との闘いに挑まなければならないだろう。

「常勝」とは、確かな哲学を求め、己のきたなく、汚れた生命と、その汚い生命の根本と闘い続ける、己との戦いの毎日に、勝つことをいう。

今日の【名字の言】をどうぞ。

2009年8月21日:今日の「名字の言」

仕事を子に託し巡礼に向かう二人の老人。一人は自分しか信じない。周囲には目もくれず、巡礼地に辿り着く。もう一人は善良で快活。貧乏と病気に悩む人を救うために手持ちのお金を使い果たし、巡礼を諦める(トルストイ著『二老人』)

どちらが賞讃されるべきか。物語の最後の場面では、巡礼という形式にこだわるよりも、身近な実践の中にこそ、信仰の真髄があると前者の老人が悟る。自分ではなく他者のために行動する。そこに人生の真実の価値があると文豪は語っているようだ。

横浜市保土ケ谷区にある「滝ノ川あじさいロード」。整備等を行うグループ「花咲かせ隊」の中には、“第三の人生”を朗らかに歩む「多宝会」の友もいる。参加メンバーの一人。「学会の発展は、即地域の興隆であり、社会の繁栄であらねばならない」と励ます師に応えたい。そう思っていた10年前、友人に誘われ、一緒に植樹を始めた。今や初夏には800本のあじさいが咲く。行政の区長からの表彰も受け、地域の名所に。

年輪を重ねるごとに輝きを増す。そういう人生でありたい。その輝きの光源こそ、「人のために尽くそう」という心ではないか。広布と人生の大先輩――多宝会の同志こそ素晴らしい模範である。(可)

【聖教新聞】 「名字の言」より ※記事内の太字は当方の判断で修飾されたものであり原文にはありません。



『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく

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