宗教をとるの?私をとるの?:【究極の選択】


希望の朝。

苦痛の朝。

惰性の朝。

真っ暗な朝。

夜が明けると、また、朝がやってくる。

それぞれの朝。

お前の生命の境涯をはかるバロメーターが、リズム正しく、24時間ごとにやってくる。

時間というものの存在。

時間というものの有りがたさを知る。

日はまた必ず昇る。

「宗教」を取るの?

「私」を取るの?

人生を供に生きようと誓い合った大切な存在からそのような選択を迫られた時。

その時の選択肢に、「宗教」を取ったお前。

しかし、それは、人間としての未熟さ故の答え。

不確立の人間。

確立された信仰心のないものの頼りなさ。

確立された己の中の信仰心という絶対的な存在の無さ。

宗教という袈裟など、必要無くても幸せに生きていける。

なにしろ、生きている現実こそが、生きている日常こそが、己にとって宗教活動なのだから。

人間としての頼りなさ。

人間としての幼さ。

人間としての確立したものの無さ。

人間のすがる、頼る弱い心。

一人の人間の弱さと生命の傾向性。

人間を選択するのか宗教を選択するのか?

そんな究極の愚問を突きつけられた時、

それは、己の信仰者としての信仰心の確かさ、

自己確立の高さを問われている時。

己の中の絶対的な信仰心の証を示す瞬間。

人として生きようとする過程のお前が得た宗教によって、己の生命の中に開かれた信仰心の確かさと正しさとその力を発揮する最高の選択の時。

究極の愚問は、信仰者にとって最高の選択とその信仰心の証と、己の信心の深さを確実に知ることができる瞬間。

今なら、自信を持って答えられる。

「宗教」を取るの?

「私」を取るの?

「お前」を取る。

人間が人間として生きるその途中の選択と答えは、人生における点。

その点が汚点に変わるのか、美点に変わるのか?

汚点でも美点でもない。

その点がつながる線の先。

それは全ての選択を、幸せに変えられることのできる終着点につながっている。

確かな哲学。

桜梅桃李。

今を生きる。


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コメント
こんばんは。


neo zeroさんは、過去に、記事の内容に在る選択を迫られた事があったのですか。
2010-01-09 土  17:50:17 |  URL | 凰陣 #kVP5JqGo [編集]
こんばんは、

> ?
> neo zeroさんは、過去に、記事の内容に在る選択を迫られた事があったのですか。

この究極の愚問は、私のことではありません。

身近な人間のことを私のこととして捉えた場合、そのときの究極の愚問に答えた場合、今の私ならそのように答えるとが究極の選択ではないかということです。

申し訳ありませんと誤るべきなのかどうか・・・。

「宗教」というのは、「創価」ということになります。

風塵さんならどのような答えを出されますか。





2010-01-09 土  23:14:18 |  URL | ネオ・ゼロ #- [編集]
neo zeroさん、おはようございます。

すみません、私の名前違います、よく漢字を間違われるのですが。

>「宗教」というのは、「創価」ということになります。
>風塵さんならどのような答えを出されますか。

■ 私には、既に答えがありますが、
コメント欄で手短に書く事では無く、
自分の中に確信・確立したものがあるからこそ、逆に簡単には書けない事がネットでは多いと感じています。

例え言葉を尽くして書いたとしても、閲覧者の中には全く違うように取りたい人もいるでしょうし、時には誤解を生み誤解の連鎖に繋がる事が多いからです。

それを承知で書かなければ、お互いに何を考えているのか分からず意見交換が出来ないのがネットだから私も言葉を「ネットでは」発信しますが…信心は深まれば深まるほど言葉で表現仕切れなくなると感じる事が、多々あります。
現場では特に、話さずとも、所作の一旦に凝縮されたもの全てが出で、言葉を必要としない事がありますよね…。
そこから自分が何を吸収し、何を放出出来るのか…という事が。

neo zeroさんがご自身の事では無く、他者の事を書いた事は理解しました。

実際にそういった経験を持つ私が、誤解を恐れずに一言何かを書けるとすれば…「宗教を捨てよ」「宗教を捨てる」といったやり取りは究極な愚問だと私も思う、とう事です。
自分の中に信心がしっかり根付き確立されれば、「宗教云々といった・自分の外側のもの」とは思わなくなるからです。
例えれば呼吸をせねばならない人が、いちいち「今、息を吸った・吐いた」と数えたり意識せぬままに、当たり前に呼吸をして生きているように。

