「無我他彼此」な人間関係を築く生命の「独立自尊」~「名字の言」

人生を確かに生きるひとしずく

「無我他彼此(がたぴしなし)」。

「独立自尊」



        「言論の自由とは自身の思想・良心を表明する自由を指す。
                  表現の自由の根幹をなす。- Wikipedia」

言論の自由は、何を言っても許される自由な社会?

意図的に悪意のある記事を書くことが許されるのも今の世の中の言論の自由?

良心とは、『物事の善悪を判断し,善をなそうとする意識』。

言論の自由とは、社会を良くしようとする「誠実」という2文字が根底にある表現の自由をいう。

「言論」は、人間が理解しあえる言葉を用いて、よりよい社会の「無我他彼此」な人間関係を作り上げるためにあるもの。対話を導くためにあるもの。

その人間関係を築き上げるために必要なものは、心と生命の「独立自尊」。

確かなる哲学は「独立自尊」を己の生命に築くことが出来る。

2009年8月22日:今日の「名字の言」

大阪市立美術館で開催中の福澤諭吉展を観賞した。諭吉は現在の大阪市福島区の生まれで、同市北区に墓所がある緒方洪庵に学んだ。“庶民の都”に縁が深い。

揮毫の右肩に捺す印に「無我他彼此」とあった。「がたぴしなし」と読み、人間関係などの円満さを表している。「我他彼此」には仏教思想が根底にある。あらゆるものが互いに依存し合っている本質を見失い、我と他、彼と此を対立的に見る愚行を戒めている。

諭吉といえば「独立自尊」が信条だが、決して孤立はしなかった。書の左下の落款印(雅号の印)には「三十一谷人」と。「三十一」を1字にすれば「世」(卅と一)になり、「谷人」は“人偏に谷”で「俗」――「世俗」である。

日々、世の人々に交わり、時に導き、近代化を推進した偉人が重んじたのが、「演説」と「新聞」であった。英語の「スピーチ」を「演説」と訳し自ら率先して実践した。日刊紙「時事新報」も創刊。声で、活字で、自身の主張を繰り返し展開した。

間もなく、8・24「聖教新聞創刊原点の日」。スピーチや随筆など、紙上に躍動する池田名誉会長の言葉に呼応し、言論の力を思いっきり発揮しよう。そして、わが使命の舞台で、歴史を開く対話の道を貫き通していきたい。(杏)

【聖教新聞】 「名字の言」より ※記事内の太字は当方の判断で修飾されたものであり原文にはありません。


『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく

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