ゼロ(無)とゼロ(無)の間を生きる人間:知る「者」と知らざる「もの」


人間というものは、生まれると同時に大事なものを失いながら生きている。

人間というものは、何もないところから生まれて、何もないところへ死んで行く。

何もないところから出てきて、何もないことところへ去っていく。

所詮、人間が、人間のために作り出したこの世の方便なのかだから。

残るのは、現実のこの世?

それとも、過去?

それとも、「あの世」?


何もないところって?

人間にとっては、なにもないところ。

今、生きているお前に、何かある?

生きていることの意味。

「ゼロ」から、「ゼロ」へ。

永遠に続くの?

「ゼロ」と「ゼロ」の間を生きている人間。

その人間に一体、何の意味があるというのか?

100パーセントの命の誕生の瞬間から、人間として宿される命と業。

その瞬間から、大切なものを失い続ける人生が始まる。

失い続けながらいき続ける人間。

もう、既に、多くを失い続けている。

失うもの。

「時間」とこの世に与えれれた「命」。

人間にとっての時間と命は、この世に生きるもの全てに適用される。

「無」いものを人間は、「有」るものに変える。

時間は、この世に生きるものに必要。

人間にとって、この世の命は有限。

限られた命。

その限られた命を図る意味。

人間が、時間をはかるのは、人間がこの世で生きることの残り時間を数えること。

残された命の大方を知るために、暦をめくる。

人間は、マイナスに向って生きていくことを宿命付けれる。

人間。

人間として生まれて、この世に生きているのに、永遠にこの世に行き続けることの出来ない人間。

自然の摂理に反する人間が、負い続けなければならない業。

一体、なぜ故に、前向きに生きているのに、その最終的なゴールは、「死」という、この世とおさらばすることに向うことなのだろう?

「寿命」というものが無ければ、人間や動物は、生きては行けない?

「なんじゃあー、そりゃあ?」

そんな矛盾はあるかもしれない。

じゃあ、今の長寿社会は、人間が作り出した、人間に対する罰社会なのか?

みんな幸せに老後を送っているか?

苦しみながら老後を生きることの、この超高齢化社会というものは、本当に幸せな社会か?

長生きすることを幸せとしていることを謳うことの世の中の歪に見える社会と人間の矛盾は、その解決できないところに、本質的な不可能が見え隠れしている。


不老長寿は、人間が生み出した善か? それとも、悪か?

社会とは、この世とは、まさに人間が、合わせ持つ、善と悪そのもの全てを映しだす。

100パーゼントの姿で生まれてきて、100パーセントの姿で、死んで行くのか?

100%与えられた、時間と命を、すり減らすだけのすれっかれしの出涸らしの人生をおくるのか?

生きることと同時に、大切なものと引き換えに、何を得ることが必要なのだろう。

人間が人間として、この世に生きることの存在理由。

お前は、何者?

何もないところから、何もないところへ。

じゃあ、この世の此処に生きることは何?

この世は、何もないところから、何もないところの、一体、どの地点にあるの?

此処もなにもないところ?

無いのに、必死で、意味を作り続ける、無意味な人間の存在に、その意味の真髄がある。

マイナスをプラスに転換するこの世で必要な【もの】。

生きることは、この世の人生を「チャラ」以上に変えることの闘い。

知る「者」と知らざる「もの」。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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