その当たり前の事に対して、「お前が呼吸する事は気に入らない。お前“だけ“は息を吸うな。」と他者に対して言う事、
逆に「息を呼吸させて欲しい」と周りに懇願する状況も何かしらおかしいし…人が呼吸する事に対して云々する事は確かに愚問です。
呼吸をしなければ人は死にます。
死人=抜け殻を愛しても平気な人は他者の呼吸を禁止し続ける事もあり得るのでしょうけれども、呼吸をやめたら人・足り得ませんよね。
その愚問について考えを書く場合書き切れない事も多く、返って閲覧者に対して誤解を与え兼ねないのでコメント欄で書き込みするのはし切れないのです。
一人一人考えが違って当たり前ですが、実際に経験を持つ人と経験無しの人とでは、差が大きくなる事もあるからです。
2010-01-10 日  06:40:45 |  URL | 凰陣 #kVP5JqGo [編集]
こんにちは、

凰陣さんの名前を間違えてしまって、どうもすいません。m(__)m

>その当たり前の事に対して、「お前が呼吸する事は気に入らない。お前“だけ“は息を吸うな。」と他者に対して言う事、 逆に「息を呼吸させて欲しい」と周りに懇願する状況も何かしらおかしいし…人が呼吸する事に対して云々する事は確かに愚問です。

>その愚問について考えを書く場合書き切れない事も多く、返って閲覧者に対して誤解を与え兼ねないのでコメント欄で書き込みするのはし切れないのです。

宗教=信仰心=己の生命ととらえるならば、凰陣さんのおっしゃられる通りに感じます。

私の記事に関しては、未熟なる者の傲慢とも受けられるかもしれません。


>実際にそういった経験を持つ私が、誤解を恐れずに一言何かを書けるとすれば…「宗教を捨てよ」「宗教を捨てる」といったやり取りは究極な愚問だと私も思う、とう事です。

そうでだったのですね。凰陣さんに対してつまらない質問をしてしまいました。


>一人一人考えが違って当たり前ですが、実際に経験を持つ人と経験無しの人とでは、差が大きくなる事もあるからです。

微妙なところでもっと書きたいことはあるのですが、凰陣さんから頂いたコメントの本意と意図を、今後のブログの記事に反映させていきたいと思います。

また、よろしくお願いいたします。^^
2010-01-10 日  12:49:14 |  URL | ネオ・ゼロ #- [編集]
neo zeroさん、返信ありがとう。
個人ブログは特に、ブログの数「以上に」個人の考えがあるでしょうから、私に特別な意図は全く無いですよ。
ただ、この手の事では、ネットを閲覧するようになって、「自分が選んだ相手に対して、創価学会をやめ個人の心の中でも信仰をやめろ、と強制する事が相手を救う事だから、学会員に対して逆折伏をしよう。自分の子どもにも伝え、リアルの周りで逆折伏運動を広げよう」という意見を目にした時は驚いた事はありましす。

また、他者に対して、「呼吸をやめろ」「民族の細胞を体から除外しろ」と迫る・強制する場合、強制された側は戸惑うと思います。^^;

学会員に対する誤解の積み重ねや個人感情、創価学会の信仰を知らないままの否定、もしくは理解以前に曲解のまま変な思い込み等も中にはあって、ずれに繋がり、上記のような事も起こるのでしょうけれども。
2010-01-10 日  15:18:25 |  URL | 凰陣 #kVP5JqGo [編集]
わかるような気がします。


