心を軽く自由にする

現実を生きることに、過酷なことなど無い。

己が、過酷と思えるこの現実に、
己の心の弱さをはっきりとそこに映し出すことなのだ。

所詮、生きることなんて、本当は楽なものなのだ。

己の心をどれでけ軽く、自由に出来るのか。

生命の哲学と方程式を備えれば、衆生所遊楽へと
心を、現実を、世界を変革することが出来る。

弱い心を、生命によって確かに、強固に積み上げていく作業。

2009年09月14日:今日の「名字の言」

作家・吉川英治は、小説『宮本武蔵』の中で綴った。「波騒は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを」。

池田名誉会長はかつて、宮本武蔵について「そのめざす精進の果ては、世にもてはやされることではなく、世間に生き、しかも、世間の波騒を超えて永遠を友とする境涯であった」と評した。

長い人生の途上では、不本意な結果に遭うこともある。だからと言って、“すべてを失った”と思うことは、一たび戦いに勝てばすべてが手に入ると考えることと同様に早計だろう。「百尺下の水の心」を不断に感じとりながらの戦いの中で得たもの。それは「世間の波騒」などが到底及ばない自身の宝として、光り輝いているはずだ。

歴史学者・トインビー博士は、新聞の見出しの材料となる出来事は「人生の流れの表面に浮游している」ものと断じ、究極において歴史をつくるものは「水底のゆるやかな動き」であると訴えた(『試練に立つ文明』)。

水底は目に見えないが、どんな“時流”にも揺らぐことのない潮流が広がっている。自他共の幸福を願う創価の対話運動は、間違いなく人の心を結び、新たな時代を開く“水底の動き”である。(弘)

【聖教新聞】 「名字の言」より 



『名字の言』について~人生を確かに生きるひとしずく


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