臨終正念:人生に「まさか」の坂はない

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孤独な人間が、感じること。

「何で自分は生きているのだろう?」

一体、生きる意味がわからない。

たった一人の自分がこの世に、何の目的も無く生きているわけ。

生きる意味。

生きてる。

そうじゃあない。

人間は生かされているんだ。

生きているわけではない。

生かされている。

生かされているのだから、生きているなんて思うことは傲慢。

生かされているんだ。

一人じゃあない。

だから。

この世の全てのものに対して、感謝。

生きる意味は、そこから生まれる。

そこから、孤独は消えていく。

孤独な人間などいない。

今、必要なもの。

   生きる強さと、優しさ。 思いやりと、感謝。

今、これさえあれば、いいと思うもの。

   生きる強さと優しさ、思いやりと感謝。

わたしには、これだけあれば、後は何もいらないと思うもの。

   生きる強さと優しさ、思いやりと感謝。

後ろ向きな人生を歩んできた、人間が確かな宝と感じるもの。

   生きる強さと、優しさ。 思いやりと、感謝。

虚飾を生きる馬鹿な人間には、人間が人間たる最も大切なものを得ることをからとおざかる。

張りぼての飾ざられた「デコ人間」が、1つのパーツを得るたびに、大切なものが、ぼろぼろと零れ落ちていく。

最も大切なものが遠ざかる。

生きているときには、わからない。

この世の価値を知るものは、あの世の価値を知ろうとする。

死。

その瞬間、生きたこととは、何だったのだろう?

生きた意味がわからない人生の最後。

生きたことを感謝出来る最後。

生きる強さと、優しさと思いやりを持ち合わせた人生。 

報恩と感謝の人生。

臨終正念。

人間という、一人ひとりの絶対的な存在。

人間というものが集まる家族、社会と世の中。

その相対するものの中に、絶対的に確かなものとして存在する自己。

自己とは何か?

己とは何か?

己の命とは?

その存在の意味を問い続けることこそが、絶対的なものを求める証拠。

過去を生きてきたことを説明できる人生。

現在を生きていることを説明できる人生。

未来を生きていくことを説明できる人生。

己と言う存在を説明できる哲学。

今日、結果を出すために、今、この瞬間があるのではない。

明日、結果を残すために、今日という日があるのでもない。

生きて、いきて、精一杯生きた。

その生きたことが終わる瞬間、そのために今がある。

その瞬間まで、己そのものの宝を磨き続けることが出来るかな?

勝つのか、負けるのか。

「まさか」なんてことがあるはずはない。

人生にまさかの坂などありはしない。

まさかの失敗も、成功もない。

すべては、その瞬間に決まっている。

当然、「まさか」の人生の最後も無い。(だろう。)

あったら、おのれの道理にかなわん。

現実の人生には、テレビの効果音楽や「まさか」を作り上げる演出など何一つありはしない。

現実は、リアルであるからこそ、モノトーン。

現実は、現実しか映し出さない。

それ以上でもなく、それ以下でもない。

「棚ぼた」の「まさか!?」の人生に何の価値も無い。

桜梅桃李。

今を生きる。



桜梅桃李

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