誤解を恐れずに、誤解を解き続けること。

「三歩進んで二歩下がる」感じかもしれません。

でも、そこにある一歩こそ大切な意味があるような気がします。



2010-01-11 月  10:20:18 |  URL | ネオ・ゼロ #- [編集]
neo zeroさん、おはようございます。
先の、

>微妙なところでもっと書きたいことはあるのですが、凰陣さんから頂いたコメントの本意と意図を、今後のブログの記事に反映させていきたいと思います。

■ ↑についてですが、私の書き込み内容は、neo zeroさんの記事の参考にはならないと思います。
私は、まだまだ未熟です。
また、私が発した言葉を、私が発した内容に沿って理解してくださった方は今までネットでは本当に少なく、
私の書き込みの内容の心をほんの一部分かってくださった方であっても、極少です。(^^)

■ 私は、
決して・開き直りでは無いのですが…
ネット上の私に関する事で、
「"自分個人の気持ちや個人感傷を理由とした場合においては"周りからの誤解を解く・周りに対して理解して欲しい…といった欲求の頓着は」持っていません。

誰が誰に対して何を思おうと感じようと論評しようと問題が出ない限りは自由でしょうし、
間違えた事を言われ・それをスルーするも訂正や反論するも、自由でしょうから。

故に私は、「自分の気持ちのみを理由にしての場合は」周りに対する私の書き込みに伴う事に対する誤解を解く事を目的・主眼にした事をする気は基本的に無いです。
時間・労力の浪費になってしまうから、別な理由が無い限りそういった事は頓着しません。
だからといって、私の言動が、誰か第三者への擁護や個人感情を理由としたものでもありません。

私についてネットでは、
「個人の気持ち=ウェット面で他者の書き込み内容を捉えている」と判断する方がどちらかというと多いでしょうけれども…実際は違います、違う理由は割愛しますが。

これらを述べると、「自分勝手だ」と責める方もネットでは出る場合もあるでしょうが、私は理由を述べないだけで、私の言動にも根拠や理由はあります。
述べない理由と共に。

■ 何が言いたいかというと、私の解釈の仕方はneo zeroさんと全く違う事が多々あり参考にはならない事が大半でしょうし、neo zeroさんはneo zeroさんの考えで他者の意見に引きずられる事なく、これまで通りneo zeroさんらしい試行錯誤でいったらいいのでは…という事でした。
2010-01-12 火  07:27:49 |  URL | 凰陣 #kVP5JqGo [編集]
インターネットで書き込む以上、誤解・偏見・曲解・反論・反発は、少なからずついて来るから、「自分」をある程度は確立していないと粉動されますよね。

その「確立」は、単なる頑固とは全く違いますが、

書き文字だけのネットでは、
書き込みに見える事が実際は違っている事も多々あるでしょうし、
例え相手の意見が有意義なものであっても…人は自己の容量の範囲を超える意見を受け止め切れない場合相手を潰す方向に持っていく場合もあるでしょうから、「一人立つ」はネットでも必要な気が私はしています。

そして、ネットで得た事をどう活かせるかかな…と、私は思っています。(^^)

度が過ぎると問題になりますが、
ネットの書き手=自己顕示0%の人はいません。
何かを発信する行為自体が既に自己顕示ですから。

■ 私のコメントやブログの記事は、上記の通り、また、「余計に長文にならないようにする為に」割愛も結構多く、参考にはならない駄文です。
割愛した部分に、私が本来主眼とした内容がある事がありますが、ネットで書けない事=リアルで述べる内容の場合が幾度もあるんです。

私の意見に関しては、「そういった考えもあるのか」程度で見て頂ければ幸いです。

以上長々とすみません。
2010-01-12 火  07:56:49 |  URL | 凰陣 #kVP5JqGo [編集]
こんにちは、

>インターネットで書き込む以上、誤解・偏見・曲解・反論・反発は、少なからずついて来るから、「自分」をある程度は確立していないと粉動されますよね。


弱い私は、ネットを不用心にフラフラと歩くとネットの落とし穴というか、マイナス感情の渦に引きずりこまれるような事が、よくあります。

未成熟な人間が、宗教と信仰に関わる心に関する情報のネットにおける取捨選択の難しさは、間違えば、人間を廃人へと引きずりこむ力さえ持つようなほどの怖さを持つエネルギーを感じることもあります。

