【心根】の根っ子のつながる先にあるものは?

「心根」。

「心」と「生命」。

「心根」という使い古された言葉。

心の根っこというものは何か?

どこに、生えているものなのか?

その根っこというものは、どこにつながっているのか?

根。

生まれた後に、根っこが生えたものなのか?

生まれる前から、生えていたものなのか?

生まれる前からだとすれば、その根っこは、「両親」につながってるのか?

でも、どう見ても、その両親とはつながっていないと感じる。

しかし、つながっていると、感じる人間もいる。

「現実に、己自身、同じ姉弟で、これほどにも違うものであろうか?」とつくづく感じる。

(心)根っこのある人。

(心)根っこの無い人。

心根というものの存在があるとするならば、無い人と、有る人があるのだろうか?

心根というものは、そんな場所では、つながってなどいない。

宇宙という生命でつながっている。

それは、己自身の生命の宇宙。

輪廻。

心根は、生命。

「心」に、映し出される風景と傾向性は、現実(仮?)の世の中に己の「心根」を通した姿で投影される。

人間の「心」にある、全ての感情というものは、人間だから必要。

それは、お前の生命の心の根っこを映しだす鏡とつながっているから。


「心」が、その鏡を映しだすために必要。

人間だから。

機能しない心、映らない心。

ゆがんで見える心。

欠けて見える心。

機能しない鏡、映らない鏡。

ゆがんだ鏡。欠けた鏡。

心は、人間だから必要。

しかし、

心は、「人」には、必要のないもの。

有っても無くてもどうでもいいもの。

いえ、もはや透明になって消えてなくなる?


必要なものと、必要でないもの。

必要であるけれど、本来は必要でない。

しかし、人間界を生きるためには、投影機が無ければならない。


だから必要。

「相田みつを」氏に言わせれば、

     『だって人間だもの。』 

「仏」や「神」に、人間にある「心」が、あるのならば、もはや、それは、神や仏とは言わない。

そりゃあ、人間の心は理解してくれるでしょう。

「だって、神様だもの。」

「だって、仏さまだもの。」
     
   (※相田みつを氏の言葉ではありません。筆者の言葉です)


生命に「心」が、絶対的に必要とするならば、この世に神や仏は存在しない。

神は心を備えているだろうか?

仏は心備えているだろうか?

備えているなら、人間と同じゃあないか?


だから、人間には必要。

でも、人間には必要。

必要な【もの】の領域をつなぐ。

行ったり来たり。

「心根」

心根というその心の根っこの先に突き刺さる生命に、重要に関わるのが、その生命を持つ人間に与えられた宿業。

「宿業」

・・・「なに、アホなことを言うてんねん! 」
         ※己の、あの辺り(?)からこんな声が・・・。

・・・・気を取り直して。
           

一人ひとりの心根は、人間という姿を与えられたことによって、そこには、「宿業」という、生命を通して心に反映される専用の投影機を強制的に備え付けられる。


その「根」っこの先につながっているものは?

「仏」の領域? 「神」の領域? 「光」の領域?

己自身の「生命」。

「宇宙」の領域。


「法」。

「幸せ」。

「夢」。

「夢」は「希望」の延長線上?


「法」。

「幸せ」。

「理想」。

「理想」は、空想で妄想?


人間の限界。

人への無限の可能性。

生命の領域。

人間は「仏」や「神」「光」にはなれない?

その領域に入ることは不可能?


信仰心と「私の」宗教。

そこに必要なものは、「哲学」と「妙」。

「法」と「信仰」。

桜梅桃李。

今を生きる。



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