【十中八九】 で【九死に一生】溺れる者は藁をもつかむ


今年も、残すところ、あと二日。

2009年、という10年、区切りの年。

2010年。

ゼロからのスタート。

新しい、区切りのスタートラインとも感じます。

2000年から、もう、10年が過ぎるわけです。

今年の漢字は、「新」でした。

本当の意味では、間もなくやってくる来年こそが、「新」しいスタートにふさわしいのかもしれません。

縁起を担ぐわけではないですが、9という数字は、やはり、苦しい、辛いを意味するのかもしれません。

その区切りのスターの節目の年、2010年には、いろんな重要なことが重なる、不思議さを感じるとしでもあります。

どん底を蹴って這い上がる。

今年はそんな力をぐっと、握りこぶしにエネルギーを溜め込むことの出来る年だったかも知れません。

雪辱を果たすための年。

お前にとって、今年が、苦しい年であったならば、

来年という年が、どれほど、意味のある年であるのかということをお前に誓え!

勝つこと!

勝つことを誓う!

負け犬は去れ!

結果を出せ!

『溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ』という言葉。

人間というものの愚かさを解いているのだろうか?

藁をも掴むと言う人間の生きようとする本能の前向きなエネルギーを説いているのだろうか?

しかし、溺れていても、藁を掴まない人間もいるのではないだろうか?

その藁に、最後の命の一縷の望みを託す。

「助からな」いと知っていて、藁を掴むのと、必ず、「助かる」と信じてつかまるのと。


見た目では、どちらも、「おぼれて藁(わら)をつかんでいる」ように見える。

助からないものにまですがるという人間の愚かさを説いているというのが、一般的であるよう。

しかし、人間の本能というのは、どんな状況でも生きようという前向きなエネルギーを本質的に備えているということの証明であるとするならば、

火事場の馬鹿力の如くに、藁のような頼りない役に立たないものが、その瞬間に役に、ぶっといワイヤーに変わるようなこともあるのではないだろうか?

そんな手品みたいなことが起こるはずが無い?

でも「九死に一生 」とは、まさにそのようなこともあるのではないだろうか?

「十中八九 」 助かるはずの無い、藁(わら)で助かる人間がいる。

『溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ』

「九死に一生 」で、掴んだ藁(わら)が、ワイヤーだった。

そんな人生をひとつに、「波乱万丈」ともいうのかも知れない。

人生の失意のどん底にあっても、そのどん底を蹴って這い上がる力が要る。

失意のどん底で、その生きようとする力を出すことの意味。

お前に、出せるか?

お前に、出せるわけが無い。


都合よく、「どん底に落ちれば、後は這い上がるだけ」、なんて事をつぶやく人間は、きっと、いつまで経っても這い上がることは出来ない。

どん底を這う人生もある。

それとも、さらに、6 378.1 キロメートルの「奈落の底」まで落ちることも出来る。

おまえ自身を知らずに、そのどん底を蹴る力を出すことは出来ない。

おまえの底を知って、始めて生きる人生のどん底を知ることが出来る。

その、おまえを知ることの意味。

どん底を蹴るための準備。

そんな意味で今年は、どん底を蹴る準備が出来る年だったのでしょうか?

今年のブログの更新はこれが最後になります。

当サイトをご訪問していただいたかには、お世話になり、ありがとうございました。

それぞれの方に、来年が、本年以上に、良い年であるといいですね。

良いお年をお迎えくださいませ♪

来年も、また、よろしくお願いいたします。


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