自身の中に「粉動」されない確かさを持つこと、確立されるべき道を常に意識することは、今のネットの中での移動においては非常に重要であり、必要だと感じます。

特に学会批判などを見ると、ありとあらゆる方法で、自分の中に確立されたものがないことによる、無意味な論争・非難、中傷に、その、はけ口の無いエネルギーを放出することに費やしているように感じることもあります。

真っ暗な闇のように。

>割愛した部分に、私が本来主眼とした内容がある事がありますが、ネットで書けない事=リアルで述べる内容の場合が幾度もあるんです。


伝えたい者と、受け取る者の波長というものもあるでしょうから、場合によっては、ネットで伝えたいことのほとんどが伝わらないうことは分かります。

信仰に関わることは、なお更と感じます。


>■ 私は、
決して・開き直りでは無いのですが…
ネット上の私に関する事で、
「"自分個人の気持ちや個人感傷を理由とした場合においては"周りからの誤解を解く・周りに対して理解して欲しい…といった欲求の頓着は」持っていません。


凰陣さんの「頓着しないという割り切り」は、私も大切だと思います。そうしなければ、自分を保つことがとても難しくなります。

でも、そのようにおっしゃってますが、実際には、非常に、もどかしい思いも感じられているのでしょうね。

その解決できないことは、言葉を間違えれば誤解を生むことにつながるのかもしれないし。


>割愛した部分に、私が本来主眼とした内容がある事がありますが、ネットで書けない事=リアルで述べる内容の場合が幾度もあるんです。

このあたりに私は、凰陣さんのもどかしさを感じます。

ネットの限界というか、言葉だけでの限界というようなものでしょうか?


発信する側の発信機のエネルギーの大きさとその性能。

受け取る側のアンテナの感度。


当然、双方、完全一致一致することなどありえないことですが、いくらかでも伝わることが出来れば、充実感というか、達成感のような意味のある対話になるのでしょうね。

ですから、たとえば、凰陣さんのコメントに、常に、心地よい風を受け取るように感じられるような境涯を持てたらいいのかなあ、なんて感じました。

また、そのような感覚でネットで発信するような意識をもつことも、いいのかなあと感じます。


>■ 何が言いたいかというと、私の解釈の仕方はneo zeroさんと全く違う事が多々あり参考にはならない事が大半でしょうし、neo zeroさんはneo zeroさんの考えで他者の意見に引きずられる事なく、これまで通りneo zeroさんらしい試行錯誤でいったらいいのでは…という事でした。

凰陣さん、気を使っていただいてありがとうございます。

でも、なんとなく、ボンクラなアンテナを働かせたくなんるんです。^^
2010-01-12 火  12:17:05 |  URL | ネオ・ゼロ #- [編集]
>ネットを不用心にフラフラと歩くとネットの落とし穴というか、マイナス感情の渦に引きずりこまれるような事が、よくあります。
>未成熟な人間が、宗教と信仰に関わる心に関する情報のネットにおける取捨選択の難しさは、間違えば、人間を廃人へと引きずりこむ力さえ持つようなほどの怖さを持つエネルギーを感じることもあります。
>自身の中に「粉動」されない確かさを持つこと、確立されるべき道を常に意識することは、今のネットの中での移動においては非常に重要であり、必要だと感じます。

>特に学会批判などを見ると、ありとあらゆる方法で、自分の中に確立されたものがないことによる、無意味な論争・非難、中傷に、その、はけ口の無いエネルギーを放出することに費やしているように感じることもあります。
>真っ暗な闇のように。

■ ネットは、そうですね・・・。

また、自分の身内でもある学会員相手に対する不満を学会批判としてネット上で吐き出している方の中には、
ネットで吐き出せば吐き出す程、余計に自分の中の辛さ等を悪化させる事が多いのではないか、と、ネットを見ていて私は感じる事があります。
その中には、本当は無意識の中で、信心=つまり、創価学会、師弟、御本尊、同志、大聖人、等々を求め渇望しているのに実際は天邪鬼的な状態に陥ってしまっている方もいるように思います。



>伝えたい者と、受け取る者の波長というものもあるでしょうから、場合によっては、ネットで伝えたいことのほとんどが伝わらないうことは分かります。
>信仰に関わることは、なお更と感じます。

■ ネットをして思った事ですが・・・「リアルよりも自由なネット」と思われがちなネットの方が、
実際は不自由な事が多いなと感じる事がなぜか多いです。


>凰陣さんの「頓着しないという割り切り」は、私も大切だと思います。そうしなければ、自分を保つことがとても難しくなります。
>でも、そのようにおっしゃってますが、実際には、非常に、もどかしい思いも感じられているのでしょうね。
>その解決できないことは、言葉を間違えれば誤解を生むことにつながるのかもしれないし。

■ そうですね・・・昔はよく、もどかしさをネットに感じる事がありました。
でも、ネットは下手をすると、同苦⇒同情を通り越して 「同調」 になってしまいかねない空間だと思うので、
私は、不毛な事に同調しないようにしています。
感受性が強過ぎる者が他者の苦しみに同情し、それが同調になってしまうと、相手の苦しみの痛みをもらってしまいかねないからです。
下手をすると、私のような者には、肉体に実際の痛みになって伴う事があります。
こんな事はおかしな事でしょうけれども、相手の痛みを取ってしまう事もあるからです。
他者にとっては楽かもしれません、例えば・・・場合によっては、電話の相手の肉体的な病の痛みを、一時私が無意識とはいえ、奪ってしまうから。
私が自分のブログで書いたある事で「転換する以前は」どんなにセーブしても、文字の行間から、他人の痛みを実際に感じる事が何度もありました。
だからこそ、相手が表面上は平気そうに振る舞いながら・言葉にしない事での苦悩とその痛みが余計に観え、もどかしい事が多かったです。
「どうしたらこの人の苦しみを解決出来るのか」と。
皮肉な事に、私が信心をしていく中で不要に感じていたある種の感覚があった時期は、他者の痛み・・・時には、相手自身が認めたがらないような無意識の領域の痛みを、それらが私に具体的に教えてくれる事が多々ありました。
それを如来神通秘力に変え、善に変えるとしても、通力は謗法の因子です。
自分のいにちを燃やし、自分のいのちを削る因子がある限り、どんなに他者より何倍も何十倍も何百倍も信心を求め・いのちを湧き立たせ行おうとも、せいぜい、やっと、他者の痕をついていけるか、横並びになれるかどうか・・・。
だからこそ、自分の中の謗法といった不幸の因子を叩き斬れば、それまで以上にどんどん前に進めます。
この場合も、間違っても灰身滅智(けしんめっち)にならぬように、ですが。

上記の事をネットで書けば、「自分を特別扱いするのか」という声や、「邪眼」という声が返ってくる事が大半です。
だから私は、ネット上で自分が過去経験した痛みの理解を求める気は元々ありません、成仏に繋がらない事だし、理解を得た所でそれが即・自他共の信心が深まる事になり得る訳では無く、不毛な事が多いからです。
それ以前に、「全てが己の宿業であり境涯である」以上でも以下でもありませんから。(^^)

ネットは、どんなに正統的な事を述べているように見えても、本当は・個人的な情や気持ちに囚われ・それを解消する為に正論を述べているように「見せている方」も多い世界で、そういった人は、結論を述べず、他者にばかり結論を求めます。
それが延々と続きます。
その中で、自分が何を求め、何を抜き取り、何を取捨選択していくかどうかで、
不毛な中から玉を取り出せますよね。

そういったネットがきっかけの玉としての縁から、私が過去信心の体験で得た事が他の方の役に立つ縁が生まれれば、
私はネットで書かない事を、ネット以外の場でとことん話すようにしています。
だから、過去、メンタル系の病・通力の体験を積めてよかったと、心から思っています。
その場合も、あくまでも同苦として、です。

同調は、他者の苦しみを自分の悩みにしてしまうだけで、何の解決にもならず、同苦では無いですから。
だから私は同苦以外の事を、一切やめました。
「同調」を通り越して「相手の痛みに同化」してしまっても、解決にはならず、
信心では、同苦で無ければ他者を救えないからです。
(※ 転換後は上記は全く以前とは違いますし・・・信心をしている以上、あくまでも「同調」の話は小説の中の話という事でですが・・・(苦笑))

2010-01-13 水  09:26:18 |  URL | 凰陣 #kVP5JqGo [編集]
>ネットの限界というか、言葉だけでの限界というようなものでしょうか?
>発信する側の発信機のエネルギーの大きさとその性能。
>受け取る側のアンテナの感度。
>当然、双方、完全一致一致することなどありえないことですが、いくらかでも伝わることが出来れば、充実感というか、達成感のような意味のある対話になるのでしょうね。

■ そうですね。^^
ネットで不自由な事が多々ある中、幾ばくかは伝わる方には伝わり、私も他者の書き込みから信心の息吹を感じ信心が深まるきっかけを頂く事があるので、
ネットの玉石混交の中から玉を拾えれば有意義なものになるのだと思いながらネットをしています。


■ また、私は、「弱い」事に関して、弱いから悪点だ・・・とだけは思っていません。
自分の中の弱さと向き合い、自分の中の弱さを認める事は勇気が必要だからです。
勇気の一歩が、前に進む事に繋がりますよね。

そしてそれがいずれ、自分の中にしっかりとした金剛宝器戒を打ち立てて行ける事に繋がれば、
弱さは強さに通じ、さりながら強弱両方を知る事になっていくと思います。
それはまるで、生死を含む、妙法の文字のように。

『此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持つて後行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、(教行証御書 P1282) 』

■ ネットは、不毛な事、汚い事が多いように一見見えるし、実際そういう事も多々あります。
が、自分の中に金剛宝器戒が打ち立っていれば、周りから何を思われようと言われ様と、玉=灯火を選び、自他共に発展していける方向に行ける場所でもあると、私は思っています。

とりとめもない話でしたが・・・neo zeroさん、何度もレス交換にお付き合い下さり、ありがとう。(^^)
2010-01-13 水  09:29:16 |  URL | 凰陣 #kVP5JqGo [編集]
こんにちは、

>また、自分の身内でもある学会員相手に対する不満を学会批判としてネット上で吐き出している方の中には、ネットで吐き出せば吐き出す程、余計に自分の中の辛さ等を悪化させる事が多いのではないか、と、ネットを見ていて私は感じる事があります。
その中には、本当は無意識の中で、信心=つまり、創価学会、師弟、御本尊、同志、大聖人、等々を求め渇望しているのに実際は天邪鬼的な状態に陥ってしまっている方もいるように思います。

■その通りだと思います。それは、私自身もそうだ(った?)からです。学会系のブログを拝見したりすると一部に、とても、苦痛や抵抗を感じることもあります。時に、その間接的な、はけ口を、意識と無意識に関わらず自分のブログを用いたりするということもあるでしょう。

また、おっしゃるように、吐き出したものは結局、ある種の後悔と供に、全て、更により以上のものが自分のもとへ戻ってくるのではないかと感じます。苦しみを吐き出すほどにそれが、また、苦しみとして戻ってくる。妙法に向かいながら、同じ生命を下がったり、もとに戻ったりしているだけなのかもしれません。だから、どこまでもその苦痛から抜け出すことが出来ないのでしょう。その心の屈折した状態というか「天邪鬼的」な先に潜む魔というものを感じます。

それは、小さな自分の世界が全てというような誤解による傲慢なのかもしれません。他者を認めることの出来ない、己の中のマイナスの壁。その壁を壊すことの出来ない生命状態というか境涯みたいなもの。今でも私のブログを見れば、そのような記事にたどりつくかもしれません。また、自戒のつもりであっても、何かそこには、汚い生命のはけ口を、今でも求めているのかもしれません。生命を更に見つめ、そして、その深い宿命を知らなければならないと感じます。

>ネットをして思った事ですが・・・「リアルよりも自由なネット」と思われがちなネットの方が、 実際は不自由な事が多いなと感じる事がなぜか多いです。

■自由にもいろいろあるおもいます。
ネットの自由は、自由と、自由を履き違えた非常識や、無秩序な自由とぶつかることによって不自由を感じるのかもしれません。


>だからこそ、自分の中の謗法といった不幸の因子を叩き斬れば、それまで以上にどんどん前に進めます。 この場合も、間違っても灰身滅智(けしんめっち)にならぬように、ですが。

■ その不幸の因子、根源。宿命を辿ることは、とても苦しいというか、難しく、なんとも深く感じることです。「不幸の因子」をばら撒いて、吐き出して、ぶつけるのでは無く、己の生命に引きずりだして叩き斬る為には、その不幸の因子を引きずり出せる生命力と勇気が必要になると思います。 灰身滅智・・・。


>ネットは、どんなに正統的な事を述べているように見えても、本当は・個人的な情や気持ちに囚われ・それを解消する為に正論を述べているように「見せている方」も多い世界で、そういった人は、結論を述べず、他者にばかり結論を求めます。
それが延々と続きます。
その中で、自分が何を求め、何を抜き取り、何を取捨選択していくかどうかで、
不毛な中から玉を取り出せますよね。
>そういったネットがきっかけの玉としての縁から、私が過去信心の体験で得た事が他の方の役に立つ縁が生まれれば、
私はネットで書かない事を、ネット以外の場でとことん話すようにしています。
だから、過去、メンタル系の病・通力の体験を積めてよかったと、心から思っています。
その場合も、あくまでも同苦として、です。

■凰陣さんに映るネットを含めた現実の世界。また、そのスタイルというものが深いところから発しているということを感じます。凰陣さんのオブラートに包んだような言葉の中に伝えたいものを感じるような「ありがたい」と思える言葉ががたくさんあります。繰り返し読ませていただくようにします。
天気は、曇りのち晴れ、「快晴!」
ありがとうございます。(^^ゞ
2010-01-13 水  13:50:20 |  URL | ネオ・ゼロ #- [編集]
>それは、私自身もそうだ(った?)からです。学会系のブログを拝見したりすると一部に、とても、苦痛や抵抗を感じることもあります。時に、その間接的な、はけ口を、意識と無意識に関わらず自分のブログを用いたりするということもあるでしょう。

■ neo zeroさん、こんにちは。
上記のneo zeroさんが書かれた時期を通り抜けた方々は、ネットにもリアルにもいると思います。(^^)

でも、同じような事をネットで書く方でも、
「愚癡を吐き出す事を目的とする、為の為による愚癡」の内容と、
「何とかしよう、このままではいけない」と思いながら結果的には愚癡のような内容になってしまい悩んでいる方の言葉とでは、
多少の違いも出て来ると思います。
目的や意識をどこに置いているかの違いでしょうね。

気持ちの揺れが書き込みに出てしまう事は、誰にでもあると思います。

が、仏法上の愚癡や批判を目的とするのでは無くて、
「何とかしよう」と思いながら、あがいてあがいて必死に自分の苦しみと格闘し、絶対に創価学会・信心から離れる事がなければ、必ず道が開けますよね。

★ 夜の暗闇の中には青空も太陽も入っていて、
曇りの空の雲の向こうには太陽がありますよね。
結局、自分が快晴を掴むか掴まないかですね。

そして、どんなに苦しい時期があっても、快晴を信じていれば晴天を掴めると、
私は思います。

neo zeroさん、返信ありがとう。


2010-01-19 火  13:45:37 |  URL | 凰陣 #kVP5JqGo [編集]
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